01 使徒座
神聖ミラルベル教国。そして世界の中心とされる聖都ラポルタ、その更に真ん中にある大神殿――から少し外れた場所に建てられた細長い塔のような神殿に、純白と真紅で彩られた法衣に身を包む10人の巫女が集っていた。
巫女はそれぞれが複雑に分かれた宗派の代表格でもあるが、この神殿には誰一人として供を連れてくることが許されていない。奥にある会議室の円卓を囲み、主の到着を待っている。
「なんかみなさん大人しくありませんこと?」
「んー私こうゆう空気苦手です。なんかお説教される前って感じが」
「たしかに……もしかして誰か任務でミスでもしたのかしら」
過去にあった集まりでは、今回ほど巫女達がただ静かに待っていることはなかったのだろう。いつもと変わらぬ様子でおしゃべりを続けるポーネットとメイアが回りを見渡しても、誰も言い返してこない。若干名、ポーネットの言葉を聞いて頬をひくつかせた者もいるが、胸中を言葉にはしなかった。
「みなの者、待たせたのう!」
勢いよく開けられた扉から、明るい声と共に少女が入ってきた。透き通る白い肌に白髪銀眼が神秘性を感じさせる。少女は頭を下げる巫女達に「よいよい」と手を振って上座に着いた。
「わしを待たんで座ってて良いのじゃぞ」
「アヴィ様より先に座るわけには参りません」
「キスキルはお固いのじゃ」
幼い声でそう言うと、巫女の序列二位キスキルが否定する。
キスキルの返事より先に椅子を引こうとした者もいたが、手を止め号令を待ってから席に座った。
「して、今日は色好い話を聞けるんじゃろうな?」
尊大な態度で巫女を従える者。名はアヴィ。見かけは少女のようだが何百年も前の時代から生きる人外の存在。世界を守護する精霊の一柱とされる。その存在は尊く、教皇すら命令権を持たない独立組織“使徒座”の指導者として君臨している。
「はっ、メイア、ポーネット両名からの報告書がこちらになります」
キスキルが資料を回す。メイア達がナルキ村で見た記録。そして、賊からエイジと呼ばれていた魔人の最後を語ったラウラの証言をまとめたものだ。
巫女達は報告書を一枚二枚とめくる度に、メイアとポーネットの顔とを見比べては眉間のしわを深くさせる。
「…………これ、ほんに間違いないんかのう」
「ええ、女神様に誓って脚色なんてしていませんわ」
「じゃが此度の転移者が持つ恩寵……ちと異質すぎんか。力を得て間もないはずなのにピリカに続いてパリエ、ネルと立て続けに敗北しておる。特にこのエイジとかいう魔人の力は、まるで神の領域に足を踏み入れてるかのようではないか」
「わたくし達は過去の転移者を知りませんしなんとも……ねぇ?」
「ですねー」
報告を信じられない様子は、アヴィも同じだった。
引き合いに名前を出された巫女も同意するように頷いている。
「むむー、こんなの相手によくお主ら生きて帰ってこれたのー……むん?」
報告書の最後のページでアヴィの手が止まった。
やはり書いてあることが信じられなかったのか、書類を閉じてメイア達の眼をまっすぐに覗いてくる。
「お主らの口から聞きたい。この魔人と相対してどう思った? これに書いていないこともあるじゃろ、正直に答えよ」
「書いてないことですかぁ。特にないですけど、強いて言うならあれは…………そう、あれはすごいイケメンでしたね! どこかの王族かと思いましたよ」
アヴィが不機嫌になったことでキスキルが立ち上がろうとする前に、ぬっと隣の席からメイアの首に腕が伸びた。
「あッ、イタイタイタイ! ポーさん、ヘッドロックやめて! 聖遺物に強化されてるせいでポーさんのおっぱいが岩のように痛い!」
「胸はカタくないでしょ! うそつかないでよ!」
人知を超えた者に備わった技能か、人の寿命を遥かに超え長く生きた経験則か、精霊は人間の嘘を見抜くとされている。隠し事をしていないか、アヴィは二人の仕草をじっと見つめていた。
「いやーほんともうなんていうか……ポーさんになら、我らが愛の教会はいつでも門戸を開いていますからね」
「胸に微笑みかけるな! 誰があなたと同じ教会なんかに!」
「は? 恋愛を否定するならその巨乳はなんのためにあるんですか、肩をこらせるだけのムダ肉ですかー」
「別に否定してませんわ! わたくしだっていつかは、その、殿方と……ごにょごにょ」
ふざけた口論を続ける姿にアヴィの顔から力が抜ける。半年前に組ませてからずっと変わらない。しょうもないケンカの絶えない凸凹コンビ。最近は上手くやっていると聞いていたが外面を取り繕うことを覚えただけだったようだ。
もっとも、仲が良いと言えない関係は他の巫女も同じ。当代の巫女はほとんどが違う宗派に所属しているので仕方のない話でもある。
約千年前、女神ミラルベルから救いの神器を与えられた折、この世界の住人全てに説教をされている。
その後、何が世界に繁栄をもたらすかが焦点となり小さな争いが起こった。以降、転移者が現れる度に新しい宗派が生まれ、互いに自分達の正しさ、女神が人類に求めた答えが何かを証明しようとしている。
それはメイアの“愛の教会”然り、ポーネットの“力の教会”然りである。
ふたりの様子から嘘をついていない確信を得ると、今度は引率していたキスキルに追加の報告が求められる。
「死体と思われる人間一人分の結晶の傍に出所の不明な衣服とコレが」
「金の、時計かこれ? 小さいが腕にはめるのか。こんな精巧な物ははじめて見るのじゃ」
「かの魔人の所有物かと。それからエイジという魔人は、最初に目撃された町では魔人達の絶対的な統率者として行動していたようです」
「聖遺物とは違うようじゃが、簡単に手放す物でもなさそうな……」
ぼろぼろになって帰ってきたラウラの話を聞いてから、ポーネット達がこっそりと森に入って回収してきた遺留品が差し出される。
献上品として他国の王族から送られた懐中時計を持つアヴィも、その美しさと技術力の高さに驚き、幾度も腕を振ったり角度を変えて眺めている。
「メイア、ポーネット」
アヴィが金の腕時計に夢中になっていると、報告書の細部まで目を通し終えた巫女の序列一位イネスがポーネット達のケンカを止めた。
「お前達が二人がかりで手も足も出なかった魔人を、このラウラという娘は説法により改心させた挙句、自らの力で入定させ大地に女神様の御力を返還させたとあるが……こんなバカげた話をこの議に上げるなどと、正気か?」
頭の悪い子供に言い聞かせるような声色で報告書が叩かれる。ポーネット達は萎縮して答えられなくなってしまう。
どれだけ責められようが彼女達は現場にいなかったのだから、魔人はこれまでの行いを悔いて自殺したというラウラの話と現場検証の結果を話すことしかできない。
「私の“御神灯”でも彼女達の報告があった地点で巨大な力の消失を確認していますから、その魔人が死んだのは確かだと思いますよぉ」
と、割り込んできたのは序列第三位。
“御神灯”と呼ばれる彼女の聖遺物は、複数の中継器と本体である祭壇を用いて大陸中の大きな力の流れを観測している。主に悪天候や自然災害の予兆を調べる任務に当たっているため、個人が保有する量のマナが彼女の地脈網に捕捉されていたことに衝撃が走る。
「しかしな」
「世界の秘密、その一端を知っただけで自身を特別だと勘違いする者は少なくない。じゃが、かつてはいたのじゃよ。転移者と互角に戦える者が」
金時計に飽きたアヴィが会議へ戻った。
その言葉がメイアとポーネットに疑惑を抱く全員に向けられていると気づき、数名が目を伏せる。
「聖遺物にはのう、主らが持つ“法具型”、“祭壇型”とは別に“聖餐型”と分類されるものがあるのじゃ」
「……寡聞にして存じませんが」
「古い話じゃ。悪しき異世界人が自らの意思でこの世界に来た時、我らが戦えるために自身の力の全てを継承させようと考えた転移者がおっての。彼らの献身によってこの世界は今も存続しておる」
初めて聞かされる歴史に巫女達は耳を澄ませる。
女神の残した奇跡が実在している以上、一神教としてミラルベル教が世界で最も強い権力を持っているのは当たり前の話かもしれない。
だが“神聖ミラルベル教国”がミラルベル教の主体組織でいられるのは、アヴィ率いる使徒座が神に選ばれた聖人、つまりは転移者の遺物とその適合者を集めてきたからだ。
力のバランスが変われば、自分こそが女神の意思を継ぐ真の神子だと主張する者が現れ、ミラルベル教徒同士で争い分裂していただろう。それ故に、聖遺物と適合者の回収を第一の任務としてきた自分達の知らぬ物が存在していたとあっては聞き逃すことなどできない。
「じゃがのう……それは簡単な道ではなかった。彼らの聖遺物は彼らの血肉からできている。全身の血を抜き、力の結晶としたものを親から子へ……しかも強引に継承した力に耐えられず子供はみな二十歳まで生きられなかったと聞く。そして500年前に転移者の起こした戦争の中で彼の血族は滅んだ、はずだったのじゃが……」
古き血をひく救世主の生き残りがいた――その話に、疑心を示す者もいるが、中には涙を流す者もいる。
「今回の功績と今の話を合わせて……わしはその娘を聖女として迎えたいと思う」
と、話が飛んだところでまた会議室の空気が変わった。
「外部の者をいきなり聖女にですか?」
「アヴィ様の決定でも反対です」
「じゃが巫女の枠は増やせんぞ。規則を破れば“妹達”が何を言ってくるか」
ミラルベル教には使徒座の他にも、精霊アヴィの妹が率いる独立組織があった。
教皇と三柱の精霊。
彼らのパワーバランスが崩れると内部で諍いが増えるため、各組織において所有できる聖遺物の階級と数が決められている。
使徒座に入れるのは、第一級の聖遺物を持つ者で定員は十名。
それぞれが多々ある宗派の重要な役職についているため、一度任命してしまえば簡単に入れ替えることは許されない。アヴィなら命令はできるが、その巫女を抱える宗派との間に軋轢が残ってしまう。
「転移者が現れた今なら、特例措置で聖女の枠がひとつ使える」
「聖女の席には序列一位のイネス様が繰り上がるはずだったでしょう」
「ではイネスよ、そなた単独で破壊を司る魔人と戦えたか?」
「……無理だったでしょうね。ですが聖女の席は空けておくのが賢明だと思います。まずは実際にその娘に特別な力があるのかを確かめるべきです」
「そこは一理あるのじゃが……」
アヴィはイネスの意見を認めつつ、許諾を拒む。
彼女の頭にあるのは、巫女を超える力の持ち主を妹達に取られないか、という問題だった。
現在の力関係では、アヴィは教皇に次ぐ権力を持つ。
しかし、妹達は割り振られた組織の強弱で自分達に優劣をつけられることを嫌って、隙を見せれば能力の高い適合者を奪いにくる。単独で魔人と渡り合えるような力を持った者を余所の組織に取られるなど許せるはずもない。
使徒座の権威を維持することは、アヴィにとってミラルベル教の平穏、ついては世界の安寧へと繋がっているのだから。
「まずはその娘をここへ呼びましょう。私も一度直接話をしたかったので」
「うむ、キスキルの言う通りじゃ! でも妹達に悟られるから今回は迎えをやれんのじゃが……そこはどうしたらいいと思う?」
「魔人を倒せるような人なら一人旅くらい平気なんじゃないですか」
「アタシらの一員になんなら旅にも慣れてもらわないとだしぃ?」
「ですです! これもひとつの試練ですぅ!」
「お主らつめたいのぅ……」
巫女達からは、面識のない者が突然、自分達の上役として採用されることへの不満が吐き出される。
アヴィとしては、どうしても秘密裏かつ確実にラウラを聖都へ招き入れたかったのだが、実力者であることが巫女の最低条件であるのも事実。結局「勝手にこさせろ」と押し切られてしまった。
「では、次は神殿荒らしの調査経過を――」
魔人の話が終わると、アヴィは議長の場を奪われ会議は進められていく。
自身はまったくあずかり知らぬところでラウラの進退も決められるのであった。