02 にゃん♪
教皇代理である大司教から新たな転移者が現れたことが公表された。
同時に、今回の転移者はこの世界から賢人を招くために選ばれた“案内人”が連れてきた正式な客人でもないことも伝えられている。
初めは混乱が起きた。500年前、案内人を騙してこの世界にやって来た者達――災厄をもたらした転移者の再来となるのではないかと人々の心に不安が走ったのだ。しかし、金剛寺と玄間による望郷の念を交えた涙ながらの演説は聖都に住む人々の心を打った。
彼らが神殿を荒らして回っていた事や犯罪組織に紛れて行動していた貴志、スラム街に火をつけて巫女の追跡から逃亡した楠井、そして他の転移者が原因だと考えられる各地での大事件は伏せられている。
そして何より、事故によって大神殿ではなく魔の森に召喚されてしまった転移者を救済する名目で空白だった聖女の位が埋まった事も民衆を安心させる理由となった。
ただ、式典で檀上に現れたのが巫女の第一位にあったイネス・ゴルドーではなく、多くの人が初めて見る少女だったことは小さな波乱を呼んだ。
イネス・ゴルドーは“真実の教会”という宗派の長であり、この世で最も強く誠実な女性だと言われている。外見も容姿端麗な銀髪の剣士という、ミラルベル教における聖なる色に近い“銀”を持っていることから人気が高い。
そのイネスを押しのけて外部から突然の就任というだから、誰もが「あの純白に黄金をあしらえた法衣の少女は何者なのだ」と噂話に花を咲かせていた――
そんな人々の期待に応えるべく、ラウラは今日も聖都の街を練り歩く。これまで来ていた黒い見習い服とは一味違う、精霊ハンナがラウラのリクエストを聞いて縫わせた渾身の法衣が人の目を惹きつけている。
「こっちこっち、次はこっちのお店ですよラウラちゃん!」
「メイアのおすすめは高級店ばっかでお財布がぁ~」
もっとも、市民や各教会への顔見せというより単なる食べ歩きなのだが。
式典が終わった後から、巫女の中でも足が軽く顔の広いメイアを連れ、大きな教会で簡単な挨拶を交わしては、聖都で有名な甘味処を巡っている。大陸各地で修行してきた信徒が開くお店で未知の味を楽しんでいるだけだった。
ちなみに、この行為は精霊アヴィの発案である。
ラウラも最初の内は何の意味があるのかわからず、そんなのんびり過ごしている暇はないと文句を言っていた。しかし、戦う力のなさそうな少女が聖女となり、陽気に聖都での観光を楽しんでいる様子から市民は安堵を得られたようだ。アヴィの狙い通り、まずは今回の転移者が恐れる者ではないと思わせることに成功していた。
「問題があるとすれば……」
「なんれす?」
「おまえだっ!」
スイートポテトが刺さったフォークをメイアの顔に向ける。すると、瞬時にタルトだけが消えてなくなった。
「んん~~~おいひっ」
「わたしのタルトがっ!?」
「え、くれたんじゃなかったんですか」
「そんなぶくぶく太って、いつからそんな食い意地を張るように」
ラウラの怪訝な視線が、やけ食いするメイアの前に並ぶ皿へ向けられる。
金剛寺達に睡眠薬で眠らされた件で“おしおき部屋”という名の訓練施設に入れられていたメイアが久しぶりにシャバへ出てくると、それまでお付き合いしていた男が浮気をしていたのだ。
男もメイアと同じく“愛の教会”の信徒だったので、数日連絡がつかなくなれば次に乗り換えるなんてことも日常茶飯事ではあるのだが、それでも憂さ晴らしの日々が続いたのだった。
「にしても、どうやったらこんな数日でそこまで脂肪を蓄えられるんですか」
「私……そんなに太りました?」
それまで止まることなくデザートを口へ運んでいたフォークが止まった。
使徒座の法衣の標準装備であるコルセットが、腹の肉を上へ押し上げている。もう少しでメイアが羨んでいるスタイル抜群のポーネットに届きそうなほどだ。胸だけは。
「ストレートに答えていいなら、デブの領域に入ってますね」
しかし、二重アゴになりかけの丸みを帯びた顔はいただけない。これは巫女として「どんな時も運命の相手との出会いに備えよ」という“愛の教会”でも有名な教えに背いた失態でもある。
「教義が間違ってるんですよ! 私は本気で恋愛してるんです! 男と別れたら心を癒す時間とお砂糖が必要なんですよ! たかが十代の恋だと見くびったおじいちゃんの作ったルールなんてクソ喰らえってなもんです!」
珍しく汚い言葉を使うメイアに溜め息が返される。
こういう信仰をバカにした言葉は本来ラウラの十八番なのだ。
「そんな食生活を繰り返してると早死にしますよ」
「でもでもっ、あの男ってばほんとにひどくてっ!」
「へーそうなんですか」
メイアとはもうすっかり本物の女友達のような会話もできるようになった。
この数日、教会への挨拶を終えた後は、ポーネットに触発されて始めたメイアの工房で香水の研究をしたり、正式に聖女になったおかげで解禁されたアクセサリーを見て回ったりと女の子らしい生活をしている。
そして今も、柔らかな物腰で静かにお茶を飲み、適度に相槌と肯定を混ぜながら“友人の男絡みの愚痴”というどうでもいい話を華麗に聞き流していた。
「ふ……女子会にも慣れた。そろそろ女子力も極めたと見ていいでしょうか」
「ラウラちゃんはアホみたいな自己評価の高さが、いろいろと目算を誤らせる原因になってると思う」
「バカな、わたしにそんな欠点が!?」
「おやおや、新しい問題がやって来ましたよ」
驚くラウラをよそに、メイアが通りの向こうに見えた影を指さした。
このところラウラとの連絡係としてアヴィに使われているポーネットだ。
「やーっと見つけ……た?」
いつものお小言がはじまるかと思いきや、ポーネットはラウラ達のいるテーブルの少し手前で立ち止まった。
「お茶してる、またわたくしだけ仲間はずれ……ぐすん」
感激屋で泣き虫のポーネットが瞳を潤ませる。仕事ではメイアともラウラとも口論の絶えないポーネットだが、仲間外れにされることは嫌なさみしがり屋でもあった。
「いやいやいや、ポーさんにもちゃんとタルトを買って行こうと思ってたんですよ! 店員さーん、お土産はキャンセルで注文お願いしまーす!」
ラウラは気取った貴族が使用人を呼びつけるように、頭の上でパチンパチンと二度指を鳴らす。
「その呼び方は聖女の礼節としてマズいと思いますけど」
「でも指パッチンできる女ってカリスマ性あるように見えません?」
「ん……むむう、そんなことないです!」
メイアが少しすねた感じで否定する。現在のメイアは指も手の平も見るからに丸い。何度やってみても脂肪がずるりと引っかかり、キレイな音が出せなかった。
「わあ、美味しそう」
「てか前からちょっと思ってたんですけど、ラウラちゃんって私と比べてポーさんに優しくないですか?」
「え?」
運ばれてきたスイーツに手を伸ばそうとしていたポーネットがラウラを見やる。
「ラウラさんはわたくしが好きなんですの?」
「前の発言もあるし、ラウラちゃんがそっちの人じゃないかと思ってはいたんですけど、最近徐々に疑惑が確信に変わりつつあるというか」
以前、メイアがラウラをからかおうとした時の話だ。ラウラの「その時が来たらメイアに初めての相手をしてもらう」という言葉を受けてから、愛の戦士メイアはラウラの性的志向を観察していた。
結果もたらされた答えは、ラウラがポーネットを好きなのではないかという容疑だ。
赤く染めた頬に手をやるポーネットを見て、ラウラは肯定も否定もせずに悩むような表情を見せた。
「どうなんでしょう……自覚がないだけでポーさんのことが好きなのかもしれません」
素直なラウラの答えにメイアがキャーキャーと騒ぐ。
「確かにポーさんは、わたしの好みに当てはまる部分が結構あるんですよね」
およそ恋愛感情や性欲と呼べる物を持ち合わせているのか分からないラウラでも、元は思春期真っ盛りの男子高校生だ。好みの女性像くらいは持っているだろう。
「ラウラさん、でもわたくし……女の子には……」
「ち、ちなみにちなみにっ、ラウラちゃんの好きなタイプってどんなですか」
「おっぱいが大きくてあたま空っぽな感じの女ですね」
と、それまで照れた様子だったポーネットの顔からゆるんだ雰囲気が消え、無表情に変わった。
聖女専用の法衣を手に入れて理想の淑女に近づいたと思いきや、それは外見だけの話。勝負事と危機感がない状況だとラウラの知能レベルは極端に下がる。日常ではまともなウソもお世辞も言えない男、もとい女だった。
「わたくしッ、やっぱりあなたのこと嫌いですわーッ」
「しょんなー」
「そのまったく傷ついてもいない風なところもムカつきますのよ!」
この面子でのお茶会など時間の無駄だと気づいたポーネットは、味わう暇もない速さでタルトと紅茶を喉に流し込むと席を立った。下品な声で大笑いしているラウラとメイアを引きずって、アヴィの待つ大神殿へと帰還する。
大神殿にはアヴィだけでなくルディスとハンナもラウラの到着を持ち構えていた。精霊以外にも、教皇代理の大司教、ルディスとハンナに付き従う戒座と宝座のトップ、聖騎士団の隊長達とそうそうたる顔ぶれが並んでいる。
話を外部に漏らしたくないのか、扉の外には十人もの聖騎士が廊下を塞ぎ、閉じた窓によって淀んだ空気が一層部屋の雰囲気を重くしている。どうやら使徒座のみで解決できる範疇から逸脱した事件が起きているようだった。のん気にお茶をしていて呼び出しに遅刻したラウラは、目立たぬよう小さな背中を更に小さく丸める。
「ついに、反逆者が現れたのじゃ……」
「これは神聖ミラルベル教国への宣戦布告なのよ」
「自由都市同盟シルブロンドが、我々は女神の神意を歪曲して自分達のいいように利用する偽物だと主張してきた」
自由都市同盟シルブロンド。
それは神聖ミラルベル教国の北にある小規模な都市国家群が作り上げた共同体である。中には人口が一万人にも満たない小さな国さえあり、有象無象が集まったところで教国に異を唱えることなどできない。誰もがそう思う程度に力の差があるはずなのだ。しかし、
「現在、シルブロンドには謎の力が働いており、自由都市同盟の権力圏では一切の武力が行使できない状態にあります」
と言う聖騎士団の報告で、会場にいた全員の視線がアヴィに集まる。
自由都市同盟シルブロンドは“天空の教会”という誰も聞いたことのない宗派を神輿として担ぎ、これまで神聖ミラルベル教国へ払ってきた喜捨の一切を断ち切ると宣言してきた。ミラルベル教からの独立だけでなく、完全な対立を宣言する異常事態である。
しかも、武力行使ができない。これは言葉の通りだ。謎の力によって自由都市同盟の市民は守られており、反逆者である自由都市同盟の代表達を力づくで拘束できなかったという事実に基づく。
「天空の教会……天空魔法……ないか。守る……複数で組んでいる?」
「どうしたラウラ?」
「いえ、わたしはその異常な力の発生源を見つけて捕らえてくればいいのですね」
ラウラの言葉は、今回の反逆はこの世界の宗教戦争ではなく転移者による宗教の乗っ取りだと暗に明言していた。アヴィ達も同じ考えでそれに頷くが、それだけではないと会議は続けれられる。
「女神の力を授かった者が、外で反抗しているなどと知られるとマズいのじゃ」
「シルブロンドに手は出せないものの、聖騎士団は近隣諸国の国境に陣を張り、完全に孤立させる作戦に出る」
「よって人出は割けないのよ」
「使徒座だけで解決すればいいのでしょう。わたしに任せておけば楽勝ですよ」
ラウラの魔法は暴力に含まれない。魔法の使用者にさえ接触できればどうとでもできるという自信から出た返答を聞き、会議室が湧き上がった。
「おおっ、聖女様は真に頼もしい」
「あわや戦争になるかと思ったが、単独で収めてみせるとおっしゃるとは」
「しかも道すがら怒り狂う火竜も退治してくださるなどと、いつの時代にも女神様は救いの手を差しのべてくださるのですな」
「ええ、わたしに任せ……ん、待って待って、火竜ってなに?」
後は使徒座と聖騎士団に任せればいい、と武力とは無関係な神官達は退室してしまう。
「だから火竜ってなんですかぁ!」
「ああ、お主は遅刻したから会議の前半は聞いておらなんだな」
「教国と自由都市同盟の間にある山脈で、火竜が聖獣様を追いかけ回しているという問題が同時に発生しているのよ」
「は、なんですソレ、怪獣大決戦?」
どう解決すればいいのかも定かではない厄介事を押しつけられ、複雑な表情になる。
異世界、とくればモンスターが付き物だろう。ラウラがこれまで遭遇したモンスター、つまり魔獣は巨大で鉄のように硬い毛皮を持つイノシシや狼だけだが、ついにドラゴンが出てきた。やはり男の子としては一度はお目にかかりたいと高揚感が体を巡る。
しかし、魔獣とは過去の転移者が女神の力で作り出した化け物が野生化した物だ。単純に生物として強い。人間では敵わぬ筋力と鋭い爪や牙を持つ。非力な少女となったラウラが最も苦手とする相手である。
加えて聖獣。
こちらに至っては、転移者と共に異世界から来たという伝承が残っているだけでイマイチ正確な情報がない。
ラウラはこの世界の来た時に、天使アザナエルから世界を渡った時に亜神として神の力を得ていると説明を受けていた。獣でも女神の力を授かっている可能性が高い。そして聖獣は数百年以上を生きている。どれほどの知能を持つかにもよるが、もしかしたら魔法を扱うクラスメイト達よりも危険な相手かもしれない。
「そう言えば、前にピリカとキナが自分の仕事は聖獣様の世話役だと」
「うむ、それなんじゃがな……」
アヴィ、ルディス、ハンナが答えづらそうに目を伏せた。
ラウラは部屋に残っている巫女や聖騎士に視線を向けるが、彼女達も知らないのか首を傾げるだけだ。しかし、ひとつ思い当たる。火竜と聖獣が対立しているという情報を持ち帰った者、もしくはすでに対処しようと試みた者がいるのではないか。
「まさかっ」
精霊達の反応を見て、あってはならぬ事が起きてしまったのかとラウラが椅子を倒した。
「キナが重体でな……おそらく当分は歩くこともできまい」
治癒院の長であるユラがいない事から、本人が聖遺物を発動させていないと治療できないほどのケガなのだと察する。
「それで、ピリカは?」
「うむ…………ラウラとメイアとポーだけついてまいれ」
巫女が亡くなれば、混乱を避けたい時期とはいえ流石に情報を秘匿することはできないだろう。それでもアヴィの態度から見える深刻な雰囲気に、覚悟を決めながら三人はピリカのいる別室へと急いだ。
「ご覧の有様じゃよ……」
ベッドの上では、ピリカが放心したまま青い空を見上げていた。
無傷で。
「って全然ケガなんてしてないじゃありませんの!」
余計な心配をさせられたとポーネットが怒鳴る。
「こりゃポー、お主にはピリカの心を蝕む呪いが見えぬのか!」
ピリカは力なくネコミミを垂れ下げたままラウラ達の方を向いた。くすんだ金色の髪が灯りのない暗い部屋と相まって、アヴィの言う様にピリカの心身に何かが起きていると感じさせる。
「ラウラ、ポー……」
「どうしましたの、ピリカさんに沈んだ顔は似合いませんわよ」
「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………三人とも、ピリカを助けてほしい……にゃん」
「にゃん?」
長い時間をかけてやっと吐き出された救いを求める言葉に、三人は不思議そうな顔で同じ言葉を返すことしかできなかった。
「ピリカさん、かわいいですわーーっ!」
「あざといっ! それは愛の教会に改宗するってことですね!?」
「そんな変なしゃべり方してましたっけ?」
三人で顔を合わせてから聞き間違いでないことを確認し、それぞれ思い思いに騒ぎ始める。
「ふにゃあ……」
「こらこらこらぁ! 三人ともやめい! ピリカは呪いを受けてこんなしゃべり方しかできなくなっておるのじゃぞ! 気を遣わぬか!」
ポーネットに抱きしめられたピリカの耳がさらに深く垂れ下がる。
恥ずかしさのあまり耳で目を覆っている状態だ。
「ピリカは一人前のレディだし獣人族の代表にゃ。それなのにこんな恥ずかしい語尾をつけてたら表を歩けないにゃあ。戦士の沽券にかかわるにゃ。火竜と一緒にいるこの呪いをかけた男をぶっこ……捕まえてほしいにゃん」
最後に物騒な単語が混ざったが、ラウラの顔には深い同情が見える。
言葉が猫語になるなんてバカげた現象が起これば疑う余地はない。ピリカに“呪い”をかけた者はラウラのクラスメイトだ。
ポーネットがその愛らしさのあまり、アヴィの命令を無視して頬ずりをしてしまうくらい確かにピリカはかわいく見える。しかし、ピリカは自尊心の強い大人である。
今のラウラからすれば、語尾に「にゃん」とつけることくらい何ともない。だがプライドの高い番長という立場の頃だったら、こんなふざけた嫌がらせを受けたらラウラはどうしていただろう。殺すまではしなくとも手足の二、三本は折っていただろうか。
「わかったにゃ。わたしも全力で力になるにゃん」
こうして、ラウラに聖女としての初任務が課せられた。
まずは火竜討伐とピリカに呪いをかけた男の捕縛である。
「ラウラ、ありがとうだにゃ……でもムカつくから二度とピリカのマネはするにゃよ?」
「ごめんだにゃ…………ぶぷっ」
「にゃああああ! 絶対こいつピリカを見て楽しんでるにゃあああああ!!」




