12 愛と性欲の対立
「うーむ、興味深い」
「そこまで警戒なさらなくても」
馬に跨り馬車と並んで走る褐色の男を窓から眺めるラウラへ、ポーネットが声をかける。
「警戒はしてませんよ。彼は真正のクズですが悪いモノではありません」
「……じゃあ何を見てるんですの」
真正のクズは悪ではないのか、という疑問が一瞬頭を過ったが、ポーネットは気にせず質問を続けた。
「魂を観察しているのです」
「また難しい話でごまかしてぇ、このこの」
返事を理解できなかったポーネットは首を傾げつつ、ラウラの頬を指でぐりぐりと押しつける。
変身魔法、それは魔法所有者によって観測・記憶された対象に化ける魔法だと考えられる。
当然、肉体的に完全なコピーがされているのならば、そこには脳も含まれる。そして記憶と意識を司る脳をコピーするということは、変身した時点で変身魔法を使っている“誰か”は変身した相手そのものになってしまうはずだ。
だと言うのに、男は多々良双一とまるで性格が違う。変身した肉体の脳に支配されることなく、明らかに化けている人間の自我が保たれていた。
ラウラの常識と哲学に反した存在。それを認めるには、魔法と魂という新しい概念を理解する必要があった。
「それよりもポーさん……おっぱい当たってる」
「馬車の中は狭いのですし、女同士遠慮してもしょうがないでしょう」
(正体バレたら俺はどうされるんだ)
ラウラはいつもの如く少し控えめに距離を取ろうとする。だがすぐにポーネットが体を寄せてくるため逃げ場はなかった。
馬車の同乗者からピリカが抜け、少女三人となり中の空間は広くなった――はずなのに、ラウラとポーネットは逃げ出したくなるような圧力を感じていた。
「ああもぉー! もうもうもう! なんなんですかなんなんですか、あの人!!」
「メイア、落ち着いて、どうどう!」
「黙れ小娘! 私は牛じゃない!!!」
「ひえっ」
いきなり、かつてないほどキレ散らかすメイアの怒声を受けて、ラウラとポーネットは抱き合い震え上がる。
常に強者の立場にいたラウラにとって、か弱い女性から本気で怒りを向けられるというのは初めての経験だった。どう対応していいのか分からずお手上げである。
馬車の中を怒りのオーラで埋め尽くすメイア。
静かになったかと思えば、ある言葉を思い出して爆発する。
この繰り返しで手に負えない。
普段はやわらかい物腰でふわふわとした雰囲気の軽いお姉さんなのだが、ここまで激昂する姿は、ラウラより付き合いの長いポーネットにとっても初めてのこと。
その原因はもちろん、新しい旅の仲間にあった。
――――――――――
自由都市同盟シルブロンドへの旅を再開してから、ソウイチは事あるごとにメイアへのアプローチを欠かさなかった。
馬車から降りる時は紳士のように手を取る。魔獣が現れれば、真っ先に自分が盾となる。容姿や性格だけでなく、ちょっとした髪をかき上げる仕草や旅の疲れで溜め息を吐く姿も艶めかしいなど、何から何まで褒めまくる。
特に、ポーネットを差し置いてメイアにばかり声をかけていたことは、メイアにとっても気が良くなる出来事だった。
今のやけ食いで太った姿は、云わば仮の姿。本来、メイアは誰もが認める美少女だ。スタイルでは平均より上といった具合だが、どこに行っても男を魅了して止まない、“愛の教会”を代表する巫女として恥じることのない美少女である。
だが同時に、メイアは人から愛されるために相応の努力をしていた。自ら工房で化粧品や香水の開発に携わり、巫女の法衣は脱げないものの、髪型や小物などの流行は常に確認を怠らず、声の出し方や歩き方、全ての仕草で、男のタイプによる好みの違いを研究している。
ところがポーネットは、ただ自分らしく生きているだけ(とメイアには見えている)でもメイアと同等の人気を博している。
つまりメイアにとって、ポーネットは相棒であり女として超えるべきライバルでもある。そのポーネットを差し置いてソウイチが声をかけてくることで、内心「ポーさんに勝った!」と喜んでいた。
「私、運命の人に会っちゃったかも……」
(この女、いつも恋の百戦錬磨みたいな顔してるクセにてんでダメだな)
「メイアがいいのであればそれでいいのですけど……ま、まあ外見は男らしくてその、わたくしもちょっといいかな、とは思いますし――あら、ラウラさん、お茶ありがとうございます」
出会って三日目には、このような会話がなされる始末だ。
ミラルベル教国とシルブロンドの争いを避けるための交渉という大事を前に、ピンク色の空気が漂いはじめていた。
「おいデカイの、ちょっといいですか」
ところがその空気は、恋愛というものを考慮しない聖女によって壊される。
メイアが少し席を離れた隙にラウラはソウイチに疑問をぶつけてしまう。
「なぜ俺がデカチンだとわかった」
「なんでメイア?」
「待ってスルーしないで、俺がアホの変態みたいじゃん」
「確かにメイアはかわいいけど、アホの変態はその姿を見てませんよね。今のメイアはかわいい女の子じゃなくてかわいい子豚ちゃんですよ」
「ちょっとラウラさん、それは言葉が過ぎましてよ」
色素の薄い赤毛ということもあって子豚にたとえられたメイアに、注意したポーネットも半笑いだった。
「いやね、前々から“愛の教会”のシスターさんとはお近づきになりたかったのよ」
対象をメイアではなく“愛の教会のシスター”とするソウイチ。
ラウラは政治的意図があるのかと疑いを向ける。
「“愛の教会”てあれっしょ、セックス依存症の治療で集まる互助会みたいな? 性欲コントロールできないスケベ女とかサイコーじゃん、メイアちゃんマジすこ」
「……なんだ、ただのクズか」
「クズを超えたクソですわ」
「ん? いやそれは言い過ぎかもですよ。多々良双一はクソじゃありません!」
「ラウラさんはどういう立場なんですの?」
この発言には“愛の教会”にさほど良い印象を持っていないラウラとポーネットも同情せざるを得ない。
ただ、問題はいつの間にかラウラの背後に肩を震わせる女性がいたことで――
「性欲コントロールできないスケベ女、だとぉ……」
「メイア!? いつの間に戻って」
「ぷっちーん」
――――――――――
「あああ思い出すだけで腹立つうぅ! ポーさん、あいつ殴って!」
「いやよ、わたくしが裁判にかけられるじゃない」
「てかポーさんが本気で殴ったら死にますよ」
「もおお! ヨンロン様にボコパンしてもらえばよかったぁ!」
「だから死ぬって」
「死んじゃえばいいんですよ、あんな男!!」
ソウイチの言葉を思い出したメイアの叫び声が馬車を揺らす。
“愛の教会”は“愛欲の教会”ではない。そこは断じて違う。
愛とは女神ミラルベルの前で誓うものであり、セックス――いわゆる体の相性も愛を語る上で大事な因子である。しかしそれは、過程で経験すべき行為のひとつであり目的には成り得ない。というメイアの主張はあるのだが、
「マジギレするほど違いありますかね?」
「ビッチには変わりありませんわよね」
「ですよねー」
ラウラもポーネットも理解できない程度の差異だったため、どうメイアをなだめればよいのかわからなかった。
聖女一行は険悪な空気を改善できぬまま、自由都市同盟の最初の都市国家ラスランティスに入国した。
「私はその男と一緒にいたくないので、先に教会へ行きます……んべー!」
メイアはラウラとポーネットに頭を下げる。馬車の馭者をしていた黒子シスターを引き連れて教会へと向かう。
褒められた行動ではないが、ミラルベル教内で大勢力を誇る“愛の教会”の巫女が多々良双一を異端認定してしまえば、反転魔法の高位呪文を覚えたところで気軽に元の姿には戻れなくなってしまう。
勝手をするメイアを叱ろうとしたポーネットを止め、ラウラは馬車を見送った。
「舌を出す仕草もかわいい。やっぱりメイアちゃんすこだ」
「おまえは嫌われてる自覚を持ちなさい」
「俺の国には「イヤよイヤよも好きの内」って言葉があってだね」
「女が嫌って言ったら嫌なんですよ」
「はははっ、ロリっ子聖女さまには男女の機微はまだちょっと理解できないかな」
ソウイチは自分が女に嫌われるわけがないと自信満々に白い歯を見せる。
「こいつどうにかしていっぺん凹ませてーな」
「ラウラさん、お顔お顔! 言葉遣いも! 教国の外ではもっとお淑やかに!」
「むぅ」
ふっくらと愛らしい頬をぴくぴくとひくつかせるラウラの顔をポーネットが腕で覆い隠した。
自由都市同盟内に入って、最初に確認すべき点が三つある。
ひとつ、各国領主達の意向。
ミラルベル教国へ宣戦布告に近い形で教義の違いを主張する“天空の教会”なる物を本気で支持しているのか。操られている、または脅されているのか否か。
そしてその判断を自身の意志でしたのなら、ミラルベル教国は戦争をする構えがあることを伝えなければならない。
ふたつ、現在の自由都市同盟内において、これまであった教会の立場。
どの程度信者が減ったのか。“天空の教会”へ宗旨替えした者の割合。また、それはどうして起こったのか。ラウラの協力者となる勢力はどの程度いるのか確認しておかなければならない。
みっつ、“天空の教会”に関する情報。
この“天空の教会”はすでに神聖ミラルベル教国の決定として異端認定が下されている。もはやそこには如何なる教義を掲げていようと話し合いを設ける余地がない。本件の首謀者となった転移者は処刑もしくは捕縛する事が絶対命令だ。どのような力を持っているかを調査し、その力に対抗する方法を考えなければならない。
「人を見るならまずは市場かしら」
教会によって事前にある程度の情報は調査済みだろう。
しかし、この世界の住人の偏見が入った報告を耳に入れるよりも先に、自らの目と耳で情報を仕入れたい――と教会からの報告を聞くのはメイアに任せ、ラウラ達はあらかじめ用意していたごく普通の都市民と同じ格好をして市場に入った。
聖女になったばかりのラウラと異世界人のソウイチを知る者はまずいないだろうが、使徒座の巫女となる前から教国の祈年祭などで活動していたポーネットは顔を知られているかもしれない。つばの長い帽子で顔を隠したご令嬢二人とその護衛、という体で三人は市場を歩く。
「ポーネットちゃん、マジかわいいね。いや、奇麗って言った方がいいかな。ラウラちゃんの清楚な法衣姿もよかったけど、ふりふりのワンピースもすごく似合ってる。せっかくだしこのまま三人でデートしよっか」
「デカイのはラウラちゃん言うな」
「にしても活気のある街だなー、歩いてるだけで楽しくなっちゃうね」
「だから手を繋ごうとするな」
「しかし、ここまで陽気な国ではなかったと思いますが……」
すれ違う人々には、普通の市民とはどこか違う奇妙な違和感があった。
気温の高い夏場であるにしても、活気のある声に溢れている。笑顔で頬を上気させ、飛び交う声に張りがある。人々が人生に前向きで誰もが親しく近しい間柄に見える。
もしもこれが“天空の教会”のもたらした影響だというのなら、その教義は人々の幸福に多大な、それもミラルベル教国以上の貢献をしているのではないか、とポーネットに思わせるほどの陽気さがあった。
「洗脳だな」
ちょうど自分の考えていた事をソウイチに呟かれ、ラウラは驚き顔を上げる。
「ん? どしたラウラちゃん、俺のカッコよさに気づいちゃった?」
「最初から外見は悪くないと思ってますよ」
「マジで? じゃあ、ヤる?」
「ヤるかボケ!」
ラウラはおしりに伸びかけたソウイチの手をグーではたき落とす。
変身魔法の詳細も調べなくてはならない案件だが、今の優先順位は“天空の教会”より下である。おふざけに付き合って情報を引き出している時間はない。
「ポーさん、前に来た時はどう――」
前にも一度ラスランティスに訪れたことのあるポーネットに、記憶とどこが違うのか尋ねようとしたところで、ラウラとソウイチの腹の虫が同時に鳴った。
「まったくもう、そこの桃でもいただきます?」
「おお、桃!? そうしましょう」
ラウラの分の財布も管理するポーネットに支払いを任せてラウラとソウイチは桃を取った。
「んお? おお?? なんぞこれ」
「剥けねーな」
果物屋台の隣の木陰で桃を剥こうとするが、どうにも滑って皮が剥けない。多少果肉を抉ってもいいかと爪を思い切り突き立てても、不思議な感触で表面産毛の上を滑ってしまう。次第にイラ立ちが溜まっていき、ふたりは桃に直接かぶりついた。しかし、柔らかい桃は不思議な力に守られて傷一つつかない。皮の表面手前で歯が押し戻される。
「ちょっとラウラさん、ソウイチさん、お待ちになって!」
「こほほほひゃべはへらいんらけど」
「なひほへー」
大口を開いて桃にかぶりついたまましゃべろうとするラウラ達に屋台の店主が溜め息を吐いた。
「そりゃ料金払う前に食べられないよ。さてはお前さんら外の人だろ」
「どういうことです?」
「今の自由都市同盟の領内はどこでもそう。平和のために女神様が加護をくださったんだ。そのおかげで誰も法律を破ることができないのさ」




