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オトメクオリア  作者: invitro
第六章 燃える魔法

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17 聖女様は教育者になれない

 メナス=メレス。

 第二皇子エピクロスの乳母だった女の名だ。

 年齢は二十代。愛人という噂だったが、数え切れないほどの愛妾を抱える皇帝にしては珍しく手は出していないらしい。皇帝とは皇子達が生まれる前からの親しい付き合いだという声もある。


 しかし、ポーネットが一ヵ月かけて集められた情報はほとんどこれだけだった。

 皇帝と話している姿はまるで兄妹のようにも見える、と親密さを語った者もいるが、どの家の出身なのか誰も知らない。さりげなく彼女の情報を探ろうとすると、貴族達はすぐに話題を変えて矛先をずらしてしまう。

 加えて、油小路という転移者については名前すら聞いたことがないと声を揃える。情報収集は完全に行き詰まりを見せていた。


「いっそ皇子のパーティーに誘ってもらうよう根回しを……いえ、これはダメね」


 幽村の同行者として敵の本丸へ踏み込むには、単独だと少し不安が残る。

 ジャビス枢機卿は何年も前から黒い噂があったから納得もできる。

 だがバンデーンはどうだろうか。

 上昇志向はあれど、教皇選挙前に使徒座と敵対するとは考えにくい。

 幽村の話でも、帝国に来てから態度が軽薄なものに変わったと感じるという。

 ルパ帝国にはまだ見えていない闇がある。バンデーンほどの人物を変えるだけの何かが。


「本日分の手紙をお持ちしました」


 ポーネットが部屋で頭を抱えていると貴族からの文が届いた。パーティー会場で口にしづらいことでも、もしかしたらと期待する。


「はあ…………色仕掛けをしたわけでもないのに。この国の男は権力と女を抱くことしか考えていないの」

「ポーネット様の魅力であれば仕方のない事かと」


 部屋に残っていたシスターが恍惚とした表情で答えた。

 パーティーで出会った貴族達の手紙の大多数は婚姻の申し込みだった。

 ラウラ達と騒いでいると忘れてしまいがちだが、澄ましている時のポーネットは17の小娘とは思えぬ美貌の持ち主だ。軽やかに挨拶を交わし、すれ違いざまに流し目を送られただけで、世の男達はころりと落ちる。

 また、こうした外見の評価が、傾国の美女と呼ばれた五代前“愛の教会”の巫女サリエラと共通するところの一つとされる。


「そろそろ一度意見を求めた方がいいかしらね。ラウラさんは部屋にいらして?」

「本日も早朝から孤児院へ出かけているようです。あの馬鹿者どもなら、いつもの部屋に引きこもっておりますが」

「孤児院?」


 言われてみると、ここしばらく日中屋敷で姿を見た記憶がない。

 油小路の情報をポーネットに任せたラウラは、帝都にある孤児院を巡り、ミラルベル教の教えを説くと共に勉学を教えて回っていた。

 シスターの報告を聞いて感心したが、よくよく考えるとラウラは年下の人間には優しい。面倒見がよく真面目に教育を施そうとする。

 更に言えば、ラウラは乱暴者に見えて、教会の賢者達も驚くほどの幅広い知識を持ち、深遠な物の見方ができる人間だ。彼女の授業を受けられる子供達は、貴族が大金を払って雇うような家庭教師の授業を受けるよりも幸せだろう。


「意外と聖女様を評価なさっているのですね」

「事実として、あの方は聖遺物の力を抜きにしても、イネス様とキスキル様を引き下がらせるだけの能力はありますわよ」

「つまり、日頃の問題行動の数々は世を欺くための仮の姿?」

「いえ、基本的にはおバカなのだと思いますけど」


 シスターが足を滑らせる。

 しかし、ポーネットも語れるほどラウラを理解していない。




――――――――――




「どうしましょうどうしましょう。あれ絶対、芋で印章を複製する練習してましたよ。印璽っぽい物までありましたし」


 孤児院へ向かう途中、シスターが何度も語りかけてくる。

 ラウラの予定を確認しに行くと、金剛寺達は部屋でいつもの秘密工作に励んていた。だが、今日の工作物はいつもと様子が違いテーブルには大量の芋が転がっていた。他にも大量の紙やインクもあったのだから言い訳は利かない。間違いなく何らかの文書を偽造する準備をしていた。


「見なかったことになさい」

「ええ、そんな。あのバ、転移者達の行動を咎められるのは巫女様だけですのに……我らの巫女様までが毒されて、ううっ……」


 適当に返事を流すとお供のシスターはよよよと泣き崩れる真似をした。

 ポーネットとしては、バカがバカをやるのはもはや日常であり、注意する気力も失せている。今は、反省も学習もしない者達に倫理や常識を説く時間が惜しい。

 どちらかと言えば、聖女付きの護衛として来たはずの二人がラウラに付いていない方が遥かに問題だ。

 三人はよく口喧嘩をしているが明確に上下関係がある。金剛寺と玄間はラウラが本気で命じれば逆らわない。今回も、どうせラウラが無理を言って一人で行動しているのだろう、と足音が強くなる。




「人の善意に依存した怠惰な社会は必ず腐敗する。わかるか、おまえ達」

「はい先生!」


 孤児院の大部屋の外にまで、聞きなれた幼くも力強い声が響いていた。

 勉強を教えているのだろう――が、ポーネットは嫌な気配がして部屋に入る前に立ち止まった。見つからないように中を確認する。


「身分制度は生まれながらにして生物の精神構造を切り分けてしまう、上も下も己とは違う生物と仮定してしまうのだ。目の前で飢えて死ぬ子供がいようと貴族は共感などしない。それはおまえ達も身に染みているだろう。故に、一度貴族制によって腐敗した国は二度と正道には戻れない――」


 最初は社会制度の授業かと思ったが、どうにも様子がおかしい。

 木箱を教壇代わりにラウラが立ち、生徒である子供達と一緒に何か文字の書かれたハチマキをしている。勉強をしているだけなのに、その本気具合がどこか異質な印象を受ける。


「また東の自由都市同盟を参考にすればわかるが、議員制による法治国家も腐敗を免れない。法で裁ける物は法で定められた悪だけとなり、悪と定められぬ隠れた悪が法の下で黙認される。悪しき者が悪法を敷けば悪は裁かれないのだ。そして選挙という建前がある分、革命は遅れ、おまえ達のような不幸な境遇は増える一方となろう。何より庶民は正しき為政者を選ぶだけの知識も知恵もない。先日教えた選挙制や多数の原理などクソだ。バカがバカの代表を決めたところで良い国など作れない。よって真に求めるべき道は王道のみとなる。しかし、王冠とは人の頭に頂く物ではない。王とは心を持ったヒトという生き物を辞め、王というシステムになれなければならないのだ。聖女たるわたしの教えを受けたおまえ達こそが、選ばれし王の候補として――」


 教室の雰囲気は、ミラルベル教国内でも一部の過激な宗派が行う布教活動に似ていた。

 こういった科目は基本歴史上の出来事と比較しながら、その良し悪しを語り合い思考させるものであるが、ラウラはその根本にあるであろう精神を否定することばかり言っている。

 要するに、他国の歴史と情勢批判である。


「扇動?」

「むしろ洗脳かしら」


「先生!」

「なんだねワトソンくん」

「なんかきれいなお姉さんが覗いてます! あとボクそんな名前じゃありません」


 ワトソンくん(仮)の言葉を聞くと、ラウラは廊下を見るよりも先に、素早くハチマキを外して黒板に書かれた不穏な単語の山を消した。簡単な掛け算の式に書き直す。


「ふう……あれ、ポーさんじゃないですか。今この子たちに算数を教えてたんですよ」

「これが算数?」

「ああん、わたしの合格ハチマキ返してっ」


 帝国には、学園と呼ばれるものがある。

 貴族や商家の子息子女が通う高等学校だ。授業料は高く、学びの場というよりも子供が社交界に出る前の練習場といった側面が強い。もっとも、学園での繋がりや発言は残るものであるため、優秀な子供は学園生時代から他家との友誼を深めているが。

 そしてこの学園には、貴族や商家の寄付により優秀な庶民のための奨励金制度が存在する。試験は狭き門であるものの、合格できれば未来への輝かしい道が開かれる。


 だからこの奨励金制度を狙えるような優秀な子供は、“合格”と書かれたハチマキを頭に巻いて日夜勉学に励むのだが、取り上げたハチマキは、


 “ 目指せ革命闘士 ”


 明らかに書かれている文字が違った。

 目指している先も受験ではないだろう。


「あなたはよそ様の国でなにをしてますの」

「ふっふっふ、バレてしまいましたか。この教室から新時代が始まるのですよ。わたしの育てた聖戦士たちが、穢れたブルーブラッドを駆逐し正しき国家の樹立ぎゃあああッ」


 アイアンクローで宙に浮いたラウラが悲鳴をあげる。

 ラウラはポーネットから帝国の内情を聞いた翌日には行動を開始していた。この国の王侯貴族はこの優しい世界には必要ない存在だと割り切って、次の世代が生きるべき道を与えようとしていたのだ。


「これはキツいおしおきが必要ですわね」

「ところがぎっちょん」

「やめろー、先生をはなせー!」

「先生をたすけろー!」


 頭を掴む手にさらなる力を込めようとするが、子供達の声が止めた。ラウラを救おうと一斉に襲いかかってくる。

 もちろん、身体能力を強化する聖遺物を持ったポーネットに子供の突撃など意味がない。何人だろうと何十人だろうとポーネットを押し倒すことはできない。


 しかし、ポーネットは子供達の眼を見て足を引いた。

 この眼には覚えがある。

 “天空の教会”。その信者が教祖各務の死(誤報)を知った後でポーネット達に向けてきた眼と同じ。命を捨てた戦士の眼。信仰に命を捧げた殉教者の眼だ。


 ポーネットとシスターは空恐ろしくなる。転移者の持つ魔法のような馬鹿げた力も使わず、話術だけで、それもたった一ヵ月目を離しただけで聖戦の土台を作り上げるラウラの手腕が。


「ラ、ラウラ先生は今日で引退ですわー」

「わたしがいなくなってもちゃんと自習は続けろよー」


 掴んでいたラウラを小脇に抱え直すと全力で教室から逃げ出した。

 子供の足がポーネットに追いつく事はあり得ないのに、後ろから迫る圧で汗が出る。ラウラの言葉を受け止めた生徒達が、涙ながらに立ち止まって手を振りはじめるとようやく足を緩めることができた。



「まったくもう、あれじゃ洗脳ですわよ」

「教育とは時流に合わせて適切な教えを施すことを言います。そして情報と生徒の間に教師という個人が立つ以上、公明正大な教育などありません。つまり教育とは例外なく洗脳なのです」

「はぁ……言い訳だけは達者なんだから」

「ムッ、真の狙いは別にあ――おや、あの馬車は」


 屋敷に戻ると、第二皇子からの使者が待ち構えていた。


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