07 九十九点の男
「ラウラちゃん、逃げたんじゃ?」
「ぜぇ、ぜぇ……だれが、逃げるかっての!」
「そっか! 小さいから足の短い馬しか盗れなかったんですのね!」
「うっせ、ちび言うな!」
小柄な少女の体に出せる精一杯ドスを利かせた声で叫ぶ。
村への襲撃に間に合わなかった事、さらに後から町を出たはずの二人よりも遅れた事に加えて「逃げた」と思われたことがラウラのプライドに刺さる。
もっとも、過剰に肩を上下させ息を荒げているのは、馬が潰れてから休まず自分の足で走り続けてきたからだが。
「ところで村のみんなはどこだ。向こうに盗賊っぽいのが縛られてただけで、ここまで誰とも会わなかったぞ」
「リットン様と村の外へ。だから心配ありませんわ」
「そう、無事か。思ったより小規模な集団だったみたいだな」
「いえ賊なら他にも、ほらその……そこに」
「……そこ? そこってどこよ」
「だからそこですわよ」
地面にある赤い結晶の山を指すポーネットにメイアがこくこくと頷く。
「うげ……まさかこのかき氷? マジかぁ……」
数分前まで人だった物、死体とすら呼べない物体に、女神の力から得た魔法の痕跡を感じ取ったラウラはうつむいて長い息を吐いた。
「わかった、ふたりも逃げていいぞ。あとはわたしがやるから」
「あなたみたいなちびっこを置いていけるわけないでしょう」
「また言いやがったな、アタマの悪そうなパツキン女め! 借りがあるようだから忠告で済ませてやるけどな、二度とわたしを子供扱いするんじゃない!」
「だれがアタマ悪そうですって!?」
「そんな言い合いしてる場合じゃないですよ!」
ついさっきメイア達とリットンがしたのと似た口論が繰り返される。
しかし、今回邪険にされた少女は、老神父と違い警告されても怒りを溜め込むばかりで逃げようとしない。
「それに……二人はともかく、わたしは逃げられないだろうし」
親指で示された先では、待ち焦がれた想い人と会えたかのように、少年がまばたきも忘れてラウラだけを見つめていた。
「お知り合い……なんですの?」
「んー説明しにくい」
「その反応! もしかして元カレですか!?」
「気持ち悪いこと言わないでくれ」
「まったくですわ、イカれ宗派の恋愛脳さんはちょっと黙っててくださいます?」
「前々から思ってましたけど、ポーさん私の教会にケンカ売ってますよね」
少年はメイア達の寸劇にも反応しない。無視しているというより耳に入っていない様子だ。
「ポーさんとはまた今度じっくり話し合うとして、どういう関係なんです?」
「さて、それはアッチがわたしを知っているかどうか次第」
「ラウラ……スペインの女性名? そう言えば祖母がラテン系だったな、相変わらず細かいところが雑だ」
「まぁ知ってないと、ここには来れないか」
二人の会話を聞いても少年とラウラの関係は見えてこない。はたして面識があったのかどうかさえ分からない不思議な問答に疑問は増えるばかりだ。
修道服3人娘の関係が希薄そうだと見るや否や、少年は村の外へ向けて指を折る仕草をして歩き出した。ラウラも無言でその後ろをついて行く。
「まっ、お待ちなさい! どこへ行くんですの!」
「邪魔をするなら次は容赦しない」
ポーネットが再度、聖杖を構えるも少年は振り向くことすらしない。
戦っていた時にも感じなかった圧倒的な殺意に、メイア達はラウラを見送るしかなかった。ようやく緊張が解けて身動きが取れるようになったのは、少年と少女が完全に気配を辿れないほど遠くへ消えてからだった。
「ところであの人、女を探してるって言ってましたね。少女でも子供でもなく」
「それが?」
「言い方的に、賊の目的は双子ちゃんで間違いないだろうけど、あの人は最初からラウラちゃんを探してたって事です」
「ふむ、となると……彼女は何者なんでしょ?」
教国の持っている情報では、ラウラがナルキ村に現れたのが一年前。転移者ではないかとされる集団が最初に目撃されたのは半年前より少し前。それも広大な魔の森を挟んで反対側の国だ。
過去の例に倣えば、転移者が複数人来る場合、各集団ごと共通点があった。今回で言えば“全員が若い男”だという報告を受けている。
二人が互いを知る機会などないはず――と、メイアもポーネットと同じ疑問を考えていたが、その問いに答えられる者は誰もいなかった。
――――――――――
「へいへい貴志クーン、そろそろ何しにきたか話そうぜー」
森に入って三日、もう何度同じ質問をしただろう。
話かけても前を歩くクラスメイトは無視を続けている。
たまの休憩時、食料を投げてよこすだけだ。
風で葉が擦れる音と枝を踏みつける音しかしない静かな森を歩いていると、だんだん不安が積もっていく。
一年ぶりに訪ねてきた級友、貴志瑛士。
異世界に来る前から考えの読めない男だった。
人と関わろうとしないくせに人間観察が趣味という変わり者。
(他のアホバカ連中と違ってコイツとは揉めたくねぇんだけど)
そして、総合的に見ればクラスで最も優秀だった生徒でもある。
無敵の喧嘩番長のような一芸に突出した生徒とは違う。貴志は物事の本質や関係性を見抜くことに優れていた。最低限の知識さえあれば何をやらせても即座に要訣を理解する。努力せずとも最短の道で結果を出す万能型の天才。
魔法という未知の技能を獲得した今、最も争いたくない相手だと言えた。
(わざわざこんなド田舎まで訪ねてくる目的なんて神器以外に考えられない。でもマジで殺しもありになってるとは……それとも村を襲ったのは凶悪犯だから仕方なくだったのか……くそっ、わからねぇ)
ほとんどのクラスメイトは、願いを叶えるためにしろ元の世界に帰るためにしろ、女神が遺した神器を探しているに違いない。
神器はいくつあるのかもどこにあるのかも不明である。世界を渡る魔法を込められた神器も、誰かが先に使ってしまえば、異世界に来た時と同じように使用者と共に移動し失われてしまうことが判明している。他人より早く多く確保するに越したことはない。
それでもここは異世界だ。
ある程度言葉や文化を知っている地球の異国ですらない。
ならば、願いを叶えるためには神器の奪い合いに勝たなくてはならないとしても、適応するまでそれなりの期間は大人しくするだろう、問題を起こすにしても小さなことから徐々にエスカレートするだろう、とラウラは考えていた。計算が外れたことに心の中で舌打ちをする。
「ぐっ……もう……ダメだ、これ以上は……」
一年前、天使の元から転送されて辿り着いた森の広場が見える所まで来くると、貴志が足を止めた。
「く、くくっ……ぷっ、はははははははははっ!」
一体何をするのかと思えば、腹を抱え、ラウラの後頭部を指さして大笑い。
警戒していた分、肩透かしを喰らったラウラはぽかんと口を開ける。
「女になって教国に潜り込もうとしてたのは知ってたけど……なんでそんな純白フリフリの特大リボンしてんだよ! カワいすぎるだろ! 似合わねーハハハハハッ!!」
危惧していた雰囲気にはならなかったが、ラウラはすねるようにポニーテールをくしゃくしゃに握り、唇を尖らせた。
「……楽なんだよ、髪まとめとくと」
「くはははははっ、いや、ない、百歩譲ってシスター用のワンピースは仕方ないにしても、そのリボンはないっ! ああでも確かに、これならお前が“あの”双一だなんて誰も気づかないな!」
「あーもう、うっせぇって! あと今はラウラで通してるから、元の姿に戻るまではその名前で呼ぶな」
「すまんでも…………よく聞いたら声までかわいいじゃないか! やばい、なんだのその甘ったるいソプラノボイス! 笑いすぎて吐きそう」
高校に通っていた頃、貴志は人前で声を上げて笑うところなど一度も見せたことがない。人付き合いは悪く寡黙だった男のバカ笑いを受けて、戸惑っていたラウラも次第に怒りが込み上げてくる。
「オメーはこんなトコまで俺をおちょくりに来たのか」
「プクククッ、口調が完全に戻ってるぞ…………とまあ、くだらない話をしてる間にわかることもある」
「いや本気で笑ってたろ、この野郎」
ラウラが爪が食い込むほど拳を握りしめる。
そろそろ冗談で済まなくなってきた、とばかりに貴志はひと息ついてからいつもの能面に戻った。
「俺が会いに来たことに驚かなかったな」
「……そりゃあ魔法っつうくらいだから、千里眼みたいに知覚を拡張させるモンとか、過去視や予知能力みてーに情報集められる力も予想してたさ。この姿を見てるのも一人いるしな」
「そうか、田舎暮らしで惚けていないか心配したが杞憂だったか……しかし、ここまで文句を言いながらも気長に付き合った時点で、お前が俺の魔法にどうにも対処できないと白状しているようなものだ」
反射的に、ラウラの顔に男だった頃の癖が出た。
都合の悪い状況になるとまばたきの回数が極端に減る。無言でまっすぐ睨みつけることで相手を威圧して黙らせようとする癖だ。
「前より表情がわかりやすくなったな」
「ちっ……これだからお前とは会いたくなかったんだよ」
魔法を使い熟せるようになるまでは、とは声に出さなかったが、そこまで読まれていることを理解したラウラは、勧められるがまま地面に腰を下ろす。
「なら今はこちらの立場が上ってことで質問に答えてもらおう。双一、お前この一年何をしていた」
「普通にやるべきことを……“この体”に慣れるためのトレーニングだろ。それに筋トレ、言語の修得、この世界の歴史と風習の確認を――ってなんだ、そのツラ」
ゆっくりと指を折りながらやってきた事を思い出していく。だがその様子を見守る貴志の表情は無から不機嫌なものへと変わっていった。
「言っとくけどなぁ、小さくなるだけでも一ヵ月はまともに生活できなくなんだぞ。しかも超貧弱になってんしよ! 便所じゃ立ちションすらできねぇし!」
緋龍高校で番長と呼ばれた男は身長190cmの鍛え抜かれた筋肉の塊だった。それが今では、背丈はせいぜい140cmあるかないか。実に50cmも低くなっている。
当然であるが、手足も短くなり距離感はことごとく狂ってしまう。歩けば転び、コップを机に置こうとすれば手前に落とす始末。異世界での新しい生活は二重三重に困難が待ち受けていた。
「くだらない……やはりケツを叩きに来て正解だった」
「なんだエラっそうに。そういうお前はどうしてたんだよ」
「俺は、というか俺達はあの火事から――」
と、ラウラの質問に応え、貴志は燃える森で別れた後のことを語り出した。
火事から逃げ切った時点でクラスの三分の一がいなくなっていたこと。
残ったメンバーを貴志が率いて、森を西へ出ようとしたこと。
森を出てすぐの町で他国から流れてきた盗賊に間違われたこと。
言葉が通じず誤解も解けなかったため、森に戻り北を目指したこと。
森の奥地には魔物と呼ぶべき凶悪な生物が跋扈していたこと。
輪島が予想した通り、魔法は使用者にすら害を及ぼすものがあった。それでも危険を承知で魔法を使い、命からがら森を脱出するも互いを危険視するようになり全員バラバラになったこと。
「……自分だけスローライフ楽しんでてすんませんした」
「別に責めてはいない」
「てか他人に興味ないお前がクラスをまとめてたとは意外。キャラ変わった?」
「双一は勘違いしている、俺は人間嫌いじゃない。むしろ2-Aのみんなは好きだ。常識を逸脱したバカは見ていて退屈しないからな」
「おまえだって結局はIQ高いアホじゃねぇか、同じ特別クラスのくせに」
貴志も他のクラスメイト同様、器用に生きられない人間だ。
容姿は整い、家柄も良く、能力は高い。そのおかげで他人から嫉妬を買うこともしばしば。
しかし、貴志にとって自分より劣る人間に下げる頭はない。ケンカを売られれば暴力に巻き込まれることは必定であり、幾度も繰り返す内に気づけば問題児を集めた変わった高校で特別クラスの一員になっていた。
「痛いところを……俺はあのクラスに入れて良かったと思ってるけどな」
「ああそうかい。で、おしゃべりできて満足か。旧交を温めに来たわけじゃないだろ。何がしたい、わたしに何をさせたい」
痺れを切らせたラウラが本題を急かすと、貴志は胡座をかいたまま深く頭を下げた。
「頼みがある」
「あの貴志が人に頼み事か……今は“こんな”だし、できるかわかんねえぞ」
「助かる……ひとつはあいつらを元の世界に帰してやってくれ。全員、一人残らず」
「全員? こっちに来て一年だし残りたいやつもいるだろ」
「ダメだ、絶対に全員を帰せ」
有無を言わさぬ物言いに珍しくラウラがたじろぐ。
全てにおいて高い能力を持ち、何らかの強力な魔法も持っている貴志なら大抵の目的は自力で叶えられるはずだ。
「なんでだ、わたしがやらなきゃいけない理由もわからないし」
「それはもうひとつの頼みを聞けばわかる」
「言えよ。あ、いや、やっぱ今の無――」
言いづらそうにする相手の顔を見て猛烈に嫌な予感がしたラウラは止めようとするが、わずかに早く貴志が頼みを口にしてしまう。
「双一、俺を殺してくれ」