10 ホトケ様がみてる
神殿荒らしの捜査班に新しく獣人巫女二人を加え、五人となった集団はキナの鼻を頼りに北外周区の一角。豊かで治安のいい聖都ラポルタにおける数少ない汚点、スラム街まで来ていた。
聖都は女神ミラルベルの威光が最も強く届く圏域であり、端のスラム街といえど善意で社会奉仕に従事する聖職者がいる。それでも外から流れてきた移民や巡礼者の中には、まともに順応できずに落ちぶれてしまう人も少なくない。いや、だからこそ弱い人は善意に溺れてしまうというべきか。
「キナは平気ですか」
どこかで下水が溢れかえっているようで微かだが空気に乗ってくる汚水。路上に散らばるゴミ。治療を受けられず寝たきりになった病人の体臭――といった思わず鼻をつまみたくなるニオイに、感覚を鋭利にしているキナを心配して声をかける。
「うちのキナを甘く見るなよ」
「はい~、強すぎる刺激は聖遺物が遮断してくれるのでだいじょびです~」
「鼻つまみながら言われてもなぁ……ってなんです、あなた達は」
使徒座の紅白の法衣を着た巫女四人+αが集団で歩いていると人が集まってきた。
「み、巫女さまだ」
「巫女さま方が我らを救いに来てくださった」
「ありがたやありがたや~」
貧困や病から救済を望む者、スラム街の荒くれ者を退治してくれとせがむ者、単純に巫女と会えた事を喜ぶ者さまざまだ。
四人もの巫女がスラム街に集まるなど聖都でもあまりない。自分達の困窮を解決するために来てくれたのだと勘違いした人々が列をなして道を塞いでしまう。
「うー匂いが増えて追えなくなりそう」
巫女にとって、困っている信者の祈りを無下にすることは難しい。日常や巫女同士の口論では、だらけた姿や高慢な態度を取っていても一度民衆の前に出れば、彼女達は敬虔な聖職者となるのだから。
しかし、五人の中に一人例外がいた。
ラウラだけは、自分達に手を合わせる信者など気にも留めずに遠くを見ていた。
「キナ、よくやりました。ここは任せますよ」
「ええっ、聖女様どちらにっ!?」
「見つけたァ!!」
視線の先には、大きくなりつつある騒ぎの見物客の中から逃げる様に立ち去る男の頭があった。
楠井初郎の黒髪ではない――が、記憶に残るその後ろ姿。
毎朝欠かさず剃刀を入れるという美しいスキンヘッド。
光輝くその頭皮。
仏教寺の息子・金剛寺観世だった。
ラウラはその小さな身体を活かして人混みへと飛び込んだ。修道服を掴んでくる手を容赦なくはたき落としてラウラは騒ぎから脱出する。変にこそこそとした逃亡犯丸出しの歩き方で移動する金剛寺の後をつける。いくつか角を曲がると廃墟となった大きめの寺院に辿り着いた。
塗装のされていない完全な木造の建造物。苔で底の見えない池があり、日本にあった古いお寺を思い出させる。金剛寺ならば、見ているだけで懐かしさに哀愁を覚えるであろう。
ここがアジトで間違いない――と確信を得るも、ラウラは中へ入らず踏みとどまった。
(どうして楠井を追っていたはずが金剛寺に会う?)
ラウラは自分の戦力を過信しない。直接接触できる距離ならば、自身が無類の強さを持っている自信はある。しかし、距離を取られれば無力に等しい。提橋の義兄が所持していた弓のような単純な聖遺物にさえ敵わないのだ。
「おまえ、ひどいやつだなー」
近所の空き家に入って窓から寺院の正門を見張る。30分ほど待つと匂いを追ってキナ達がやってきた。さっそく、ピリカが信者の救いを求める手を払い落としたラウラを責める。
「わたしは頑張ってる人が好きなんですよ。あなた達もわかっているのでは?」
「なにをだ」
「ここは恵まれてる。聖都から出れば肥沃な大地が拡がりどこを耕しても食べていける。なのにスラムの連中は他人から情けをもらい、自分ではなく周りが変わるのを待っているだけ。わたしは懸命に生きようとしている人間にしか手を差し伸べません」
ラウラの辛辣な言い分に、メイアは言葉を失う。
しかし、“力の教会”に所属するポーネット、ピリカ、キナには、ラウラの精神と信仰に通ずる所があり反論はなかった。
「ふ、ふーん、少しは考えてるじゃないっ」
「ラウラちゃんには愛が足りないと思いますけどねぇ」
「生意気な妹分達です」
「ピリカはおまえの妹分になんかなった覚えないぞ」
ピリカの長いしっぽがぴんと伸びる。
「巫女は全員、聖女の下に就くと聞いています。つまり、あなた達はすでに全員わたしの舎て……妹分!」
「それは拡大解釈だと教えましたでしょ」
「舎弟って言われたのキナちゃん初めてですよ」
なぜかキナだけ嬉しそうにしっぽを振った。群れのボスは強者でなければ務まらないという獣人の持つ野生の名残だろうか。
会話をしながら窓の下にしゃがむラウラの周りに四人が集まってくる。
「出入りしている人の匂いは男性が三人ですね」
「人がいなくなったとはいえ、賊が寺院を使用するなんて許せません!」
「おーっ、はやくぶっとばしに行こう」
「てか重いわ! わたしの頭に胸を乗せるんじゃないデカパイども!」
見張りに入った空き家は狭く、窓の前で渋滞していた。ポニーテールを回して頭の上でおしゃべりしていたポーネット達を追い払う。
女が三人寄れば姦しい、とはいえ、おしゃべりが嫌いでないラウラでも女の子同士の距離感にはまだ入れずにいた。
ピリカだけ真っ平な自分の体を触りながら少し悲しそうな顔をしていたが、慰めている暇はない。相手が待ち構えている可能性だけ告げて五人は寺院へ入っていく。
寺院の中はスラムの悪臭とは別のニオイが充満していた。古い木造建築とカビの合わさった匂い。そして薄っすらと見える煙と共に鼻腔をくすぐるのは香木を焚いている匂いだ。
「そういえば偽天使像も香木だったな……なんでわたしの服を引っ張る」
いつもと変わらぬ様子で廊下を歩いているのはラウラだけだった。メイアとポーネットはラウラの腕を掴み、ピリカとキナは背中に隠れるようについてきている。
「だってあまりにも不気味じゃありませんか」
「なんですかなんですか! 異世界人って悪魔崇拝でもしてるんですか!?」
彼女達が及び腰になっている原因は、壁から顔を向けてくる木像にあった。
日本の文化を知っている者には失礼な話だが至って普通の仏像である。しかし、飾られているものは如来像のみ。明王や天部衆といった武器である剣や戟を持った強面の仏像ならば、あるいは負けん気の強いポーネットとピリカは平気だったかもしれない。
ただ、如来像の特徴――髪の毛をいくつもの豆粒状に丸めた螺髪という特殊な頭、なぜか服を半脱ぎにして片側の乳房を放り出している中年男、薄ら笑いを浮かべる小太りな顔――は、美しい女神像と天使像しか知らない聖地の住人にとって、おぞましい邪教の本拠地という印象しか与えない。
巫女として経験の浅い彼女達が女神以外を是する邪教と接触するのはこれが初めて。そんなものがこの世に存在するだけでも信じがたい話なのだ。
「ラ、ララララウラっ、おまえ、けっこう勇気あるなっ」
「はいはい、いいから不意打ちにだけ気をつけてくださいね」
「やめろぉー、ピリカのお耳をなでるなぁー」
こんなところで年相応の少女らしさを出されても足手まといにしかならない。これなら一人で乗り込んだ方がマシだったかもしれないとラウラは呆れていた。
廃墟同然の寺院は床板が腐っている部分もあって足音を消すことはできない。開き直って堂々と大広間に乗り込む。一番奥の女神像をどかして置かれた大仏の前で、金剛寺観世と玄間一星の二人が待ち構えていた。
「やはり我らを捕らえに来たか。だが我らに戦いの意思はない、武器を収めよ」
今回は覆面もなく、手足首を出した和風の法衣に葛袴といった僧兵の出で立ちだ。姿を隠さない様子に覚悟が感じられる。
「仏様の前で粗暴な真似はできぬ。それに仏様もおっしゃっている。妄想する事なかれ、と。真実ではなく誤解と恐怖から生まれ肥大した敵対意識に支配されるのではなく、ここはひとつ冷静になって互いの目的を確認しようではないか」
坊主頭の方、金剛寺が、何やら霊験あらたかな助言を授ける高僧が如き態度で言った。
「なに偉そうにウタってんだ、このハゲ」
「ラウラちゃん、めっ! 罪人でもハゲをバカにしちゃいけません!」
「拙僧の頭は剃毛だが……」
金剛寺は指を伸ばして右手のひらを見せる。
これは仏教における施無畏印。
「畏れることはない」と相手を鎮める時に使われる印相だが、そんなものは知らないラウラには挑発されているとしか感じず、こめかみに血管を浮かび上がらせた。
後ろではラウラにハゲと言われた金剛寺を指さして、ピリカがけらけらと笑っている。
「こほんっ、我らの目的はハッツを返してもらい、そして」
「楠井初郎なら逃げましたけど? とぼけるなら力ずくで牢にぶち込みますよ」
「………………へ、逃げた?」
金剛寺がせっかく作った上人風のキャラクターはラウラの一言で崩壊した。
改めて五人の美少女を見渡すと、澄ました表情からラウラの見慣れただらしのないエロ坊主の顔に戻り玄間と密談をはじめる。
「なあゲンゲンよ、逃走なんて計画にあったか」
「薄々思ってたけど、これハッツにハメられたんじゃね?」
「ハッツが……裏切ったですと!?」
「現代のミラルベル教は神器を知らないから簡単に盗めるって言いだしたのもハッツだったし、別れて逃げようって言ったのもだし、アザナエル像に信仰を集めればもっと正確に天の声が聞こえるようになるとか変だと思って――あッそうだアレ」
ラウラ達はこれも何かの罠なのではないかと疑いつつ様子を見守っていると、突然玄間が廊下へ飛び出した。そして、奥の部屋を確認してすぐに戻ってくる。
「カンちゃん! ハッツに作らされたアザナエル像が全部なくなってる!」
「ぬあにぃ!?」
今度は玄間の叫びで男二人が顔を突き合わせた。どう見ても腹芸のできなそうな二人組が徐々に青ざめていく。その顔色から、ラウラ達もなんとなく実際に仲間割れが起きていると察する。
だが、仲間にいいように利用され捨てられたとしても、神殿を荒らして聖騎士に暴力を振るった事実が消えることは無い。
「戦うつもりはないみたいですけど……とりあえず罪人だし、手が腐らない程度に縛ればいいですか」
「ついでに猿ぐつわもお願いします」
「お待ちくだされいっ!」
聖遺物の中でも特別頑強で破壊不能とも言われているメイアの“獣王の手ぬぐい”を、拘束用の蛇に変形させようとしたところで、二人が床板に頭を打ちつけた。スライディングからの見事な土下座に、巫女達は跳び退くように一歩下がる。
「怒らないことによって怒りに打ち勝て、と仏様もおっしゃっている。ここはどうか落ち着いて穏便にッ」
「それ、下から言うセリフじゃないでしょ」
「何人も他人を欺いてはならない。他人を軽んじてはならない。という教えに則り、拙僧はウソはつかぬ、どうか信じて話を聞いてくだされ!」
「お願いします! 話を聞いてください!」
金剛寺と玄間は再度強く頭を床板に打ちつけた。古く腐りかけの床に穴が開きそうな勢いだ。
緋龍高校へ通っていた頃よりはるかに度の過ぎたキャラ作りに、ラウラはバカにされている気分に苛まれる。
「ラウラさん、話を聞いてあげましょう」
しかし、メイアに続きを促そうとするラウラをポーネットが止めた。
「だってなんだか徳の高そうなことを言ってますし、悪い人には見えませんもの」
「あのねポーさん、神霊とか偉人の言葉を過剰に引用する人間ってのは、自分の意思を通すための言い訳を探してるだけのしょーもない小悪党って相場が決まってんですよ」
「それこそ偏見でしょうに」
「……そうですか? じゃあ仕方ありません、かわいい妹分が言うならここで話を聞いてあげましょう」
「あら、あっさり。でもありがとうございます」
友人でもなく元クラスメイトというだけだが、少なからず過去の二人を知るラウラにポーネットの言葉は響かない。金剛寺も玄間も他人の迷惑など考えない、オタク趣味のために社会のルールを平気で破る自己中心的な人物だった。
それでも前言を撤回したのは、聖地の神殿に連れ戻れば、楠井の時と同じく尋問には立ち会わせてもらえない可能性が高いからだ。
金剛寺達に案内された先、寺院の居住区ではどこで手に入れたのか、ラウラもまだ異世界で見つけていない緑茶と饅頭が出された。
ラウラが座布団の上にちょこんと正座をすると、メイア達も真似して同じ様に座る。久しぶりに口にする小豆の甘さに舌鼓を打ちながら金剛寺の話を聞く。
「まず、拙僧達は好き好んでこの世界に来たのではない、ということを最初にご理解いただきたい」
金剛寺と玄間が、この世界に来た経緯を説明しはじめた。
それはラウラの知る事実とは少し違っていたが、自分達のイメージを良くしようと多少の脚色をするのも状況に迫られてのことだと受け流す。
「女神様の力を願いを叶える魔法に……?」
「過去の転移者の話と違いますね~」
「真面目に話す気あるのかしら」
「めんどうだしウソつき男はボコって連行すればいいじゃーん」
ラウラが話半分に聞き流し、突然呪文を唱えないか警戒している中、メイア達の眉をひそめさせた話は“魔法という力の発露”と“天使アザナエルの存在”だ。
特に、この世界に伝わる96人の天使にアザナエルという名は存在しない。そのせいで金剛寺達の話から信憑性が失われる。
「過度な力は民草の不安を煽るだけなので後世に伝えないよう情報を消したのかもしれません。その辺りは帰ってからアヴィ様に確認しましょう」
「おおっ、小さな聖職者よ、そなたとは分かり合えそうだ」
「触ろうとするな、気色悪いっ」
擁護してくれるラウラの手を握ろうとして金剛寺の手が殴られる。
「で、あなた達の目的とはなんだったのですか」
「ふむ、それは……ハッツ、楠井初郎は何か別の狙いがあったようだが、我らは元の世界に帰るために神器をひとつ頂けないだろうか、と」
金剛寺の話を聞きながら、ラウラは他の巫女達の顔色を窺う。
これまで聖地の建物をいろいろと案内してもらったが彼女達の口から神器という単語は一度も出てきていない。使徒座の間で、神器がどういう扱いになっているのか判断がつかなかったのだ。
「大神殿の奥にあるとは噂で聞いたことがありますが……いかに私達の世界が原因で起きた事故のせいで連れて来られたと言われても、女神様から授けられた物を譲渡するなんて」
「まぁ無理でしょうね」
案の定、金剛寺達の要望は断られる。
「待ってくだされ、過去の転移者が残した物でよいのだ。それには異界へと渡る力が残っていると聞いた。すでに役目を終えた物であれば、交渉の余地はあるのではないか」
「この世界の歴史は調べた。過去八度現れた転移者はみんな元の世界に帰らずに神器を残したはずだ。それを譲ってくれればいい! 自分達はただ帰りたいだけなんだ、どうかお願いします! 元の世界にっ、家に帰らせてください!」
金剛寺と玄間が必死に頭を下げて懇願する。
その様子にメイア達も少しずつほだされていく。だが、巫女とはいえ一介の聖職者でしかない彼女達にはそもそも彼らの願いを叶える権限がない。
(過去の転移者……言われてみれば、帰還用の神器はそれでもいいのか)
ラウラは金剛寺達の言う新しい可能性に驚いていた。自分の願いを叶えるために空の神器を手に入れることばかり考えていたからだ。それも後から自分の願いを誰かに上書きされないように全て独占するつもりだった。
「交渉は教皇様やアヴィ様達としてもらうとして、あなた達は何を差し出すつもりですか。あなた達の仲間はすでにこの世界で多くの問題を起こしています。簡単に信用されませんよ」
「代わりに、いや責任を果たす意味で、共に来た者の中でも危険な者の情報を渡そう」
金剛寺の提案に、ラウラが内心でほくそ笑む。
ラウラが最も欲しい物のひとつがクラスメイト達の情報だ。
貴志とはじっくり話をする余裕がなく、提橋は異世界に来てから青木、油小路、二宮の三人としか関わっていない。立ち寄る旅人すらいない田舎に一年間引きこもっていたラウラには、圧倒的に情報が不足していた。
「アヴィ様がどう判断するかわかりませんけど、一応先に聞いておきましょうか」
それほど興味のない態を装い、湯呑を手に取った。
ずずーっと音を立てて懐かしい渋みを楽しむ。
「では、今から言う五人……あやつ等とは話し合いが通じぬと思った方がよい。あやつ等は元の世界にいた時から純然たる悪であった。有無を言わさず首を刎ねるべき男達よ」
最初に大広間で待ち構えていた時と同じく、金剛寺の顔が真剣なものに変わった。
仲間であるはずが遭遇次第殺した方がいいなどという物騒な話に、巫女達は息を飲んで危険人物の名前を待つ。
「まず最も危険な男から……そやつの名は――」
(聞かなくても一人は貴志で確定だろう。金剛寺達は貴志が暴走した時、グループにいたはずだからな)
「多々良双一」
「ブフゥーーーーーーーーーッ!!!」
金剛寺の顔面に茶しぶきが吹きかけられた。




