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オトメクオリア  作者: invitro
第四章 成長する魔法

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14 殺意の届く距離・下

 バシャ。玄間がコップを倒すとテーブルの上に水が広がっていった。


「はははっ、冗談キツいよ。この世界の住人に、ましてや君みたいな乱暴なだけの女の子にどうこうできるような相手じゃないって」

「そうだ、貴志は我ら転移者が束になっても敵わぬ傑物ぞ。フ、フハハハハ」


 目を逸らさず玄間と金剛寺をまっすぐに見てくるラウラの視線から逃げるように、玄間は慌ててテーブルを拭く。金剛寺も動揺を隠そうとして笑い声が上ずっていた。


「魔人エイジの存在は、影響の大きさを考慮して秘匿事項になっていますから、信じられないのも無理ありません」

「ちがう! 貴志を倒せるやつなんかいないって言ってんの!」


 ムキになる辺り、どれだけ貴志の力を過信しようと、最強と思える破壊魔法の力も異世界で配られた恩寵の中のひとつにすぎないのだと理解しているのだろう。


「女神様の言葉を聞き、女神様の力を研究してきた我々ミラルベル教が転移者より弱いだなんて、どうして思えるんです? まあ今のわたしにその時の力は使えませんが」

「そんな、ありえない、ありえない……だってあの貴志が」

「ならばこれを言えば信じられるでしょうか……ええっと、覚えてるかな」


 二人へ向けて小さな手をかざす。


「創造こそ神の奇跡。ならば神を魔へと貶め、悪意を以って是を放つ」


 貴志が破壊魔法を行使する時に詠唱される呪文だ。

 もちろん、かざした手から全てを破壊する白い光が出ることはない。だが、玄間達の脳裏に刻まれた恐怖が反射的に体を仰け反らせた。

 貴志を助けたいと言いながら、貴志の呪文を聞いただけで青ざめて震え上がる。その姿にラウラが小さく嘲笑を漏らす。


 そしてラウラが口にした言葉を理解した瞬間、玄間は食器を薙ぎ払い、金剛寺がこぶしに力を込めただけでテーブルが真っ二つに割れた。


「どうしてその呪文を知っているッ!?」

「殺す前に聞いたに決まってるじゃないですか、バカなんですか」

「うあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ァ!」


 玄間は割れたテーブルの欠片を蹴り飛ばし、ラウラへ突進した。首を掴んで持ち上げるとそのまま壁に叩きつける。


 玄間達と別れた時点で貴志の精神は限界を越えたと思われていた。新しく呪文を唱えれば、もはや見境なく目に映るモノ全てを破壊するだろうと。だから、貴志の呪文を聞いて生きている者がいることはあり得ない。


 あるとすれば、それは――貴志が負けた、殺された時だけだ。


「なんでだっ! なんでだよ、アイツがお前らに何をした!?」

「ゲンゲン、許せぬのは分かるが落ち着け!」

「あ、あいつは、いつも不愛想で、人のことバカにしてるみたいに見えるけど……本当は、誰よりも熱くて、真面目で、思いやりがあるやつなのに……なんでだ! どうして貴志が死ななきゃならないんだ!?」


 プッ、ラウラは壁に頭をぶつけた際に切れた唇から血を吸い出し、玄間の顔に吐きつける。


「あなた方がミラルベル教徒じゃないから、ですかね」

「異教徒だったら迫害していいのか!?」

「それに女神様の力を悪用しただけで、あなた達は大罪人なんですよ。ここは女神ミラルベル様の創造した世界だとまだ理解できませんか」

「こ、の……ッ!」


 玄間がラウラを殴った。


「いたた、いやーこんな美少女の顔を殴るなんて、ひどいひどい」


 垂れてきた鼻血を平然とした表情のまま舌ですくう。


「なんだコイツ、痛くないのか……」

「ふふ、信仰があれば肉体の痛みなどどうってことありません」

「この宗教狂いがッ!」


 しかし痛がる様子もなく、まだ玄間達を嘲笑うラウラの表情を見て玄間は激昂した。さらに二度、三度とラウラの顔面を殴りつける。


「やりすぎだ!」

「止めるなよッ! 殺人鬼に女も子供もねぇ! こいつは自分が殺す!」

「くくくく、笑える」


 玄間は猛り、ラウラは一段と大きく唇を震わせる。親友の初めて本気でキレる姿に止めに入ろうとした金剛寺だったが、その愉快なものを見たような楽しそうな笑い声で、伸ばしかけた手が止まった。



「こんなクソ雑魚パンチで人が死ぬわけないじゃないですかー。仇を討ちたくないんですか。結局、あなた達の怒りは、あの男に対する感謝は、口先だけの自己満足なんですね。友情ごっこウケる」

「おまえ゛え゛え゛え゛ぇ」


 湧き上がる怒りのままに全力で殴ろうとこぶしを振り上げる。

 だが、大振りのパンチはラウラに対して大きな隙となる。ラウラは浮いた両脚で玄間を蹴り飛ばした。

 玄間が体勢を崩したところで左腕に飛びつく。肘と肩の関節を入れさせ、空中で腕ひしぎを極める。そして、飛びついた拍子についた回転力を殺さず、膝裏で玄間の顔を挟んで押すように後ろへ蹴り倒す。頭から落とされた玄間は、わずかなうめき声を上げるだけで動かなくなった。


「そういえば、さっきウソを言ったな。おまえの一番の敗因は、魔法で感情をコントロールする術を覚えなかったことだ……って聞いちゃいねぇか」


 ラウラは立ち上がりながらも、玄間を罵倒する言葉をやめない。


「こんなにあっさり決まるんじゃ特訓した甲斐がないな。金剛寺はもうちっとやる気だしてくれよ?」

「……我が友を、一星を侮るな小娘!」


 友人をバカにされた金剛寺が吼える。

 その声に応えるように玄間が飛び起きた。

 バク転でラウラから距離を取り、壁にかけてあった槍を握る。


「脳震盪を起こしていたはず……?」

「覚醒魔法の副作用でな、自分は睡眠も必要ないし、今みたいな打撃を喰らって意識が飛ぶこともない!」

「へーすごいすごい。ついでに魔法が頭も冷やしてくれたらよかったのにね」

「ほざけ、もう手加減しないぞ」


 玄間は脳へのダメージ限定で治癒能力を持っていた。

 脳震盪から瞬時に回復してみせた玄間に、ラウラは挑発の意味を込めて拍手を送る。

 度重なる挑発を受けて玄間の頭には血が上ったままだ。だが今度は武器を持っている。玄間はラウラの心臓に向けて槍を突いた。


 体を捻って避けようとするラウラだったが、穂先が左上腕を抉った。痛みで体が硬直する。

 玄間はその隙を見逃さない。伸ばした槍を手だけで半回転させ、槍の逆側――石突きでラウラの足の甲を打ち砕いた。

 非力な少女であるラウラの恐れるべき所は、小回りの利く身軽さだ。長所を奪われ抵抗できなくなったラウラを玄間は再度持ち上げて壁に叩きつける。


「くくく、滾るねぇ……俺より強い奴なんて何年も会ってなかったからな、やっぱケンカは対等な奴とした方が楽しいわ」


 どう見ようと反撃の手がないほど追い詰められた状況でも、ラウラは笑う。


「ケンカだと? おまえ、まだ自分に殺す覚悟がないと思っているのか!」

「いや、こうやって直に掴むとおまえの殺意が伝わってくるよ」


 頭を叩きつけた衝撃のせいだろう、手首を掴んでくる手に力は入っていない。玄間はラウラの言葉を強がりだと一蹴する。

 しかし、ラウラの見せたほんのわずかな心の隙を見落としたことが勝敗を分けた。


「むなしいのは決着をコブシで着けられないってことだが」

「まだそんな口が利けるか、イカレ狂信者め」

「…………俺? おい一星ッ、ダメだ!」


 慌てて名を叫ぶ金剛寺の方を振り返る。


「カンちゃん?」

「離れろ! そやつは――」

「遅い。もう


 自分の置かれている状況を理解した時には、ラウラが呪文を唱えるところだった。




「愛憎反転」




 愛らしい少女の喉から出たとは思えない、冷たい声が教会に響いた。

 そして禍々しさを感じさせる黒い光がラウラの手から玄間に吸い込まれる。

 数秒、玄間は魂が抜けたように口を半開きにして虚空を見つめる。

 意識が戻ると視線だけを何度か往復させ、ラウラの体を気遣うように優しく地面に下ろしてから片膝をついた。


「申し訳ありません、ラウラ様」

「おう……それで玄間、おまえの立場は?」

「ラウラ様の信仰に従う下僕です」


 金剛寺は驚愕して目を見開き、ラウラはどこかホッとしたようにゆっくりとまばたきをした。


「ははっ、よかった。愛してるとか告白されなくて」

「き、貴様、一星の精神をッ!?」

「ああ、書き換えた」


 愛憎反転――それは文字通り、“愛”と“憎”を裏返す呪文。

 しかし、愛も憎も多くの要因を含んだ複雑な感情である。

 今回のケースで言えば、単純な憎悪の感情だけでなく、しつこく挑発してくるラウラに侮蔑や卑しさも覚えていたからだろう。玄間の憎しみは恋愛ではなく、敬愛へと変わっていた。


「自分が何をしたかわかっているのか!?」

「俺の力だ、当たり前だろ」

「貴様は一星の心を踏みにじった! 一星の抱く覚悟を、一星の思いやりを、一星の感謝を、一星の努力を、一星の心の成長をッ! 全てッ、全て踏みにじったのだぞ!」

「だからわかってるって」


 魔法で強化された体で叫ぶ金剛寺の怒声は、古びた教会だけでなく地面すらも揺らす。まるで大地が怒りの咆哮を上げているようだ。

 貴志を暴走させるきっかけとなった八幡の王様魔法。それと同じく人の精神を弄ぶラウラの魔法を金剛寺に許せるはずがなかった。


 それでも、ラウラの冷淡な態度は変わらない。

 もはや自問自答する時間はとうに過ぎた。


「貴様からすれば些細な違いかもしれない。しかし、さっきまでの一星はもういない。さっきまでの一星の心はもうここにない。貴様が殺したに等しい……」

「何度も言うな。わかってる」


 精神こそが人を人たらしめる。

 精神における金剛寺とラウラの認識は同じだ。齟齬も差異もない。

 であれば、強制的な洗脳、催眠、教化――こうした精神を変質させる行為は殺人に等しい悪行なのではないか。


「だから俺はこの魔法が死ぬほど嫌いだし、相手の殺意を引き出し、ここまで追い詰められないとこの呪文を望めない」


 そのことが、ラウラに魔法の使用を躊躇わせてきた。

 そして自由に魔法を使えない理由でもある。

 魔法の使用には、魔法で起きる奇跡を強く望まなくてはならないのだから。


 ラウラは口に溜まった血を再度吐き出す。

 親友である玄間を想う嘆きを嘲笑うかのようなその仕草が、金剛寺に一線を越えさせる。


「う、うあ、ああ……うおおオオオオォ!!」


 これまで玄間のように、ラウラに対して殺意を抱いていたなかった金剛寺も、新たに呪文を唱え本気でラウラを殺そうとする。


「やめろ、カンちゃん!」


 しかし、玄間が金剛寺の前に立ち塞がった。


「おいおい、ここは仏の顔も三度までとか言うところじゃないのか」

「貴様ァあああ!! ゲンゲンどけええええええええええ!!!!!」

「やめろって言ってるだろ、観世!」


 ラウラに向けて振りかぶったこぶしが止まる。

 玄間は達人の技を持つが肉体は凡庸なままだ。全力の金剛寺が殴れば、骨折では済まない。大砲で撃ち抜かれたように体はバラバラに弾け飛んでしまう。

 だが一方、玄間は逡巡する金剛寺に容赦なく槍を突き立てる。一呼吸の内に、手足の関節に四つもの穴を開けられ、金剛寺はその場で崩れ落ちた。


「ごめん。でもラウラ様は自分達の救いだよ。貴志よりずっと頼りなる」

「ゲンゲン…………くそっ」


 隆起したはち切れそうな筋肉も、怒りも、親友にぶつけることはできない。

 力なく膝をつく金剛寺の前にラウラが立つ。


「改めて自己紹介は必要ないよな?」

「…………なぜだ、貴志も鉄もお主を信じていたのに」

「貴志との約束は果たすさ、一応は」

「……約束?」

「そうだ、おまえ達は全員、元の世界に帰してやる。その時が来れば魔法の影響も消してやる」


 金剛寺は悔しさと哀願に濡れた瞳でラウラを見つめる。膝をつき、それでちょうどラウラと目線が同じ高さになった。しかし、もはや二人の立場は対等ではなかった。


「なぜここまでやる必要がある。なぜ貴志を殺した。お主が最初から味方でいてくれたら……」

「おまえ達は貴志に近づき過ぎた……いや、悪いがおまえに聞かせられる話はない」


 金剛寺の頭に手を乗せる。


「今はしばらく眠りにつく、そう思えばいい」


 そして、玄間にかけたものと同じ、愛憎反転の呪文を唱えた。

 玄間が足に刺していた槍を抜き、金剛寺は魔法で傷を癒す。すると先程の玄間と同じようにラウラに謝罪と忠誠を誓う言葉を述べた。


 もうラウラの敵となり得る者はどこにもいない。




 使徒座の神殿へ戻る道中、玄間が足の骨を砕かれたラウラを背負おうとする。しかし、ラウラは拒否した。申し訳なさそうな表情を浮かべる玄間と金剛寺を背に、ラウラは足を引きずりながらも自分の力だけで歩き続ける。


「遅かれ早かれとはいえ……最悪な気分だな、だけど」


 痛みに耐えながら夜空の月を見て一人呟く。


「本当に最悪なのは、俺の願いか、お前の魔法ねがいか……どっちだろうな、貴志……」


 厚い雲のかかったこの暗い月を、記憶と感情を捨てた男は今どんな想いで見上げているだろうか。


「はは、聞いても意味なんてねぇか。俺達、他人の言葉を聞くような人間じゃねぇもんな」


 ちょうど雨が降り始めた。冷たい雨粒が鼻先に当たると、友人からキツい言葉で返事を返された気分になり、ラウラは自嘲ぎみに笑った。

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