08 乙女達の休日
精霊アヴィのプライベートスペースでもある秘密の庭園では、地下深くから汲み上げられた清らかな水が流れ、手入れの行き届いた真白の花々が咲き誇っていた。他人の目を気にしなくていい場所だからだろう、メイアは余所行き用の顔を捨ててひんやりと冷たい石のテーブルの上に身を投げ出している。
「男が見たら幻滅するわよ」
「こーゆーところを見せられる相手と付き合うのが長続きするコツなんですよ?」
「メイアが長くお付き合いしていた記憶が一度もないのだけど」
「ポーさんが知らないだけだもん。それよりラウラちゃんソレやめてー」
さきほどからメイアが文句を言っているのはラウラの奇行だ。
まだ初夏の気温に身体が慣れていないにもかかわらず、ラウラは日課のランニングをしていた。
神殿荒らしの件は、新しく犯人の調査項目に、“犯人は木彫り用の木材と塗装用の顔料を購入している”、“ミラルベル教が認めていない天使を崇拝している”という二点が加えられたが、やはり地道な調査はメイアとポーネットの部下が行っている。
強い聖遺物を持ち、多くの難題に対処できる巫女は万全の状態で待機することも仕事の内だ。
二度目の要請を受けると、ラウラがテーブルに戻ってくる。
「ふぅー! あっつー!」
どかりと椅子に腰をかけてよく冷えたお茶を一気に飲み干した。それでもまだ汗が引かず、今度は真っ黒な修道服のスカートを膝上まで捲し上げて、ばっさばっさと風を起こす。
「あーはやく白服ほすぃー、黒服あつーい」
「パンツまる見えですよ」
「はしたないからおやめなさいって」
ポーネットが使徒座の一員としての自覚、女性としての自覚に欠けるとラウラを叱る。
「見てるだけでこっちまで汗ばんでくる~……って、やばい! 今ラウラちゃん見て一瞬安心しそうになった!」
「下を見るようになったら女として終わりね」
「わかってるから言わないでぇ!」
大股を開いて「夏はスカートも悪くない」などとメイア達には理解できない感慨に耽っているラウラの上で不躾な言葉が飛び交う。
「というか女の子らしくするって目標はどうしたんですか」
「何にでも休息は必要……それに今のメイアには言われたくない」
人のことを言えた義理かとラウラが反論した。
メイアは冷たい石のテーブルに頬を貼りつけたまましゃべっていた。テーブルが温まってくると顔型を残して少し別の場所に移動する。行儀の悪さで言えば、男の目がない時のメイアも大概だった。
ラウラの中で女性としての評価が急降下中のメイアは置いておいて、やはり気になるのは密かにライバル視しているポーネットだ。紅白の法衣にはしわのひとつもできていない。凛とした姿勢を崩さず静かに扇子をあおぐ姿は淑女のお手本のようだった。
「んん~? いい匂いがする」
扇子の起こした風にラウラの鼻が反応する。隣の席から漂ってくる香りは、ポーネットがいつもの纏っている自然な甘さとは違った。マツやヒノキの樹脂から抽出される躍動的でミステリアスな印象を与えてくる、夏に似合うとても爽やかな香りだった。
「ポーさん香水つけはじめたんだ。もしかして好きな人でもできました?」
メイアも小さく鼻を鳴らすとさっそく話に食いついた。
他の巫女は任務第一な堅物が多く、メイアは恋バナに飢えていた。
「違います。半年くらい前、孤児院に行った時に「わたくしも16ですし、そろそろ自分の香りを持ちたい」というような会話をしたのを覚えていたらしく、院を卒業した子が職人に弟子入りして作ってくれましたの」
「おおぅ、ポーさんがさりげなく宗派マウント取りに来た」
「別に自慢なんてしてないじゃない。あったことを話しただけで」
「こうなったら私もオリジナルの香水工房を立ち上げてやるぅ」
「どうして善意の贈り物に張り合うのよ」
と、メイアとポーネットが香水の話で盛り上がる中、話についていけないラウラは肩を震わせていた。砂糖を混ぜるスプーンとティーカップが不快な音を立てる。
「自分の香りを持ちたい、だと? なんだ、その如何にもモテる女が言いそうなセリフは……わたしがウエイトレスをしながらミニスカでもパンツが見えない歩き方を研究している間に、また差をつけられてしまったというのか」
「……過去がひとつ判明する度にアホの子加減が露呈しますわね」
ごつん、とラウラの頭がテーブルにぶつかる。
「どうしてもポーさんの女子力が超えられないっ!」
「だったらまずわたくしの言う事を聞きなさいな」
ラウラはライバルの忠告なぞ聞けぬと下を向いたまま首を振った。
「これじゃあ美少女としての責務を果たせないぃぃ!!」
「香水なら私もつけてるんですけど? 私は?」
「ずぼら女にはおっぱい以外勝ってると思う」
「は? は? え、なにその上から目線!? これはちょっと一回わからせてあげた方がいいですかね!?」
あらゆる物事において負けず嫌いで自己研鑽が生き甲斐のラウラは、未だに自分の女子力がポーネットの足元にも及ばない情けなさにテーブルを叩いた。知り合って間もないものの、少しずつラウラの行動原理を理解しはじめたメイア達は、そんな不器用な姿を見て笑う。
「あーあ、でもポーさんはほんとずるいなー」
「わたくし何かしまして?」
「だってその扇子とかカッコつけてるだけでしょ。汗のにおいとか染みとか気にしなくていいし、夏と冬だけ聖遺物交換して欲しい」
「どゆこと?」
ガバッと起き上がったラウラがポーネットの前腕をつつく。
以前から抱きしめられたり捕まった時に、異様に体温が低いとは感じていたが、意識して触ってみると実際にポーネットの肌は冷たかった。汗ばんで突っ張ることもなく、冬の肌のようにさらさらと乾燥した感触が伝わってくる。
「わたくしの聖遺物は“波乙女の杖”といって、水を操る聖遺物なのです」
波乙女の杖――正確に過去の伝承を読み解けば、その実態は液体を操る聖遺物である。
操るという言葉には、分子運動や溶液として中に含まれる成分の操作も当てはまる。しかし、高度な化学や物理学を解さないこの世界の住人は、初代の持ち主である異世界人の半分も使いこなせていなかった。
ポーネットだけでなく他の巫女達も――聖遺物は独自の意思を持ち、適合者の願いに応えて奇跡を起こしてくれる――という些か曖昧な認識で聖遺物を使っている。
「なにそれ、欲しい!」
「あげませんわよ」
「まぁポーさんは自分の体にしか使えないんですけどね」
「先代のリットン様も同じでしたし、そもそも伝説にある嵐や津波を治めるような力を発揮できたのは初代様だけです」
横からメイアが小馬鹿にするような発言を挟み、ポーネットが怒鳴り返す。凸凹コンビがケンカを始めた隙に、ラウラはポーネットの聖遺物をこっそり掴むと先端に嵌められた青い宝石を覗いてみる。
「ぬおおお、冷やせ冷やせ冷やせ冷やせ冷やせ!」
「なにしてますの」
「……おかしい、ぜんぜん涼しくならない」
しかし、波乙女の杖はラウラの意思にまったく反応しなかった。
ランニングで火照った頭から鼻先に汗が垂れてくる。
「資格がない者には使えない、あなたも聖遺物の継承者なら知っているでしょうに」
「にしても、聖遺物にここまで拒否される人、初めて見ましたよ」
「返すっ! じゃあ今度はメイアの聖遺物を教えて!」
メイアが杖を握るラウラを見て不思議そうにする。ラウラは慌ててポーネットに聖杖を突き返した。
一度は聖遺物を使えるか試してみたいと思っていたせいでつい手に取ってしまったが、早まったかとメイアの顔色を窺う。すると、メイアはいつになく険しい、というかアゴにしわを寄せて口を開きたくなさそうな渋る態度を見せた。
「メイアの聖遺物は――」
「ああああ、やめてよポーさん!」
メイアの前に畳んで置かれていたストールがラウラに渡される。
「これ……すごく気持ちいい!」
「メイアの聖遺物は“獣王の手ぬぐい”。かつて百獣の王と呼ばれた巨人の転移者と彼の愛した獣達の魂が宿っているとされています」
「巨人? 獣人じゃなくて?」
「獣人とはまた別の種族ですわね」
ラウラは渡された聖遺物を手に取って撫でた。
キラキラと光を反射する半透明な白銀の布。シルクのように滑らかな手触りでありながら、使い古したタオルのように優しく肌に馴染む未知の感触。そして、
「うおおおぉ、なんだこの吸水性! 筋トレ用に欲しい!」
自分の顔を押しつける。ラウラの顔にうっすらと浮かんでいた小さな汗が一瞬ですべて吸いとられてしまった。まるで冷水のシャワーを浴びた後に、ノンオイルの美容液と冷風で肌を引き締めたような爽快感に包まれる。
「これマジで欲しいぃぃ――アッ」
「見ましたポーさん!? この子、私の聖遺物で汗を拭きましたよ! 信じられない!」
聖人となった過去の転移者、その神聖なる遺産をタオル扱いされ、メイアが怒りながらストールを取り上げる。
「ちゃんと洗濯して返すから夏の間その手ぬぐい貸してくれませんか」
「ダメに決まってるでしょおお!」
「気持ちはわかります」
「ポーさんまで!?」
「だってあなたの手ぬぐい、触り心地が最高だもの」
「ストールっ!! これはストール!! もしくは聖骸布って言ってください! ぜったい手ぬぐいって言わないで!」
と、最後の言葉を何度も重ねて怒鳴る。おしゃれに気を遣うメイアにとって、自分の聖遺物を手ぬぐいと呼ばせないことが最も大切なことらしい。
(てか魂ってなんだ、この世界には本当にあるのか?)
じぃぃっ、と睨むようにストールを見ていたら、奪われると感じたメイアは腕に巻きつけてラウラに歯を見せて威嚇する。
「じゃあ今度はラウラさんの番ですわよ」
「……おっと、そろそろ筋トレの続きに戻らなきゃ」
「自分だけ隠すのは無しですからね!」
ポーネットとメイアがラウラを逃すまいと椅子ごと真横に移動してきた。ふたりは好奇心に瞳を輝かせる。
魔の森からラウラがひとりで帰ってきた日から、二人はずっと疑問だった。ラウラと魔人の間で一体何があったのか。一体どんな力があれば破壊の化身を退けられるのか。真実を隠しているであろうラウラに問いただせるチャンスを待っていたのだ。
黙るラウラに、じりじりとふたりの顔が近づいていく。
「アヴィ様が言うような命を捧げる物じゃないにしろ、本当はすごい聖遺物を隠し持ってるんですよね、ね!?」
「わ、わたしの力は気軽に扱っていいものではありませんので」
「じゃあ使って見せてとは言いません。でもラウラちゃんに何ができるか知らないと連携できないじゃないですか」
「わたくし達はラウラさんのサポートをするようにアヴィ様から言われておりますし、共有できる情報は共有しておかないと」
二人にそう言われると何も答えない訳にはいかなくなった。
そして提橋が言っていたように、金剛寺達が番長・多々良双一を嫌っていたのであれば、正体を明かして話し合いで解決する手段は取れない。ラウラはメイア達と協力して残る二人を捕まえなければならないのだ。
「……わたしの力は……心の闇を払う力です」
観念したラウラが伏し目がちに答える。
「どういうことですの?」
「何らかの影響で悪に染まった者に善性を取り戻させる力、とでも言いましょうか」
「ええっ、それじゃあ本当に聖なる力じゃないですか! そんなことできる人なんて聞いたことないですよ!」
メイアとポーネットは驚き称賛するが、ラウラの表情は冴えなかった。
「……もしかして本当に力を使うための制約があるんですか」
「重い条件もありますが……それ以上に、この力が嫌いなんですよ」
「そんな素晴らしい力なのに、どうして」
しかし、ラウラは自分の手を見つめたまま答えない。
白い花の咲き乱れる庭園に、風が草花の葉をかすかに鳴らす音だけが残る。
貴志瑛士の望んだ反転魔法の光、混沌を象徴する黒く濁った闇にも見える光――今のラウラの手にはないが、その光が最終的にもたらす結果がどのようなものかラウラの瞳にだけは映っていた。
いつものふざけた態度や悪ふざけで隠し事をしている様子とも違った本気の嫌悪感を露わにするラウラを見て、ポーネット達は疑問を抱きつつも次の質問をすることはできなかった。
「あ、こんなところでサボってた」
三人の背中に明るい声がかけられる。静寂を割って現れた人物は、これまでラウラから距離を取っていた獣人巫女の二人組だった。
メイア達は、その能天気な声に救われたと小さく呟く。
「オイちびっこ、今回だけこのピリカ様が協力してやることになったから感謝しろ」
と、突然ピリカと名乗る猫耳の少女がふんぞり返って言った。
プライドが高く気の強いラウラと獣人の相性が悪いことは、すでに聖地の門兵との小競り合いで証明されている。
眉をつり上げたラウラの目が「背は変わらないだろうが」と今にも怒鳴り返しそうだったため、口を開く前にポーネットが慌ててラウラを押さえる。
「ちょちょっ、ピリカちゃん、そんな上から言ったらまずいよ~、聖女様怒ってるよ~」
「キナはナメられるから黙ってて! それにアイツはまだ聖女じゃない!」
「何かありましたの? あなた達はクスイの見張りだったはずでしょ」
神殿荒らしは聖地で起こった重大事件である。だとしても、聖女候補に巫女が二人補佐役についていて新たに増援が入るなどおかしな話だ、とポーネットが問う。
獣人巫女達はどちらが答えるか目線だけでやり取りをする。そして、深呼吸をしてからキナと呼ばれた犬耳の少女が媚びるように小さく舌を出した。
「その~……捕虜に逃げられちゃいました、てへぺろっ」




