25 困った時の番長頼み
「この魔法なら世界が一望できますね! すごいすごい!」
火竜の住まう山脈よりも上に広がる雲の世界。飛行機のような無粋な窓からの眺めとも違う自然の中心にいる解放感に、無邪気な少女の興奮が響きわたる。
「話ガアルナラ、早ク話セ」
「魔法の影響は解けてるくせに、せっかちですねぇ……まっ、夏でもこの高さまで来ると寒いし、のんびりしてる時間もありませんか」
火竜がグルグルと喉を唸らせ、剥き出しになった牙を見せつける。
ラウラは火竜に化けたソウイチの手の平の上に座っていた。高さは2000mに届くかという所。火竜が手を軽く払うだけで、ラウラは地上へ真っ逆さまだ。それなのに恐怖を微塵も見せない様子が気に食わないようだ。
「結論から言えば、貴志瑛士は生きています」
「本当カ。嘘ダッタラ……」
「魔の森の初めに転移してきた地点から、鳥に化けて北西へ三時間も飛べば、たぶん貴志が暮らしてるツリーハウスと畑が見つかりますよ。直接見れば納得するでしょ」
言い終わる前に、火竜は魔の森の方角へ滑空しようとする。
「話はまだ終わってません!」
怒声をぶつけられ、火竜はその場で停止した。
「ひとつ約束してもらいます。遠目にこっそり姿を確認するまでは許しますが、貴志に会ってはいけません」
「ナゼダッ!」
「……デカイの、魔法のレベルはいくつですか」
いきなり話が切り替わり、再び火竜はイラ立ちを見せる。
要点が不明なせいか、力を隠したいのか、火竜が黙っていると、ラウラは溜め息を挟んでから説明をする。
「貴志は、半年前の時点で破壊魔法のレベル10へ到達していました」
「レベル10ダト!? 高スギル、アリエナイ!」
「転移者達の帰還を多々良双一に託し、自らの脳の一部、即ち記憶と人格を破壊することで破壊衝動に自制をかけたのです。そして今は全てを忘れ、まっさらな人間として魔法とは関係のない新しい人生を生きています」
「……オレガ刺激ヲ与エルト、記憶ガ戻ルカモシレナイ?」
「それはあり得ませんが、転移者同士の戦いに巻き込まれるかもしれません」
もちろんラウラの行動に、貴志の身を慮って、などと優しい思い遣りはない。本来ならば、能力の高い貴志は奴隷もかくやと言うほどに酷使してやりたい想いだ。
「モット詳シク話セ。火竜ノ脳デハ理解力ガ落チル」
「アホは元々でしょうよ」
では何故、彼の存在を隠し続けるのか。
協力者である提橋にも説明していない話を含め、ラウラが貴志瑛士の死を偽装したい理由は大きく分けて三つあった。
まず、元クラスメイトに、貴志に植えつけられた恐怖という足枷を残すこと。
見つかれば殺されるという意識が大胆な行動を控えさせる。これにより魔法の熟練と神器の捜索を同時に遅延させられる。
次に、間違いなく存在するであろう治癒系魔法の確認が不十分であること。
治癒の力の所持者が、人を癒す願望に呑まれていた場合、何も考えず貴志の脳を治療してしまう可能性がある。
破壊魔法でおかしくなる前の状態まで戻せるのであれば問題はない。だが、貴志本人が魔法で脳を破壊する直前までしか戻せなければ、その場で誰も止められない破壊の化身が復活してしまう。
そして最後。魔法の複製、強奪を可能にする呪文が存在した場合、第二の貴志が誕生するかもしれない。
破壊魔法が相手では、ラウラでも上手くやれて相打ちがせいぜいだ。危険な思想を持った人間が破壊の力を持てば、もはや手の打ちようがない。
「多々良双一が神器を使えるようになって転移者全員を元の世界へ送り返すまで、貴志の生存は隠しておいた方がいい。彼の身を案じるなら、おまえも協力することです」
「ウウム……」
そこまで説明を受けても、火竜は納得していない様子だった。
そもそもソウイチに化けていた人物は、バカを越えたバカが大半を占める緋龍農業高校特別クラスの一員だ。中には高校生にもなって九九を言えない者も少なくない。納得していないのではなく、ラウラの話を理解していない可能性もある。
「うーん、どう説明したら理解いただけるか……」
「分カラナイ」
「聞いていた通り、転移者は本当におバカさんですねぇ」
「違ウ。双一サンハ、簡単ニ他人ヲ信用シナイハズ。聖女サマ、アンタハ知リスギテイル。異世界人ラシクナイ。一体何者ナンダ」
「おう? やっとそこに気づきましたか」
他人をコケにした笑い方。
他人を見下す高慢な物言い。
聖女と呼ぶには、あるまじき行為の数々。
火竜の中でいくつかの疑問が再燃する。
「でもまだ分からないか……鮫島、姫川、正木、冷泉ぐらいまでは絞れたが……おまえこそ一体誰だ。どうして俺に化けた。俺をおびき出して何を伝えたかった」
ラウラの口調が変わる。
そして、その決定的な質問を受けて、ようやく火竜の中でおぼろげだった疑問が明確な輪郭を得た――と同時に、粘り気のある汗がじわりと滲んだ。
「ドラゴンって爬虫類っぽいけど汗かくんだな、空も飛べるし当然か」
「ナンデ……今マデ話シテクレナカッタンダ」
「一番の理由は、変身魔法はさっき伝えた三つ目の条件に抵触する可能性があったからだ。高レベルの変身魔法は転移者の魔法も使用可能になるかもしれない。俺に協力して欲しいが、放置するには危険すぎる。様子を見る必要があった」
それは、危険人物だと判断していれば、隙を見て暗殺するつもりだったという意味であることは火竜にも理解できた。
「心配するな。解放魔法のおかげで、おまえの“底”は見えた」
ぺしぺし、と小さくやわらかい手が触れる。
ソウイチが各務の解放魔法で最も強く表に引き出された感情は、愛への飢えだった。それにより信用を得られたわけだが――自分自身を偽り隠してきた性自認がバイセクシャルだともバレてしまった。火竜は羞恥に悶える。
「グオオォ……」
「おい暴れんな、殺す気か!?」
「ナラ挑発スルナヨ!」
「ハハハッ、で? おまえは誰で、俺に化けた目的はなんだ」
火竜の感情を抑止するためにも強引に話題を戻す。
「……鮫島巧斗ダ」
「サメか。関西弁じゃないとイメージ湧かねえな。漫才コンビの姫川はどうした」
「マダ会エナイ。先ニ、相談ガアル」
「おう、なんだ」
「異世界ニ来テスグ、殺人ヲ犯シタ連中ガイル。ドウニカシテクレ」
「梅田を殺した奴だな。森に死体があったぞ」
「梅田一人ジャナイ。一色モ殺サレタ」
鮫島が一人で行動している理由は、魔の森に転移した直後、クラスメイトが人を殺す現場を目撃してしまったからだった。
それからは、誰も信用できず、親友も巻き込めず、人殺しへの対処という問題を最優先するために多々良双一を探していた。
「なるほど。貴志には全員を元の世界へ帰すよう頼まれているが、そいつらはこの世界に埋めた方がいいな」
ラウラは悩むそぶりすら見せず即答した。
その答えが鮫島の望んでいたものであったことは、感情の見えにくい火竜の顔からでも明らかだった。
「でもおまえ、なんでそんな俺のこと信頼してんの。そこまで仲良いわけでもなかったのに」
「……一年ノ夏休ミヲ、覚エテイルカ」
「ん、なんかあったっけ。初めて会ったの二年で同じクラスになってからだよな」
「分カラナイナラ、気ニスルナ」
記憶すらしていないのか、と鮫島は自嘲する。
高校一年の夏。
鮫島と親友の姫川は、初めて親元を離れて暮らす生活に浮かれていた。
夏休みに入ってすぐに脱走してから高校の寮には一度も帰らず、先輩に紹介された違法な住み込みバイトである海の家で自由気ままに遊び惚けていた。
だが、鮫島達の遊びは徐々にエスカレートしてしまう。地元で悪名高い男の恋人を知らずにナンパしてしまったことで、彼らの夏休み、というより人生は終わりを迎えようとしていた。
強引な口説き方をしたわけでもないが、客の来ない海の家の死角で女と遊んでいたところを、その男に見つかってしまった。
歩けなくなるまで殴られ、蹴られ、駐車場で黒塗りのワンボックスに拉致されそうになったところで――救いの手が差し伸べられた。
初めに抱いた感情は、落胆だった。
誰かが警察に通報してくれたのかと思ったのだ。
しかし、腫れたまぶたをどうにか開いて見れば、駆けつけたのは浜のアルバイトとして雇われたライフセーバーがたった一人。
どうせ注意もできずに逃げるに決まっている。相手はカタギじゃない。他人、しかもバカなクソガキの人生がどこでどう終わろうと無関係を決め込むのが普通の人間だ。自分でもそうすると鮫島達は諦めかけていた。
「カーチャン、最後まで迷惑かけてごめんなぁ」
「こいつら地元まで行かなきゃいいけど……」
と、家族に謝っていたら、ライフセーバーが半グレの一人を殴り倒した。
正義漢ぶった馬鹿な男だ。
だけど相手は多数。この男も殺されるだろう。
鮫島と姫川は巻き込んでしまった申し訳なさに目をつぶる。
「おら、ガキども、治療してやるから来い」
それなのに、気づいた時には、折れた刃物、割られたスマートフォン、血塗れの半グレ六人が地面に転がっていた。二人は恐ろしいほど強いライフセーバーにヒーローを見る子供のような視線を向ける。
「うおっ……めちゃつよっすね。ぶっちゃけ半グレより兄さんにビビリましたわ」
「プロの格闘家すか、よかったらサインください」
「ちゃうやろ、日本人じゃないっぽいしアメリカの退役軍人とかすよね」
「俺はほぼ日本人だしまだ高校生だ」
「ほぼて。しかもその顔とガタイで高校生はないわー。何回留年したらそんな貫禄出んすか」
「あははっ、冗談はヘタっすね、兄さん」
「このクソガキャ……殺してやろうか」
治療を受けて目の腫れが少し治まると、鮫島と姫川はさらに驚くことになった。
自分達を助けたのは、入学当初から有名だった同学年の男、多々良双一だったのだ。
「アニキ、南口の方で女の子が流されてるって!」
「おう、すぐ行く」
トランシーバーで呼ばれた双一は白浜を駆けていった。
自分の手当ても終わっていないのに、何事もなかったかのように。
「ぶははははっ、あれ三年の番長グループ半殺しにして学校辞めさせたっつう多々良だよな。マジ人間かよ」
「やっべ、噂の百倍バケモンやん。進学してから一番ウケたわ」
走り去る双一の背中を見ながら、二人は危機を忘れて笑った。
ただ、その笑い声に嘲笑の意味は欠片もなく、救われた安堵と同年代の男に対して初めて抱いた尊敬への照れ隠しだった。
「…………待てサメ! 最後に殺すって言われたまんまだ」
「アカンぞオヒメ、追いかけて土下座せなっ」
「ダメだ! あいつ足速すぎる!」
「どこまでバケモンやねん」
この時、二人は知った。
世の中には、暴力に臆することがない愚かしいまでの正義と、その愚を貫き通せるだけの才能を与えられた超人が存在することを。
「アリガタヤアリガタヤ、ゴメンナサイゴメンナサイ」
「なぜ拝む」
「…………聖女サマ、ダカラ?」
「まあいいけど……ひとまず貴志の安否は置いておけ、下に戻るぞ。各務と楠井のアホは捕まえて牢屋にぶち込んでやる。それから俺の正体をバラしたらヒドい事になるから覚えておけよ」
改めて感謝だけを伝えられてもラウラに思い当たる記憶はない。鮫島の意味不明な行動をやめさせ、急ぎ地上に戻る。楠井と各務の魔法に攻撃手段はあまりないように思えるが、女神の力を基に起こされる現象に油断はできない。
鮫島が元居た教会の上まで、ラウラを丁寧に運ぶ。
すると、やはりと言うべきか、地上はラウラと鮫島の予想もしていなかった事態となっていた。




