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オトメクオリア  作者: invitro
第五章 浪費される魔法

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21 命より重いモノ・下

 銅貨一枚で買収された金満魔法の所持者・安は、今回の計画と転移者の関係を粛々と説明し始めた。



 最初に魔法に呑まれたのは、現在“天空の教会”で教祖を名乗っている男、各務蓮也かがみれんや――不良高校の中でも問題児を集めた特別クラス2-Aの学級委員長を務めていた、いや務めさせられていた少年だったようだ。

 各務は規則にうるさく生真面目な小心者である、とクラスメイトからは思われていたが、内心では別の感情も抱えていたらしい。


 各務が持つのは解放魔法。

 しがらみや束縛、羞恥や恐怖を取り除き、自由を得るための魔法だった。

 魔法によって強制的にありのままの自分を解放する。この快楽に抗えず、まるで依存性の高い麻薬に溺れるように自ら精神を変貌させていった。今では、解放魔法を極め、世界中の人間の精神を解放することが神から与えられた使命であると信じているという。


 しかし、一人の魔法で世界全てを解放する事は難しい。

 だから各務は、共に神の使命を果たす仲間を探した。

 最も自分に貢献した者へ“空の神器”を譲るという条件を引っ提げて。




「各務が“空の神器”を所有しているですと?」

「アイツがやってるカルトの前身組織が隠し持ってたみたい。でも一ヵ月ぐらい前に、各務のクソが楠井を連れてきたと思ったら、やっぱり“空の神器”は譲らないとか言い始めた。んで、戦おうと思ったけどそれもメンドクセーし、鳩山とも中馬とももうお互い好きにやろうぜーって遊んでたらこのザマですよ」


 安は自嘲気味に肩をすくめた。

 元々あまり興味のなかった神器などどうでもよくなり、魔法で生み出した金貨で贅沢な暮らしをしていければ、それでいいかと考えを変えたようだ。


「楠井もここに来てる? あれ、鳩山がおかしいことを言っていたのは?」

「聞いた話だと各務が楽しそうだったから自分から解放魔法かけてくれてって頼んだって。したらアイツも勝手に壊れたっつう話。ホントがどうかは知らないけどな」

「各務……しょぼい魔法かと思ったら、転移者にとっても劇毒になるんですか」

「でも元から自由に生きてる人間には効きが悪いみたいだし、魔法の強さで言ったら弱い部類だと思うぞ」

「それなら聖遺物関係なくラウラちゃんには効かなそう」

「ですわね」


 ラウラを見て笑うメイアとポーネットの尻が叩かれる。

 “空の神器”の存在、各務の“解放魔法”、一番欲しかった情報を手に入れられたが、まずは目の前の脅威に意識を戻す。

 先刻見せた呪文と安から得た情報からの消去法で、法順守の魔法は中馬が使用していると特定できた。


「中馬の精神はどうなってますか。高位の呪文まで取得してる様ですが」

「アイツは……まだ神器を狙ってるみたいでさ、ククッ、もうどうにも救えねーよ。アイツを止めたきゃ殺すしかない」


 安の言葉に三人が不思議そうにしていると暗い笑みが返ってくる。


「あー……窓から降りて庭の穴を調べて見てみればいい。話を聞くより手っ取り早くアイツのことが分かる」

「お庭も追手だらけなんですけど」

「メイア、さっきと同じ方法で廊下から正面突破するフリして時間を稼いでください。わたしが見てきます」


 ラウラの指示に従い、メイアは再び銀糸の鷹を移り出した。扉の入り口に集まっていた護衛達と鷹を挟んで押し合いになる。庭を徘徊していた護衛が騒ぎを聞きつけていなくなると、ラウラはバルコニーから飛び降りる。

 それほど広くもない庭で目を凝らせば、端の方に芝のない暗闇が見えた。ほとんど光の届かない深い穴の淵でしゃがみ、顔を覗かせる。何かを焼いた臭い、目を凝らしてその正体に気づくと、ラウラは弾かれたように頭を上げた。



「おい! 中馬は本当に各務の魔法を使われていないのか!」


 庭から戻ってきたラウラは鼻息を荒くして安の胸倉を掴んだ。いつもの適当なエセ丁寧語らしき口調すら忘れ、安を睨みつけている。法順守の魔法のせいで服を掴めても締め上げられないことがもどかしい。ラウラの眼つきが更に鋭くなる。

 ラウラの異変に、メイア達も扉を閉めて何があったのかと慌てて駆け寄る。


「“誠実魔法”の影響に抵抗するためにクズとして生きるって決めたらしいぜ。つか野郎、おれも放置して殺すつもりだったな。いつの間にかメイドがいなくなってるし」

「自分の意思で外道に落ちたのか」


 魔法は使用する度に、基となった誰かの願望の影響を受ける。その影響力は個人の性質や精神力によって左右されるが、安が中馬から聞いた話ではそれだけではない。魔法の基となった願望を理解し、逆の行動を取り続けることでも、精神への汚染に抵抗することができる。


「あそこまでして奴は何を望む」

「父親に捨てられたせいで自殺した母親を生き返らせたいんだと」

「そうか……まあ動機がどうであれ許される事じゃない」

「だろうな」

「だからお庭に何があったんですの! お二人だけで話を進めないで!」

「庭の穴に廃棄されてるのは、中馬が呼んだ娼婦の死体だよ。あのマザコン野郎、気に入らない娼婦を閉じ込めて餓死させてんだ」


 二人は中馬がしていることを聞き、両手で顔を覆う。

 聖遺物で罪を犯す者と戦う使徒座の巫女であっても、動機の見えない猟奇殺人者と遭遇することは滅多にない。当然、巫女になって日の浅いメイアとポーネットも、まだこうした事件は扱った経験がなかった。


「ど、どうして、そんな酷いことができますの……」

「そりゃ中馬がクズだからでしょ」

「おまえも知ってたなら止めろバカ」

「え、金にならないのに? タダ働きは殺人よりも愚かな悪行だぞ」

「…………わかった、金やるからもうしゃべるな」

「銅貨を三枚も? ありがとうございます!」


 安はまた財産が増えたことを喜び、今度はラウラへ向けて五体投地を始める。


「ナカマという男もこの男も狂ってますわね」

「でもこれからどうします?」

「中馬矩継は魔人と断定し、わたしが聖女の責任と権限を以って、死よりツラい罰を与えましょう」


 それはどこか諦めた顔だった。

 こっそり悪だくみをしている時の顔とも無表情とも違う、つまらない結末がもう知れてしまったとでも言おうか、ラウラがあまり人前で見せない冷たい反応だ。

 完全に任務を遂行することだけを宣言した聖女に、巫女二人は意見を返せず無言で頷いた。


「今回の聖遺物の使い方は誰にも見せたくないので一人で行きます。二人は先程と同じように護衛の目を引くための騒ぎを起こしてください。あと一応、そこの金狂いから目を離さないように」

「それではラウラさんが危険にッ」

「これから行うのは戦闘ではなく断罪です。心配ありませんよ」


 ラウラとしては純然たる事実を述べただけだったが、二人は真剣に心配する眼差しで見つめている。しかし、こうした事態を終息させる事こそ自分が聖女に選ばれた意義であると説得し、再び窓から飛び降りた。






 護衛達が安の部屋に集中している隙に庭を駆ける。マステマでは、一度内部へ招いたしまった客人の立ち入りを制限するような法律はない。身軽な動きで中馬の部屋のバルコニーを登り、窓から侵入する。


 まるで自分の部屋に戻ってきたかのように平然と姿を現したラウラを発見した中馬は、驚きのあまり言葉を失った。あれから胃に残った酒を少しでも抜こうと何度も嘔吐を繰り返したのだろう、真っ赤に充血した潤んだ眼を大きく開いている。そして、不安からか窓の近くをふらふらと歩いていたことも中馬にとって不幸となった。


「なッ!?」

「ほい、あーん」


 ラウラは一瞬で中馬の懐へと入り込む。ぶどうの刺さった鋭利なフォークを、抵抗する間も許さず口の中へ差し入れていた。


「暴力行為じゃないぞ、美少女にあーんしてもらえて嬉しいだろ」


 酒に酔っていたとしても油断したつもりはなかった。ただ相手が悪かった。

 ラウラはそのまま中馬の胸を優しく押して誘導するようにソファーへ座らせると、自分も片膝を乗せて楽な姿勢を取った。


「誠実魔法だって? 不便だなぁ中馬、他人の作った不出来なルールを利用するしかない魔法は」

「ほ、ほまえははにもんら?」


 ラウラ自身は危害を加えていない。逃げられないように中馬の首を押さえ、フォークの柄を下前歯に当てて、その先端がしゃべる度に喉に刺さるような位置に固定していても、それにより怪我をするのは中馬の意思でしかない。

 法順守の呪文の下だと防御や回避を考える必要がない事は、非力で素早いラウラにとっては都合がよかった。中馬は力の弱い少女を強引に押し退けることもできず、悔しさを滲ませた。


「おっと、何言ってるかわかんねーな。少し引いてやるけど、呪文を唱えようとしたら無駄に痛い目に遭うぜ」


 フォークの背が舌に押しつけられて話しづらいものの、中馬はどうにか普通に聞き取れるくらいの発音ができるようになる。


「見かけ通りの女じゃないな! 2-Aの野郎か!」

「おいおい、あんまはしゃぐなよ、昔より威勢いいじゃねえの。前は俺にビビって穏健派を気取ってただけか」

「テメェ!? 多々ッ――」


 ラウラの浅黒い肌、極端にまばたきの少ない威圧的な目線、自分の強さと正しさを疑わない傲慢な物言い。他にいないであろうその特徴を持つ人物の名を口に出そうとするも、口内に押しつけられたフォークによって黙らされる。


「魔法の影響もあるんだろうけど、ほんとクソになっちまったなぁ。鳩山も安も委員長もクズだが、おまえはクズでも越えたらいけない一線を越えちまったよ」


 中馬は何も言い返せず、大人しくラウラの言葉を聞く。

 舌や喉をフォークでズタズタにされる程度で勝てるのなら、中馬は呪文を唱えて反撃していただろう。しかし、すでに勝負は着いている。目の前にいるのが可憐な少女の皮を被った化け物だと理解させられてしまった今、中馬にとって大切な事は、交渉する余地があるかどうかだけだった。


「死ぬ覚悟のない人間を遊びで殺しちゃいけねぇよ。人は死んだら終わりだ。もう何の勝負も努力もできなくなる。おまえにはその罰を受けてもらう」

「お、おまえに、そんな権利、ないだろ」

「権利? 人を裁くのに必要なのは権利じゃなくて力だ。それに“おまえら”が悪さをする度に俺の寝つきが悪くなるだろうが」


 中馬がフォークの柄を噛む。

 口内に、じわりと鉄の味が広がった。


「なんの話だ」

「俺にだけは選択肢があった。異世界に来た直後、俺なら魔法に慣れる前のおまえ達を素手で皆殺しにできた。異世界で真っ当に生きてる人間に被害を出さないようにするという選択肢があった。魔法なんてふざけたモンを手に入れたアホ共が罪を犯さないはずがないのに、俺は自分の主義に反するからと、あの時それを分かっていて見逃したんだ。後悔はないが気分が悪くなる」


 交渉の余地はない。

 自分が願いを叶える道は途絶えた。

 達観したラウラの言葉を聞き、中馬は終わりを悟った。


「どうやってオレを殺すつもりだ。オレの魔法の支配下では、上手いこと監禁して餓死させるくらいしか方法はねぇぞ」

「殺すだなんて、こんな美少女がそんな野蛮なことするわけないだろ。それに死刑になるにしろ、罪人は犯した罪に見合っただけの苦痛を味わってから死ぬべきだと思うぜ」


 ラウラが中馬の疑問を否定するように失笑した。


「もしかして、姿を変えるのはお前の魔法じゃない……精神系か!?」

「ああ、“愛憎反転”って憎悪を愛情に変える魔法があってな。金剛寺と玄間はそれで味方になってもらったのよ」

「俺のことも奴隷に変えるつもりだな」

「いや。そんなんじゃ罰にならないだろ」

「は、なにを……あ、お、おまえ、まさかその呪文、もできるのかッ」


 中馬の全身から大量の汗が噴き出る。


「ちなみに、この魔法は記憶まで書き換えるわけじゃない。都合の悪い記憶は認識できなくなるだけらしいが、おまえみたいに強い感情を蓄積させた人間が裏返ると、ちゃんと心の整合が取れるのか分からん」

「ひゃ、やめ、やめろ、やめてくれ」

「え、何を?」

「俺から、ママの思い出を、ママへの愛を奪わないでくれ、ママを憎ませないでくれッ! 頼む、お願いしますッッ! 殺されてもいい、どうかそれだけはッ」


 掠れた声で嘆願する。

 愛憎反転の呪文は、憎悪を愛に。そして愛を憎悪に変える。

 命より大切なものを奪い、穢す呪文だ。

 受け入れがたい悪魔の魔法を前にして、中馬は一筋の涙を流した。


「おまえが殺した娼婦は、命乞いしなかったのか」

「娼婦の命なんてどうでもいいだろ! それに、アイツらは金貨を投げた穴に自分から飛び込んだんだ! 自業自得だ!」

「自業自得、俺も好きな言葉だぜ」


 中馬は問われ、自らラウラの中にある凶悪な呪文を望むスイッチを押した。

 呪文を唱えたラウラの手が暗い闇に似た光に包まれる。その光は懺悔の時間を与えるかのように、ゆっくりと中馬の中へと吸い込まれていく。


「アアアッざっけんな! どうしてそんな外道な呪文が存在する!? なんで天使はそんな魔法をお前みたいな悪党に渡したんだ!?」

「うるせぇな、最後に殺した人間へ謝罪くらいしろっての」

「いやだ、やめてくれえええええええぇぇぇ」


 そして中馬の悲鳴と心も、その闇の光に呑まれて消えた。

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