05 けもきち
「そこを動くにゃ! おみゃーがピリカに呪いをかけた男だにゃ!?」
暗闇から声をかけるとフードの男がビクリを肩を震わせた。
「君は……戦場で雷を使っていたネコミミ!?」
「そうにゃ、ミラルベル教のこの人ありとうたわれる麗しき雷獣ピリカ様にゃ! てかネコミミ言うにゃ!」
ラウラのモノマネは少々オーバーアクションだったが、特に疑う様子も警戒する様子もなく男はフードを外した。現れたのは、宴の篝火も届かない暗闇でもハッキリと分かる黒目黒髪だ。
「おれは転移者の鳩山一二三。君と話をしたかった」
「はなし? 火竜なんてものをけしかけといてよく言うにゃん」
「あれはおれが君に興味があると言ったら彼女が先走ってしまっただけで」
「おっと待つにゃ、それ以上近づいたら黒焦げにしてやるにゃよ」
正直に自ら転移者だと名乗ったことで、ラウラは面を喰らった。ラウラをピリカだと勘違いして近寄ってくる鳩山に待ったをかける。
ピリカは相手を視認できないほど遠距離から呪いをかけれたらしく鳩山の顔を知らなかったが、それは相手も同じだったようだ。薄暗い月明りしかない状況とはいえ、ラウラの黒髪とピリカのくすんだ金髪で判断できないようなら安心できると慎重に様子を窺いながら話を聞く。
「君をスカウトしにきた」
「……にゃに言ってるにゃ?」
「この世界はすでに間違った方向へ進んでいる。でもそれは仕方がないことなんだ。人間は欲深くどの世界においても滅びの道を歩む。自然を破壊し生物を絶滅させていく。だけど獣人は違う。君達の多くは異世界から来ても自然と共生できている。そんな君達なら、おれと同じ道を歩むにふさわしい」
ラウラは目線を地面に落として、鳩山の言葉を遮るように手を出した。
「いきなりで意味がわからないんですけど」
「……そうだな、君は、女神様とはどんな存在だと思う?」
「はぁ?」
唐突な質問に、思わず素で聞き返してしまう。しかし鳩山はラウラが普通に話せることに気づかないまま語り続ける。
「人の心が細胞から作られるように、生命のひとつひとつが星の細胞であり、その営みは星の意思となる。そして星は更に大きな宇宙の細胞であり、宇宙に宿る大いなる意思こそが神そのものである。つまり、私利私欲のために生命をいたずらに殺す人間という種族は、神の細胞を殺す進化の過程で生まれた癌なんだ。滅ぼさなきゃいけない」
「……ごめん、もう一回タイム」
ラウラは再度、手をかざした。気持ちの悪い使命感のようなものを纏う鳩山の口をふさぎ、その間に、鳩山の言ったことを頭の中で整理する。
「やべぇな、マジモンかこいつ……てかこんなヤツだったっけ」
元々あまり親しくなかった相手とはいえ、再会した鳩山は最初からイカレ具合が最高潮に達していた。コミュニケーションや適応力には自信のあるラウラでも急な話に頭がついていかない。
確かに、鳩山の思想は科学的に否定できない。知覚とは主観であり、他者が正確に観測する事は難しい。人間が電気信号を意識として知覚しているように、別の物質や法則で構成された“大いなる意思”が存在しないとも限らない。
しかし、正しいと証明もできない。
神経細胞は複数の条件が絡み合うことで精神という複雑な現象を生んでいるが、ひとつひとつの反応は機械の部品と同じく単純なものだ。生物の存在数や行動が精神と呼べるほどの法則性を生み出せるとは考えにくい。
「なるほど、わかったにゃ」
「そうか、難しい話だけど君なら魂で通じ合えると思ったん」
「おまえには治療が必要にゃ。おとなしく投降して聖都で心を癒すにゃん」
要するに、鳩山の思想はこの世界においても完全にオカルトである。半端な知識から本来結べないはずの事象同士の間に因果関係を見い出し、空想を飛躍させる。まさしく精神異常者のそれだった。
鳩山は拒絶されたことを悟り、悲しげな表情を浮かべる。
対してラウラは、学校では見せたことのない鳩山の異常性に眉をひそめた。鳩山がどうして精神に異常を来したのか不明だったからだ。
人が持ち得る願いから魔法の効果は推測できる。逆もまた然り。
“呪い男”は魔獣と行動していることから、所持している魔法は動物と心を通わせたい、動物を自由に従えたい、何らかの動物になりたい、などの願いが基になっているとラウラや金剛寺達は考えていた。
だがそうなると、星の意思や宇宙の意思といった発想がどこから来たのか説明がつかない。付き合いの浅いラウラが知らないだけで鳩山は元からオカルト系の思想を持っていたのか、それとも――
「獣人の希望と呼ばれる君が仲間になってくれたらと思ったけど、残念だ……ジョセフィーヌの仇は討たせてもらうッ!!」
「ジョセフィーヌ? あの火吹きトカゲのことですか」
「トカゲじゃない! 彼女は誇り高き火竜だ、トカゲなんて言うなッッ! ……おっと、待て待てひふみ、落ち着くんだ。殺す前に聖獣の居場所を聞き出さないと」
鳩山が額に手を当てて大きく首を振る。
「わたしを殺す? こんなにかわいいわたしを殺せますかにゃ?」
「ふっ問題ない、この世界の獣人はケモレベルが低いからな。余計な戦いを避けるために声をかけたけど、本音を言えば、君達には全身に体毛を生やして顔の骨格から作り直して欲しいくらいだよ」
「……助けようって気が失せるから、あんまりキモいこと言わんでくれ」
さらに病人扱いされたと勘違いした鳩山がラウラを襲うための構えを取る。地面に手を突き、四つ足の肉食獣が獲物に襲いかかる姿勢だ。金剛寺や提橋の魔法と同様に肉体を根本から変えてしまうタイプなのか、攻撃姿勢になった鳩山の脚と背中の筋肉が膨れ上がった。
「こりゃわたしも力を使わないとケガするかな」
「ケガで済むと思――」
「ラウラー、呼んだかにゃー!? ピリカ様が来たにゃよー!」
遠くから響くのはピリカの声だ。
ラウラは、鳩山が反転魔法で正気を取り戻せない類の異常性を持っていると判断した後すぐ、獣人にしか聞こえない音を出す笛を吹いていた。緊急用の呼び出しを受けたピリカの足音が近づいてくる。
「ピリカ……? じゃあ、お前は一体?」
「ああ、これね、作り物」
ケモミミバンドを外してくるくると回してみせる。
「改めまして、転移者の方々を保護する役目を頂きました、聖女のラウラと申します」
「獣人のコスプレだと!? なんて邪悪なものを作りやがる!?」
純白の法衣をつまみ、上品に少しだけスカートを持ち上げて挨拶を交わす。
だが聖女と聞いた鳩山の顔は更に険しいものに変わった。
「そうか、お前が金剛寺と玄間を拷問して洗脳したという噂の悪女か」
「洗脳なんてしっ…………てませんよ?」
「なんだ今の間は!?」
「そんなことより今の噂を流してるクソ野郎はどこのどいつですか」
「答える義理はない」
反射的に否定しようするも、途中で言葉に詰まったラウラを見て、鳩山の敵意が大きくなる。しかし、鳩山はラウラに攻撃せず、沢の向こう側へと跳び去った。最後に聖女へ向けた視線に、次は殺された火竜の復讐を果たすと憎しみを込めて。
「ラウラ……」
ラウラが林の中へ消えた鳩山の背中を睨みつけていると、酒が入っているせいか顔を赤くしたピリカが隣にやってきた。
「その……いくつか言っておくことがあるにゃ」
「……?」
「巫女は聖女の夜伽係じゃないにゃ、だから夜中にこっそり呼び出されても奉仕はできないにゃ。それから……ポーネットよりピリカを選んでくれたことはうれしいけど……初めてがお外でっていうのはどうかと思うにゃんよ」
「なに言ってんだこのクソネコ」
巨大な勘違いを抱えたまま、もじもじと指を合わせるピリカとラウラの間に冷たい山風が吹く。
「……ラウラはなんでピリカを呼んだにゃ?」
「ついさっきまで、ここに鳩山、例の呪い男が侵入していたので」
「じゃあなんでピリカの呪いは解けてないにゃん」
「逃げられたからでしょ」
照れ、驚愕、疑問、再び驚愕、そして落胆、さまざまな感情を見せる顔芸を順に披露してから、ピリカは最終的にラウラの胸倉を掴んだ。
「とんだ役立たずにゃ! おまえそれでも聖女かにゃあ!」
「ピリカが大声出さずに後ろから不意打ちできてれば、それで今回の件は終わったんですよ、このバァカ!! 発情ネコ!」
「ピリカの純情を弄んでその言い分は許されんにゃよ! ここまで来るのにどれだけドキドキしたと思ってるにゃ!?」
「知るかンなもん!」
夜の川辺で少女ふたりのキャットファイトがはじまる。
ラウラと鳩山の再会は、互いに不信感と敵愾心を煽るだけの失敗に終わった。
「……ガラク隊長、覗きはマズいッスよ」
「だな、期待してたのと違ったし帰って飲み直すか」
聖女と巫女の姦通という不名誉な誤解も加えて。




