01 蒸発シスター
神は世界を創った
神は人を創った
世界に住まう者として
神は己の複製である神を創らなかった
神は完全たる全能者でありながら
不完全な人を創ったのだ
その意図はどこにあったのだろうか
ひとつ確かなことは
神は姿を隠したままだということだ
神は完全たるその御身を衆目に晒さない
神は人に完全を与えるつもりがない
神は人に人でいることを望んでいるのだ
ならば人よ
ああ、人よ
ただ人であれ
――――――――――
「なーんていろいろ気取った考えをしてきたが……本当にミラルベル様は、人に何かを期待していたのじゃろうか……」
使徒座の神殿、その最奥にある部屋の主が誰にも聞こえない小さな声でぶつぶつと呟いていた。
「こりゃッ! メイアにポーよ、答えぬか!」
「ええー……いきなり「こりゃ!」とかキレられても……」
「精霊でも長く生きているとボケるのかしら?」
執務室に呼び出されたかと思えば、部屋に入った瞬間なにやら聞き取れなかった独り言の返事を求められ、メイアとポーネットが不満を漏らす。
「昨日も一昨日も聞いたろう! なにゆえラウラという娘はわしの下に来ぬのじゃ! それからポーネットはわしに辛辣すぎるぞ!!」
「落ち着いてくださいアヴィ様! ポーさんは天然なだけで悪気はないんです!」
「天然じゃありませんけど?」
何度も同じ質問を繰り返しさせられ、アヴィはご立腹だ。
人の寿命を遥かに超える長い時間、神聖ミラルベル教国を見守ってきた精霊アヴィにとっても、今回の件は予測不能だった。
「だから迎えに行った方がいいって、目を離すと何しでかすか分からない子ですよって言ったじゃないですかー」
「代わりに、わしのポケットマネーからたんまり旅費を出してやったじゃろ」
「むしろ渡しすぎて遊興費と勘違いしたんじゃありませんの?」
「ゆ、遊興費!? つまりなにか、この世界の守護者たる精霊アヴィ様の呼び出しを忘れて、今も聖都のどこかで観光を楽しんでおると?」
最上位の聖遺物をその身体に宿すと考えられる聖女候補シスターラウラを聖都ラポルタへ召喚してから一ヵ月が経っている。
召喚状には“大至急”と文言をつけた。隣国から聖都まで休みなしに快適な高級馬車を乗り換えられるだけの金貨も同封してやった――だというのに、待てども待てどもシスターラウラはやってこない。
すぐにでも会えると楽しみにしていたアヴィの気持ちは裏切られ、期待は怒りへと裏返っていた。
「たしかに、ここは見所いっぱいですし、遊びたい気持ちもわかります」
「アヴィ様が長年かけて築いた聖地だけありますわ」
「まぁの! ……ってそんな阿呆がおってたまるかぁ!」
「あ、ポーさん、このお菓子おいしい」
「本当ね、あとで孤児院の子たちにも分けてあげましょう」
メイアとポーネットはアヴィの怒鳴り声を無視して、テーブルに並んでいた貢ぎ物である高そうなお菓子をせっせと包む。二人は教国の外から選ばれた巫女であるため、アヴィと知り合ってから日が浅く、使徒座の長たる精霊アヴィに対する敬意が低かった。
しゃべり方は妙に年寄りじみているが、アヴィの外見は真っ白な肌に白髪銀眼という“白さ”を除けばただ可愛い幼女だ。怒鳴られても子供が癇癪を起しているようにしか見えない。
「ぬぬぬぅ……あとでイネスとキスキルにチクってやる」
「さぁてと、遊んでないで本題に入りましょうか」
「アヴィ様に付き合っているとこちらまで童心に帰ってしまって困りますわ」
「……お主ら、ほんにいい性格しとるのう」
巫女を実質的に仕切る恐怖の鬼教官の名前を出され、二人は背筋を伸ばす。
「祈年祭が終わって一月が経つ、これはもうお主らの出番じゃろ」
「神殿荒らしの件はいいんですか」
「優先順位の問題じゃ。聖都にいるならどこで妹と会ってしまうか、急がねばならん。あやつらに邪魔される前に任命式を終えなければ……」
現在、ラウラ捜索は巫女がそれぞれ持つ黒子部隊の手で密かに行われていた。
黒子とは巫女の影。旅先では先触れとして宿を確保したり、任務が関わる聖遺物の下調べをしたり、秘書の役目も負っている。
そして、唯一ラウラと直接面識のあるメイアとポーネットが探そうともしていない理由は、別の事件を調べている最中だったからだ。
「どうしてアヴィ様がルディス様を敵視するのか分からないのですけど」
「私もハンナ様とはたまにお茶しますよ」
「あやつらとわしでは考え方が違うのじゃ! いいから早くゆけい!」
ここにいない精霊二柱の名前を出した途端、アヴィはさらに不機嫌になった。このままでは本当に鬼教官を呼ばれてしまうと焦り、メイア達は小走りでアヴィの執務室から逃げ出す。
「まったく愚かな……しかしミラルベル様、人を見守る我らもまた不完全なのは何故なのでしょうか……」
メイア達が部屋に入った時と同じく、その呟きを聞く者は誰もいなかった。
メイアとポーネットは、大神殿と三柱の精霊が管理する各神殿の並ぶ中央区から出て西へ移動する。
ラウラが地図通りの道で来ているなら、聖都へは外周部にある西の大門をくぐっているはずだ。実際、黒子部隊の調査でそれらしき風貌のシスターが聖都へ入ったまでの情報は掴んでいる。専属の護衛兼料理人を雇っているという目撃情報も。
「シスターが旅に料理人随伴って、ぷぷっ、ラウラちゃんフリーダムすぎ」
それぞれの黒子から受け取った調査書を読みながら街を歩く。
「リットン様はどのような教育をしているのでしょう。わたくしの時はそんなふざけたことをすれば、棒で叩かれたものですけど」
「あの神罰覿面棒チョー痛いですよね!」
「ふふっ、やっぱりメイアもやられましたの」
美少女が談笑しながら並んで歩く姿に、つい目を奪われて通行人同士でぶつかる男達がでる。しかし、彼女達に話しかける人は誰もいない。
「久しぶりにこっちの服で外に出ると街並みが変わって見えますわね」
二人が着ているのは使徒座の純白と真紅の法衣ではなく一般的な黒い修道服。ついでに言えば、二人ともいつもと違って化粧をしていないし、ポーネットは髪を巻いていない。
今の聖都は、祈年祭の時より街を出歩く人は減っている。それでも、この時期はまだ祭で行われる巫女が女神ミラルベルに捧げる祈禱式を見て、彼女達のファンになってしまった巡礼者が多く残っている。そうした熱烈な巡礼者達に捉まって余計な時間を取られないための変装だった。
「しっかし見つかりませんねぇ」
聖都の近くの町では、教会に宿を借りていたことが判明している。聖都でもどこかの教会に宿泊している可能性が高い。そして料理人を雇うなどと、アヴィから授けられた旅費を優雅かつ能天気に使っている様子から、格式の高い綺麗な教会に居候していると考えられた。
そう踏んで聞き込みを続けるが痕跡すら見当たらない。大きな宗派の教会は単体で一区画を占有しているような建物も多く、五軒も回らない内に日が暮れていた。聖都は広い。ラウラがいると予想される都市中心部の大きな教会と自分達の住む教会を往復するだけでいたずらに日にちを経過させてしまう。
「かと言って、しらみ潰しとはいきませんし……」
ラポルタは聖都以外に教会都市とも呼ばれる。
すべての宗派は、その主張を声高に宣言するため、聖都に最低でもひとつは教会を持つと言われているからだ。中心部から離れてまばらに存在する小さな教会まで数えれば、何百の教会があるのか恐らく誰も把握していないだろう。
無駄に歩きまわって三日が経った頃、このままでは埒が明かないとメイアのぼやきが増えだした。二人は一旦足を止め、少し見方を変えてヒントを集めようと試みる。
「ラウラちゃんと会ったのって宝石店でしたっけ?」
「がめつく値段交渉していましたわね」
「そうそう、それでポーさんがケンカになりそうだったラウラちゃんを止めて」
ラウラと遭遇した時の様子を思い出し、二人は顔を合わせた。
神に仕えるシスターでありながら、その御名を勝手に代弁し、罪人でもない市民とモメて暴力に訴える――人の少ない田舎町ですらそんな事件を起こす少女が、この世界有数の大都市である聖都で問題を起こしていないはずがない。
メイア達は教会巡りをやめて聖騎士団の屯所を回ることにする。
中央区にある一番大きな屯所に着くと、ちょうど外周部の衛兵が報告から帰っていくところだった。神殿を守護する屯所には教国内で起こった大きな出来事なら全ての情報が集まる。もっとも、大きな事と言っても教国で起こる事に連続殺人や組織犯罪などの凶悪な事件はないのだが。
「あのー、少々お時間よろしいですか?」
「悪いが今は巡礼者の相手を――メイア様にポーネット様!? どうしてお二人がッ、いえ、それより今は立て込んでおりますので話は中のシスターにお願いします」
さっそく入り口にいた獣人の聖騎士に話を聞こうとする。すると、何故か建物にいた聖騎士達がメイア達から逃げるように警邏へ出て行ってしまった。
「なんなのかしら」
「獣人さんならピリカちゃんの信者でしょう。ライバルのポーさんと話しちゃいけないとか変な言いつけがあるんじゃないですか」
「敵対してるわけでもないのに……めんどうな方々」
獣人はほぼ全員と言っていいぐらいに、ピリカにキナという二人の獣人巫女の信奉者となっている。
ポーネットが所属する“力の教会”は、人類の進歩には第一に平和を維持する力が必要だと考える集団である。
その中には更に、組織による力が必要だと考える宗派と弱者を切り捨て個の強さを求める宗派がある。獣人は主に後者が多いため、前者の代表格であるポーネットは以前からピリカの信奉者に距離を置かれていた。
今度は屯所で働くシスターに話かけると面白い事実が聞けた。
十日ほど前、汚れたボロボロの修道服を着てシスターのフリをした物乞いの少女がやって来たという。しかもその娘は、一度追い払われた後、強引に中へ入ろうとしてその場で殴り合いになったというのだ。
「ハァ……隊長不在だったとはいえ、従騎士が三人も倒された上に、五人がかりで逃げられたんじゃ隠したがるわけですわね」
「でもそれって、ラウラちゃんが聖女に就くことに反対してたピリカちゃんの差し金なんじゃないですか」
「あーその可能性も……とりあえず今の方達を追いましょうか」
ポーネットは北地区へ歩いて行った聖騎士達を追おうとする。しかし、何かが引っかかるといった様子でメイアに肩を掴まれた。
「リットン様が言ってましたよね。ラウラちゃんは普段はアホの子ですけど、競ったり戦う時には、人が変わったように策を巡らせるって」
「ほほう……それで?」
「だからぁ、裏をかいてるのかもしれないですよ」
メイアが疑うのは、聖騎士達が北地区を探す理由だ。それには聖都ラポルタの真ん中に鎮座する大神殿の存在が関わっている。
聖都で一番巨大な建造物は、最も長く日の当たる南側に正門を構えていた。また、その屋根は逆である北側に大きな日陰を作っている。
聖域とされている神殿区域から離れれば、影は届かないにしても、北地区は影の方角として土地そのものが好まれない。そのせいで手入れの届いていないさびれた教会や人の去った民家が放置されている。まさに逃亡者が身を隠すにはうってつけの地域なのだ。
メイアとポーネットは聖騎士達の向かった方向と真逆、南地区で次の聞き込みを開始する。
「でもその前に~」
ポケットから取り出されたのは調査書とは別の紙。
コメントの入った南地区の地図を見てポーネットが言う。
「ふんふん……広場に評判のお店ができたらしいので、そこでお昼にしましょう」
「えッ、ポーさんのところの黒子さんたち、そんなことまで調べてくれるんですか!? ずるいずるいぃ!!」
「わたくしが命令してるわけじゃ――」
「ならなんでそこまで尽くしてくれるんですかぁ!?」
「…………人望?」
「むっきぃー!」
ポーネットはモチベーションの下がったメイアを引きずりながら南地区と西地区の間にある広場まで足を運ぶ。様々な屋台から美味しそうな食べ物の匂いが漂ってきた。
南地区は人気の高い地域で聖都へ訪れた他国の貴族向けに建てられた店が多い。こうした対外向けの特別地区があるのは、寄付金だけでなく聖地で作られた祭服や装身具もミラルベル教国にとって大事な収入源になっているからだ。
そのため中央から土地の使用許可も下りにくいが、西地区に近い広場では安価で食べ物を提供する屋台を出すことが許されている。今評判になっている料理屋もそんな店のひとつだった。
肉料理の専門店。
広場にいくつも並べられたテーブルから、屋台にしては思いの外手広くやっていることに驚く。他の客の皿から漂ってくる香ばしい匂いに期待がふくらみ、席に着くなり二人の腹の虫が鳴きはじめた。
「そうだ、ポーさんに言わないといけないことがあって」
「なんですの?」
「私、実はあんまりラウラちゃんの顔を覚えてないってゆうか」
「メイアもですの!?」
「ポーさんも?」
「だってあまりにも性格とか言動が強烈すぎて……可愛かったのは覚えてるんですけど、なぜか思い出そうとすると子猿のようなイメージが」
「わかる!」
注文した料理を待つ間、揃って密かに相棒頼りにしていた致命的な問題が浮上してしまった。ラウラの外見を思い出そうと二人で印象をすり合わせる。
「小麦色になるまで日焼けしてて……」
「何をするにもがさつでしたわ」
「そーそー、たまにガニ股歩きしてました」
メイア達がラウラと会ったのは一ヵ月以上前。宝石店で出会ってから共に過ごした時間は正味三日しかない。それに巫女の立場として、祈年祭の前後は数えきれないほど大勢の信徒達と挨拶を交わす仕事もある。ラウラの顔を覚えていられる余裕はなかった。
「――様、次の焼けたんで持って行ってください」
「がってんでさぁ!」
「だからそれ敬語じゃないってば」
店長の声だろうか。聖騎士にもいないような精強な武人を想わせる野太い声が上がると、調理用の屋台から少女が出てきた。
注文を取り片づけをしているウエイトレスとは別の少女だ。他のウエイトレスと同じくフリルのついたミニスカート、そして胸元の大きく空いた給仕服を着ているだけなのに、背が低く幼い顔立ちをしているせいか扇情的というより犯罪のニオイがする。
「おおー、もうできたみたいで――うわぁ!?」
何事かとメイアが驚き目を見張ったのは少女の両手。
左手にはサーベル、右手には鉈のような分厚いナイフが握られていた。
「パフォーマンスでしょ。気にしなくていいわよ」
サーベルの刀身には巨大な肉塊が三つ刺さっている。少女はテーブルの前に来ると、上へ置かれたまな板に向けて垂直にサーベルを突き刺した。しっかりとサーベルが固定されたことを確認してから、二人に笑顔を向ける。
「ようこそ、ハーシーのシュラスコ屋へ。お二人は初めてですよね。まずはそちらの岩塩のみの味付けで店主が選別した至高の牛肉をお楽しみくださーい」
トングで肉の端を掴み、ナイフで綺麗に切り分けていく。サーベルに刺さった肉は、表面の油が完全に飛ぶまでカリッカリに焼かれ、ジューシーな香りが鼻腔の奥から脳へ直接刺さるようだ。食欲が刺激され、口からよだれが溢れそうになるのがわかる。
切られたブロック肉の内側は鮮やかな赤身。ついさっき捌かれたばかりのような新鮮で力強い肉の旨味の凝縮されている様子が、舌で味わうまでもなく視覚から伝わってくる。
しかしメイア達は途中から、極上の肉の香りではなく少女のことが気になっていた。より正確に言えば、少女の頭、後頭部で揺れる見覚えのある純白の特大リボン――
「もっとがっつり食べたい時は、そちらのトマトビネガーソースをかけて、店主特製ヨーグルトを練り込んだもちもちパンに挟んで食べると二種類の酸味が合わさってとてもおいしいですよ」
「てゆうか、ラウラちゃんですよね」
「あなた、こんなところで何してますの?」
突然名前を呼ばれ、少女の顔から笑みが消える。同時にナイフを握る手がピタリと止まった。
「…………どちらさま?」
それは、ほんの少し丁寧になっていたが初めて三人の会った時と同じセリフ。
相手もまた、メイアとポーネットの顔をすっかり忘れていたのだった。




