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オトメクオリア  作者: invitro
第六章 燃える魔法
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46 エピローグ6-① 聖女に救われた国

 宮殿から貴族街を抜け、大市場と歓楽街の間に帝都最大の広場があった。

 国を挙げての祝い事で使われる大広場は、神聖ミラルベル教国の聖都ラポルタにある物よりも遥かに広い。ルパ帝国の国旗で飾られた広場から六方向へ伸びる大通り、その端にまでひしめく民衆の数は一万人に届きそうなほどだった。

 ガヤガヤと賑わう喧騒により、隣人と会話をするにも怒鳴らなければ聞こえない。足を踏まれ、前へ詰めろと後ろからどつかれる。しかし、誰も帰ろうとはしない。これから行われる催し物を目に焼きつけようと必死に踏ん張っている。気の早い者などは、陽が上る前からグループで場所取りをしていた。


 これから始まるは皇太子礼。

 次の皇帝となる者をお披露目するための式典だ。

 そして、皇帝自らルパ帝国にとって重大な発表があると言う。

 だが、その件は帝都で暮らす者なら皆察していた。皇帝は、一ヵ月前に帝都近郊へ現れた炎の巨人について話すのだろうと。

 あわや世界の終焉かと帝都の民を恐怖のどん底へ落とした炎の巨人。その顛末はまだ正式に発表されていない。噂が噂を呼び、宮殿や中央行政府で働く法衣貴族でさえ真実を知らないとされている。



 式典のために設営された舞台にヌルンクスが姿を現した。民衆から悲鳴にも似た熱狂的な歓声が上がる。

 ルパ帝国の皇族にはいつの世も黒い噂が絶えない。それでも、国の指導者に求められる資質である絶対的な強さとリーダーシップを持ち合わせたヌルンクスの人気は高い。

 ヌルンクスが演台の前に立ち、銅鑼の振動が空気を震わすと、民衆は口を閉じ皇帝の言葉を待った。



「親愛なるルパ帝国の国民達よ。彼の災厄を乗り越え、今日という素晴らしき日を共に迎えられたことを、まずは女神ミラルベル様へ感謝しよう」


 演説は、感謝と祈り、そして先の戦闘で亡くなった者への黙祷から始まった。


「……本来ならばこの式典は、我が後継者を皆に紹介する場である。……しかし、今日はその前に、我々皇族が其方ら国民へ隠していた重大な秘密について話さなくてはならない。記憶に新しく、まだ多くの者がその胸に不安を抱えているだろう。帝都の町からでも見ることが出来た……あの天を衝く炎の巨人を」


 民衆が一斉に喉を鳴らす。

 皇帝の話は予想通り、そして望んでいた通りの話だった。

 あの炎の巨人は一体なんだったのか。

 姿を消したがその脅威は本当に去ったのか。

 帝都の民その全てが今日まで不安を抱えていた。


「巨人の正体から明かそう。あれぞ五百年前、異世界からやって来た侵略者。自らを魔王と称し、世界を恐怖に陥れた者だ」


 狂帝として知られるヌルンクスの言葉を遮って騒ぎが広がる。民衆の混乱は収まる様子がない。ヌルンクスは拡声の魔導具の出力を上げて、力強く断言する。


「安心せよ、彼の脅威は去った。五百年前の戦いで先代聖女が唯一止めを刺しきれなかった最後の魔王は死んだ。女神の名に誓って言う。これは間違いない」


 徐々に喧騒は収まっていく。

 何しろこうして皇帝だけでなく、国中から貴族や豪族が揃って式典に参加しているのだ。彼らの出席が安全を示している。


「炎の巨人をその目で見た者ならば想像できるだろう、彼の脅威を……魔王を葬り去り、この世界を守ることこそが、我々ルパ帝国の使命だったのだ。そして我々はついに、女神から与えられ、伝説の聖女から託されたその使命を果たした!」


 ヌルンクスが握りしめた拳を空に掲げる。民衆は隠された帝国の歴史に驚きながらも、彼の興奮につられて歓声を上げようとする。

 しかし、皇帝がその拳を演台に叩きつけてうつむいてしまったことで、皆万歳の姿勢で固まってしまった。何が起きたのかと再び静かな動揺が広がる。



「帝都の民ならば、気づいている者もいると思う……。今日は帝国にとって、長久の平和を勝ち取った記念すべき日である……しかし……しかしだッ! 今日、この式典に参加できなかった英雄がいる。彼の魔王と戦い散っていった者達……そして……」


 勘のいい民衆の視線が皇帝の背後へ向かう。

 そこには、第一皇子、第二皇子、大貴族――帝国の支柱となる者は揃っていた。何人か名の知れた将軍の姿が見えないものの、皇帝が伝えたい名前がそこにはないとすぐに理解できた。

 来賓席には、まだ火傷の痕が治りきらぬ枢機卿司教の姿があったが――昨年から滞在していたはずの聖女の姿がなかった。


 北国では特に目立つ色黒の肌に、眩しいほど白く美しい法衣を着た小さな少女。

 見慣れない黒目黒髪とスキンヘッドの青年を引き連れて、工房や市場で指導をしたり、教会で炊き出しをしたり、孤児院に人を集めて勉強を教えていた。彼女に懺悔を聞いてもらったという帝都のミラルベル教徒も少なくない。

 過激な言動で民を混乱させたり、焼き芋でボヤ騒ぎを起こして同じ使徒座の巫女に説教をされながら連れて行かれたりと、あまり高潔な聖職者には見えなかったが、帝都では好意的に受け入れられていた。その少女の姿がない。


「そうだ、我々は彼女を……聖女を失った。聖女ラウラは、魔王から受けた傷により命を落とした。彼女がいなければ、我々は魔王に敗北していただろう。どうか皆も、先に女神の御許へ旅立った彼女と同胞のために、もう一度祈りを捧げて欲しい」


 演説の始まりと同じく、広場が静寂に包まれる。

 感謝と鎮魂を想う長い祈りを終えると、言葉を続けるヌルンクスの声色が変わった。遺憾の込められた重い声から、ようやく華々しい式典らしく晴れやかなものになる。




「皇太子となる彼女に壇上へ上がってもらう前に、少しその素性について話そう」


 民衆が「彼女?」と頭に疑問符を浮かべる。

 皇族に妙齢の女性はもういないはずだ。亡くなった皇子の分の順位が繰り上がり、今では成人前のデモクリスが第一皇子と呼ばれているのだから。

 そんな民衆の疑問を無視し、ヌルンクスは自分のペースで演説を進める。


「その者は私の子ではない。しかし間違いなく、皇族の一員である。なぜなら彼女は……我が父とラバリエの姫ポーティアとの間に生まれた娘だからだ。では紹介しよう! ……と言っても顔も名前も知っている者ばかりか。先日、階位を返上するまでミラルベル教の巫女であった……ポーネット、ここへ」


 ヌルンクスが演台から一歩横にずれた。紅白の法衣を捨て、ルパ帝国の皇族が好む深紅のドレスに身を包んだポーネットがゆっくりと歩いてくる。

 元々、見目麗しい淑女の集まりとされる巫女の中にあって一際美しいとされるポーネットだが、式典のために着飾った姿は女神も斯くやと思わされるほどに輝いていた。


 ポーネットが優雅に挨拶をすると、嗚咽混じりの歓声が轟いた。

 帝都の中にも、帝国棄民と呼ばれるラバリエの生き残りがひっそりと隠れ住んでいる。その者達が、ポーネットの中に昔失われた王族の面影を見たのだろう。そして、滅んだと思われた祖国の血を引く者に帝位が約束されたのだ。感極まって泣き崩れる者もいた。

 ラバリエと関係のない帝国民にとっても、ミラルベル教の巫女と言えば崇拝の対象であり、ポーネットを疑問視する声や否定の声など誰も上げられない。


「我が妹ポーネットは、先代皇帝が権力争いから遠ざけるために一度は出家させた身でありながら、魔王復活を予期し、此度の戦では聖女ラウラと共に祖国であるこのルパ帝国へ参じてくれた。そして――――」





――――――――――





「よくもま~あんな堂々とウソ並べられるよなぁ」

「為政者ってどの世界でも嘘つきクソ野郎しかいないんかね」

「みんな大好き偽旗作戦!」

「皇帝は被害者面ってより歴史の捏造だろ」


 拡声の魔導具で増幅されたヌルンクスの声は、宮殿内にある後宮の一部を潰して新設された転移者用隔離地区にまで届いていた。

 軍が動いていた理由、戦の原因、帝国の歴史、ラウラの功績やポーネットの素性などなど、半分近くが作り話の演説を聞きながら、ヌルンクスによって囚われている鮫島達が毒づく。


「多々良君もあのシナリオを考えるのに一枚噛んでそうですけどね」

「たっ……ああ、本物の方ね」


 出された名前に反応して、提橋が嫌そうな顔を外へ向ける。

 本物の方、と表現される者がいるからには偽物もいる。虜囚である提橋達が、屋外に置かれたテーブルでまったりティータイムをしている理由がその偽物にある。


「らめら、はいふふよふひひてろうにもはらん」

「顔がアンパンみたいになってて何言ってるかわかんねーよ」

「何回ボコられたら気が済むんだっつうの、学習しろし」

「うふへーっ」


 女神の力と個々の願望を基にした魔法――その超常の力を持つ者が六人もいて、転移者用隔離地区から脱走できない。それはこの地区を内外・・から守護する者達に阻まれるからだ。全身甲冑を装備した大男達がねずみ一匹通る隙もないほど鋭く目を光らせている。

 しかも、その甲冑の中身が問題だ。甲冑を着ている男は多々良双一と同じ。全部で10人いる見張りの全てが同じ体格、同じ顔をしている。小山内が魔法で造り出した守護者達だった。


「コピー番長マジ反則じゃね。本物越えてんぞ」

「アレたぶん拙僧が使える一番強い強化呪文でも勝てんからな」

「オレの魔法で凍りもしないし」

「ふざけた魔法名のくせに理不尽すぎんよ、なんだよ兄貴魔法って」


 見張りからぎろりと睨まれると、全員魔法で造られた多々良双一の複製から揃って視線を外した。



「魔法がランダムに分配されたなら、自分の願いから生まれた魔法を手にしている人がいる可能性も当然あったわけですが……魔法を完全に使い熟せた場合、ここまで力の差が出るとは思いませんでしたな、はははははっ」

「笑い事じゃねえっつの。ついでに魔法の影響を受ける心配ないから、一人だけ高位呪文だろうが唱え放題っていう……」

「てか小山内のアレ、魔法レベル10なってんだろ」

「大声出すな、また睨まれんぞ」


 外見は多々良双一とまったく同じ。しかし、その在り方は小山内が求めた理想の多々良双一なのだ。小山内を守り小山内の願いを叶えるために存在する――賢く、強く、魔法も効かない無敵の兄貴。本物の多々良双一と違って感情が見えない分、複製達は不気味さを交えた恐怖を与えてくる。そんなものに見張られていては、背中を小さく丸めるしかない。




「話変わっけど、お前ら多々良が願いを叶えたらどういう世界になると思ってんだ」


 呪文でパンパンに腫れた顔から回復した幽村が問う。


「努力が報われるだけの才能と、努力が正当に評価される制度をくれてやるから真面目に働け!的な世界になる……って博士とサメが言ってたけど?」

「それプラス、平等かつ効率的に努力できる環境が与えられる、という感じですね」

「いい世界なんじゃね?」

「それだけ聞くとオレもそう思うけどよ…………ならなんで多々良は裏切った。ウソついてたのか?」

「まだ本当に裏切ったんか分かってないやろ、決めつけんな」


 幽村の言葉を鮫島が否定する。

 しかし、どちらの顔にも困惑が残っていた。

 自分達の置かれた状況を判断するための材料が少なすぎるのだ。

 そして、わからない疑問が多すぎた。


 ラウラは本当に生き返ることができるのか。

 小山内はラウラの意に従っているのか。

 ラウラの願いはまだ伝えられていない先があるのではないか。

 ラウラが裏切ったのなら、どうして自分達は生かされているのか。

 残された仲間の中で、ラウラと対等に難しい話をできるのは輪島だけであると適当に流してきたツケが出ていた。



「裏切られる前に裏切った……というところでしょうか」


 輪島がラウラの願いの先を予想する。

 まず思い浮かぶのは、既存の社会構造の破壊による混乱――しかし、こうした話に輪島達はあまり興味がない。もともと底辺高校の生徒であった彼らは、将来まともな職にもつけず、人並みの生活を送れるとは思っていないからだ。

 自分達は子供の内から社会の落伍者としての人生が決まっていた。制度や法律など大きな流れの変化には関われない。自分達は目の前にある環境を利用して、ずる賢く、自分勝手に生きる。それでいいと思っている。

 ラウラも元クラスメイト達の性格をよく知っている。ラウラの願いが大きな混乱をもたらすからと敵に回る相手はほとんどいないと考えていただろう。ならば、裏切りの理由は他にある。



「頑張れば頑張っただけ努力が報われる世界。限界なく成長できる世界ですか」

「何かひっかかるん?」

「つまり誰もが力ある存在になれる。悪人でも、犯罪者であっても。……誰もが拳銃を隠し持っているような世界で、平和を築くまでにはどれだけの血が流れますかね」


 細められた鮫島の眼が金剛寺の方へ向く。

 筋肉魔法を持つ金剛寺が本気で力を振るえば、鮫島をデコピン一発で殺すことができる。しかし、こうして同じテーブルを囲み、一緒にお茶を飲んでいられるのは信頼があるからだ。信条的には理解し合えない相手でも、命を奪いに来るような狂人でないと知っているからだ。


「誰もが平等な機会という恩恵に与れる。能力の低さにより不可能だった悪事や善行も思うように働けるようになる。そして、虐げられた弱者が国家や大企業、反社会勢力に個人で復讐もできるようになるでしょう。なかなか怖い世界だと思いませんか」


 ラウラの作る世界では、精神力こそが人の価値を決めるようになるだろう。

 そこで新たに形成されるであろう秩序も、今の社会と変わらないのか。

 今よりも弱者や怠惰な人間が淘汰されていく世界になるのか。

 人が人を恐れ、互いの関係が断たれた孤独な世界になるのか。

 それとも闘争が加速し人類は滅びるのか。

 はたまた世界を治められる絶対的な支配者が生まれるのか――



「……それはそれで面白そうじゃね?」

「どうなるにせよ、底辺のオレらが世界を変えるってのがいいよな」

「もうこれだから……バカはのん気で羨ましい」

「誰がバカじゃい!」

「お前だお前」

「全員ですよ。忘れていませんか。我々は社会のはみ出し者で、興味のないことは頑張れない怠け者です。だから底辺高校に追いやられていたのですよ。世界の法則が変わっても我々の人格は変わらない。また落ちぶれるだけではありませんか」


 最後の一言を聞くと、全員が顔に怒りを浮かべた。

 ラウラが目的を最後まで話さずにいた理由――ラウラはどんな世界に作り変えようとも、仲間に引き入れた全員がどうせまた落ちぶれると思っている。そしてそれに気づいた時、自分を裏切ると思っているのだ。輪島はそう予想する。


「ナメられてんなー、オレら」

「……輪島は多々良が神器で叶えようとしてた願いを把握してんだよな」

「経済の解放、権利の解放、知識の解放、素質の解放の四つまでは」

「ヨシッ、お前ら、これからはオレに力を貸せ。多々良が本当に復活できるかわからねェわけだし、代わりにオレ達で多々良の願いを叶えてやろうじゃねェか」

「ふむ、幽村君が……」


 輪島は値踏みするように幽村を見る。

 幽村の我の強さはラウラも認めている。神器を扱えるまでに成長できる可能性を持つ数少ない対象だろう。加えて、幽村は頭が悪く思考が単純だ。ラウラと違って輪島の裏をかくような企みを持つとは考えにくい。


「……いいですね、我々で多々良君の意志を引き継ぎましょう」

「どうせ暇だしやってやりますか」

「まあ、誰かが神器を使えるようにならないと元の世界に帰れないしなぁ」

「オレはとりあえず嫁のとこに帰りたい。それかここに嫁を呼びたい」

「提橋の意見は置いといて……みんな本当に幽村が新リーダーでええんか。こいつマジモンのアホやぞ」

「オイッ!!」

「ハハハっ、冗談、冗談やって」


 幽村がキレる前に鮫島は否定した。

 ラウラの計画への理解度では、鮫島と輪島が一歩も二歩も先へ行っているわけだが、どちらも人を統率できるような性格ではない。案外、率直で恐れ知らずな幽村はリーダーに向いているのかもしれないと認めていた。


「そんじゃ、たまにはあの野郎を見返してやろうぜ!」

「おうっ!」


 幽村が突き出した拳に、他の五人も拳をぶつけた。






――――――――――






 地上にはもう春が訪れているのに、その空間には真冬のような空気が残っていた。服の隙間から吹き入る寒気が釘の様に肌に刺さる。

 ここは霊廟。皇帝と一部の近衛しか立ち入れない宮殿の地下墓地だ。陽の光が届かくとも咲く不思議な白百合が二つの棺を囲んでいる。


 一つ目の棺は永い時を経て色褪せている。中で眠る女性こそルパ帝国建国の母、初代聖女。五百年もの昔にその命は朽ちたはず。しかし、その遺体は十代の少女が眠っているかのように美しく瑞々しさを保っていた。

 二つ目の棺は、ごく最近作られた物。こちらの中には二代目聖女ラウラが氷漬けで横たわっている。


「ねえアニキ、聞いた? みんながアニキの願いを引き継ぐってさ。ほんと、な~んにもわかってないよねぇ、あの人達……」


 小山内は毎日この霊廟の掃除をしながら、返事のない棺へ話しかけていた。


「魔法の発動を補佐してる存在が本当にいるなら、それを押さえた時点でアニキ以外は誰も複雑な呪文を使えなくなる。アニキが王手かけに行ってるのに、そこに気づかないんだもん。……それ以前に、アニキが元の世界や他の世界も改変しようとしてることにも気づいてなさそうだし、さすがに抜けすぎて不安になるかも……」



 背後で重厚な扉が開くと、温かい風が白百合の花弁を揺らした。


「今日も報告か。肉体は死んでいるのだ、意識は通じていないのだろう?」

「……日課ですから。それで陛下の方はどうでしたか」

「ラウラ殿が起こした奇跡のおかげで、反抗する者はいなかった。相変わらずバンデーン司教は聖女を教国へ返せとしつこかったがな」


 皇太子礼の後にひと悶着あったようで、ヌルンクスは肩を竦める。

 表向きの発表では――ラウラは炎の巨人を倒し、その後も残っていた魔王の配下と戦い、更には宮殿で死んだ者を生き返らせた奇跡の体現者として崇められている。

 そして、国家の恩人をここで祀ると主張する帝国と、殉教した聖女を女神の御許へ送ると主張する教国で対立が勃発していた。


 大きすぎる功績を残した聖女の遺体を他国へ渡せば、確実に火種として残る。転移者・各務が自由都市同盟シルブロンドで興した“天空の教会”のように、我こそが女神の意を汲む者だと、新たなミラルベル教が生まれるかもしれない。神聖ミラルベル教国は聖女の所属していた組織であり、その言い分には正当性がある。

 しかし、ラウラ自身は、自分が帰るべき遺体の管理を帝国へ求めた。二国間の溝は日々深まっているとしても、ラウラの思想に共鳴したヌルンクスが外圧に屈するなどあり得ない。



「ポーネットさんもちゃんと仕事してくれそうですか」

「アレも厳しい道を歩んできた。だからこそ私と同じく奇跡を待っていたのだろう。今ではラウラ殿に心酔している。問題ないと思うが……ポーネットを使う意味はあるのか。あの者の聖遺物では、本気になった転移者達とは戦えまい」

「そんなことはありませんよ」


 小山内は首を振って答える。

 口より先に手が出るほど喧嘩っ早いラウラが、過剰なほど慎重に行動している理由は、自分が物理攻撃に弱いと理解しているからだ。ラウラの魔法は強い。だがそれは、呪文をかけられたらの話。遠距離や広範囲、物量で攻められた場合、あっけなく敗北するだろう。

 今では同じ女性、しかも元巫女という立場で常にラウラの傍についていられるポーネットという護衛は、今後役立つ場面は多いはずだ。



「……それに……アニキは綺麗なものを身近に置きたがりますから」

「ほう、これでも中身は男ということか」


 ヌルンクスが棺の中を覗く。幼くあどけない顔にしか見えないが、一丁前に男子だったのだなと納得しているようだ。


「アレもメナス……ポーティアに似て美しく育ったようだしな。優れた者が子孫を多く残そうとするのは良い事だ」

「そうじゃなくて、精神的な話ですよ」

「だから肉欲の話だろう」

「いえ、精神修行的な意味で必要なんです」

「……禁欲がラウラ殿の精神を鍛えているのか?」


 その質問にも首を振って答える。

 小山内はラウラと最も付き合いが長く、近くて見てきた人間だ。故に、ラウラの思考をよく知っている。



 『最も効率のいい努力とは、他人が磨き上げた才能、選別し積み上げた知識、そうした価値の高い情報を盗むことだ。それができない人間は例外なく努力の質が低い』――というのが、努力中毒者ラウラの弁だった。


 他人を観察して有用な思考を盗む。

 言葉にすれば簡単に聞こえるだろう。しかし、実際に他人の感性や才能から生まれたソレを自分の内面へ落とし込むことは難しい。何十何百、場合によっては何千回と頭の中でその思考を使う場面を想像し、反復することでようやく物にできる。

 そして、他人の思考をなぞり続けるという行為は、没入しすぎれば自己を見失う。だからラウラは、自分の変化を確認するための灯台として第三者を利用する。そのために比較する基点となるもの――揺らがないもの、純粋で綺麗なものを身近に置きたがるのだ。



「……嫉妬か?」


 話をしている内、小山内の顔には不機嫌が滲んでいた。かつては自分の役目だったポジションに、今はポーネットが収まっている。そう気づいてしまったからだ。

 ヌルンクスは霊廟の外から部下に呼ばれると、子供じみた顔をする小山内を笑うようして出て行った。


「でもいいんだ。本当の意味でアニキを理解できるのも、支えられるのも、ぼくだけなんだから……だよね、アニキ……」


 霊廟に一人残された小山内は、何の反応も返さない遺体と会話を再開させた――


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