02 魔法の焦げ跡
パキリッ。
小さな靴が一歩踏みだす度に渇いた音が鳴る。
「近い方角から入っても休まず歩いて三日か……」
まだ幼さを残した愛らしい声に似合わず、少女は凛然とした口調で呟いた。焼け落ちた森を歩きながら、初めてこの森に来た時の事を振り返る。
自身は魔法の暴走下にあったため、詳細な状況を覚えていない。ただ当時の異様な火災だけは覚えている。生木が燃えているとは思えない速度で広がる炎。仮に枯れ木でも考えられない燃焼速度、圧倒的な熱量を、今でもはっきりと肌が覚えている。
「拾ってくれた爺さんたちに感謝しないとな」
パキッ、また靴の下で炭となった木片が割れた。
懐かしいと感傷に浸れる光景ではない。神の力の脅威を最も色濃く残した場所で少女の足が止まる。一年前は新緑を宿す樹々が並んでいた広場だ。それが今は砕けた木炭が転がる焼け野原となっている。
「場所は間違って……先を越されたか」
少女が一年ぶりに森深くまで来た理由は、天使を模った神の遺物にある。
天使から直接聞いた説明では、その神器の使い道はすでに固定され、異世界との移動にしか使えない。しかし、世界に残された“空の神器”の個数によっては帰還方法は交渉する武器になり得るものだ。
「あの重量じゃあ隠すのも一苦労だし……一年も経てば誰かに取られててもしゃーねぇわな……」
黒に染まった広場を見渡しても天使像は見当たらない。外見は不純物など一切見られない眩しいほどの金塊だ。鬱蒼とした緑は灰となり崩れ落ち、太陽を遮る物がなくなった開けた空間で美しい黄金に気づかないはずもない。もちろん煤をかぶって隠れているなんてこともなさそうだ。
天使像を置き去りにした正確な場所に辿り着くと、そこには比較的新しい足跡が残っていた。少女が住む村とは別の方角、遠くに見える山の方へと続いている。
森の奥地は凶悪な魔物が住むと恐れられている。周辺国や異世界の最大勢力を誇る宗教においても危険地帯だと指定されるほどだ。たまたま立ち寄った異世界の住人が天使像を回収したとは考えにくい。
少女の知り合いの誰かが来たのだとしたら、森近くの寒村でひっそりと息を潜めていた少女よりも早く戻ってきた者がいることになる。
少女は必要だと決めた事への努力に苦を覚えない性格の持ち主だった。基本的にすべてにおいて人より劣ることや負けることが嫌いなのだ。許せないとまで言える。
努力を惜しまず人怖じしない。そんな少女でも、異世界の言葉や風習を覚え、自然に溶け込めるようになるだけで半年近い時間が必要だった。
誰かが自分よりも先を行っている。
その事実がより多くの情報を求めさせ、少女にさらに森の奥へ足を運ばせる。
足跡を辿り、奥へ奥へまた一時間ほど歩くと火災の跡は消え緑の森に戻った。しかしそれは、踏み砕かれた炭や灰で神器を回収した人物の痕跡を追えなくなったことを意味する。
「はぁー、帰りますか……」
寒村に住む子供にしては肉づきが良いものの、少女の小さな体は燃費が良く食料にはまだ余裕があった。それでも食べられる物はできるだけ集めておきたいと帰り道用の食料を探しはじめる。だがそこで見つけたものは、少女が想定していないものだった。
「………………………………ウメダ?」
無意識に人の名前が漏れた。
折られた樹の枝と砂で隠された遺体を見つけてしまったからだ。
土と風に運ばれた煤で黒く汚れたミイラ。火事で死んだのではなさそうだった。干からびていても炭化はしていない。
杖にしていた棒でミイラを覆っていた枝をどける。死体を観察して目についた物は、教員が実習で使う作業着と干からびながらも絶対に離すまいと固く握られた靴だ。
「削れて読めない……部首が分かれてる苗字、誰だ?」
体格からしても死体はかつての担任教師、靴は少女が通っていた高校の購買部で売られている生徒用の運動靴で間違いない。
野生動物の噛み痕以外に外傷は確認できない。恨みをもって襲われたと断言できるものはなかった。死体を隠していた木の枝も人間の行為というよりは動物が餌を隠すために砂と一緒に足で蹴っただけの様に見える。
「いくらアイツらでもいきなりはヤらないよな……」
ケガや火災で肺を火傷して走れなくなり、強引に助けを求めるも見捨てられ迷子になって餓死した――というところだろうと少女は結論づけた。
「……にしてもこいつはどうすれば」
墓穴を掘ろうにも余計な道具は持ち合わせていない。森で野生動物に遺体を掘り返されない墓を掘るのはかなりの重労働となる。それに以前は本気で死んでくれて構わないとさえ思っていた相手だ。
「無理して供養してやる義理もないか……なむなむ」
少女は遺体から金の腕時計とパワーストーンを繋げたブレスレットを奪い取った代わりに、近くに落ちていた一番立派な木の枝を墓標に見立てる。冥福を祈ることもなく形だけ手を合わせ、何事もなかったかのように村への帰路についた。