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オトメクオリア  作者: invitro
第五章 浪費される魔法

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27 世界にはそっくりさんが三人いるらしい

「なぁサメさんよ、宇宙の温度って知ってる?」

「真空なんだからゼロ度だろ、バカにすんな」

「絶対零度な、その言い方だと摂氏0度になるだろが。だけど、ほぼ真空だと皮膚と空気との接触がなくて、熱の損失経路が輻射ふくしゃしかないから、体感では絶対零度の宇宙空間より薄くても空気のある成層圏とかの方が寒いらしいぜ」

「…………輻射ってなんだよ」

「熱エネルギーを電磁波として放出すること。授業でやったぞ」

「あー炭でやるBBQ的な? そんで何が言いたいの?」

「たまにSF映画で壊れた宇宙船から生身で放り出された人間が、一瞬で凍りつく演出あるだろ。あれウソなんだってさ。そんな急に冷えねぇって」

「マジかよ……もうハリウッド信じらんねーわ……」

「まあ本当に言いたいことはまだ別にあって」



 薄暗い部屋の中、口の悪い可憐な少女とチャラそうな男がぐるぐると回りながら雑学を披露していた。その二人の間では、泣きそうな顔をした男が正座させられている。


「おまえには、ほんとがっかりだよ、各務」


 各務蓮也。解放魔法による精神の侵食を受け入れ、自身の得た高揚感を全人類共通の幸福だと勘違いした小心者だ。


「何ソッコーで帰ってきてんの? 寒かった? それとも苦しかったか、おい」

「はい……本当に空は痛いぐらい寒くて、あと酸欠でパニックになりました……」

「はぁー、サメさん、どう思うこれ」

「マジだっせ。あそこまでカッコつけたら死んどけよ」


 容赦のない罵倒を浴びせられる各務の顔には、大量の汗が流れていた。


 魔法とは望みを叶える力である。

 故に、意思の力が弱くなる、別の事に気を取られると魔法は使えなくなる。もしくは継続使用していた魔法が解除されてしまう。


 一度は天空へと消えた各務だったが、ラウラ達がカルト信者を解散させようと奮闘している最中、悲鳴を上げながら落ちてきた。メイアの生み出した銀糸の鷹によって回収され、凍りついた涙と鼻水を携えて震える無様を晒しながら信者達の目の前で保護されたのだった。

 現在は、口を割らない楠井の拷問を戒座法務官ブルとメイア達が担当し、各務の尋問をラウラが担当している。



「あそこまでイッて正気に戻れるとかさ、根本的っつうか絶対的に解放魔法と相性悪いんじゃねーの?」

「そこは俺も驚いた。人間、常日頃から鍛えておかないとダメってことだな」


 魔法によって生まれた狂人にも、元の素体によって心の強さに差が出るようだ。ラウラは各務を見下し、長い溜め息を吐いた。


「だがしかし、勝負事で番長の想定より上を行ったって意味では、流石我ら2-Aの委員長と言えなくもない」

「おい拍手すんな、俺べつに負けてねぇから!」

「ヤリ逃げも勝ち逃げも同じだろ、ヤラれた時点で負けなんだよ」

「アア? テメェもぶっ飛ばすぞ」


 ラウラと鮫島は正体を明かしている。これは魔法の影響が抜けて小心者のヘタレに戻った各務に、誰を敵にしたのかを教え、より強烈な脅しをかけるためだ。

 そしてラウラには、まだ今回の件で納得していない問題があった。さんざん貶されバカにされ、精神の弱った各務へ質問を投げかける。


「そんで各務、本当の主犯は誰なんだ。安と中馬にできるのは金勘定と詐欺だけだ。今回の作戦は、あいつらが考えた事にしては不自然だと思うんだが」

「ぼ、僕が考えたんだよ」

「ウソつけ、おまえはアホじゃねえか」

「ひどいっ」

「でも事実なんだよなぁ」


 指摘された各務が涙ぐむ。

 各務は2-Aの中では真面目な生徒だった。しかし悲しい事に、どれだけ勉強しても知識が身につかない残念な少年でもあった。

 頭が悪いだけでなく、思い込みが激しく、努力の方法を自分で考えられない。人から言われたことを鵜呑みにする素直な性格なため、周囲に意地の悪い人間がいると簡単に騙されてしまう出来事が多々あった。


「鳩山が言っていた先生とは誰だ。ちなみに梅田はこの世界へ来て早々に殺されてるからな。つまらない嘘はつくなよ」

「え、梅田先生が……殺され、え? なにそれ」


 担任の死を知らなかった様子で、各務は体を震わせる。

 その姿から、また新しい脅しのネタを思いついたラウラは話を作りはじめる。


「おいサメ。こいつ、異世界に来た直後から殺し合いの競争が始まってること知らないらしいぞ」

「……あー、だから宗教ごっこなんてやってられたんだ」

「殺し合い!? そ、そんな、魔法の暴走以外で?」


 二人は更に嘘と誇張を重ね、各務に恐怖を刷り込んでいく。

 各務は貴志が率いていた20人ほどの最も大きなグループに所属しており、異世界に転移してきた直後から単独行動してきた者の情報を一切掴んでいなかった。


「全てを正直に話すなら教国でおまえを保護してやる。無論、今回の件を考えれば投獄は避けられないけどな。だけど逆に、まだ俺に逆らうというなら、牢屋に入るより恐ろしい事を知ることになるぞ」

「ひぃっ、お願い、殴らないでっ」


 ラウラが小さな拳を振り上げる。

 頭の悪い各務に対して有効な力とは、理解しにくい抽象的な物ではなく簡潔な物だ。

 例えば、目の前で固く握られた拳。血で塗れた刃物。数の暴力により巨大な権力を持った組織。

 ラウラ、即ち多々良双一は、各務にとって暴力の象徴だった。

 現在ではミラルベル教という権力を得ていることが聖女という立場からも明らかであり、怯える各務の瞳が追従へと大きく揺れ動いていた。


「言います言います。先生は輪島くんのことです。神器も彼に預けました」

「博士から先生って、呼び方ランクダウンしてねーか。しかも博士が指示してたとなると作戦、雑じゃね?」

「サメ、バカを使うのは楽じゃないんだよ……で、あいつのいる場所はどこだ」

「ラスランティスのゲートタウンに輪島くんのお屋敷があります」

「あそこに残ってたのかよ」






 ラウラとソウイチ姿の鮫島が夕食を取っていると、楠井の拷問を終えた集団が教会の食堂に現れた。

 戦闘と拷問とでは、精神の消耗する部位が違う。拷問は優位な立場から一方的に相手を苦しめ痛めつける。目的となる情報を引き出すまで休み無くだ。教会の膿を洗い出すことも仕事としている法務官のブルは平然としているが、体に血の臭いを染みこませたポーネット達の表情は冴えない。


「何か聞けましたか」

「どうやら、この世界には女神様を裏切った堕天使が存在するようですわ」

「楠井は天啓魔法で天使アザナエルの指示を受けていた?」

「はい」


 三人が神妙な顔で頷く。


「して、女神への裏切りとはなんでしょう」

「堕天使の目的は、転移者の欲望を誘導することで人類の進化を加速させることだと思われます」

「女神様は人に変化を求めましたから、それも天使の存在意義から外れてはいないのですが」

「ふーん……裏切りってより暴走してる感じですかね」

「しかし、ミラルベル様は人類の歩みを我々自身に委ねて下さいました。正式な決定ではありませんが、教会は天使アザナエルを堕天使と認定するでしょう」


 メイア、ポーネット、ブルの三者は同じ意見のようだ。

 アザナエルが未知なる強大な敵として認知されたことで、今回の転移者は被害者であるという構図ができ上がりつつあった。ラウラは顔に出さないよう内心で喜ぶ。


「天使アザナエル、女神さまの神意を歪めるとは……なんと愚かで恐ろしい存在でしょうか、許せませんね!」

「……ッ!? そうだな、俺も一度会っているが、どこか怪しげなエロさというか油断ならない相手だと感じたのを覚えている」


 その意識をより印象として残すため、ラウラも便乗してアザナエルを悪者にしようと強く感じ入ったように肯定する。テーブルの下で脛を蹴られた鮫島ソウイチも慌ててラウラの後に続いた。


「各務の方は魔法の侵食から一時的に解放され、反省しているようです。魔法の全能感に酔っていただけで、楠井から伝えられるアザナエルの言葉に心酔している様子もありません」


 今度は各務の話題に移る。


「そうはおっしゃられても……」


 ポーネットとメイアはラウラの報告に不満顔だ。


「はい、彼のした事は許される事ではありません。それに再び魔法に心を呑まれないとも限りません。ですので彼は今後一切、誰とも関わらず、一度でも魔法を使用しようとすれば、今回の件を教国の法で裁いてもらって構わないとの事です」

「聖女さま、慈悲深いご判断です」

「実際、教祖の情けない姿を見ても目を覚ましていない信者も相当残っています。信仰を捨てさせるまで具体的な罰は与えられないし、姿を隠してもらうしかないでしょう」


 ラウラ達はあくまでも実働部隊にすぎない。これから神聖ミラルベル教国へ戻り、報告する内容をまとめているだけだ。最終的には教皇と三柱の精霊達が各務達の処分を決める。


 ラウラには、異世界に来る前からの悪人を救うつもりは無ければ、神器を使い死んでしまった人間を生き返してまで貴志の約束を守るつもりはない。

 それでも、拷問されようと独房で監禁されていようと、生きてさえいれば帰してやれる――とだけ考えていた。






 神聖ミラルベル教国への帰路。

 自由都市同盟の入り口となる国、ラスランティス。


 転移者護送のための応援部隊と無事合流できたおかげか、ポーネット達は日が暮れると安心して深い眠りについてしまった。

 聖女の護衛役の気が緩んだ隙に、ラウラは再び男装して夜の街に繰り出す。今度は鮫島が変身して購入したばかりの新品の服だ。手荷物も持っていない。メイアの聖遺物でも追跡はできないだろう。


 元クラスメイトと会うのならば、鮫島は本人の姿よりも多々良双一に化けていた方が都合の良い場合が多い。ラウラはソウイチ姿の鮫島と二人で、ラスランティスで成功者となった者達が住まうゲートタウンへ向かった。


「……この都市ってこんな静かだっけ?」


 鮫島が疑問を口にする。

 そこには以前あった、地の底から伝わってくる太鼓の振動も、こそこそと裏道へ消えるギャンブラー達の姿も、夜風に乗って届く秘かなざわめきも存在しなかった。


 前回、地下賭博場では、各務の解放魔法によって暴動が起きてしまった。

 多くの怪我人が出ただけでなく、法律の穴を突いたグレーゾーンの賭博が招いた異常な暴力性の発露。それは裏賭博の真の主催者であるラスランティスの王も看過できず、今は興行を一時見合わせている。

 つまり、今のラスランティスは電気による夜の騒がしさが存在しない異世界において、正しい静寂を取り戻しているのだ。



 人影が減る事で、街も犯罪への警戒が薄まったのか、ラウラ達は誰に咎められることもなく目的地に到着した。


「敵意を持ってはいけませんよ。まずは交渉です」

「安心しろ。オレは元から博士と戦って勝てると思ってない」

「……ヘタレ」


 ラウラは鮫島に注意を促す。

 各務から聞いた輪島の魔法は恐ろしい能力だった。


 輪島が持つ力の名前は、幸運魔法。

 幸運魔法は、定められた領域内において、輪島の無意識から望む物を読み取り、達成させようとするものだと言う。

 人が認識できない極小の世界、原子や分子の動きを操り、輪島に取って都合の良い結果を生み出す小さな幸運を重ねる。


 輪島本人が各務達に説明した話によると、輪島と本気で敵対しようとした人物には、不意に足を滑らせて頭を打って死ぬ、突然血液の中に血栓ができて心臓や脳の重要な血管が詰まって死ぬ、などの不幸に見舞われる可能性があるらしい。

 信じがたいほど強力で都合のいい力だが、敢えて試す気にもなれない。輪島の力はそういう類のものだった。


「じゃあ、行き――今の聞こえました?」


 ラウラがドアノッカーを持とうとした瞬間、屋敷の奥から男の叫び声が聞こえた。乱暴にドアを開ける音や、室内で走り回る音、調度品の壊れる音も立て続けに聞こえてくる。


「博士っぽかったな」

「ちっ、他のやつが神器を奪いに来たかッ」


 扉を開けて中へ突入する。しかし、二人が中へ入る前に飛び出てきた男が鮫島の胸へとぶつかった。


「痛ゥ……いやはや、こんな時間に人が訪ねてくるとは、天の助けですかな。クソ無能な魔法を与えた女神を呪ってきましたが役に立つことも……も?」


 赤くなった鼻を押さえながら、輪島はソウイチの顔をした鮫島を見上げると、その場で硬直した。屋敷の中の何かと比べるように鮫島ソウイチの顔を見つめる。


「多々良君っ!?」

「おう、どうした博士、襲われてんのか」

「……聖女と行動している……つまり中のは偽物!」


 輪島は一人で納得したような表情を浮かべると、ソウイチの巨大な背の後ろに隠れた。


「多々良君、お願いします、助けてください」

「状況がわからん」

「敵に襲われていますッ」


 指をさされた先には、屋敷の奥から歩いてくる者達がいた。

 輪島を襲撃した三人の人物だ。


 目と唇に傷痕があり、やや老け顔だがラウラ達と同世代らしき黒目黒髪の男。

 貴族の令嬢のようなドレスに身を包んだ金髪の少女。

 そして、


「……またかよ、ふざけんなッ!」

「ラウラ様、どうどう、落ち着いて」


 変身魔法を使っている今の鮫島ソウイチとまったく同じ顔と体格を持った男。

 つまり、多々良双一だった。

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