09 誰かの願いを・上
ラウラは再び森の中を駆けていた。
「クソったれがあ! なんで一年でこんなに差がついてんだよ!!」
叫ばれていることから分かるように、完全な敗走である。
ラウラの予想、破壊の魔法における法則はおそらく当たっていた。
破壊は直接触れた物にしか作用しない。
“壊す”魔法。
貴志が言っていたように誰かの破壊願望によるものだろう。
ここで気になるのは“破滅”や“消滅”ではなく“破壊”という部分。
破壊行為とは多くの場合、怒りの表現だ。その負の感情を最も効率的に浄化するには自らの手で直接壊したいという願いが反映されていると予想できた。
破壊の力を全身に纏える貴志は、一見どうやっても傷つけられないように考えられる。しかし、望む物全てを破壊するような魔法があったとして、巨大で複雑な構造、強固な結合を持つ物、破壊する回数に比例してより多く力を消費するくらいの条件はあって当然だ。
貴志から聞いた情報も合わせると魔法の発動に欠かせないものは、“呪文の詠唱”、“強く願う意思”、“魔法の源となる神気”の三つ。このどれか一つを封じれば魔法は使えなくなる。だから――
――――――――――
「死にくされオラァ!!」
広場に戻り目を閉じて待っていた貴志を発見するや否や、ラウラはその顔面めがけて泥団子を投げつけた。
卑怯にも完全な不意打ち。だが弱者の立場にあるラウラに正面から挑む格好のいい選択肢などない。
泥団子、といっても木片や葉っぱなど雑多な物を混ぜた土でコーティングしただけで実質ほぼ石。全力で投げられれば避けるには難しく、中心に使われた石は鋭く受け止めるのも困難であり、さしもの貴志も魔法で防ぐしかない。
そして魔法の法則が予想通りならば、これを魔法でガードし続ければ神気の消費量はかなり増えるだろう。あとは逃げ回りながら森の中に隠してきた泥団子の予備を投げ続けるだけでいい。
「どうしたッ、お前の神気はあとどれくらい残ってる!?」
異世界に来た直後10万ポイントもあったラウラの神気だが、玄間の覚醒魔法に暴走させられ一度ゼロまで使い切ってから、一年で400ポイントしか回復していない。
魔法を使用できなかったラウラでもほとんど神気を持っていないのだ。破壊の力に精神を蝕まれるまで魔法を使ってきた貴志に、さほど余力があるとは考えにくかった。
「おらおら、他に呪文があるなら見せてみろよ!」
仮に持続時間や連続使用回数といった限界が来てもラウラの勝利となる。
魔法の効果を“出力”とすれば、詠唱という“入力”がされている対象に、貴志攻略の手がかりがあった。
呪文の詠唱といってもそれは単純に人の声だ。
声帯が震わせる空気の振動でしかない。
では、その声を聞かせている相手は、入力先は誰になるのか。
それは自分自身しかありえない。
つまり呪文の詠唱とは、願いを発露させるためのスイッチ。
発語が最後の自己暗示のための簡易な儀式にあたるのだろう。ならば発音や唱える単語の間隔、声量にもそれなりに明確な規則が求められる。
上半身、取り分け顔面を狙って投げているため、破壊された泥団子は常に極小の結晶となって貴志の顔を覆っている。塵埃を吸って少しでも咽せてしまえば、その隙に接近できる。
体の動かし方と体の壊し方。経験によって蓄積されたラウラの技能は、たとえ小さな女子になろうと天才の才能に劣りはしない。一撃でも喉に攻撃が入ればそのまま口を塞いで拘束してしまえばいい。
「双一は物事を単純化するのが上手いな……こういう小細工ができる点も評価できる。魔法の発動を封じようとする着眼点も悪くない……だがせいぜい50点、落第だな」
貴志が袖で口元を押さえながらくぐもった声で言う。
「わたしの狙いがわかるってか」
「俺の神気はまだ7万以上残っている。同じことを一ヵ月続けてもこの魔法は途切れない。多少鬱陶しくはあるが時間の無駄だ」
ピタリ、と振り上げた腕が止まった。
「ハッ、まさかどうやったら神気を得られるのかさえ知らなかったのか? ついでに裏技も教えてやる。訓練を要するが詠唱内容と意思を外に明示できれば呪文を唱える必要はない」
「こ、こんの野郎……」
こちらを心底バカにしているような侮蔑の視線に唇が震える。
魔法の理解において、貴志はラウラの遥か先を行っていたのだ。ラウラに思いつく程度の策はまったくの無駄だとその眼が語っていた。
しかし、ラウラは諦めない。悔しさを飲み込んでまた森の中へ走り出した。
――――――――――
「でもマジでどうするよ……」
広場から西へ行ったところに森を横断する川がある。そこまで逃げてきたラウラは勝ち目の薄い戦いに頭を悩ませていた。
「魔法は潰せない。燃料切れもなし。破壊って要は分解だし毒も効かないよなぁ」
手には、燃やすと人体を麻痺させる遅効性のガスを出す毒花が握られている。使えそうにないと判断された毒花は川下へと流されていく。
そもそも自分に勝つ方法がひとつでもあるのだろうか。
柄にもなく弱気な考えが浮かぶとすぐ首を振った。
ラウラの強みは無駄なことをしないことだ。答えの出ない疑いや悲嘆、諦観はその場でループするだけの足踏みでしかない。上しか見ないラウラにとって価値のない行動だ。だからしない。不要な行為はしないと決めている。
「とりあえず自分に燃料入れるかぁ」
以前森へ入った時に作った木の柵が川の中に立ててあった。通れなくなった魚たちが柵にぶつかってはくるくると泳いでいる。即席の生け簀だ。
「飯は確保できたし、また川の主に襲われる前に……て?」
自分がナルキ村に拾われる原因となった巨大魚が来る前に、と川を上がろうとしたところで、そこにいてはいけない存在と目が合った。
「ぶぴッ!?」
川の対岸に現れたのは一年ぶりの化け物イノシシだ。
ちなみに、おかしな裏声を出したのは驚いたラウラである。
イノシシが鼻息を荒くして地面を蹴る。一年前の続きとでもいうべきか、目が合った瞬間から興奮がクライマックスだ。さらには今回の標的は一人しかいないと悟ったらしく、様子見をすることもなく、いきなり猛突進してきた。
どうして今!、なんて嘆いている暇はない。この一年遭遇していなかったとしても、住んでいるのは前々から知っていたことだ。ラウラも慌てて森の中へ戻った。茂みを飛び越え、木々の間をくねくねと蛇行しながら逃げる。
「ヤッベェ、匂いで追ってこれんのかよ! けどコレ使えるか!?」
イノシシは障害物で溢れる森林もお構いなしの全力疾走だ。しかし、イノシシはイノシシらしく、ぶつかる度に大木がブレーキとなりラウラには追いつけない。ラウラはイノシシと適度な距離を保ちつつ貴志の待つ広場まで走った。
「戻ったか、そう何度もチャンスはやらんぞ」
「言ってろ! あとはお前に任すぜ!」
ラウラは余裕の腕組みで立ち尽くす貴志の横を素通りし、そのまま駆け抜けていった。
貴志から100mほど離れたところで、ラウラが来た方向からバキバキと樹木をなぎ倒す音が大きくなり、化け物イノシシが姿を現す。
「さあ、どうする!?」
開けた場所ならば、イノシシは時速40km以上の速さで駆ける。そんな速さで通常の三倍を優に超えるサイズのモンスターが突進してくれば、どうなるか。
もちろん魔法で肉体は破壊されるだろう。
しかし、貴志の魔法は直接触れなければならない。
たとえ粉々にされようと、1t近い質量の結晶が突進の慣性を残したまま崩れてくれば無事でいられるはずがない。
「……これは、期待しすぎた俺が悪いのか?」
「んなっ!?」
貴志はイノシシなどどうでもよさげに右手を突き出した。優しく受け入れるように鼻先に触れた瞬間、巨大なモンスターは貴志の前で赤黒い砂となって消える。砕けたイノシシの結晶は貴志に襲いかかることなく手前で小山になってしまった。
「俺の魔法は力場も分散させる。あの巫女との戦いは……見てなかったか。しかし、さっき何度も見せただろう。俺に当てた石が砂となって舞う時、過剰に反動が大きかったところを」
ラウラはまたその場を逃げようとするも、今度は追いかけてきた貴志にあっけなく捕まってしまう。魔法を解除した手で襟首を持ち上げられる。
「数少ない神器の奪い合いは裏切りを想定しなければならない。だからクラスの誰かと組むのではなく、この世界の組織を利用するべきだ。そこに目をつけたのはいい選択だった……と思ったがたまたまだったらしいな」
「う、ぐ……はなせっ」
「なぁ双一、本気でその程度なのか。本気で魔法なしで俺に意志を通せると思っているのか。お前には俺が期待するだけの価値はなかったのか?」
連続で魔法を使わせた反動だろう。貴志の瞳に狂気が宿っていく。
なけなしのお小遣いで期待外れのオモチャを買ってしまった子供のような表情。失望と怒りが入れ替わりながら、ラウラの首を絞めつける。
「か……価値が、ない、だと……」
「そうだ。これ以上生かしておく理由はない。せめて安らかに送ってやる」
「この、俺に、価値がない? 生きる価値がないっつったか?」
貴志の見下す視線か、吐いた言葉か、ラウラの何かを触発した。
息もできずチカチカと赤く明滅する視界の中でも、ラウラははっきりと貴志を睨みつけている。
「済まなかったな、勝手に期待して」
「ふっっっざけんなッ!!!」
ラウラは貴志の胴体を蹴りつける。食いしばる顎と首の力だけで体を支え、伸びきった左腕の肘に全力で掌底を打ち込んだ。
「俺の価値は俺が決める! 他人にどうこう言われる筋合いねェ!!」
左腕がだらりとぶら下がった瞬間に貴志の手から抜け出してラウラが叫ぶ。
「状況が状況だから助けてやろうと思ったけど、もう我慢の限界だ」
「……お前に、できるのか」
「アアッ、望み通りぶっ殺してやるよッ!!!」
想像もしていなかったラウラの本気で激高する姿に、貴志の狂気が薄らぐ。
そして、いつもバカなクラスメイト達が見せてくれる想定外の事態を遠くから眺めている時のように小さく笑った。