02 天使のようなこども
「メイアとポーさん? あっ、髪型変えました?」
ラウラは数秒置いてから少女達が誰かを思い出した。
メイアは明るい色の法衣が似合う雰囲気の軽い赤毛女。
ポーネットは美しい金色の髪をくるんと巻いた変なお嬢様。
すれ違うだけで過分に男の目を引いてしまう美少女二人も、他人の顔にあまり興味のないラウラにとってはその程度の印象しか残っていなかった。
「ってどうしたんです二人とも?」
「どうしたじゃないですよもぉー! ラウラちゃんのことみんな探してたんですから。なんで神殿に来ないでウエイトレスなんてしてるんですか!」
「あちゃー、もうそんなに経ってましたか……」
メイアがわざとらしく頬をふくらませてみせる。
「えーとー実はですねぇ…………そうだ、聖都からいただいたお金を途中で落としてしまいまして、少しでも返却できるように働いてお金を貯めていたんですよ」
ラウラは反射的に嘘をついた。
しかし本当の理由は、聖騎士達にしつこく追いかけ回され、呼び出されている神殿まで通してもらうにはどうしようかと悩んでいたところ、
『役人と揉めた時は賄賂で解決する! この世界をずっと旅してきたおれが言うんだから間違いない!』
という提橋の提案によって金を集めていたにすぎない。
ちなみに、すでに通行料という名の賄賂を渡そうとしてさらに聖騎士を怒らせている。一度交渉を失敗した後も、
『金額が足りなかったんだ! もっと金を積めばイケる!』
などと豪語する提橋の勢いに押され、有り金を増やすべく提橋のお店を作るために残りの資金も全て投資してしまった。
後から思えば「足りなかったのは金より頭だったのではないか」と反省するも、ラウラ自身アレルギーを克服してから新しい料理を試してみたかったり、店を繁盛させる方法を考える方が楽しくなったりと、途中からは召喚状のことをスッパリ忘れていた。
「お金なんてどうでもいいですのに!」
「わふっ?」
突然、涙目で立ち上がったポーネットがラウラを抱きしめた。
身長差があるせいで、ラウラの頭がポーネットの胸にぽすんと埋まる。
「あと三年も生きられない体で、なんて健気な人なんでしょう」
「三年? なんでいきなり余命宣告されてるんです?」
ラウラは状況が読めず目を白黒させる。ポーネットの胸のやわらかさを感じる暇もないまま、メイアによって二人は引きはがされる。
「リットン様が言っていたでしょう。ラウラちゃんは昔の記憶がないんですよ」
「あっ……じゃあ自分が特級の聖遺物に命を蝕まれていると……」
「知らないはず」
「そんな……わたくしとしたことが……」
「まあ、アヴィ様の作り話くさいんで私は信じてないですけど」
「…………そうなの?」
ラウラは二人の会話に首をかしげる。聖都に何百年も生きる精霊という存在がいることも、その精霊が過去の知識で巫女達を勘違いさせていることも、想像できるはずもないので仕方がない。
メイアから渡されたハンカチで潤んだ瞳を押さえるポーネット。その姿に、今度は調理台から屋台の店主が飛び出してくる。
「すいません! うちのラウラ様がまた何か失礼をいたしましたか!?」
「またておまえ……」
奥から出てくるなり悪者扱いされたラウラは唇を尖らせた。
「あなたがラウラちゃんと旅してたっていう料理人の……ハーシーさん?」
「正しい発音は提橋ですけど、んん? ふたりはもしや、ラウラ様が探してたっていう噂の美少女シスター?」
「ええっ、もうやだなー、美少女だなんてっ」
メイアは照れた様子で出会ったばかりの提橋の胸を叩く。続いて距離を詰めると提橋の分厚い胸板を撫でた。真っ赤になった提橋の顔を見上げ、恍惚な表情で生温かい息を吹きかける。
「ああこれ、すごく硬い……声も低くて男らしいのに、慌てちゃうところとかすごくかわいい」
「ちょちょっなんですか!? 距離近くないですか、なんで胸をッ!?」
「サゲハシさん、よかったら今度私とデートしませんか」
突然の誘いに驚き、横にいたラウラがあんぐりと口を開けた。
「……メイアは何バカ言ってるです?」
「だって、いい男と会ったら普通デートに誘いますよね」
「マジかこの女」
ラウラはその行動の早さに危機感を覚えると同時に、以前数日共に過ごした時、ポーネットから聞いた話を思い出していた。
初対面の男を見て目にハートを浮かべる明るい赤毛の女――このメイアという少女は“愛の教会”という宗派に属する巫女である。
曰く、その“愛の教会”とやらは、大切な人がいればこそ思いやりが相手に必要な新しい利便性の高い発明を生むのだと考える集団である。そのため“愛の教会”の信徒は常に恋を探すことが義務付けられ、老若男女問わず気の多い人物が集まっているのだという。
女性経験のないラウラには見抜けなかったが、メイアが人と付き合う時に出す雰囲気はやわらかいのではない。彼女は懐が大きく、そして軽いのだ。
さて、そんな男に惚れやすい女性、しかもとびきりの美少女が、いつも女に飢えていた2-Aのクラスメイトと出会ってしまったら一体どうなるだろうか。
(ビッチと母性は紙一重、とか言ってる場合じゃねえな。メイアをクラスのアホ共に近づけるのはヤバいぞ。こいつを取り合って争う未来が目に見えてる)
嫁一筋といいながら、少し胸を撫でられただけで顔を赤くしてどもっている提橋を見てしまうと、今後どんな事件が起こるか考えるまでもなく不安で胸がいっぱいになってしまう。
「メイアは提橋に近づくの禁止です! 禁止ぃ!」
未来の危険因子を予期したラウラは慌てて二人の間に割って入る。
「おやおや~? もしかしてラウラちゃん、サゲハシさんのことを」
「キモいこと言わないでください。彼は17才にしてバツイチになったばかりのかわいそうな人なんです。からかうのはやめてあげてください」
「おれ、離婚はしてないよ?」
「相手貴族でしょうが。どうせもうなかったことにされてますよ」
「ひどいッ!!」
「いいからちょっとこっち来い」
背中を押して距離を取らせるが、提橋は微笑むメイアに視線を奪われたままだ。
提橋はまだ嫁のカロリーナを引きずっていた。しかし、人がいつ心変わりするかは分からない。リスクは芽が出てから摘もうとしても遅いと焦る。
「ハッ!? でもそうか、おれにもそろそろ新しい恋が必要なのかも……ここ聖地だし、女神様もそうおっしゃっている気がする。これは天啓だ!」
「おいおい変な電波受信すんなこら」
「実はここだけの話……異世界に来てからモテ期に入ってる気がしていた」
「それは勘違いです。提橋みたいな童貞が、あんな百戦錬磨のサークルクラッシャーみたいな女と付き合っても傷つくだけですって」
「ハハハ、んなバカな。修道服着たヤリマンなんているわけないだろ」
日本人の常識からすれば、シスターとは無条件に清楚で貞潔な人物である。よって、ミラルベル教について詳しくない提橋にラウラの心配は通じなかった。
(ミラルベル教とクラスの連中を親しくさせるつもりはなかったのに、まさか向こうから会いに来るとは――)
女神の権能から得た強力な魔法を持つ元クラスメイト。
異世界の唯一神を崇め、絶対の権力を持つミラルベル教。
どちらも神器を手に入れるためには必要な力だ。しかしどちらも保有する力が強大すぎる。ニトロとガソリンを同じ容器で保管することはできない。
「じゃあちょっと確かめてみましょう。現実を知れば提橋も納得するはず。メイアはこれまで何人くらい付き合ったことがあるんですか?」
「んー急に聞かれても、覚えてるかなぁ」
問われたメイアは素直に数えはじめる。
親指から順番に指を曲げていき、小指までいったら今度は指を伸ばしていく。そしてまた親指までいったら伸ばした指を折る、それを繰り返し――ちょうど6回折り返したところで止まった。
「6人ですね♪」
「どんなカウントの仕方だよ!」
実際にメイアが指を曲げ伸ばしさせた回数は31回だった。
その内何人と深い関係があったかはわからない。それでもラウラ達のひとつ下の年齢で交際相手が31人という数字は大きすぎる。
頬を引きつらせる提橋を捕まえてラウラは小声で囁く。
「見ましたか、聞きましたか今の。あの女、指を屈伸させた回数じゃなくて、折り返した回数で答えましたよ」
「い、異世界だから違う数え方があるのかもしれないし」
「目を逸らすんじゃない! しかも提橋が童貞だと見抜いた上でのビッチ1/5倍算ですよ!」
その後もラウラはメイア達から少し距離を取り、根気強い説得で結婚初夜の失敗から心も身体もピュアなままな提橋をどうにか平常心に戻す。
「そうだね、やっぱ初めての時は初めての相手がいいね。初カノは処女じゃなきゃ」
「ふぅ、なにか別のモンスターが生まれてしまった気がするけど、まあヨシッ。ではわたし達は神殿に行く準備をしてくるので待っててください」
「5分の1じゃ足りなかったかぁ……」
提橋の反応から反省モードに入ったメイアを置いてラウラは屋台の奥へ引っ込んだ。少ない荷物をまとめながら提橋に課した任務を確認する。
「提橋、本名で活動させる意味をわかっていますね」
「ラウラ様の窓口、アンドおとり調査っす」
「よろしい」
提橋はラウラと違い偽名を使っていない。
屋台の商品も地球の料理名をそのまま出している。
もしも2-Aのクラスメイトが大陸各国から文化の集まる教国で、美味しい料理を求めて出店広場や料理屋を巡っていけば簡単に提橋の下へ辿り着くだろう。
しかし、返事をした提橋の表情は冴えない。
「そー心配しなさんな。指示通りやればいいんですから」
「でもさぁー……」
「だいたいそんな強い魔法持っててビビリすぎです。わたしが悪食魔法を使えたら誰が相手でも勝てる自信ありますよ」
提橋は青木と再会した際、いきなり魔法で襲われそうになったことを忘れていなかった。今でも軽いトラウマとして心に残っている。
だがラウラの言う様に悪食魔法のポテンシャルは高い。
魔法によって変異した超人的肉体は、高い筋力や持久力を誇るだけでなく身体の再生能力と毒物への耐性も備わっている。それに加えて、悪食魔法は呪文の詠唱が短く、高校にあった大食堂ほどの広さの範囲攻撃まで可能だ。冷静に対処すれば、大抵の事態は切り抜けられるだろう。
「いきなり大暴れするヤツもいないでしょうし」
「なんで言い切れんのさ」
「国を渡り歩くようなヤツは情報を集めているはず。であれば、必ず貴志の存在に突き当たり行動を潜める。魔法の暴走を知れば、自分でも使い場所は慎重に選ぶようになる」
「2-Aの連中がそこまで考えるか?」
「そりゃ、提橋の時はわたしも油断したので強く言えませんけど」
ラウラは、貴志が記憶と感情の大半を失い、魔法を使えなくなっていることを提橋に教えていなかった。その最大の理由は、貴志への恐怖という抑止力を残しておきたかったからだ。
異世界で最初に訪れた魔の森を北へ抜けたグループが解散した時点で、破壊魔法のレベル9呪文まで修得していた貴志の話が伝われば、誰もが接触を避けるために目立つ行動を控えるはずだ。
「わたしが潜り込んだあとは約束通りに合言葉を」
「あいよ、本当に困ってるヤツが会いに来たら“教会でクソデカリボンを探せ”って伝えればいいんだろ」
言いながら、提橋はラウラの後頭部で揺れる白い特大リボンを指さした。
「そうそ――待った。わたし、クソデカリボンなんて言いました? てかおまえ、もしかして心の中でわたしのことそう呼んでんの?」
「あ、いや、みんなバカだしもっとわかりやすくしなきゃと思って」
「まんますぎるわッ!」
殴られた提橋は頭を抱えてうずくまった。
現在のラウラとしてはクラスメイトをできるだけ助けたい。そしてあわよくば、その魔法の力を自分に利用したいと考えている。
しかし、クラスメイトがラウラに助けを求める合言葉が漏れたら、教会から転移者達との関係を疑われてしまう。あまり捻りを加えても、頭を使うことが苦手な特別クラスの生徒には理解されない。加減の難しい問題だった。
「ったく。最後に、今まで黙っていたのでこれはわたしを信じられるかどうかの話になりますが……」
「なになにクソデカリボン。あっはい調子こいてごめんなさい」
「……レベル10の呪文を修得するまでは自我を保てることが確認済みです。魔法を恐れず自分を信じて心を強く持ちなさい」
「は、今のどういう意味」
「それから毎月利益の三割は上納金として納めるように」
「さらっとカツアゲしてくし!?」
「出資者の権利ですよ」
ラウラはメイア達と合流して神殿へ向かう途中、少しだけある場所で立ち止まった。
神殿区域の入り口にある白大理石で造られた大門だ。ラウラはその脇に立つ銀の鎧を着た門兵達を睨みつけていた。
ふさふさな耳としっぽを持つ門兵たちは、ようやく逃亡犯を見つけたとラウラへ向かって走り出そうとして――後ろに昼前に訪ねてきた巫女の二人がいることに気づいた。徐々に顔を青くさせていく。そして最後には、気まずそうに視線を地面に落とした。
「フッ、“お手”は勘弁してやらぁ畜生め」
「なにひとりでドヤ顔してますの」
「なんでもありませーん」
保留になっていた勝負が決着したところで再度神殿へ向けて大門をくぐる。
「ラウラちゃん、なんかこう聖地に足を踏み入れて感慨とかないんですか」
門を抜けた後も、特に変わらぬ様子で後ろをついて来るラウラにメイアは首を傾けた。
「べつに、外から丸見えでしたし」
「もー案内し甲斐がないなぁ」
元々神殿区域は外から構造が見えるようになっている。
大広場から外へ伸びる東西南三方向の大路には巨大なアーチ門が設けられているものの、その周囲に人を拒むための塀はない。周囲の道路すべてを聖騎士と彼らが率いる従騎士によって守護されているだけだ。
大神殿は千年前に女神ミラルベルが降臨したとされる聖地である。よって、大神殿は世界の中心であり、この場所から女神は世界を見ているとして、女神の眼を遮る壁を建てるなど許されない。
もっとも、ラウラはメイア達が求める信仰によって心を震わせるような感動がないだけで、観光としては十分に神殿区域の内部を楽しんでいる。
「あらアヴィ様、神殿の外でお待ちになるなんて」
「メイア、ポー、見つけたか。じゃが、ちと遅かったわ」
南大門から入って西側の一帯は精霊アヴィの管理する使徒座の建造物が並んでいる。その奥でそびえ立つ神殿の前に、三人の人物が立っていた。
(………………何故こんなところに?)
ラウラは少女達の外見に驚愕し、思考が鈍り、足が止まる。
白い。
小さな。
とても美しい。
少女。
天使アザナエルによく似た――
(地上に天使!? 俺の邪魔をしにきた!??)
異世界に来た自分達を最初に待ち構えていた天使アザナエル。そのアザナエルから背中の羽を無くし、幼くした姿の三人を見たラウラの頭の中で警報が鳴り響く。
ラウラは天使という存在を信用していない。誰もが見惚れる人間離れした美しい白磁の肌に均衡の取れた容姿も、疑心を抱くラウラからすれば、まるで作り物のようで不気味に映ってしまう。
メイアとポーネットの間で立ち止まっていると、アヴィよりも髪の短い少女が目つきを鋭くしてラウラに近づいてくる。
「貴様が魔人を倒したという娘だな。聞きたい事がある、同行してもらおう」
ラウラは白い少女に不穏な気配を感じ――全力で地面を蹴った。
この世界の人間は優しい善人が多い。だからこそ世界最大勢力であるミラルベル教を利用するという不安の多い計画でも強引に推し進められた。
ただし、人間以外の存在が権力者としているとなれば話は変わる。
「逃げ、た? ……オイッ! メイア、ポーネット!」
「言われるまでもなく、ですわ」
ラウラはあっけなく捕まってしまう。首根っこを掴まれたと思ったら体が一瞬宙に浮き、気づけばポーネットの腕の中に納まっていた。
「はなせチクショー! わたしを抱っこするな! 聖遺物は反則だぞォ!!」




