15 信じていいのか?
「おほー、すごい! ぜんぜん痛くない!」
ラウラが大きく飛び跳ねると足の裏がパンッと軽快な音を鳴らした。何度も足の裏を地面に叩きつけて傷の完治を確認する。
「ダメですよ、いきなりジャンプしちゃ! あああっ! なんで言ってるそばからタップダンスなんてするんですか!?」
「巫女の祈祷って信者の快復を祝う踊りとかもするのかなと……練習?」
そんなラウラを、使徒座の治癒院で院長を務める巫女の第四位、ユラ・レスト・テレスラーダが叱る。
彼女の聖遺物は建物と融合した大規模な祭壇型と呼ばれるもので、聖遺物の中にいる人間の治癒力を高めるものだ。さすがに提橋や金剛寺の魔法のように数秒で大怪我を治す無茶はできないが、ラウラの骨折はたった五日で治してしまった。
「聖女の任命式に杖をついて出席する心配はなくなりました」
「それでラウラ様、今日も図書館ですか。アヴィ様が司祭達への顔通しをしておきたいと呼んでいましたけど」
「……ユラさん、前衛的なファッションの割りにまともなことしか言わないね」
「あたりまえです。私は治癒院の院長ですよ」
ユラはラウラより4つ年上だが、ひらひらとかわいいゴスロリ服をこよなく愛する女性だった。使徒座の美しい紅白の法衣も勝手に改造され、袖や裾には過剰なフリルが、頭にはベールではなくヘッドドレスがつけられている。
だが本人が言うように、その言動は至って真面目そのもの。この治癒院に通っている間も、ラウラは言葉遣いや歩き方、女性としての動作のひとつひとつを再教育されていた。
ラウラの目指す「美少女は美少女らしく生きるべし」という目標には近づいたが、口うるさいユラにはいい加減苦手意識が芽生えており、これ以上説教を聞きたくないと治癒院から逃げ出した。
ケガの治療をしている合間にラウラが何度も顔を出しているのは、聖地にある選ばれた高位聖職者しか利用できない図書館である。
ここでしか読めない貴重な文献が多くあるにも関わらず、古く痛んだ羊皮紙やインクに生えたカビの匂いが慣れない人の足を遠ざける。巨大な建物には人の気配があまりない。
「んんーっ! 届かないー!」
何百年もの昔から集められた蔵書には、ラウラの求めているミラルベル教の裏の顔を記す本があるかもしれない。読む者が少なく、入れ替えられない本棚の上の方へラウラは背伸びをする。
「ちっ、やっぱ身長だけは不便でどうしよもないな」
「これですか? どうぞ」
ラウラと体を重ねるようにして後ろから手が伸びてきた。
図書館の司書を務める司祭だ。文系独特の柔らかく落ち着いた雰囲気を持つイケメン。彼を目当てに図書館へ通うシスターもいるとかいないとか。
取ろうとしていた本を受け取ると、ラウラの目が細められた。
「自分で取れたのに」
「困っているように見えたので」
「余計な気遣いは相手の自尊心を傷つけると学べ。あと距離が近い、善意でも他人との距離を測り直せセクハライケメン野郎」
もちろん、こんな出会いで少女漫画のような恋は始まらない。ラウラに罵られたイケメン司書は、瞳に光るものを溜めながら、とぼとぼと本の整理へ戻っていった。
ラウラが聖女に任命されるという情報は、すでに耳の早い者には届いている。そのため、ラウラを篭絡しようとする手合いが近づいてくるようになっていた。特に色仕掛け要員らしき男には追い払う言葉も辛辣なものに変わっている。
「女ってこういう面倒も、いや男だったら女が寄越されるだけか」
増えた面倒事に溜め息を吐きながら、転移者の言葉をまとめた本やミラルベル教の歴史を記した本をめくっていく。
――過去の神学者は語る。
世界とは幾つも存在する。
また、その世界ごとに創造主である神も存在している。
女神ミラルベルは、その数多いる神の中で最も慈悲深い神である。
しかし、この世界の人間は、創造主の優しく美しい心を強く引き継いでしまったため、欲望という力の根源を持たなかった。信じられないかもしれないが、生への執着すら持たなかったという。
人々は子を為さず、緩慢な死を受け入れ、産まれたばかりの世界は滅びを迎えようとしていた。
そこで女神ミラルベルは人々を救うべく、願いを叶える天使を与えてくださった。
だが我々の祖先は天使に何を願えばいいのかさえ分からなかった。女神が滅びゆく人々を見て、何を嘆いているのか分からなかったからだ。
生命は女神から与えられたもの。
死もまた女神から与えられたもの。
ならば死を恐れてはならない。
死を拒んではならない。
だから気づかなかった。
女神が、人々に生きて幸福になって欲しいと願っていることに。
生きることに怠惰だったのだ、我らの祖先は。
滅びの時は近づいていく。
そしてある時、天使を通して再び神託が下った。
異世界から賢人を招き入れよ、と。
かくして、我々の先祖は知識と欲を得た。
中には、どうして女神様自身が我々を導いてくださらないのか、などと嘆く者もいたが、その理由はとある転移者の言葉によって解消された。
異世界の神の中には、被造物である生命に対して、徒に神の知識や力を与えて変化を加速させる者もいるらしい。しかし、そのような神の世界は例外なく戦争という悲惨な末路を迎えたようだ。
我らの神は、たかが被造物にすぎない我らを子供の玩具の如く壊すのではなく、我らを認め、我らを尊重してくださっている。我らの自主性に世界を委ねてくださったのだ。この世界は神々が人形遊びするために用意された箱庭などではない。
だから我らは応えねばならない。
女神ミラルベルがお認めになる世界を創らねばならない。
我々人間は真に優れた世界の一員とならなければならない。
女神の求める答えを持った人間にならなくてはならない。
だが招いた転移者にも、完璧な人間への道を語れる者はいなかった。
どうすれば、我々は女神の望む人間へとなれるのだろうか。
我々は探し求め続ける――
「うーむ……過去の転移者は神を持つ世界の出身だから上手くやれたのか?」
ミラルベル教によって言語はほぼ統一されているものの、流石に癖の強い昔の文字を解読するには時間がかかる。
欲しい情報に関わりそうな部分だけ探して、辞書を片手に頭を唸らせているとラウラのいる席に足音が近づいてきた。
「こんなところでサボってましたのね」
「サボりとは人聞きがわるい」
ポーネットが隣の椅子に座る。
「おやメイアは?」
「薬で一人だけ眠らされた一件がイネス様にバレて再教育中ですわ」
「じゃあ仕方ない」
任務外でも一緒に行動していることの多い片割れがいなかった。
ラウラは自分で質問をしておきながら興味はないと本へ視線を戻す。
「……ねぇ……ねぇねぇ………ねぇねぇねぇ……ちょっと………………むにむに」
「がああぁ、ほっぺをつつくな!」
読書の邪魔をしてくるポーネットに怒鳴る。
「だってわたくしが来てるのに無視するから」
「読みながらでも話は聞こえてますよ」
「んもう、わたくしが直接足を運ぶのですから大事な話があるってわかりませんの?」
そう聞かれ、ラウラの大きな眼がさらに見開かれた。ポーネットの表情が優しく微笑んでいることから、間違いなく良い報せだろう。
「早くてもあと一ヵ月はかかると思っていました」
「今回はキスキル様が聖遺物を使って尋問しましたからね。それに、お二人とも怖いくらいあなたに心酔しているようですわ」
ラウラが待っていた話は、金剛寺と玄間の身柄を自分が預かるという案件について。
今回の転移者は事故によりこの世界に来たこと。
金剛寺達は元の世界への帰還だけが目的だったということ。
楠井初郎という仲間に騙されていたこと。
さまざまな弁明に加えて、今後はラウラの下でミラルベル教のために奉仕することや魔法を悪用する転移者が出れば捕縛に協力するという約束を交わすことで、二人はようやく解放された。
「でも本当に人の心の闇を払うなんて……このちいさな体のどこにそんな神秘的な力が隠れているのでしょう」
「ほっぺつんつんはやめなさい。わたしが年上なの忘れてませんか」
ラウラは本を閉じて、新しく用意された聖女用の屋敷へひとり急ぐ。
使徒座の神殿最上階から見えるアヴィの庭園。その横に長らく放置されていた大きな空き家がラウラの家だ。ミラルベル教の許可なく聖地から出られない金剛寺達を置くにもちょうどいい。
使用人をしているシスターに案内されて居間に入ると、すでに金剛寺と玄間が聖騎士に連れて来られていた。聖騎士達がラウラに挨拶をして帰り、人払いをしてから個室へ移動する。
「まさか、ここまでミラルベル教の深部に入り込んでいるとはなぁ」
「わたしの人徳があれば造作もないことです」
「ふはは、いつからそんな冗談まで言えるようになったんだ」
「魔法のおかげであろう。お主なら我らを元の世界へ帰らせてくれると信頼しているが、2-Aを代表する大馬鹿者であることには変わりあるまい」
「……おまえ達って敬意持ってる相手にもそんな態度なの?」
金剛寺と玄間は、仏教寺の厳しい教えを受けながら、女体化させた卑猥な仏像をインターネットで売りさばいていた問題児だ。異世界で冒険して成長したと言っても、目的に沿わない時は誰が相手であろうと払うべき敬意など持ち合わせていない。
金剛寺達の態度に呆れた声を上げるラウラだが、彼らが根本的に救いようのない悪ガキであるという事実を確認できると、少し肩から力が抜けた。
「これからのことだが……ハッツはどうなった?」
「逃げられましたよ。あのバカ、スラム街に火を放ってね……その話は後にしましょう。使いを出したので、もうひとり来ますから」
金剛寺の言葉を遮って茶菓子を頬張る。
図書館で頭を使った後には糖分の補給が必要だ。
待ち人が来るまで、適当にどんな尋問を受けたかだけ確認していく。
「おいいいいいぃ! ラウラ様よぉ、おれのことコキ使いすぎだろう! いきなり呼び出して飯持って来いとかっ……あ、金剛寺に玄間じゃん、おひさ」
「……だれ?」
一時間ほどして、聖女様限定でデリバリーサービスをやらされている提橋が息を切らせて部屋に飛び込んできた。これでようやく現在聖都にいると思われる転移者が四人揃ったわけだが、
「ゴリマッチョになってもハゲの金剛寺はわかるとして、バツイチ提橋は見た目が変わりすぎて誰だかわかりませんか」
「お前が言うな」
「お前が言うな」
「お前が言うな……って提橋!? しかもバツイチって何!?」
悪食魔法の影響で異世界に来てから身長が20cm以上伸びている提橋は、金剛寺達には誰かわからなかった。二人は椅子に座りながら大男になった提橋を見上げる。
ラウラはバツイチの件について食いつこうとしている玄間を黙らせて、三人に向けて呼び出した用件を話しはじめる。
「わたしの舎弟として働くおまえ達に、いくつか情報共有と、これからの計画を教えておこうと思って今日は集まってもらいました」
「あ、もう完全に舎弟なんだ」
真顔で頷くと提橋は茶化さずに黙った。
「まず、楠井は完全に敵の支配下にあると考えられます」
「そもそも敵って誰よ」
「恐らく天使アザナエル。目的が不明なので厳密には敵なのか単なる障害物なのか、まだどちらとも言えませんけど」
ラウラは楠井と再会した時に、魔法を使っているらしき仕草を目撃している。
天の声を聴く“天啓魔法”。
しかし、こことはまた別の世界にいるという女神ミラルベルと通信ができるとは過剰な力だと言えた。あるとすれば、最初に雲の上のような場所で出会った天使アザナエルの可能性が最も高い。アザナエルの木像を神殿に飾らせていたこともそう考える理由のひとつだ。
「天使を障害物って言えるところがやっぱヤベーわ」
「正体知っていたら絶対挑まなかったのに……」
「んん゛っ、次にこの世界の誰にも言ってはいけないことについてです」
楠井とアザナエルの件は、推測であり新しい情報がない限り先に進めない。咳払いを挟んで話題を変える。
「わたし達だけが聞かされていて、ミラルベル教にとっては絶対的なタブーがあるでしょう」
金剛寺と玄間はミラルベル教の取り調べを受ける前にラウラから警告されている。初めて聞く話に提橋だけが、嫌な予感がしたのか口元を歪ませた。
「女神の不在……少なくとも千年、女神ミラルベルはこの世界に干渉していないどころか見守ってすらいない。もう未来永劫、干渉してこない、見捨てている可能性すらある。この件を記した文献が一切ないんですよ」
「それ問題なのか?」
ミラルベル教は転移者だけが知る女神の秘密を秘匿している。
そして最悪の場合、その件に触れた転移者を消しているのではないか。
ラウラの胸中にはいつもこの不安があった。
女神の不在を訴えることは、ミラルベル教にとっての都合の良し悪しに関わらず、女神への涜神行為にもなり得るのだ。触らぬ神に祟りなし、ということで提橋もアザナエルから聞いている余計な話は誰にも語らないと約束する。
「あと最後に、今後の計画について」
異世界人だけで長々と集会を開くわけにはいかない、とラウラは早々に最後の話題に切り替える。
「せっかく手に入れた聖女の地位ですが、やはりいつどこでボロを出すかわからないので、タイミングを見て男に戻ろうと思います……このちびっこボディとはおさらばよ!」
「とうとう自分でちびっこ言ったか」
「惜しいっちゃ惜しいけど、番長が女のフリとか無理あるしね」
「正直に言えば、見た目がかわいい分、中身がゴリ番だと思うと余計に吐き気んがッ!?」
パシンッ!テーブルに乗り出したラウラに金剛寺のハゲ頭が引っぱたかれる。
ラウラとしてもこれは苦渋の選択だった。
クラスメイトの情報を集め、問題を起こしていれば権力を使って介入し、取り押さえる。神器の回収に関しても、ミラルベル教の力を利用する方法が一番の近道に違いない。聖女という立場を捨てることは確実に遠回りになる。
しかし、根っからの乱暴者であるラウラに聖女、つまりはミラルベル教の顔として、清く、淑やかで、優しく、慈愛に満ちた女性の演技など続けられるわけがない。これに関しては三人だけでなくラウラ本人も難しいと理解していた。
「具体的な計画としては、問題を起こしているクラスのバカを見つけたら、わたしが教会を足止めしている間にお前達でそのバカを確保。わたしは玄間の覚醒魔法で高位の呪文を使用して男に戻り、バカを捕まえた手柄で聖騎士団に入る。そして――なんだ」
説明の途中、玄間が恐る恐るという態度で小さく手を上げた。
「それはちょっと、無理……かなぁ~なんて思ったり」
「何が問題だ。おまえの呪文は保有している神気で使える最高位の呪文を使用可能にするものじゃないのか?」
「ラウラ様のその予想は当たってる。その通り、さすが我らが番長! 腕っぷしだけじゃなくて頭も良い! 最高!」
玄間の過剰な持ち上げ様に、今度の予定に胸を膨らましていたラウラの顔からご機嫌だった笑みが消えていく。
玄間のレベル1の呪文、魔導覚醒は転移者にだけ使用可能な魔法のドーピングだ。
ラウラの想像したように、保有している神気を使い切るまで高位の呪文から強制的に使用させる呪文である。そこまでは正しかったのだが、
「おい、まさか」
「魔導覚醒の呪文はひとりにつき一回しか使えない。ラウラ様にはもう一回使ったから……」
信じられない、というより信じたくないといった様子で、ラウラの手がカタカタと震えはじめる。睨まれた玄間は恐れに震えて動けなくなり、提橋と金剛寺は椅子を引き距離を取った。
「この流れなら言えるか……拙僧の強化呪文も他人にはかけられぬぞー」
ラウラの注意が完全に玄間へ向いている隙に金剛寺は小声で言うが、やはりラウラの耳にはもう入らない。
「つまり……なんですか、高位呪文を自力で修得するまで、立ションも満足にできないこの貧弱クソチビロリボディでいろと?」
玄間は喉にからみつく唾を何度か飲み込んでから、場を和ませる陽気な雰囲気を作ろうと努めて明るい声を出した。
「そ、その姿も似合ってるし、わざとじゃないからゆるして、ねっ♪」
直後、ラウラの座っていた椅子が玄間の後ろにある窓を突き破った。
――――――――――
精霊アヴィの神聖なる庭園を走っていく少年と少女。さらにその後ろをひとり、やたら筋肉質な頭の眩しい少年が追いかけている。
先頭を走るは、先日まで聖都を賑わせた神殿荒らし。異世界からの客人である。
真ん中は聖女として迎えた特級の聖遺物を体内に宿す稀有な存在。
最後尾もまた、先頭と同じ異世界から来た者である。
三人とも必死の形相だ。いや、先頭と最後尾は鬼気迫るといった様子だが、真ん中の聖女(予定)は本人が鬼そのものような怒気を纏っている。
「……なにやっとんじゃ、あやつらは」
神殿の最上階の窓から踏み荒らされる己の庭園を見て、アヴィは呆れた声を出した。テーブルでお茶を飲んでいたポーネットも窓際に立って三人の様子を窺う。
「ラウラさんなら、捕まえた転移者の魔法で自分もパワーアップできないか試す、とか言っておりましたけど」
「それができなくて八つ当たりか」
今の三人は、ラウラが玄間を地面に転がして馬乗りになり、こぶしを振り下ろすところだった。金剛寺は後ろでラウラを止められずにおろおろとしている。
「邪気払いかもしれませんわ。報告は済ませましたのでわたくしはこれで」
部屋を出ていくポーネットと入れ替わりに、今度は珍しい客人がやってきた。アヴィと同じく人類の守護者として聖地に住まう精霊ルディスとハンナだ。
こちらはポーネットと違い、ラウラが悪しきを払う聖なる力を宿しているとは信じ切れていない様子で、アヴィと同じく窓の下を見て呆れた顔をしている。
「お主らが来るとは、明日は雪かのぉ」
「そんなことより、あの娘は本当にかの一族の生き残りだと思うか」
500年前、アヴィの作り話ではなく確かに存在した記憶の中の聖女とラウラを見比べてルディスが訊ねた。横から茶々を挟まない辺り、ハンナも同じ疑問を抱いているようだ。
精霊からすれば人の一生は短い。早ければ20年と経たずに代替わりしてしまう。他の力ある血を取り入れようと様々な民族と配合を繰り返せば、外見はそう年月を重ねずとも大きく変わるかもしれない。
実際そういう結果のみを重視した考え方をする一族ではあったが、髪の色も、瞳の色も、肌の色もあまりにも違いすぎた。先代の聖女は精霊達に近い白髪銀眼と雪のような白い肌を持っていた。身体的特徴のみで言えばまさに真逆である。
「我には何か企んでいる人間に見える」
「しかし、信仰心はあるようじゃぞ」
「本当か?」
アヴィは今まさに転移者を暴力で懲らしめているラウラを指さした。
「次に教会で認可していない天使像を彫ったら鉱山送りにすると言っておったらしい」
「天使……そっか、信奉する守護天使がわかれば、あの娘のルーツも知れるかもしれないのよ」
「なるほど、調べさせよう」
だが、アヴィが素性の知れないラウラを信用している理由は他にもあった。
アヴィは踏み台に乗って、タワーチェストの最上段にある鍵付きの引き出しからある物を取り出す。そして、テーブルに上に置かれたソレを見て、ルディスとハンナが納得して頷く。
「……利用はできそうだな」
「じゃろ?」
テーブルにはラウラの破壊したアザナエル像が転がっていた。
――――――――――
「まだ居たんですか。この屋敷にはあまり長居をしないで欲しいのですけど」
金剛寺達を壊した建物や備品の修理という奉仕活動へ送り出してから一人で屋敷に戻ると、提橋が帰らずに待っていた。
部屋の人払いはされたままだ。窓から差し込む夕日を背に、珍しく真面目な表情で重い雰囲気をかもし出している。大切な報告があるのかとラウラもテーブルについて話を待つ。
「………………なあ、あれはなんだ」
「あれとは?」
「金剛寺と玄間に何をした」
提橋は感じ取っていた。
一年前では考えられない二人の異変を。
金剛寺と玄間は番長・多々良双一を嫌っていた。
だが嫌悪よりも恐怖が勝っていたはずだ。
番長と直接かかわることのない生徒は、誰もが彼を恐れ、過敏と思えるくらいに機嫌を窺い、刺激しないよう一歩引いた態度を取るか下手に出る。
少なくとも、たった一度こぶしで語り合ったからといって、もともと信頼関係や友人関係があったかのような態度は取れない。番長・多々良双一は、それほどまでに学校内で恐れられていたと提橋は知っている。
「精神系魔法か……おれもやっと二宮の言ってたことがわかったよ」
「それで何を言いに来た」
「教えてほしい、ラウラ様が神器で叶えようとしている願いを。でないとやっぱり協力は難しいと思う」
「わたしは聖女ですよ、世界平和を願うに決まってるじゃないですか」
「ずっと気にはなってたんだ。マジに答えてくれ」
「マジに答えたのに……」
言い返すも、提橋の表情には不満がありありと浮かんでいた。
女神ミラルベルの遺した神器、神の道具。
魔法ですら提橋にとっては制御できない恐ろしい力でしかないのに、神器は魔法で叶わない願いをも叶えるという。
そんなバカげた代物を使って願う事とは何か。
しかも、願う人物が問題である。
多々良双一は、そんな得体の知れない物に頼るような男だっただろうか。
友人と呼べる程度には親しかった提橋の知る限り、多々良双一は努力で築いた自分の力以外を信用しない。あてにしない。頼らない。何かにすがるなどというイメージを欠片も抱かせない。人を利用することはあっても、最後には自分ひとりの力で全てを成し遂げられるように布石を打っている、そういう男だ。
その多々良双一が神頼みしたい願いとは、はたして自分が協力してよいものなのか。金剛寺達の変化を見て、以前の不安が不治の病のようにぶり返していた。
「マジな話、か……わたしの願いは、ある意味では子供の頃から思っていたことの延長線上にあるので、提橋には理解できないかもしれません」
「番長の子供の頃……? 想像もできない」
「提橋はわたしがアレルギー体質なのを知っていますね」
「ああ、でもそれが?」
「では……わたしは一体いつから強くなったと思いますか?」
真剣に答えるラウラを見て、提橋は小さく口を開けた。
何か初めてラウラという人物が理解できそうな気がしたのだ。
「小山内と出会う前。ちょうど今くらいの身長しかない頃でしょうか。当時のわたしはまだ小さくて弱っちくて……だから、いつも思っていることがありました」
そうだ。高校で出会った時にはすでに超人的な強さを持っていたラウラにも子供時代はある。
子供の頃は鍛えても簡単には筋肉なんてつかないし、食物アレルギーを持つラウラは、むしろ平均よりはるかに劣る体格だったはずだ。
生まれた時から超人的な人間などいない。誰にでも成長する過程、強くなるためのきっかけとなる出来事がある。
「もし……もしも神様なんてものいるのなら……」
これまで一度として想像したことのなかった、超人だと思っていた友人の弱い部分を知って気が弛む。
今こうして目の前にいる、か弱い少女の姿が尚更そう思わせるだけもしれないが、番長・多々良双一にも誰かに救いを求めるような弱さがあったのだと。
「神様に、何を願いたかったんだ?」
提橋は責めるような口調で強引に問いただしてしまったことを少し後悔した。
「いや、いるならぶち殺してやりたいと思ってただけですけど?」
そしてすぐ、後悔したことを後悔した。




