19 俺を笑ったな!
「そうだっ、こういう時こそ変身魔法の出番じゃないんですか」
「おー名案。だが断る」
娼婦に変装するのを嫌がるメイアに無情な言葉が返えされる。
「代わってあげればいいじゃないですか。ヤリチンクソ野郎なら売女の演技もお手の物でしょう」
「ラウラさん! お下品な言葉はめっ、ですわよ!」
「え、下品ってヤリチン? クソ? 売女? どれ、教えて」
「全部ですっ」
女性陣から責めるような視線に曝されても、ソウイチは直立不動のまま揺るがない。
「そうじゃなくてさ、無理なの、できないの、不可能なの」
「なんでですか」
「女になるのは制限にひっかかる。魔法ってもどんな人間にもなれるわけじゃないからな」
ソウイチが言い訳を述べるとラウラだけが頷いた。
ラウラが反転魔法を自在に使えないように、ソウイチの変身魔法にも精神的な枷がはめられているようだった。
変身魔法とは、実在した既知の相手に化ける魔法である。
――あの人の様になりたい!
この願望の根源を考えれば、化ける相手が“誰でもいい”はずがない、というソウイチの主張も理解できる話だ。
好意、憧れ、賞賛などの強烈に心を惹きつける何かを持った相手でなければ、本気で他人になりたいなどと願わないだろう。
「男にしか変身できない? 女好きだし、女の子を尊重もしてるのに……? あっ、なるほど、そういうことでしたか」
説明を聞いたメイアは、しばらく難しい表情で唸った後、急に何かを閃いた顔でソウイチの肩を叩く。
「やっとソウイチさんの事がわかりましたよ。そういう訳なら仕方ないですね、私が人肌脱ぎましょう!」
急な態度の変化にソウイチ達は首を傾げながらも「メイアがやる気になったのならいいか」と話を流した。
「論外。バツ。花マル~……ていうかアナタいいじゃない。ほんとピッタリよぉ」
オネエ言葉の男は三人の少女を見て、順番に評価を下した。
「こらオカマ」
「お、おお、お、オカマですってぇ!? 失礼しちゃうわ!」
「失礼なのはおまえです。わたしは娼婦になりたいなんて一言も言ってないでしょう。地獄に落ちるよう女神様に祈ってやりましょうか」
「げぇ、聖女様、それだけはご勘弁を」
男は女衒。現代日本で言う風俗スカウトマンだ。
これから、聖女の護衛であるメイアとポーネットも敵居住区へ潜り込ませなければならない。二人を転移者が贔屓にしているデリバリーヘルスの元締めに紹介させるため、フォルカスに頼んでミラルベル教の信者の中から呼び寄せた。
ラウラは当初の予定通り果物の荷馬車で内部に侵入する予定となっている。
ラウラの身体的特徴――低身長、褐色の肌、漆黒の長い髪と大きな黒い瞳は、この世界では非常に目立つ。変装するにも難しく、外を少し出歩くだけで正体が見破られてしまう。そうなれば“天空の教会”信者達が後ろを尾行してくるため、侵入どころでなくなる。
「娼婦になんてこれっぽっちもなりたくありませんけど……ダイエットも終えてないメイアが“花マル”で、わたくしが“バツ”というのはどういうことですの」
「まぁまぁ、今回は相手の好みってことでご理解くださいな」
今回の主役になるには不適切だとハッキリ言われたポーネットは頬を膨らめていた。隣では勝ち誇った顔をした赤髪ぽっちゃり系巫女がいるが、
「論外ちゃんも残念でしたねー、ぷぷぷっ」
(女の趣味とかあんま話したことねーんだよな、クラスにデブ専なんていっけな)
オカマに最低評を下された聖女は、心の中で口に出せない事を考えていた。
「ラウラさん、起きてますー?」
上級役人の宿舎にある食糧庫についた荷馬車は、ちょうどそこで車輪が壊れるという不幸な事故に遭いそのまま放置されていた。転移者に運ぶ果物を取りにきたメイア達が荷馬車の底に作られた隠しスペースの蓋を外す。
「足しびれたー……あ、二人ともドレスになってる」
「ふふ、こういうのも似合うでしょ」
外から小声で呼ばれるとラウラがもぞもぞと出てくる。メイアとポーネットも無事に中まで招かれていたようだ。しかし、ラウラは二人の艶やかなドレス姿を見て固まってしまう。
「……人は……見た目が九割……」
「なんですの急に」
まず目を引いたのは、メイアの薄桃色のドレス。腰にはドレスの色に合わせた大輪の菊のコサージュが飾られている。いつもと違う大人びた化粧と多少ふくよかな体型になっているせいもあり、母性溢れる包容力を持った大人の女性に見える。
もう一人の巫女ポーネットは、シンプルな濃紺の布地のみで飾りはない。それなのに、何も飾らず大胆に開かれた胸元から覗く白い肌が、普段見せない煽情的な魅力を引き出してしまっている。
「女子力は……おっぱいが九割……」
対してラウラは、大人の体型ふたりに比べて心許ない自分の胸を持ち上げる。
ふたりと同じ女という性別になった今、共に旅をしている間はメイアとポーネットの素肌を見てしまう機会は多い。露出が少ない法衣とは違う姿も見ているのだが、こうして女性として飾られた姿を見せられると自分の幼稚な体を再認識させられてしまう。
「ぐぬぬ勝てぬ……」
「ああ、またいつもの病気ですの」
「ラウラちゃんに私達みたいな大人の魅力が出るには最低でもあと10年は必要じゃないですか」
「そもそもこの年齢じゃ期待するだけムダでしょう」
「んなこたないです! 一年もすればポーさんよりバイーンってなりますから」
「その身長でポーさんよりバイーンだったら気持ち悪いですよ」
「はいはい、おバカ言ってないで早く着替えましょうね」
メイアはラウラの服をはぎ取ると荷馬車に隠してあった服を取り出した。
「あらゆるハンデを乗り越えた上でじゃないと、わたしの願いが神に届かない可能性が……」
意味の通じない言葉をぶつぶつと呟いている間に、ラウラも黒いドレスへ着替えさせられる。
「あら? あららら? 目が怖くなってしまいましたわ」
「あーもう! やっぱりラウラちゃんのお化粧むずかしい!」
しかし、仕上げの化粧が上手くいかなかった。メイアとポーネットの二人がかりでも、肌の色が全然違うラウラの顔に合うメイクは想定外だ。
マスカラやアイシャドーは、元々のくりりと大きな瞳を主張しすぎて、見つめられるだけで男がたじろぐほどに眼力が強くなりすぎる。健康な褐色な肌にはどんな色のチークも似合わない。どうしても化粧になれていない子供が背伸びをしているようにしか見えない。
そもそもラウラの「二人よりも大人っぽく見える感じのお化粧でヨロ」という要求が不可能だったのだ。ラウラは水揚げ前の教育を受けている途中の雑用という設定に変え、内部に運ぶはずだった果物などの食料品を一人で持つ羽目になった。
「ん、今日は三人? 二人って言ってなかったか」
「ああ、この子は“まだ”ですから、数えられなかったのでしょう」
「ふーん……にしても少ないな、どうした」
「実は流行り病で他の子はしばらくお休みを頂くことになりまして、本日は私どものみとなります」
転移者の個人居住区の前には、ラスランティスの地下闘技場で見かけたガタイの良い闘士達と同じような外見の男達が門番をしていた。警戒よりも下心を多く含んだ目線を送ってくる。
「まあ最近ヤス様は姿見せないって言うし……」
「たくさん来たってオレらにおこぼれがあるわけでもないしな」
「金ばっかあっても遊びいけねーし、たまにはネェちゃん達みたいないい女に酌でもしてもらいたいもんだ」
三人を案内しつつ、屋敷の護衛は露骨な不満を漏らしてくる。メイアとポーネットの容姿を褒めながら誘っているのだろう。両手がいっぱいのラウラは時折、よろけるフリをして男達とメイア達の間に割り込んで妨害する。
ボディチェックという名目の下、合法的にセクハラをしようとする男達と、妹分を守護らねばと奮闘するラウラが静かにやりやっている内に、転移者がいるという部屋に着いた。男がノックをし、短い返事だけが返ってくる。
扉を開けた先には、悪趣味なほど豪華な装飾品に囲まれた部屋があった。巨大なシャンデリア、凶悪そうな魔獣の剥製、何を描かれたのか不明な抽象的な絵の数々。そして中央に置かれたソファーにはかつてのクラスメイトが一人で座っている。
「初めて見る顔だな、新人か?」
中馬矩継。
実家が二代前まで昔気質のヤクザだった少年。緋龍高校の生徒らしく短気で好戦的だが、家での躾が不良高校の教師よりも厳しかったせいか、ラウラから見て自分から問題は起こさない寡黙でお堅い男という印象だ。
(中馬の野郎だけか。さっき安もいるって言ってたよな)
男が一人しかいなかったため、メイアとポーネットが二人で中馬を挟んで座る。ラウラは果物を大きな皿に分けてテーブルに運ぶと三人分の水割りを作りはじめた。
今回の作戦で最も手っ取り早い勝利条件は、転移者達を酔わせて魔法を解除させることだろう。
転移者が新たに魔法を使うには呪文を唱えるという制約があるため、お遊びで一度でも魔法を解除した瞬間に口を塞いでしまえば、ほとんどの転移者は無力となる。
もっとも、自由都市同盟シルブロンドに起きている状況を考えれば、法順守の魔法を使用している者を最初に捕らえたいところだ。よって、まずは中馬がどんな力を持っているのか確認する必要がある。
しかし、中馬は希釈された蒸留酒を舐めるように口へ運ぶだけでペースが上がらない。不良の掃きだめである緋龍農業高校の一員らしく中馬も強いアルコールに慣れている事はラウラにとって既知の事実だ。
酒が進まない原因は中馬がメイアに強い興味を示したからか。中馬は反対に座るポーネットと壁際で御用を待ちながら他の扉を警戒するラウラには目もくれない。
やることもなく、男と酒の席に着いたことのないポーネットがラウラに「どうしたらいいんですのー」と目線だけで助けを求めてくる。
(ポーさんは黙って置物になっててよ。てかプロのキャバ嬢ってこんな感じか)
ぎこちない仕草で固まっているポーネットより、男慣れしているメイアに興味を持たれたことは幸運だった。メイアは中馬に気分よく話をさせながら、少しずつお酒を飲ませていく。
酔った中馬は自分が転移者であることや元の世界の話を次第に話していくが、魔法に関する話だけは上手い具合に誤魔化していた。
「君と二人になりたい」
中馬がメイアの太腿に頭を乗せて甘えはじめた。
「それは……」
「いいですよ、ポーさん達は別の部屋で待たせてもらってください」
メイアは頭を優しく撫でる態で目を塞ぐと、他の部屋も調べてくるようにこっそりと合図を送ってきた。
護衛の男が漏らした情報が確かなら、屋敷には最低でもあと一人、転移者がいる。
法順守の魔法が発動している間、どれだけ迫られてもメイアが相手を受け入れるような最後の承諾をしない限り安全だろう――とラウラとポーネットは部屋を出ていこうとする。
だが扉を開けて部屋を去る直前、思いもしなかった元クラスメイトの言葉が耳に届くと、
「やっと二人になれたね……ママぁ」
「ぶぽッ」
ラウラはつまみ食いしていたブドウを思いきり吐き出してしまった。
ずっしりと実の詰まった紫色の弾丸は、ソファーの背もたれを超えてメイアに膝枕をしてもらっていた中馬の顔面へ命中する。
「ラウラさーーーんッ」
「だってー」
声には出さず唇の動きだけでポーネットがラウラを責める。
それまで上機嫌だった中馬が、憤怒の形相で立ち上がった。
「待てやコラ。そこのチビ、テメェ笑ったな? 今ッ、俺をマザコンだと笑ったな!?」
「わ、笑ってまちぇん」
驚いたのは確かだが、そこまでは言ってなかった。
しかしやはり、ラウラの肩は抑えきれないほど震えてしまっていた。




