03 横乳、聖獣、魔女狩りR2
金剛寺と玄間が聖地への侵入を目論む一週間ほど前――
「大神殿から大通りを一周して泉で身を清めて、最後にヨンロン様の聖印?てのを体にもらえば完了なんですよね」
「それでばっちりなのー」
聖域とされる聖都中央区内、その中でも獣人巫女が管理するヨンロンの庭園で、紅白の法衣に身を包んだ乙女達が最後の打ち合わせをしていた。使徒座の中で唯一儀式の詳細を知らないラウラが重ねて質問を投げかける。
「まだ聞いてないんですけど、聖印というのは?」
「あのね、これを手に塗ってね、背中にぽんってするの」
「なるほど、肉球スタンプ……なんか特別な聖遺物を使うとかじゃないんですね」
ヨンロンは用意された白い泥を指さした後、ラウラの細い胴体くらいならマルっと掴めてしまいそうな大きな手を開いて見せた。
ネコとウサギとクマを掛け合わせて大きくしたような外見でありながら、巨大な足で二足歩行するヨンロンの姿は、子供向け番組に出てくる着ぐるみのようで愛らしい。ラウラはその柔らかそうな肉球に自分の手を当てて確認する。
「やばーい、この感触、クセになる~」
「ラウラ、ぷにぷには不敬にゃ」
「そうですー、聖女様でもヨンロン様にぷにぷには許されませんよ」
「ああん、もうちょっとっ」
巨大肉球で遊ぶラウラをピリカとキナが引き離す。
今回、聖女であるラウラには、洗礼を受ける信者達を導く役割が与えられていた。儀式の最終確認を終えた後は、洗礼を受ける信者が体を清める泉の前で待機する運びとなっている。肉球遊びを切り上げてしぶしぶ退室する。
しかし、退室する前、メイアが何か重大なことに気づいてしまった顔で巫女達を呼び止める。
「すいません、アヴィ様……」
「なじょした、何か忘れ物か?」
「その、よく考えたら、ラウラちゃんって洗礼受けたことあるんですかね。リットン様に保護される前の記憶がないのは知ってますけど、この場合どうなるんでしょう」
「あっ」
全員が間の抜けた顔でラウラを見る。
「なんです?」
聖遺物に高い適性を持つ使徒座の巫女は、その多くが王侯貴族の血縁者だったり、高位聖職者の子息子女である。そうでない場合も、巫女候補を集めた特殊な修道院で何年も修行を重ねた者達が多い――となれば彼女達は皆、巫女に選別される前に、地元の教会だけでなくヨンロンからも正式な洗礼を受けている。
「ヨンロン様、過去にラウラちゃんに祝福を授けた、なんてことありませんよね」
「赤竜の谷で会ったのがはじめてなの~」
「ということは……」
「え、なに? 今更予定変更?」
異世界からやってきた経歴詐称中の聖女だ。もちろん洗礼など受けたことがない。
ラウラは洗礼を受ける側だった。
ともあれ、いきなり見た事もない祭事の責任者をやらされるよりは参加者の方が気が楽かな、しめしめ――などと安心していたのだが、ポーネットが持ってきた洗礼式用の衣装に着替えたラウラは、珍しくうろたえていた。
「あの……上に着る物は?」
「ありません、それが洗礼の衣装でしてよ」
「これだけ? この姿で大通りを端まで歩くんですか。え、まじで言ってる?」
「おマジですわ」
純白の薄い前掛け一枚を紐で首から下げたラウラが聞き返す。
自分が着る訳ではなかったため、洗礼式の服装を知らされていなかったのだ。
「でもこれ、下着以下の布切れなんですけど、下着より恥ずいんですけど?」
「それでもそれが正装です」
「でもでも、これほら…………横乳まる見えじゃん?」
「聖女が横乳言うな」
たぷっ、と前掛けから少しはみ出る自分の胸を平手で叩いた。
大きくはないが適度に膨らんだ綺麗なお椀型の胸が小さく揺れる。
ついでに言えば、後ろからおしりも丸見えである。
前掛けの色合いもあって、ラウラからすると足柄山の金太郎というより新妻の裸エプロンといったイメージが強い。
「でも見て。メイアとかポーさんとかキスキルが着たら、こんなん完全に歩くセックスになるじゃん? 衣装変えなきゃダメじゃない? 儀式の最中にエレクトして歩けなくなる男の子が出たらどうするんですか。一生忘れられない心の傷になりますよ」
「……メイア、エレクトするってどういう意味ですの」
「勃起です」
「ぼっ……え?」
「だから男のアレがニョキニョキしてバキバキのガチガチになるアレです」
「あ、ああ……」
バカなんですのね、とポーネットは声に出さずラウラへ冷たい視線を浴びせる。
一生に一度の神聖な儀式の最中に、淫欲に駆られて股間を膨らめる信者などいるはずもない。だいたい神聖な衣装で興奮すること自体が不信心である。
「だけど、ラウラの指摘は一理あるにゃん」
「え? 気は確かですの」
「たしかに胸に駄肉を垂れ下げた女は歩くわいせつ物にゃ! 巨乳は罪! 取り締まるべきにゃ!」
「ピリカさん、そんなに思いつめていたんですのね……」
「おい、憐れみの眼でピリカを見るのはやめるにゃ、この無駄肉女――あ、キスキル教官は例外ですにゃ、だからそんな怖い顔しないでほしいのにゃん」
「……ハア、こいつらは……着替えたのなら参加者の列に加われラウラ、他の者も準備が残っているだろう、早くしろ」
巫女達が勢ぞろいで説得しようとするが、ラウラの耳には届かない。
くしゃくしゃに丸められた前掛けが床に叩きつけられる。
「ええい、こんなスケベ衣装で外なんて歩けるかぁ! なんですかなんですか、洗礼式とか言いながら、実はエロいことしたいだけのドチャシコ祭じゃないすか。こんな恥ずかしい祭事お断りです!」
「いやー、すっぽんぽんで恥ずかしい言われましても」
「チラリズムって知ってますか! 中途半端に隠すからエロく見えるんですよ!」
「まーたヘリクツ並べて……あなたこそ歩くわいせつ物じゃありませんの」
「青少年保護法でラウラと“愛の教会”を有害指定するにゃ」
「ちょっと! 今“愛の教会”関係ないじゃないですか!」
「うるさいうるさーい! この衣装決めた責任者出てこい!」
ラウラは精霊アヴィから順に巫女達をにらみつける。ぐるりと一周。すると、最後にラウラの後ろにいたヨンロンがおずおずと手を上げた。
「このスケベ衣装はヨンロン様の趣味でしたか、これじゃ聖獣じゃなくて性獣ですね」
「せ、性獣!? ぼくのこと、性獣って言った!?」
洗礼式で用いられる衣装は、もともとヨンロンと共に来た異世界人の民族衣装のひとつだった。しかし、そんなことは知らないラウラはヨンロンのお腹を叩きながら卑猥な衣装を罵倒する。
「やーい、性獣ぅ」
「ののーん!! ご主人様との思い出をけがされたの、ゆるさないのー!」
「はぁ? ゆるさなかったらなんなんですかー、それよりとっととまとな服に変えるように指示出してくださいよ、このむっつり性獣」
「また言った! もう絶対ゆるさないの! 緊急査問委員会開廷なのぉ!」
ヨンロンの叫びに合わせて、巫女達がラウラを取り囲む。全員、剣呑とした空気を身にまとっている。特に獣人であるピリカとキナ、ついでにポーネットは完全な臨戦態勢に入っていた。
「やだなー、冗談言っただけで」
「世の中には言っていい冗談と悪い冗談があるんですよ」
「……あらら? これマジな感じ?」
聖都に来たばかりの時に受けた魔女狩り裁判を思い出したラウラの額に一筋の汗が伝う。
ミラルベル教における聖獣ヨンロンの位階は、教皇と精霊に次ぐものとなっている。つまりその地位は、大陸の各地方をまとめる枢機卿司教よりも高い。
そんな相手を、そしてその相手がかつて主と仰いだ聖人の文化をも拒絶し否定したとなれば、聖女であってもただでは済まない。
「その査問、ちょっと待ったぁ!」
「なのよ!」
とその時、タイミングよく小さな二人組がノックもせずに入って来た。
精霊ルディスとハンナである。
「……なんじゃお主ら、いつ帰ってきたんじゃ」
彼女達は、現在聖都にいない――自身の管理する組織である戒座と宝座を連れ、自由都市同盟シルブロンドまで遠征しているはずだった。
前回の独立騒動で、安が“金満魔法”で創造した金貨は数百万枚とされる。その全てを回収し、物価と治安を回復させるための事後処理には、戒座宝座が総出で当たっても人手が足りず、精霊自ら現地で指示を出さねばならない異例の事態となっていた。
この場に居るはずのない突然の来訪者に巫女達は目を丸くし、アヴィは隠しもせず嫌そうに溜め息を吐いている。
「ふふふ、再びそのエセ聖女がやらかす機会を待っていたのだよ」
「またわしの神殿にスパイを忍び込ませたか、陰湿じゃのう……そも、主らもラウラが聖女でよいと認めたじゃろ」
「いやいや、やはり人間社会では下積みをさせて自ら信用を築かせないとだめだと考え直してな。いきなり聖女では各所から反発も出ている。それにこの報告書を読めば、アヴィももう一度聖女の選定が必要だと考え直すはずだ」
どかっ、と音が響くほど分厚い報告書の束がテーブルの上に置かれた。
「ヨンロン、ありがとうなのよ」
「よくやったぞ」
「ののん?」
ルディスとハンナにお礼を言われたヨンロンは不思議そうに顔に指をあてる。
ルディスとハンナは過去に、ラウラが聖女の位へ就く事を認めてしまっている。二人は仮にもミラルベル教のナンバー3とナンバー4の地位にある。その決断は重く、一度下した裁定を簡単に覆すわけにはいかない。
そのため、現在聖女であるラウラの問題を単独で提起できるとしたら、直属の上司である精霊アヴィを除けば二名のみ。病気で臥せっていたために聖女認定に直接関わっていない教皇か聖獣ヨンロンとなる。
その片方が聖女と揉めそうだと密告を聞き、二人は慌てて使徒座の神殿に乗り込んできたのだった。
ラウラが逃亡しないように目を見張りつつ、使徒座の面々は置かれた報告書に目を通していく。
「ええと……女神様の力を悪用されたとはいえ、容易に権力を奪われた自由都市同盟の各代表へ対する誹謗中傷、神罰または教育と称した暴行の報告……ならびに代表の連名で聖女を降格させるように要請が来ているですって!?」
「他にもありますねぇ……教国へ招くはずだった転移者“タタラソウイチ”を故意に逃がした疑い」
「転移者タタラと共謀し、転移者ヤスの創造した金貨を横領した疑い」
「自由都市同盟には、事件に関わっていない転移者が他にも数名いたとみられる。聖女ラウラがそれらの人物と接触していた疑い……?」
「ナルキ村でオルグル王国補佐司教リットンにより保護される以前の過去が、未だ一切不明である点について……」
報告書を読むつれ、巫女達の表情が険しいものへと変わっていく。
それはラウラの過去を中心とした身辺調査と、“天空の教会”を解散させた後、神聖ミラルベル教国へ帰ってくるまでにやらかした問題行動の報告書だった。
「とりあえず、本人の希望通り洗礼式への参加は見送りだな」
「……やったぜ」
「この状況でも動じないのはさすがの胆力ですぅ」
「キナさんキナさん、全裸で腕組んだままふんぞり返ってますけど、ここまで来ると感心通り越してムカつきません?」
背後をヨンロンに、そして周囲を聖遺物を持った巫女に囲まれても、ラウラは堂々とした態度を崩さない。
報告書に書かれている内容を遠目に追えば、確かにラウラが抱えている問題と実際に起こした覚えのある事案ばかりだ。ラウラの手持ちの言葉でどんな言い訳を並べても疑い自体を消す事はできない。
もっとも、いま問題となるとしたら、それは報告書よりもポーネットの対応だろう。
どれだけラウラを疑えど、出てくるのは状況証拠だけだ。ラウラは自分を信用していない勢力の存在を理解しながら、教会に背任しているのだ。容疑を証明する物的証拠を簡単に残したりしない。
しかし、彼女にだけは、ギャンブル都市ラスランティスで、教会へ報告していない転移者との繋がりがあると言質を取られている。だがポーネットはラウラと一瞬目が合うも、口を開く様子はなかった。
(あーそういや、使徒座の任務とは別で、俺に何かやらせようとしてたっけ……学校のチンピラどもと違って女の心は読みにくい)
ひとまず、ポーネットが沈黙を貫こうとしていることは確信が持てたので、ラウラは時間を稼ぐ方針でいくことを決める。
「やれやれ、確証もない報告書でまた魔女狩りですか。ルディス様は懲りませんね」
「ほざけ。戒座の部下から、ラスランティスで転移者の住んでいた民家が破壊された日の夜、お前が教会に居なかったことは調べがついているのだ。何をしていたのか吐いてもらおう」
「その事件は知りませんが……まぁ、まだ残暑の厳しい時期でしたし、外で涼もうと深夜の散歩でもしに行ったのを、あなたの部下が見落としただけじゃないんですか」
内心では「そこまで調べられていたか」と感心しながらも、ラウラの態度はしれっとしたものだ。
ラウラにとって、自身の目的を遂行するための違法行為や裏切りは必要悪として処理される。ルディスがカマをかけようとも、ウソをつくことにためらいも罪悪もない。だから、ラウラが詰問に動揺することはない。
けれども、ラウラが自由都市同盟で各務達の魔法に良い様に操られた各国の代表――すなわち、国王や族長、市長などをさんざん罵倒し、時に強烈なビンタをお見舞いして説教を垂れて来た事実は報告書の通りである。また、宝座の調査が入る前に、ラウラが活動資金として裏金作りに金貨を抜いたことも事実である。弁明の場が長引けば、ラウラにとって不利な証拠が出ないとも限らない。
(査問の主催はヨンロン。ヨンロンがいなければあの報告書はただのイチャモンで片付く。そして聖獣といっても所詮は畜生。どうせ一晩寝れば何言われたかなんて忘れてるだろ。となれば、この場さえしのげればいいわけで……)
「……わかりました。ですが服を着させてもらってよろしいですか。さすがに恥ずかしくなってきました」
「ほれ、早くしろ」
投げつけられたパンツを履こうとして持ち上げた脚が止まる。
「逃げ道なんてないんだし、パンツ履くとこ見るのやめてもらえます?」
八方を囲んでいたヨンロンと巫女が顔を赤くしてラウラから視線を外す。
しゅるしゅると法衣の衣擦れが聞こえ、そろそろいいかと一斉に振り向こうとした瞬間――ガシャンッ、とガラスの割れる音が響いた。
「消えた!?」
「……ヨンロン様は何をしてらっしゃるの」
「ぼくのおまたの下を通っていったのぉ」
恥ずかしそうに両手で顔を覆うヨンロン。ラウラはその股座を匍匐前進で包囲を抜けたようだ。後ろにある嵌め殺しの窓は無残にも砕かれ風を吹き入れている。
「聖獣様の股をくぐるとは……」
「探し出せ!」
聖都に来て以来二度目となる、今度は使徒座も敵にした魔女狩り第二ラウンドが始まった。




