08 破壊衝動
「もちろん、断るぜ」
「聞いてくれないのか」
「たりめーだ。お前のタチ悪ぃクセは知ってる。けど、わたしを巻き込むな」
いつだったかラウラは貴志が輪島に話しているのを聞いたことがあった。
巨視的な物の見方に慣れると人の行動や言動も先読みできるようになる。日々の生活が無意識下で予測し終えたものをなぞるだけになってしまう。努力して知識を学んだ分、経験を身につけた分、予測の精度は上がり、年を取るごとに人生は無価値で退屈になっていく、と。
ラウラにはまったく理解のできない話であったが――要約すると、貴志瑛士という男は天才で飽き性で死にたがりなのだ。
両腕を組んで唇をへの字にするラウラとは対照的に貴志は能面を貼りつけたまま視線を逸らさない。
「っても今は事情が違うか。新しい魔法のおかげか知らねーけど退屈そうには見えないし。何があった、魔法で呪いでもかけられたか?」
「やはり、お前は意図的に思考を放棄しているだけでそこそこ頭が回るな」
「そこそこは余計だっつの」
二人の間で嘲りを含んだ笑いが漏れる。しかし、ラウラにとって笑っていられる場合ではない。
目の前にいる男はラウラより知能が高い。運動能力も高く目端も利く。そんな男に死を望ませるような事件が起こっている。それが魔法関係のトラブルで、となれば自分にも一体いつ関係してくる話になるか、真面目に聞かざるを得ない。
「呪い……確かにこれは呪いと言っていいかもな。俺達は異世界に来た時から全員が呪われている」
「さっそく悪い予感的中!?」
「だから調べさせた。最も呪いを受けずに行動できている人物は誰かを」
ひとまず、どうして貴志が会いに来たのかが分かり少し胸が軽くなった。
「ここからは推測も混ざるんだが」
「それは博士もお前と同じ結論ってことでいいのか?」
「輪島ならカフェインの離脱症状が出て、コーヒー豆の産地があるか探しに行くと姿をくらませたから知らん」
「おおう……さすがIQ高いアホ一号、いざという時に使えねぇ」
プッ、と以前と変わらないクラスメイトの奇行に二人してつい吹き出してしまう。
「厳密に、呪われているのは俺達でなく魔法のシステムだ」
「魔法のシステム?」
「俺達が得た力はクラスの誰かの願いから生まれたもの、という話は覚えているか?」
「あの下半身デブの話は一言一句たがわず覚えてるぜ!」
「……急にやる気になったな。お前を実験台にしたのは玄間だったはずだが」
鍛え抜かれた鋼の肉体を奪われた恨み、長年の努力を無にされた諸悪の根源・天使アザナエルを忘れられるはずもなかった。ラウラの心の中にある異世界でやる事リストでは“天使をシバキ倒す”の項目が不動の一位をキープしている。
「魔法を使う度、俺達は願わなければならない。そしてその願いに精神を蝕まれる。感性が徐々に変わるから自分でも簡単に気づけない。魔法を使わなければいいと分かっていても欲望を抑えられなくなる」
説明の途中、貴志の魔法で起きた現象を思い出して冷たい汗が流れる。
ポーネット達の話では村を襲った賊は肉体を赤黒い結晶にされていた。暗闇から顔面に投げた石は、傷一つつけることなく砂になって地面に落ちた。貴志の持つ魔法は――
「俺はもう限界が近い。よほど強い破壊願望を持ってるヤツがいたらしいな。実はこうしている今も、お前を殺したい世界を破壊したいという欲求が湧き上がっている」
「……それで“殺してくれ”になるわけか」
「ああ、たぶん自分自身を壊そうとしたら俺は完全に飲まれてしまうから自殺もできない。殺される事も許容できない、無意識に反撃して殺してしまう。なんとなく分かるんだ。だから俺を殺せる相手に頼まなければならなかった」
今のラウラの体に暴力は備わっていない。つまり、お前の魔法なら自分を殺せる――暗にそれだけの可能性を持った魔法を持っている、と貴志から言われるも、ラウラの表情は晴れない。
「……無理だ」
否定。
しかしそれは、友人を殺さなくてはならないからではなく、
「お前は断れない。やらなければ俺は全てを破壊するぞ。お前も、クラスのヤツらも、この世界でお前が知り合った人間も一人残らず」
「そうじゃない。できないんだ、わたしは呪文をひとつも覚えていない」
ラウラはまだ魔法を使えないからだった。
「魔法を……使えない? 使い方を把握していないだけじゃなくてか? 精神や概念を操る魔法は直接触れられる距離でないと発動しないタイプもあるが」
「ステータス見ても未修得になってんだよ。わたしだけが最初から呪文を覚えてないんだ。たぶんあの天使のイヤがらせだろうけど」
一年という時間は長い。もちろん魔法の仕組みは調べようとした。
しかしラウラには、身近に女神の力から得た特別な魔法を持つクラスメイトがいなかった。誰とも比較できず相談できず一人だったのだ。成果がなくともラウラを責めることはできない。
「悪いな。でも無理なモンは無理だ。他の方法を考えてくれ」
「……いや、考える必要はない」
能面に戻った貴志は、感情のない幽鬼のような動きでラウラに近づき、
「創造こそ神の奇跡。ならば神を魔へと貶め、悪意を以って是を放つ」
「――ッ!?」
おもむろに手を伸ばした。
何の脈絡もなく使われるには不自然な言葉だ。違和感と共に頭の天辺から氷の刃で貫かれるような悪寒に襲われ、ラウラは即座にその場から横へ跳んだ。
すんでのところで躱した貴志の手は、ラウラの居た場所を素通りして寄りかかっていた樹木に触れる。樹木は根本から枝葉の先まで結晶となって崩れ落ちた。
「どういうつもりだッ!?」
急な攻撃に受け身を取るのがやっとだった。ゴロゴロと落ち葉の上を転がり、口に入った土を吐き出す暇もないまま叫ぶ。
「俺が思うに、天使は関係ない。魔法を使えない原因はお前にある」
「アア゛!?」
「俺達の魔法は願いから出来ている。魔法を使えないのは、魔法を望んでいない、魔法を拒絶をしているからだ。だからこう提案しよう……俺を殺せる力を願え、この森を生きて出るのは俺かお前、どちらか一人だ」
感情の昂ぶりと同調するかの如く貴志の両手が強い光を帯びていく。
「バカ野郎が短気起こしやがって! 絶対ぶっ飛ばしてこのシスターラウラ様がありがたい説教くれてやるからなァ!! 覚悟しろよ!!」
などと威勢よく叫んではいるが、すでにラウラは貴志と真逆、森の奥へ走り出していた。
ろくな獣道すら無くともラウラにとってここは一度探索を終えた場所だ。茂みが深く背の低い自分を隠くしてくれるようなルートを選択して走る。
新緑や芽吹いたばかりの枝が頬をかすめて傷ができる。だが、そんな小さな傷など気にしていられない。
小さな女の体になってからも鍛え続けてきたが歩幅も体力も負けている。その上、何でも破壊してしまう理不尽な魔法でまっすぐ最短距離を抜けてきたらあっという間に追いつかれてしまう。
(……はぁはぁ……なんだ、静かすぎる?)
しばらく全力疾走してから森の静寂に気づいた。
自分の息遣いと自分が枝葉を蹴散らす音しか聞こえない。
背後には影もなく追われている気配がなかった。
言葉通りに受け取れば、貴志の目的は自分が暴走する前に殺されることにある。ラウラが貴志を説得するために策を講ずるつもりなら、その行為は無駄だとわからせるために正面から待ち構えている可能性が高い。
(でも他の場合だったら……どうする、時間はないぞ)
窮地へ追い込み呪文を覚えさせる。それにはラウラの頭にすぐ思い浮かんだように、他に選択肢はないとラウラの心を折ることでも叶うだろうが――もっと簡単な方法がある。
ラウラを襲って、力づくで“殺し合い”に持っていけばいい。
元の世界で、ラウラは売られたケンカは全て買い圧倒的な腕力で解決してきた。
しかし、どこにでもある他愛ないケンカでも、鍛えている人間が殴れば人は簡単に死んでしまうことだってある。相手が複数で凶器を持っているようなケンカを何度も経験しているラウラなら尚更そのリスクに気づいていないはずがない。
つまり貴志は、ラウラは自分が襲われれば敵の死を容認できるタイプの人間だと認識している可能性がある。
更に他の方法として、貴志は「全てを破壊する」と言っていた。
クラスメイトもこの世界で知り合った人間も全てだ。
貴志の魔法が最終的にどれほどの脅威に成長するのか。神器を用いた破壊の魔法は世界すらも壊せてしまうのか。考えたところで答えはでなくとも、現状知り合い全員を人質に取られているに等しい。
実際、村では賊を容赦なく殺していた。自分が無価値だと感じた相手程度なら殺せるところを一度見せている。ラウラがこのまま姿を現さなければ、脅迫代わりにナルキ村の住人を殺しに行くかもしれない。
(まさかダチと本気で戦うことになっちまうなんてな……)
ラウラは足を止め、来た方向へと体を戻した。