03 聖女の資質
「あわてんぼうじゃの~。ルディスの顔を見て逮捕されると勘違いするとは……聖騎士団とのいざこざは、こちらにも非があると調べがついておったのに」
「黙れアヴィ、我が部下の話を聞くまで貴様は何も知らなかっただろう」
「ケンカはやめるのよ! 静かにしてくれないと集中できないのよ!」
ラウラはポーネットに捕らえられたまま、大神殿の奥に隠された暗い建物――精霊ルディスの管理する“戒座”の神殿に連れてこられていた。
戒座とは、ミラルベル教内で不正や犯罪を働く聖職者を密かに暴き、裁きを下す機関である。そのためいくつかの質疑応答を終えた後も、緊張は抜けずラウラの体はこわばったままだった。
教国は此度訪れた転移者の情報を詳しく調べられていない。しかしルディスは、これまでの転移者が持っていた女神の恩恵とは、質も力の度合いも別物だと断言する。
そして魔人エイジが戦闘を行ったとされる場所の調査から、その性質は悪であり、ラウラが報告しているように対話で解決できる程度の小さな脅威だとは考えられないと主張していた。
「とゆうか、ハンナは何をしている」
「“宝座”には強い適合者なんていらないのよ。だから誰が巫女になろうと聖女になろうと関係ないのよ。でも聖女の法衣を作るならたくさんお金がかかるのよ」
教会の財務を預かる“宝座”の長は、ルディスとは別の目的でラウラの身体を調べていた。胸囲や腕、足の長さを細かく調べてメモに記している。
「……ハンナ様、でよろしかったでしょうか」
「そうなのよ?」
「聖女が巫女と違う立場なら法衣のデザインも変えた方がいいと思います。ちなみにわたしは赤より金色が好きです。スペシャルな感じがするので」
「まさかのリクエスト!? いいのよ、任せるのよ!」
ラウラも最初は自分の予想を遥かに超えた“聖女”という地位に推薦されていると知り、ひどく驚いた。というよりも、ラウラはミラルベル教に聖女という正式な称号があったことも知らなかったからだ。しかしせっかくならば、と自分の着る法衣に注文をつける。
(精霊は天使とは別……アザナエルから情報を得ている様子もない。“のじゃ”と“なのよ”は楽勝そうだが、問題はこの“我”だな)
ラウラは貴き精霊を前にしても畏れや恭敬を一切出さない。その態度に、ルディスは肩を震わせる。
「口を開けろ!」
「へ?」
「いいから開けろぉ!」
ルディスは淡々と精霊を観察していたラウラを椅子に突き飛ばすと脚の上に飛び乗った。ラウラに大きく口を開かせて中を覗く。
「……チッ、もういいぞ」
「ルディスこそ何をしとるんじゃ」
「500年前に大戦を起こした転移者は、この世界より文明の進んだ世界から来ただろう。連中の死体を調べた時に気づいたが、多くの者が歯に特殊な治療痕を残していた」
「そんな話聞いてないのよ!」
「貴様らがいつか悪だくみした時のために黙っていた」
これでラウラを転移者の一味だと疑える根拠はなくなった、とルディスが離れる。
「これにて査問は終わりとする」
「ではこれより、審問へ移るのじゃ」
「え、これでもう聖女に任命されるんじゃないんですか?」
「そんな簡単なわけないのよ」
「ですよね~」
精霊三柱が部屋を出て行った後、入れ替わりでメイアとポーネットが入ってきた。二人の手により新品の真っ黒な修道服に着替えさせられ、戒座神殿内の別の部屋へ移動させられる。
戒座の神殿はその職務の性質からだけでなく、巨大な大神殿の北――裏側にあるため影の神殿とも呼ばれる。
床も壁も天井も不純物のない良質な白大理石で造られていながら、ほぼ一日中陰に覆われているため暗い雰囲気を感じさせる。そして、初夏でも少し風が通り抜けるだけで鳥肌が立つくらいに冷たい場所だった。
「ラウラさん、とにかく弱気にならないことですわ」
「それから絶対に嘘はつかないこと」
「うん? よくわかりませんけど我を通すことなら大得意です」
漆黒と純白の大扉の前まで来ると、それまで無口だったポーネット達がラウラにアドバイスと思われる言葉をかけた。
二人は上の階にある別の扉へ向かい、ラウラだけが重厚な黒白の扉をくぐる。
(あっれー? これやっぱ魔女裁判じゃね?)
初めてルディスという精霊と会った時から嫌な予感はしていた。
扉の向こうは、異端審問を行う宗教裁判を連想させる部屋だった。
ひとりだけが前に立てる狭く小さな証言台。対面には裁判員席だろうか、三柱の精霊が座る三つのテーブルが並ぶ。二階を見上げれば、紅白の法衣を着た使徒座の面々や限りなく純白に近い色の法衣を着た聖職者がずらりと座っていた。
全体が傍聴席から見下ろせるように、それぞれの台や椅子の間は広く幅が取られている。ただし、聴衆の誰もが無言の圧力をかけてきているようで、息苦しくお世辞にも広闊な会場とは言えない。
「今日この場に教皇を招けなかったことは残念じゃが、祈年祭での――」
ラウラが証言台に立つと、アヴィが傍聴席へ向けて挨拶をする。
そして、ここにいるラウラは最も強い女神の力を宿した聖遺物の継承者であり、これから魔人へ対処する巫女達の統率者にふさわしいと説明をはじめた。
(結局ンとこ、俺が貴志をありがたい説法で道徳を教えて改心させたって話は信じられてないってことだよなぁ)
精霊アヴィがラウラこそ待望の救世主であると大げさに述べると、次第にラウラへ向けられる感情が熱い期待へと変わっていく様子が伝わってきた。
ミラルベル教の内部には詳しくないラウラでも、それぞれが着ている法衣を見れば、この会場へ入ることを許されている者が、戒座・宝座・聖騎士団の代表と司教クラスの聖職者しかいないと分かる。
そのような大物達を容易に納得させられる存在――それが内心では憎いと思っている天使アザナエルと似た外見を持っているのだから、自然とラウラの警戒心も高まっていく。
「ではラウラよ、そなたに問いたい」
睨んでしまわないよう、微妙に精霊達の顔から視線を外していると、ラウラの紹介を終えたアヴィから問われる。
「そなたが最も大事にしている信念はなんじゃ。そなたは人々に何を求め何を与える。この世界にとって最も足りないものはなんだと考える」
「それはしょ――」
「ただし、質問には心して答えろ」
「この場にいる全員を納得させなければ、あなたは魔人と密通し真実を隠している罪人として裁かれるのよ」
反射的に「勝利への飢えだ」と答えようとした口が止まる。
ラウラが求める物で常に共通するものは勝利で間違いないが、ルディスとハンナの脅しに単純な答えで即答してしまうことに躊躇いが生じた。そもそもこの問いをクリアできる答えがあるのかが疑問だった。
使徒座の巫女だけを例に挙げても、その宗派はバラけていて、頻繁に議論をぶつけあっているという。
当然、他の傍聴席にいる高位聖職者達も、自分が正しいと信じる信仰の下、何十年も女神へ独自の祈りを捧げ、冠婚葬祭の催しではその信念に基づいた説教を行い、人々を導くために各宗派の布教活動に励んできたのだろう。
精霊だけでなく傍聴席からも注目が集まるも、そのような聖職者全員を満足させるような単純な答えがあるとは思えない。他人から気色悪い好奇の目に曝され、ラウラは見世物小屋の檻に閉じ込められた珍獣にでもなったかのような気分になる。
(性悪精霊に長々ともてばれたか……アザナエルの言う通りこの世界の人間は善人でちょろい。でも人間とは別の存在が地上にいたとはね)
精霊三柱の理不尽な要求に、並の人間なら絶望しておかしくない。
しかし、ラウラの場合は反対で怒りに火がつけられた。
アヴィという精霊だけは、本気でラウラに期待を寄せているような雰囲気が若干しないでもなかったが――ラウラは自分が貴志と通じていると疑われており、ここが処刑場なのだと理解した。
「どうしたのじゃ、早く答えよ」
「…………ありません」
閉じていた瞼をゆっくりと上げてから答えた。
そして答えの真意を問われる前に、一呼吸だけ置いて話しはじめる。
「まず、わたしはあなた方の“一極”の主張で何かを為せるという勘違いも甚だしい権力争いに興味はない。ミラルベル教の現存するどの宗派にも共感はできません」
ラウラはいきなりの先制パンチで全ての宗派に対してケンカを売った。
ミラルベル教の各宗派が望むもの。
女神ミラルベルが望む人類の正しき進化と繁栄。
それをもたらす基点となる、人類が最も重視して得るべき“欲”とは何か。
ラウラの答えは、そんなもの存在しない、だ。
傍聴席がどよめく中、教皇が不在のためアヴィが手を上げて全員を黙らせる。
「ただ、今の発言は言葉通りの意味ではありません。わたしの中には明確な答えがある。万能すら内包する答えが。しかし、どこの国の言語も、過去のどんな学者も、過去のどんな聖人も、わたしの信条を言い表せる言葉をまだ作っていないというだけです」
偉そうに語っているが、ラウラの頭の中は「どうやったら自分で遊んでくれた連中を最も侮辱できるか」という課題に支配されている。
聖職者のような手合いには、幼稚な態度で「バカ」だの「アホ」だのと叫んでも効果がない。子供をあやすようにたしなめられて終わりだ。そうなれば逆に自分がダメージを受けることになる。上っ面だけでも理知的に貶さなければならないと、舌と一緒に頭を回し続ける。
「わたしには経験が足りない。しかし、わたしは知っている。どれだけ高等な学問もどれだけ高尚な哲学も単なる言葉の羅列にすぎない。そしてそれらを得たところで、わたしの魂にはもはや微塵の影響も与えることはない。わたしにとって価値ある未知は存在しない」
口喧嘩は得意ではなかったのに、異世界へ来てから正体を隠すために嘘をつき続けた影響だろう、すらすらと言葉が出てくる口に自分でも驚きながら演説を続ける。
「わたしはわたしの能力における未熟を知っている。しかしそれでも、わたしの精神、わたしという魂は完成されている。わたしはわたしという人間を余す所なく知り尽くし、人生で何をすべきかを理解し、他人に人生の答えを求めることはない。よって心の強さという一点で、わたしが誰よりも優れているということに疑いはない」
仮に、ラウラが神器を得てやろうとしている事を説明すれば、万が一には理解し賛同する者もいたかもしれない。だがその可能性は限りなく薄く、ラウラは初めから誰にも本心を教えるつもりなど無かった。
「そしてこの場に来て気づきました。あなた方は人々を救いながら自らも救いの手を求めている。心の底では自らの信仰を疑い真実の救世主を求めているのです。だからわたしは、未だ苦悩から解放されない全ての弱き人にこう言いましょう――言葉はない、わたしの生きた道から学べ、と」
そして、悪趣味な方法で魔女狩りをしようとしている権力者に、弱さと迷いを抱える人間ごときが完成された答えを持つ自分を裁くなど烏滸がましい、と正面から言い放つことがラウラのできる唯一にして最大の仕返しであった。
「ふ、ふおおぉ……かつて我らの前で、このような傲岸不遜な物言いをしてのけた者がいたじゃろうか……」
「どんな信条を持てば、人はここまで尊大になれるのだ……」
「教皇選挙より刺激的だったのよぉ……」
精霊達はなにやら感情の読めない言葉を発しながら震えていた。
傍聴席にいる聖職者達は、反論も罵倒もないままラウラを呆然と見つめている。
会場全体が奇妙な空気に包まれていた。それまでは息をするだけで喉に痛みを覚えるような冷たさと圧迫感が充満する部屋だったのに、今は怒りや拒絶、嘲笑とは明らかに違う別の熱を帯びている。
本心ではあったが、相手を挑発するための言葉が意図しない形で受け取られている様子にラウラも困惑を隠せない。
ラウラはここまでの全ての流れが、素性の知れない自分を消すための演出だったのではないかと疑ってた。精霊達は外見の美しい幼子なだけで、内に秘めた性質は邪悪なのだ、と。
とりあえず直立不動で胸を張ったままアヴィ達の次の言葉を待っていると、廊下が騒がしくなってきた。
「失礼いたしますッ!」
勢い良く扉が開かれた。灰色の法衣を着た司祭が数人なだれ込む。
司祭達は、アヴィの詰責が飛ぶ前に、間髪入れず報告すべき事案を叫ぶ。
「れ、れれれ、例の神殿荒らしがっ、大神殿にッ!!」
静まり返っていた会場が騒がしくなる。賊の侵入に慌てふためく声が響き、一部の集団は精霊と司教の周りを守りやすい形に移動する。そんな中、誰よりも早く事態に対応すべく行動へ移ったのはラウラだった。
「チャーンス! メイア、ポーさん! 行きますよ!!」
「エエッ!?」
「わたしがその神殿荒らしとやらを捕らえてみせましょう!」
神殿荒らしという名前は初耳だった。しかしその二つ名から、聖像や祭具を専門に狙う窃盗犯だと予想できる。
聖女の資質を調べる審問会がどう進行しているか不明だが、判決が出される前の今、ラウラが身を守るのに必要な物は誰もが認める実績だ。ここで聖騎士団や戒座の神官が騒ぎ立てる賊を捕まえてしまえば、貴志の時の作り話とは違い確実な功績が残る。
ラウラは好機到来とばかりに名前を知っている巫女二人を呼びつけ、返事も待たずに飛び出していく。混乱に乗じて風のごとく走り去るラウラの突飛な行動にあっけにとられ、誰もその背中を掴むことはできなかった。
主人公の内面は四章の最後に続きます。




