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オトメクオリア  作者: invitro
第三章 食べられる魔法

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08 懺悔の味は

「ぷっはぁあああああぁ! あっぶねぇ!」


 散乱した焚き火が豆粒ほどの小さな光になる距離まで逃げてから、ラウラは大の字になって寝転がった。溜め込んでいた息を大きく吐き出す。少しふらふらする頭がまともな思考をできるようになるまで何度も深呼吸を繰り返す。


「くっそぉ……まさか、このわたしが短期間で二度も追い込まれるとは……やっぱり魔法なんて存在しないほうがいいな」


 初見殺しとも言える魔法で、ラウラだけが意識を失わなかったのは何故か。

 旅の間ずっと提橋の魔法を探っていたから――という理由もあるが、一番の幸運は異変に勘づいた狩猟犬が身を低くした際に、呼吸ができなくなるほど押しつぶされていたからだ。おかげで数秒だが魔法の発動後に考える時間を与えられた。


 魔法を推測できた決定的な根拠は、提橋の取ったポーズと詠唱にある。

 手を合わせる動作。そして「いただきます」という言葉。

 魔法の効果を予想するのに、これ以上わかりやすいものはないと言えるストレートな表現だ。


 そして食事に関する願いから生まれた魔法でできそうな事といえば――


 なんでも食べられる。いくらでも食べられる。好きな食べ物を手に入れられる。太らない。空腹にならない。食中毒にならない。消化・吸収効率の上昇。摂取した栄養素を無駄なく全て取り入れられる人間の枠を超えた肉体の獲得。


 など、いづれにせよ食生活の質を大幅に向上させるものだろう。だが強力な飛び道具を持つ敵が用心するような攻撃方法という条件では、候補はかなり絞られる。


 そこから求められる答えは、提橋が漏らしたように「一帯の酸素を食べたから」だ。

 人間は酸素濃度の低い場所で呼吸ができない。

 通常大気の酸素濃度は約21%。それが18%を下回ったところから体に異常が出る。特に6%以下の環境となれば致命的だ。数呼吸、数秒以内に意識を失い死に至るだろう。


「耳鳴りはするけど火照りも頭痛も弱い。酸素分の気圧が下がっただけか……」


 自分は助かったものの、まだ助けなければならない相手がいた。提橋が異世界で作った義理の兄だ。魔法で酸素を失った場所に取り残されている。ラウラは手足に力が戻ったことを確認するとすぐに、強い山風と共に元いた場所へ駆け出した。




――――――――――




「気分反転」


 ラウラが提橋の頭に手を当てて呪文を唱える。すると悪夢にうなされていた提橋の眉間から徐々にしわが取れていった。口からだらしなく流れ続けていたよだれも止まる。


「はじめて使う呪文だけど効いてんのかコレ?」


 と首を傾げつつ肩を揺する。


「んんっ…………白い、カボチャのオバケに襲われる夢を見てたような……」

「それはわたしのぱんつだ!」

「へぶッ!?」


 首が真後ろまで回ってしまいそうな強烈なビンタだった。痛みで意識が一気に覚醒する。


「おっと、思いつめてたようだから優しく起こしてやるつもりだったのに」


 提橋はそのまま涙目でラウラに頭を下げる。友人を襲ってしまった後悔と人喰い鬼にならずに済んだ心の弛みで、頭を垂れたまま動けなくなってしまう。


「だいじょぶ?」

「うん…………そうだ、マウロ義兄様は?」

「もうとっくにお帰り願いましたよ」


 提橋が周囲を見渡すが誰もいない。

 義理の兄も、便乗させてもらっていた商人の荷馬車も消えていた。


「ボコボコにして追い返した……とかじゃないよね?」

「当たり前でしょう。わたしは敬虔なシスターなんですから」

「信仰心ゼロのパチモンじゃん」

「だからそういうこと言うなっつってんだろ! ……まぁ、またたくさんウソをつくことにはなりましたけどね」


 ラウラは皮肉な溜め息混じりに視線をそらした。

 心肺蘇生を施し、目を覚ました提橋の義兄は、当然のごとく何が起こったのかとラウラに詰め寄った。しかし、異世界人をだまくらかすのはリットン神父や双子の幼女相手で慣れている。


 提橋は聖人の残した聖遺物ではなく魔人の残した呪物を持っているだとか、その呪いを解くために教会が協力しているだとか、親しい人を傷つけてしまう呪いだから解けるまでは誰とも会わせられないだとか――信仰の篤いシスターを演じながら適当な作り話でやり込めて手を引かせた。


「ありがとう……でも双一さん、いつの間にそんな芸まで達者に?」

「少し前にとある変人から演技力も大事だと教えられて……って最後の決め手になったのはコレだったわけですけど」


 ほとんど燃えカスとなった召喚状を指で弾く。紙切れは夜風に乗ってどこかへ飛んで行った。


「そんな申し訳なさそうにしなくていいですよ。一回の魔法で正気を失うと考えてなかったわたしにも責任ありますし。何よりその魔法なら誰でも使いまくるでしょ」

「やっぱり知ってたんだ。魔法は使いすぎたらヤバいって……」


 人を操ろうとする時や敵対する相手がいる時などを除けば、現在ラウラが習得できている反転魔法の低位呪文には使い道がない。

 それに比べ、提橋の魔法は食に関係した力を持つ。詳細を知らなくても少し想像しただけで、自動車も家電製品もない不便極まりない異世界では多大な恩恵があると分かる。

 ラウラは笑って言うが、提橋の表情は晴れなかった。


「わたしもあまり魔法は使いたくないけど、近くにいればさっきぐらいの暴走は止められるみたいですから、そこまで怯えなくていいですよ」

「そういえば、おれはどうやって戻って……? もしかして双一さんの魔法って、精神に作用するタイプ? 変わってるね」

「ええ、ほんとに。貴志もこんな使い勝手の悪いクソみてーな魔法押しつけやがって、しょーもねぇ野郎です」

「………………貴志?」


 ラウラが口を滑らせると提橋の表情がさらに暗くなった。

 貴志は才能のある人間としか話さないお高く留まった男だった故に、隠れ火炎愛好者であることを除けば凡庸な提橋とはクラスメイトであること以外接点がない。そんな相手が貴志の名前にあからさまな忌避感を表せば誰でも疑問に感じるだろう。


「もう隠すこともないか……」


 提橋は青木と再会してからのことを話しはじめる。その途中、ラウラは青木の話に疑いを示すような表情を幾度かしたが、質問を挟むことはなかった。


「……ところで、そっちはいつ貴志と会ったの?」

「いえ、会ってませんけど」


 ラウラは即答する。

 提橋も、貴志と会っていればこうしてラウラが生きているはずがないか、と頷くも今度は他に気になることが出てくる。


「じゃあなんで自分の魔法が貴志の願いだなんてわかるの」

「……わたしの魔法は何かを真逆にひっくり返す魔法……多分ですけど、現状を否定したい、在り方を変えたいっていう願いから生まれてると思うんですよ」

「それだけじゃなにもわかんなくね?」

「この魔法の変なところは得られる物が明確じゃないところ。それじゃただ変化を求めるだけ……となれば、どんな変化にも対応できる自信があって人生に退屈さを感じているアホ人間、貴志しかいないってなもんです。どうです、完璧な推理でしょう」


 ラウラが適度にふくらみのある胸を張って言う。

 しかし、貴志と付き合いのない提橋はラウラの予想に納得できなかった。


「貴志のこと何もわかってないだけじゃない? てかあいつがアホだなんて……」

「わたしや博士は貴志と普通に話してましたし。実際よく予想外のことが起こらなくてつまらないってボヤいてましたよ」


 それに今の貴志は、提橋にとって絶対に遭遇したくない世界一危険な殺人鬼だ。その能力の高さは誰もが知るところで、アホなどと呼ばれるイメージからはあまりにもかけ離れている。


「牛のゲロじゃねぇんですから、不満は何度反芻したって解消されないんですよ。どんなリアルな想像も肉体を伴って得られる経験とは違うんです。嘆いてないでとにかく自分から行動しろってのに、今を楽しめないヤツはどんなにIQ高くてもやっぱアホです」


 提橋の暗い雰囲気を吹き飛ばそうとしてか、ラウラはやけに饒舌だった。


「あの貴志相手にそれを堂々と口にできる人は双一さんぐらいなもんだっ、て……? んー、あれ?」

「どうしました?」


 提橋の言葉が、何故か尻すぼみに途切れ切れになっていく。

 突然、どうしても拭えない奇妙な違和感が提橋の心に生じていた。

 一度は疑い信じたものの、ここに来て再度浮かび上がった疑問――ラウラと名乗るこの少女は、本当に自分の知る多々良双一なのかというもの。


 多々良双一は言葉より先に手が出るような男だ。

 叱咤激励こそすれ、こんな風に優しく気遣うことがあっただろうか。

 こんなにも他人を思慮深く観察する人間だっただろうか、と。


「あ、あの、そ、双一さんさぁ……」

「なんです?」

「いや…………」


 番長と呼ばれていた頃には見せたことのないやわらかい笑顔に見入ってしまう。

 共に旅をしてきて、以前同様のがさつで乱暴な部分も見てきた。しかし、一度違和感を抱いてしまうと、かわいらしい少女になった外見とは関係なく別人に思えてくるし、疑問も新しく次々と生まれてくる。


 ラウラも魔法の影響を受けているのか、以前からこういう面を持っていたのか判断がつかない。そして、不信感を露わにしていた二宮と同じように、自分も多々良双一という人物を理解していないのだと思い知る。

 もしも魔法の影響を受けているとしたら、これからどう変化するのかも、神器を求めているようだが何を望むつもりなのかも一切想像できないのだ。


 魔法で生み出される現象と願いは同一ではない。

 人の願いとは様々な因果が絡み合って複雑な構造をしている。

 天使に教えられた通り、魔法の最終到達点は、人の願いから抽出された最も純粋な部分になるはずだ。


 悪食魔法。

 その願いの基は、せいぜい何でも美味しく食べたいという子供じみた願望を持った底抜けの大食らいだったのだろう。


 そんな願いの影響を受けただけで、自分のような凡人でも人喰い鬼に堕ちかけた。天才児の貴志は目につくもの全てを破壊する悪魔のような殺人鬼になったらしい。

 では、才能の種類は違うが貴志と同じく天才や超人と呼ばれるような部類の人間だった多々良双一は、魔法の影響を受けたら一体ナニになるのか。


 聞いてみたい好奇心よりも知ってしまう恐怖が上回り言葉が出ない。喉が涸れ、粘りついた唾がひどく苦い。舌がしびれて回らなくなるほどに。


「な、なんかいろいろあって、疲れちゃったなー……なんて……」

「あーそうですね、わたしも救助活動やらで今日は限界です。心臓マッサージがあんなに疲れるとは思いませんでした」

「あの……それはまた……申し訳ないですはい」

「ははっ、困った時はお互い様ってことで。商人もオニイサマを送るのに逃がしちゃったから明日からまた歩きですし、そろそろ寝ましょうか」


 ラウラが灰となった自分のバッグに舌打ちをして、提橋の荷物を勝手に開ける。


「そっちは魔法で体を強化されてるから風邪なんて引きませんよね」


 奪った毛布を巻きつけると、自分だけすぐに寝息をかきはじめる。

 こうした暴君で即断即決な部分はまったく変わらないのに、やはり今はもう違う生き物にしか見えなかった。その愛らしい寝顔を眺めながら、提橋は眠れない夜を過ごした。

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