17 ヘタレパニック
「なさけないですねー。そんなんじゃいざって時、わたしの身代わりにならないじゃないですか」
「え、俺が聖女さまの代わりを? どゆこと? そんな俺のこと評価してたん?」
「おっといけね。ほらほら痛いなら魔法で復元して」
「でもぉ、あんまりぃ、魔法使いたくないしぃ」
「変なしゃべり方しない! 手が痛いなら足で蹴り倒せばいいのです!」
「だからそういう話じゃないんだってばぁ」
ソウイチがガラクとして魔獣ハンターをしていた時は、意思疎通のできない危険な害獣が相手だったから平気だった。しかし、苦痛を訴えてくる人間を殴ることには慣れていなかった。
大きな力を得たからといって、いきなり人を傷つけられる者は異常者だ。普通の人間には難しい。
超人的な強さを誇る多々良双一の拳で殴られた相手は、鼻は折れ、顎は砕け、ひどければ顔面が陥没している。かと言って、本人のように手加減して戦えるほど多々良双一の肉体を使い熟すことも難しい。このままではいつ“リング禍”を起こしてしまうかも分からない、と考えるだけでそら恐ろしくなる。
「逃げることは許しませんよ。あなたは私に誠意を見せなければなりません」
「急にエセ宗教家っぽい高圧的な態度に……」
ラウラの口調が罪人を咎めるものへ変わり、ソウイチの体が無意識に後ろへ逃げる。
「なぜ“他人に成りすます”という異常行動を取っていたあなたを捕まえないか分かりますか。ガラクの嫁達が別れ際に最後まであなたへ頭を下げていたから、それだけですよ」
「げ、俺の演技バレバレだったってこと?」
「女のカンを舐めたらいけません」
火竜の山でラウラとメイアが、ソウイチを悪人ではないと判断した理由が説明される。しかし、今回ソウイチを秘かに連れ出したラウラの行動には、他にも思惑が隠されていた。
「それと、メイアとポーさんには伝えていない決定的に不審な点がひとつあります。あなたはソレを秘密にするための対価を、わたしに払わなければなりません」
「……俺の何を知ってるってのさ」
「あっ、次の相手が来ましたよ。さぁ行った行った」
試合のインターバルは約一分。話の途中であったため、ソウイチは渋々リングへと戻った。
手の痛みに耐えられないという主張も本心のようで、ラウラのアドバイス通り、ローキック一発で相手を立てなくさせてラウラの下へ帰ってくる。
「んで、ラウラちゃんが知ってる俺の秘密って何?」
「………………多々良双一」
「だからなによ」
「違いますよね。あなたは多々良双一じゃない。多々良双一に化けて何を企んでいるのですか」
「なッ!?」
精神的疲労に追い詰められていたせいか、ソウイチは誤魔化すこともできず驚愕の表情を漏らした。ラウラはカマをかけただけかもしれない。それでも今見せた反応の後では、もはや言い逃れできないほど動揺してしまっている。
「ちっ、くそっ……聖都にいるっていう金剛寺と玄間か? いや、番長が誰かと接触したなら……そもそも連中は双一さんと親しくないはず」
「また次の相手が来ましたよ~」
いやらしい笑みを浮かべる聖女に促されてリングへ戻る。それからしばらく、ソウイチは休憩に戻らなかった。対戦相手を倒した後もリング中央で仁王立ちして小難しい顔をしている。
聖女ラウラ。
聖女という名誉と権力を併せ持つ特別な称号を冠することが許されるには、称号に見合うだけの理由があるはずだった。しかし、少女は家名すら持たず、その出自は謎に包まれている。聖女となる前の情報を誰も知らない。最も親しいとされるメイアとポーネットすらも。変身魔法により潜入と情報収集を得意とするソウイチであっても、少女は一体何者なのか正体を掴めていなかった。
女神ミラルベルの力を基にした魔法という力は、異世界において絶対的なアドバンテージではなかったのか。思い上がりに気づいたソウイチは、戦いに身を投じながら、必死に自分の置かれている状況を推察していた。
「……ハッ、そういう事か!?」
ひらめいた、とソウイチが声を上げる。同時に、対戦相手の顔面に深くパンチがめり込んだ。失神してタンカに乗せられる相手に軽く合掌し、ソウイチが10試合ぶりにリングの端に帰ってくる。
「ラウラちゃんの身のこなし……姿を見せないどころか一切の痕跡を辿らせない番長……そういうことかよ。俺もいろいろ分かっちまったぜ」
ヤンキー座りしたソウイチがリングからラウラを見下ろす。
何かを気づいた様子のソウイチを見て、やっと本題を話せると、ラウラは胸をなでおろす仕草を取った。
「ようやく気づいていただけましたか」
「ああ、双一さんは現地の才能ある幼女を手駒にして神器を手に入れるつもりだったんだな? 双一さんは高校番長から異世界の裏番にジョブチェンジしたんだ!! 異世界ローリングオペレーションなんだよ!」
しかし、思いもよらない答えにラウラがずっこける。
緋龍農業高校の同級生とほとんど話していないせいで意識し忘れていたが――ラウラの所属していた2-Aというクラスは、常人の想像を簡単に超えてくるバカと変人の群れである。
「マジ軽蔑するわ番長……いや、幼女使い」
「不名誉なあだ名をつけるな、ぶちころがすぞっ」
勝手に答えを出し勝手にその答えに満足するソウイチに、ラウラの本心からの叫びは届かなかった。単純に自分が幼女扱いされたことを怒ったのだと思っていた。すっきりした顔でリングに戻ると次の相手を一撃で倒して戻ってくる。
「それでロリマスさんは今どこにいるのよ」
無言でラウラとソウイチがにらみ合う。
味方として使えるのなら非常に有用な変身魔法。
しかし、魔法の所有者は駒として制御可能か分からないアホ。
どちらを優先するか、ラウラの天秤がゆらゆらと揺れ動く。
「……どうして多々良双一を知りたいのですか」
ソウイチが一試合終えて戻ってくるまで考えたあげく、ラウラは判断を先送りにした。
「頼みたいことがある。でもこの世界の人間には話せない」
「どうしても?」
「どうしても」
いつもヘラヘラとだらしない顔つきにしゃべり方をするソウイチが、珍しく緊張を発していた。
「では一つ契約しましょう。あなたが今回の件で信用できる男であると示し、我々の役に立てたなら多々良双一を紹介しましょう」
「ははっ、都市同盟内で契約なんて言葉を使うとは……本気だな。よし、契約だ」
一瞬、「これまでの全てが多々良双一をおびき出すための罠なのではないか」と不安に流されそうになる。しかし、疑念を振り払いラウラはソウイチの差し出した手を握った。
「…………おいこら、いい加減に手を離せ」
「いやー今を逃したらラウラちゃんに触る機会は一生ない気がして、なでなで」
「気色悪いわ!」
パンッ、と手を叩き落とす。すると、勢い良く動いたせいでラウラの被っていたキャスケットが地面に落ちた。帽子の中に隠していたクセっ毛の大きなポニーテールが露わになった。
――――――――――
「聖女だッ!?」
キラキラと眩しい黄金の紐で作られたストリングカーテンの奥、地下闘技場のVIP席でリングを見ていた男が立ち上がった。
「……例の?」
「そうだ、天使様すら知らない、この世に存在しないはずの人間ッ」
リング下で帽子を被り直す少女を指さして震える男は、天啓魔法の所持者にして聖都で火を放ち指名手配されている逃亡犯、楠井初郎だった。
「お、おれを追ってきたのか? どどどうにかしないとい――」
「その呼び方は禁止したはずですッッ!」
「ごめん、教祖様」
VIP席には他にも二人の男がいた。
楠井を怒鳴りつけたのは、ラウラ達が追っている“天空の教会”なる宗派を開いた教祖だ。楠井の謝罪を受け入れると悠然としたアルカイックスマイルに戻る。
そしてもう一人、グラスの中で一風変わった黒色の酒を転がす男は、リングの上で暴れる男にしか目を向けていない。聖女の方は一瞥しただけで警戒する価値もないと割り切っていた。
「隠す気のないマスク・オブ・バンチョウという名前……恐ろしい強さ、多々良双一本人で間違いない」
「ファッ!? あの覆面って番長!?」
挑戦者の名前を確認していなかった楠井と教祖がソウイチの戦いを見守る。
「言われてみれば……」
「マジだよ、あんな化け物みたいな人間、異世界でもいないよ……てことはまさか、あの聖女は疑似生命体? 番長の美少女創生魔法で作られたホムンクルスだってのか! クソっ、おれもその魔法欲しい!」
「楠井君、そんなこと言ってると天使様に見捨てられますよ」
「ほんとにどういう脳を持ったらそんな魔法を思いつくのか……」
グラスを持った男は深い溜め息と共に、とてつもないアホを見るような呆れ顔を。しかし、すぐに首を横へ振った。
魔法の考察においては、論理的思考よりも常識を無視した非常識な発想が上回ることが多々あったからだ。経験則から反省をし、グラスを持った男は聖女と呼ばれる褐色の少女にも興味を向けた。
「多々良君と聖女が繋がっていたとなると……」
「そうだよやべーよ、ケリは早く着けた方がいいって! 教祖様、頼む!」
「仕方がありませんね……本日の余興を始めましょうか」
「ですが、隠れる気がないということは罠を張っている可能性があると見た方が」
「……先生がそう言うなら、今回は様子見で」
“天空の教会”の教祖は一番豪奢な椅子から立ち上がり、観客席全てを見渡せるカーテンの手前に移動する。
「さあ、抑圧されし哀れな獣よ、己を解放せよ!」
――――――――――
(なんだ、スポットライト……の聖遺物か)
不思議な気配を感じ取ったラウラがVIP席の方を見た瞬間、強烈な白い光が地下闘技場を包んだ――が、人々の眼を少し眩ませただけで光は収まった。
「なにかの演出かな。まあいいですね、ほらデカイの早くリングに戻っ……どうした」
ソウイチは呼びかけに反応しない。いや、出来なかった。棒立ちしたまま白目を剥いて痙攣を起こしている。
「攻撃された!? 広範囲の精神魔法か!」
白い光の正体が魔法だと気づいたラウラは精神攻撃を疑い、リング下に隠れると真っ先に自分に“気分反転”の呪文を唱える。
ラウラの“気分反転”は、効果や持続時間はあいまいだが、提橋の暴走すら止めた経験がある。加えて、人格そのものには作用しないため、いつ誰に使っても影響が小さい。精神系の魔法攻撃を受けた際には、反射的に使用すると予め決めていた。
実際、何やら高揚感に似た気分が消えていく感覚が、そして同時に心が冷めていくような感覚が攻撃を受けていたという事実を証明していた。
自分にそれ以上の影響がないことを確認し終えたら、次は地下闘技場で何が起きたのを冷静に把握する。
VIP席の奥に目を凝らす。すでに人影はなくなっていた。多々良双一を狙った先制攻撃のみと初めから決めていたのだろうと警戒を残しつつ優先順位を下げる。
「おいおいナニしてんだ、次の対戦相手はまだかよ」
「なに突っ立ってんだ! 早く試合を再開しろ!」
「うるせぇぞ! 耳元でデケェ声出すんじゃねえ! 殺すぞ!」
「テメェこそ邪魔なんだよ、死ねや!!」
分散させた意識で聞いていた観客席の声には、あちらこちらで場外乱闘が始まったことを知らせる怒声と悲鳴が混ざっていた。リングの近くにも殴り飛ばされた男達が転がってくる。
「どういう効果だ……怒りが伝播している? それとも増幅させる魔法なのか? どんな願望だよ」
人の願望から存在し得る魔法を想定してきたラウラも、不意打ちではその全貌を掴めない。
一旦、魔法を放った人間から再度の攻撃がなさそうなことだけ確認し、ラウラはリングに上がるとソウイチを押し倒した。その巨体を小さく折りたたみ、はがしたマントで魔法の光が漏れないように覆い隠す。
「起きろ! 気絶してる場合じゃないぞ!」
痙攣するソウイチの顔に強烈なビンタを叩きこむ。
「う、ごけ、にゃい……」
すると、焦点を失っていたソウイチの瞳がラウラを捉えた。痙攣も収まったが、まだ魔法の影響で身体の自由が利かないと首を振る。
「じゃあこの手はなんなんだよ」
しかし、ラウラのお尻を掴む手つきからは、意識が戻っていることがはっきりと感じられる。
「ほんとは余裕あんだろ、いいから尻放せゴラァ!!」
「イッテェェェッ」
「いいから魔法だ! とっとと再変身しろ!」
ラウラの叫ぶ言葉を聞き、ソウイチは呪文を唱える。
「お? おー危なかったー。急に操縦が利かなく……そんなことより、ラウラちゃんさ……」
「なんですか」
「………………いや、安産型だねって」
「ふっ、村では働き者のいい尻だと評判でした」
「あ、そこちょっと自慢なんだ」
殴られる覚悟で誤魔化したソウイチが細長い息を吐いた。
ラウラから強い口調で命令されると、意志に関係なく反射的に肉体が従ってしまう。その感覚には覚えがあった。
無意識に上下関係を植えつける絶対強者の声。非常時のラウラはまるで多々良双一そのものだった。自分に馬乗りになっている美少女は番長その人なのではないか、という突拍子のない考えが浮かぶも、ソウイチは頭を振って意識から追い出した。
「ないよなぁ……ないない、あの怒れるゴリラがこんな」
「そんなことより、敵を追いますよ」
もはや地下闘技場は殺陣舞踏を続けられる状況ではなくなっていた。乱闘が新たな乱闘を呼び、会場全体が暴力の連鎖に支配されている。
「まずは一番上の――ッ!?」
魔法を放った者のいたVIP席、そうした物には緊急脱出用の秘密通路が付き物である。ラウラとソウイチが通ってきた出入口に向かうより追いつける可能性が高い。そう判断したのだが、二人の前に立ちはだかる者たちがいた。
「……わたしを尾行してたんですか」
「あれぇー言ってませんでしたっけぇ。糸一本あれば、私は聖遺物のある場所の方角くらいは分かっちゃうんですよ。有能でごめんあそばせ。おーほっほっ」
「メイア、それわたくしのマネとか言ったらぶちますわよ」
メイアがとぼけた顔で自分の頬に人差し指を当てた。
ポーネットはラウラが文句を言う前にお得意の聖女拘束技を仕掛ける。いつもと同じくぬいぐるみを抱きしめるようにラウラを背後から抱え、メイアは渡されたリュックから白銀の糸を抜き出した。
「くっ、やるじゃないですか……脳筋女と手ぬぐい使いのくせに!」
いつもの如く小さな子供扱いされ、ラウラは悪態を返す。
「泳がされて悔しいからって私の聖遺物をバカにするのはやめてくださいー」
「それよりこれはどういう状況なんですの」
「……んん? そういえば、二人は魔法の影響を受けてない?」
「なんのことですか」
ポーネットはラウラを痛いほど強く抱きかかえたまま、メイアも不機嫌な態度を隠さずラウラから目を離さない。
ただそれは、深夜に教会を抜け出して裏賭博などという場所へ手に出かけたことを責めているだけだった。敵対する転移者と出くわすことまでは予想していない。
「魔法の光を浴びてないからじゃね。廊下から隠れて見てたんでしょ」
「でも目と鼻の先ですわよ」
「精神に影響するタイプの魔法は条件が厳しいみたいですし、そうかもしれません」
「ていうか、ここに転移者の方がいるんですか!?」
「はい、逃げちゃったみたいですけど。わたし達も早く逃げましょう」
「え、さっきは追いかけるって」
「おだまり!」
ラウラは自分を尾行していた巫女二人を確認してから意見を180度変えた。精神操作を可能にする能力を持った敵がいる場合、味方が味方でなくなる可能性を考慮しなければならないからだ。
メイア達も、ここを脱出するというラウラの言葉に頷く。
聖遺物を持つ巫女であっても百人を超える暴動を無傷で止めることは不可能に近い。しかも、魔法という未知の力によって精神に異常を来たしている相手だ。大人しくラウラの案に従うことにした。
「ってあれ、ちょっとポーさんっ」
「メイア、まとまって動くのにここは狭いですわ! 上で合流しましょう!」
巫女の護衛としては聖女を逃がす事が最優先となる。地上へと逃げる途中、乱闘に巻き込まれたポーネットは、ラウラを抱えたままメイアとソウイチを置いて地下から脱出した。
ポーネットは聖遺物による剛力で怒り狂うギャンブルジャンキー達を排除して、安全な場所まで退避する。
もう近くに暴徒はいない。誰にも使われていない廃墟、空に浮かぶ月しか二人を見ている者はいない静かな場所だ。それなのに、ラウラにとってはまだ安心できない事態が続いていた。
「ところで……わたくしの聖遺物もラウラさんに教えてないことがありますの」
どういう訳かメイアも簡単には追いつけないような離れた建物に連れ込まれ、ラウラは警戒しながらポーネットと向かい合っていた。
「わたくしの聖遺物、実は聴力もすごぉーく強化できましてよ。どんな騒音の中でも秘密の会話を聞き分けられるくらいに」
「……それどういう意味」
ポーネットがにこりと顔を寄せる。
二人の距離は唇がくっついてしまいそうなほどに近い。
薄暗い月明りの下で作られた不自然な笑顔は、大人になりかけの少女を妖艶な美女へと演出していた。
その言葉が示す意味は、ポーネットの伝えようとしている事を、ラウラは誰にも聞かれたくないだろうという脅しであることは明白だった。
決して盗み聞きなど許してはいけない話。罵声が飛び交うリング脇でソウイチと交わした言葉の数々を思い出し、ラウラの背中に顔が噴き出る。
「まだ先の話ですけど、その時が来たら……ラウラさん、教会にも内緒のわたくしのお願い事、なんでも聞いてくださいますわよね?」
「……あい」
「では、今夜のことはお互いひ・み・つということで」
ポーネットは自身の唇を押さえた人差し指をラウラの唇へと運ぶ。
ラウラは想定していなかった今夜二つ目の契約を結ばされた。
「誰よりも真面目な人だと思ってたポーさんが教会に隠し事をしてるなんて……もう誰も信用できない……」
「なに言ってますの、わたくしの方が驚かされましたわよ」
その後に合流したソウイチとメイアが、正当なファイトマネーと言って、倒した者30人分――今宵行われた殺陣舞踏の掛け金の30%を持ち逃げしてきたことだけが救いだった。




