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オトメクオリア  作者: invitro
第三章 食べられる魔法

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06 いただきます。

「やるじゃん! おめでとう提橋っ!」


 友人の結婚を祝福して背中を思い切り叩く。

 上半身だけ木の影から出していた提橋はバランスを崩して地面に手をついた。高速で飛んできた矢が鼻先をかすめ、血を吹かせる。


「殺す気かッ!?」

「やだなぁ殺そうとしてんのは、おまえのオニイサマでしょ」


 冷静なツッコミに提橋は黙らされる。


「にしても、この距離を当てに来ますか。弓道部のお遊びとは違いますねぇ」

「ラウラ様……実はけっこう余裕あったりする?」

「あるわけねーだろ、ブッ飛ばすぞ。なんだあの人間兵器はッ」

「ですよねゴメンナサイッ」


 山道の上から射ている高低差を計算にいれても、大まかな目測で相手は500m近い距離を飛ばしている。


 弓の飛距離といえば、和弓の近的競技における28mが一般的な認識だろう。この時に使われる弓の弓力(弓を引く力)は男子高校生でおよそ20kg程度。

 平安や鎌倉といった弓が戦場の主役だった時代には、弦を張るのに男手が五人も必要な五人張りと呼ばれる強弓もあった。それでも最大飛距離が400mというだけで、矢は飛翔しながら減速し威力を落としていく。殺傷能力を維持し、尚且つ的を狙えるのは100mが限界となる。


「……普通じゃない……原因はあの弓か……」

「カロリーナ、おれの嫁さんの家に伝わる魔導具だよ。なんでもご先祖の転移者が使ってた弓で、嵐を吹き飛ばした伝説があるとか」

「第一級聖遺物かよ! そんなの持ってるっておまえの嫁さん王族か!?」

「えっと、フォラス公爵家の四女で出会ったのは――」

「ラブロマンスまで聞いてる暇はない」


 提橋はテンパって関係ない話から始めようとするも一蹴される。

 実際には、体がデカいだけで弱気なクラスメイトが異世界でどんな冒険をしたら高位貴族と結婚できるのか興味をそそられたが、時間が余談を許さない。


「あの男はどれくらい弓の力を引き出せるんでしょう、10%くらいかな」

「さぁ……ラウラ様の魔法であの人なんとかなりません?」

「ならんですね。わたしの魔法は強いけど近づかないとなので。そっちは?」

「なるなら逃げてないっス」

「…………ふーん」


 貴志との戦いで覚えたラウラの魔法名は“反転魔法”。

 主に相手の精神へ働きかけ、対象となる認識をひっくり返すものだ。

 ただし直接触れている相手にしか発動しない。

 突発的な戦闘で使用するには条件が厳しく、対個人・近距離・カウンター専門といった側面が強い。


「そもそもなんで狙われてるんですか」

「あー、ええーと……話せば長くなる、今はとにかく逃げよう!」

「待ちな」


 振り返って走り出そうとしていた提橋の裾を掴む。盛大に顔からすっ転んだ提橋の頭を、またしても矢がかすめて飛んで行った。二本三本と続けて地面に矢が突き刺さる。


「死ぬってばッ!?」


 提橋は尻もちをついたまま、蜘蛛のように這って木陰まで逃げてくる。


「ハハハッ、なにその走り方、エクソシストみたいっ」

「笑うな! それとエクソシストは悪霊祓う方な!」

「まーまー状況をよく考えなさい。下っ端の黒服とはいえ教国内でシスターを撃ったんですよ。他国の公爵家だろうと許されることじゃない。ヤツは全員消すつもりです」

「だから逃げるんじゃんか!!」

「ここまで馬車に乗せてくれた商人を見捨てて?」


 少し離れた馬車の荷台で、いびきをかいて寝ている商人を指さす。自分達が逃げた後は、たとえこの現場を目撃していなくても念を入れて殺される可能性が高い。


「知らねーよンなこと! おれだって教国に入っちまえば安全だと思ったのに! ここまですると思ってなかったんだよ!」

「こら提橋、おふざけの通じる時ならいいが」


 提橋の自分勝手な言い分に、ラウラの怒りがふつふつと湧き上がっていた。関係のない赤の他人を巻き込んだ挙句、自分だけ助かればいいなどという話は道理が通らない。


「男なら見苦しいマネはするな。仁義にもとる事をするぐらいなら潔く命を懸けて死ね」

「イヤだ死にたくない! 時代錯誤っ! 男女差別反対っ!」

「まず脇道に身を隠し、逆にこっちから仕掛ける」

「聞いてよ! おれは逃げるからな!!」

「わたしが協力してやるのは今だけだぞ、いいのか」

「うっ」


 小さな少女に睨みつけられ、提橋は逡巡する。

 ラウラと山上にいる義理の兄。

 逃げるか、諦めて帰ってもらうようラウラと説得に向かうか。

 どちらを取ればいいのか分からなくなって目線が二人の間で彷徨う。


天使アザナエルも言っていたでしょう。この世界の住人は自己主張が弱いですからね。わたしがちょっとガン飛ばしてスゴめばしっぽ丸めて逃げ出しますよ」

「マウロ義兄様は先祖の再来と言われる過激な方ですけど」

「だからってわたしが負けるとでも?」


 自信満々に可愛らしいウインクをするラウラ。

 提橋は少し悩んでから観念して頷いた。


(だがヤツはナゼ必中の距離まで近づいて撃たなかった。部外者に顔を見られるのを嫌った? しかし口封じしなければシスターを撃った罪は消せない。なら提橋の魔法を知っていてソレを警戒していると見るべきだろう。つまり提橋は脅威になる力を持っている……俺にとっても)


 整備された教国の山道も一歩外れれば未開の森と変わらない。二人は木々の影に隠れて追っ手が近づいてくるのを待つ。


 追っ手の男は散らばった焚き火の跡まで来ると馬の脚を止めた。下りてくるのに数分とかからなかったが、今夜は風が強い。夜天の雲は動き、辺りは暗くなっていた。


 男は新しく枝に火を移し松明にすると、半焼しかけていたラウラのバッグを漁りはじめる。

 追っ手を意識していない相手なら馬で簡単に追える。しかし、人の作った街道を選ばなければ逃げる方法は増えてしまう。ならば相手の行先を調べて待ち伏せすればいい――と、明確な目的地を示す物がないか探しているのだろう。


「これは……まさかあの娘……」


 金属の筒から半分顔を出していた手紙が男の手から落ちる。ほとんど灰になっているが、わずかに読める切れ端には使徒座の刻印が残っていた。


「――しまった!?」

「遅いっ!」


 音を消し闇夜に紛れて近づいていたラウラが聖遺物を蹴り飛ばした。

 男はとっさに腰の剣へ手を伸ばす。

 しかし、ラウラも抜剣させまいと柄頭に手を押し当てる。


「おい、早く手を貸せ!」

「で、でもッ」

「一旦、武器取り上げないと話もできな――――げっ」


 この期に及んで何を尻込みしているのか。ラウラが横眼で提橋の様子を窺うと、反対の森から巨大な犬がラウラに襲いかかってきた。


「うおおぉ、なんだこのワン公!? 貴族は魔獣も飼ってんのか!」


 男が提橋を追跡するために連れていた超大型の狩猟犬だった。以前、魔の森で遭遇した猪ほどではないが、ラウラの知る犬という生物とはかけ離れたサイズと筋力だ。

 ラウラは自分とほとんど同じ背丈の犬に、良い様に引きずられている。


「よし、そのまま押さえていろ」

「マウロ……義兄様……」

「ツトム、貴様に兄と呼ばれる筋合いはない。どうしてカロリーナに恥をかかせた」


 義兄に正面から睨みつけられた提橋は、震えるだけで言い訳をすることも逃げることもできない。


「何も言わんか。まあいい、今更理由など……貴様は私と父上の期待を裏切り、妻を捨てて逃げた。公爵家の顔に泥を塗った罪は重い」

「あ、あの、あの時は……ああするしか……」

「ああするしか? ふざけているのか。初夜に花嫁を捨てて逃げる理由など、この世にあるものか。あの夜から私の妹は毎晩枕を濡らしているぞ」


 鞘から抜かれた白銀の刃が薄暗い月光の下で輝く。

 提橋の義兄マウロは、貴族然とした冷静さを飾っているが明らかに上辺だけだ。声は上ずっている。対話を求める猶予はなく、もはやいつ斬りかかってもおかしくないほど怒りに追い詰められていた。


「提橋、やれ! 魔法を使え!」

「……副部長」

「本当は戦える魔法持ってんだろ! 黙って殺されるのか! てか関係ないわたしまで殺されるだろうが! どうにかしろ!!」


 ラウラが叫ぶ。

 必死に抵抗しても、狩猟犬に両肩を押さえられて身動きも取れない。

 非力な少女の細い首筋には鋭い牙が添えられ、マウロの命令ひとつでいつでも命を奪える状況だ。


「でも……魔法はっ……おれは……」

「なんでもいいからやれええええええええぇ!!」


 少女の金切り声が夜の闇に轟く。


(この切迫した事態を利用すれば、提橋の魔法を自然に暴ける!)


 声量こそ精一杯という印象を受けるが、義兄の相手だけで精神的に限界だった提橋は、その声色に焦燥や狼狽がまるでないことに気づけない。

 覚悟を決めて奥歯を噛みしめると、パンッと音が鳴り響いた。祈りのポーズなのか、提橋は両手を合わせていた。


(もしかして貴志が言ってた詠唱破棄の手順? 錬金術のマンガのマネか?)

「い……」


 呪文を唱える前に、提橋は泣きそうな瞳でラウラを見る。

 それは記憶にある顔だった。

 ラウラが教会の手伝いをするようになってから何度か見た人の表情。

 悪意もなく罪を犯してしまい教会へ赦しを求めてやってくる弱者の顔だ。


(あ、マズった、こいつ想定してたより魔法の侵食が進んで――)


 事態を甘く見ていたことに気づいたラウラの顔が歪む。


「――いただきます」


 静かに一言だけ呟くと、提橋以外の全員が地面に倒れた。

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