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オトメクオリア  作者: invitro
第五章 浪費される魔法

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09 人影に潜むもの

「ラウラもマナ切れにゃ?」

「マナ? いえ、聖遺物はしっかり働いてるはずなんですけど」


 ラウラの手に宿っていたのは“愛憎反転”の呪文。

 明確な殺意に対抗するため、そして明らかに精神に異常を来たしていると思われる鋭い眼光を受け、ラウラは魔法を使わざるを得ないと判断した。


「殺意の原動力が憎しみだけじゃない……ってこともあるか」

「何を言っている、火竜を殺されたことは恨んでいるし、君のことは愛しているけど、それとこれとは話が別だろ。おれは神に選ばれた使徒して世界にとって害でしかない人間を消すだけだ!」


 再び飛びかかってきた鳩山を、今度は足で蹴り飛ばした。魔法の力で野生の獣並みの身体能力を得ていても、二腕二足という人体の構造は変わらない。戦いの経験を積んでいない鳩山の動きはラウラにとって読みやすい単調なものでしかなかった。


「でも愛してるって言ったな、てことは感情を上回る使命感のようなものが……支離滅裂だけど微妙に科学的な理論も……洗脳? 誰かの命令で動いてますか」

「違う、先生は道を示してくれただけだ」

「先生?」


 ラウラ達にとって先生と呼ぶべき人物は、2-Aの担任教師、梅田豪だけのはずだ。もっとも学生と教師というのは立場上の話であり、梅田を敬って先生と呼んでいる生徒はいなかったが。

 しかも、梅田は魔の森で遺体を発見されている。埋葬したのはラウラ本人だ。この世界の人物がクラスメイトを操って暗躍しているのか。新しい謎と共にラウラの眉間に深いしわが刻まれる。


(まだ殺意反転を発動できるほどの脅威は感じない。新しい呪文は……今より取り返しのつかない事態になりそう。どうする――)


「ステータスオープン」

「む?」


 ラウラが得意の暴力による説得を再開させようとする前に、鳩山は女神の魔法を授かった全員が共通で持つ呪文を唱えた。


 “ステータスオープン”の呪文は、保有する神気の量と呪文の確認しかできない。情報を記した魔法のボードが宙に浮いているように見えるが、唱えた本人にだけ認識できるもので、盾にできるような物質的影響力は持たない。ラウラには、新しい呪文を確認する時と戦闘などの前にどの呪文を何回唱えられるか確認する以外で使用する理由がわからなかった。



「なるほど、やっぱりおれをナメてるな。来いシャルル、フアナ、マルグリッド!」


 鳩山が口笛を吹くと上空から三匹の火竜が現れる。


「まだこんなに……つかペットに偉そうな人の名前つけるのやめなさいよ」

「ペットじゃない、家族だ!」


 崖の上でポーネット達と戦っていたらしく、ところどころに割れた鱗や切り傷が見られるが、谷底に響く咆哮からはまだまだ余力を感じられた。

 戦力を分け、ピリカに一番小さな体の火竜を、聖獣ヨンロンに残りの二匹を、ラウラとガラクで鳩山と対峙する。


 崖の上での戦闘で消耗していたピリカが最も危険だと思われた。今は金剛寺の魔法を真似て編み出された電撃網を使えない。火竜自身の筋力で絞め殺すには、すでに力を使いすぎている。即座にトドメを刺せる相棒がいてこそ活きる技だ。


 この場でその相棒と成り得る者は、金剛寺の筋肉魔法レベル4に匹敵する膂力を持つ聖獣ヨンロンしかいないのだが――火竜二匹と力比べをする形で拮抗している。

 移動している最中にラウラから聞かされた鳩山の能力“あらゆる動物を従える”という可能性が頭から離れず、目の前の火竜よりも鳩山に気を取られ本気を出せていない様子だ。実際、ラウラとガラクが抜かれた場合、ヨンロンは即座に戦線から離脱する必要があるので、仕方がないとも言えるが。


 となると、決定力のかけるピリカとヨンロンよりも、ラウラとガラクで鳩山を押さえなければならなくなる。しかし、


「ナニやってる! そっち行ったぞ!」


 ガラクは精彩を欠いていた。獣じみた動きで立体的に岩壁を駆け回る鳩山を捕まえることは至難の業であるにしても、ガラクがラウラのフォローをしきれていない。せっかくラウラが道をふさいでも、その頭上を跳び越えて逃げられてしまう。


「すんません! でも! 彼もその、聖人さまなんですよね!?」

「だから違うって! 今回の転移者は迷い人でしかないの! 悪い事してるなら捕まえて罰も与えるし、最悪極刑にだってなりますよ!」

「しかし、女神さまの御力で招かれたことには変わりないんですよね!?」


 ガラクが鳩山に対して躊躇する理由は、鳩山が転移者であるということに起因している様子だった。


 高位聖職者である使徒座の巫女と、一般信徒の一人でしかないガラクとでは、転移者や聖遺物に関して開示されている情報量に隔絶した差がある。

 災厄を振りまいた500年前の“たった一度”を除けば、全ての転移者は何かしらの功績を残し、聖人として歴史に名を刻まれている。転移者は聖人である、という宗教的価値観を生まれた時から教え込まれているのだ。


「めんどくせー野郎だなぁ!」


 ガラクを使えないと判断し、ラウラの攻撃が苛烈になる。元々、人に頼るという行為を嫌う性格だ。さらに、ラウラは金剛寺達と再会したことで女神の魔法についてある確信を得ていた。



 金剛寺と玄間は、異世界で最も多くのクラスメイトが集まったグループで行動していた。中には自らの魔法を隠していた者もいたようだが魔法名はほぼ確認できている。


 そしてその中に、同じものはなかった。


 天使アザナエルの話から「心の底にある最も強い願いが魔法になっている」と理解していたがそれは間違っている。恐らく、魔法は同じものが現出しないように仕組まれているのだ。

 似通った願いがあった場合、より強く願う者を優先し、優先されなかった者は二番目の願いが魔法となる。たとえ心に様々な問題を抱えた落ちこぼれと不良を集めたクラスであっても、そうでなければ納得できないほど魔法の種類は多岐に及んでいた。アザナエルの隠された嘘と作為により、魔法には多様性が持たされている。


 つまり、人間が本能的に恐れるもの“怪我”、“病”、“死”――本来であれば取返しのつかない事態を克服する治癒魔法や蘇生魔法が存在する可能性を限りなく高めることに繋がり、ラウラが抑えてきた暴力性のくびきを緩ませていた。

 ラウラの攻撃が、眼球、首、睾丸といった部位に向けられる。非力な少女の暴力であっても重度の障害を与えられる危険な場所だ。

 すでに暴力に対する技能では自分が圧倒的に劣ると悟っていた鳩山は、ヨンロンに接触することを諦めて逃げに徹する方針へ切り替える。壁を蹴り、地面を転がり、追い詰められた獣のようになりふり構わず爪を立てて抵抗する鳩山にラウラも手が出せなくなる。



「グオオォ……」


 低い鳴き声と岩壁の崩れる音にラウラが振り返る。ちょうど、ヨンロンに殴り飛ばされた火竜達が岩に押しつぶされる場面だった。


 三つ巴の戦いは確かに拮抗していた。

 ただ、ヨンロンと火竜二匹の戦いで言えば、いつ背後から襲われるか分からない鳩山を警戒していたからこそ決着が長引いていたにすぎない。


「シャルルとマルグリッドまで………………こうなったら仕方ない」


 均衡が崩れたことで、鳩山は観念したように目をつぶった。

 敗北が見えたのだから投降する――と思いきや、鳩山の眼からは、まだ凶暴な光が失われていない。


「ア゛オ゛オ゛オオオオオオオオオォン!」


 次の瞬間、人間の喉から発せられたとは思えない、ダムが決壊したような轟音の雄叫びが谷底に響き渡った。

 ラウラは堪らず耳を塞ぐ。しかし、その場に居合わせた他の者は鼓膜を痛めるだけでは済まなかった。ピリカとガラクは腰を抜かし、恐怖に体を震わせていた。聖獣ヨンロンは仰向けにひっくり返っている。ピリカに翻弄されていた鳩山が使役する火竜までも。



「…………今のは、呪文?」

「獣王の証明。一度でもこれをやるともう仲間でも家族でもいられなくなるから、やりたくなかったんだが……」

「でもこの状況、わたしとタイマンなら勝てると思ってるんですか」

「当然、それに、この……呪文の効果は、これだけじゃ、な……いぞ」


 言葉を交わしながら、鳩山の体が徐々に変形していく。

 全身の筋肉がこれまで以上に膨れ上がり、剥き出しになった牙と爪は研いだナイフの様に長く鋭くなる。びりびりに破れた服の代わりに硬い毛皮をまとう。突き出た口と鼻はもはや人間の貌ではなかった。さながら物語に出てくる怪人狼男だ。


「おっと、こりゃマジにやらないと死ぬかな」

「この期に及んでまだそんな態度が取れるか。さすがに呆れる」

「まーねー……たぶんその魔法を望んだ野郎が“人間も仲良くしたい動物”だと認識してれば、わたしもさっきの呪文でアウトだったでしょうに。まぁそんな中途半端な魔法じゃ、わたしは倒せませんよ」


 今度はラウラが呪文を唱える。

 これまでに火竜を二匹葬った“殺意反転”の呪文。最初に鳩山に喰らわせた“愛憎反転”よりも暗く黒い光がラウラの両手にまとわりつく。

 その不吉を孕んだ光を見ただけで、鳩山は無意識に足を引いていた。



 鳩山一二三。

 転移する前は凶悪な不良に目をつけられないよう、背中を丸めて息をひそめて日々をやり過ごすだけの気の弱い凡庸な生徒だった。だが、不良高校で人の顔色を窺って生きてきた分、危険を嗅ぎ取る能力だけは身についた。

 獣化する魔法により強化されたその危機回避能力が、目の前の少女と自分の間にある決して越えられない狂気の壁を感じ取っていた。


「残念ですけど、鳩山くんの冒険はここで終わりですね」

「ひっ」

「聖女、さま……それじゃ、悪役のセリフ……ですよ」


 ラウラと鳩山の間に男が割り込む、獣人の勇者ガラクだ。震える膝に手をつきながら、どうにかといった体で這うようにゆっくりと歩いてくる。


「は? やる気のないオッサンはすっこんでてくれますか」

「そ、それでも、聖人さまを、殺させるわけには」


 その視線はラウラの両手へと向けられている。

 ガラクはラウラが火竜を不可解な死へ導く姿を至近距離で目撃していた。口にはできなくとも、聖女と呼ばれる少女が容易く人の命を奪える力を持ち、今現在その力を行使することを決心したのだと理解しているのだろう。


「お、おれが、鳩山を、止めますから……どうか……」

「……まあ命懸けるってなら」

「ありがとう、ございます」


 そう言って、ラウラは発動していた呪文を解除した。信仰や宗教というものを見下している反面、ラウラは任侠や男気というものが大好物だった。一本筋の通った男を無下にはできない。


「なんだオマエは、どうして獣人のくせに動ける!?」

「なぁ鳩山、もうやめろよ」

「やめろと言われてやめられるか! おれは正しいことをしてるんだ!」

「そう、か。ならこっちも、手段を択ばない!」


 ガラクは体を起こし、胸を張る。


「初めは憧れ、後に絶望を与えられた。世界には主役と言える才人がいても、僕は端役にすらなれない観衆の一人」

「……ん? ガラク、何を言って」

「だけど願わくば、この諦観を抜け、いつしか彼らと同じ舞台へ立たんことを!」


 台本のセリフのような言葉を言い終えると同時に、ガラクの体から七色の光が発せられる。


 これまで見た誰の魔法とも違う色。

 しかし、ラウラは女神の力を感じ取っていた。

 七色の光に包まれたガラクはうねうねと形を変えていく。

 そして光が収まった時、そこには獣人の勇者ガラクではなく、褐色の肌を持った人族の大男が立っていた。


「よぉ、久しぶりだな鳩山」

「う、あ……ウソ、だ……なんで、あの時……森で死んだはずじゃ……」


 鳩山はラウラに対する恐怖とは違う、まるで幽霊に会ったかのように驚き、その場に腰を落とした。

 突然、仲間だった男が別の人間に変身し、ピリカとヨンロンも事態を呑み込めず、言葉を出せないまま目を白黒させている。


「ば――」

「だ、誰だオマエ!?」


 鳩山が地黒の男を呼ぶ前に、ラウラが叫ぶ。

 男は振り返る。

 彫りの深いいかつい顔で、しかし非常にこなれた風に、ラウラへ向けてウインクをしてから、


「俺? 俺は多々良双一、こいつらの真のリーダーさ」


 似合わないおどけた態度でそう答えた。

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