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オトメクオリア  作者: invitro
第六章 燃える魔法
116/119

45 表裏

 実質六章ラストなのでいつもより長めです。

 渇いた唇が強引にねじ開けられる。ガチンと硬い容器が前歯にぶつかった。刺激の強い粘液が舌の上を流れていく。


「ぶぶッ……げほっ、げほっ……なんだ、これは……毒か……」

「効くなぁコレ、輪島にいろいろ調合させといて正解だった」


 胃が噴火したように身体が火照る。舌を痺れさせる甘い苦みと喉を焼く熱い液体が、永遠の眠りにつこうとしていたヌルンクスの意識を覚醒させた。


「ほれほれ遠慮すんなって。おかわりもあるぞ」

「んぐぅっ!?」


 ラウラは空になった薬瓶を捨てる。これもこれも、と色の違う新しい薬瓶を開けては口へ突っ込んでいく。

 仮にも皇帝が相手だというのに、礼節も何もない雑な救命活動。

 その原因は、私室にいると考えていた皇帝が、謁見の間で玉座に座っていたせいだ。この場所を見つけるまで、汚れた裸の死体を跳び越え、男女の体液が悪臭を充満させる宮殿を走り回った。おかげで息も上がっている。


「生きてるのは予想してたけど、こんな場所で何してたんだ」

「……今朝、部屋の見張りが死んだのでな…………皇帝として、死ぬ時は戦場か玉座と決めていた……」

「なんだよ、カッコいい死に方したかっただけかい」


 玉座で項垂れる男の返事を聞いて顔に失望の色が滲む。

 輪島は、ルパ帝国を手に入れるところまでは予想していたが、その方法が外れていた。操るべきは皇子やポーネットよりも現皇帝――ラウラが一人で宮殿に来たかった理由のひとつは、ヌルンクスと交渉し、新たな仲間に誘うためだった。


「思ったより根性ねぇな」

「この苦悩が誰に分かるものか……」

「おいおい、こっちはこれまで築いてきた地位や関係を捨てる覚悟で来てんだ。そんな期待外れなこと言ってくれるなよ」


 ヌルンクスは挑発に反応しない。頭が割れる程の痛みに顔を歪めている。罵倒されても否定するのが精一杯で、睨み返す力も残っていない。

 今は手元にない様子だが、聖遺物“ディシプリンの栄光”の力によって守られているおかげだろう。しかし、色欲の洗脳を受けていないとしても、以前の精力的な皇帝とは様子が違う。大きく肩を落とし眼に力がない。『罪科に応じた痛みを与える』という聖遺物の特性に負けてしまっているのだ。



「……戦場で、デモクリスからおまえがどういう人物なのか聞いた時に感じたんだけどな……。こいつはなぜ争う事に狂っているのか。その根源は何か。こいつは……これまで出会った誰よりも、わたしに近いんじゃないかって」

「小娘が知った風な口を」

「なあ、おまえは人の行き着く果てを見たくないか」


 閉じかけていた瞼がピクリと反応した。

 空色の瞳が大きく開かれ、褐色の少女を捉える。

 これまでは、今際の際に見る幻と話をしているつもりだったのか、初めて聖女と会話をしているのだと気づいた様だった。


「もう一度聞く。おまえの言う闘争の果てへ、これから何百年何千年とかけて人が辿り着く場所へ、自分も行きたいと思わないか」

「そんな問いに何の意味が……否…………なぜ一人なのだ。他の者は? なぜこの光の中で平然としていられる……貴殿は……一体何者だ」

「ははっ、聞かなくてもわかるだろ」


 力を取り戻しつつある瞳を見て、ラウラはにたりと笑った。

 これでようやく本題へ入れる、と。


「わたしは藤沼と同じ世界から来た転移者だ。女神の遺した神器を手に入れて願いを叶えるためにミラルベル教を利用している。あと、こんなナリだが本当は男だ。本名を多々良双一という」


 ラウラが初めて異世界の人間に真実の名と目的を告げる。

 すると、ヌルンクスは訝しげに目を細めた。

 多々良双一。その名前を知っている。ヌルンクスが最も近くに置いていた転移者・藤沼泉太郎が、世界で最も恐れ、最も警戒し、最も嫌っていた相手の名だ。

 同じ人間とは思えないような威圧感を放つ筋骨隆々の浅黒い大男という話だったため、こんな少女の姿で現れるとは完全に予想外だったが。


「それで、そのタタラソウイチは私に何を求める」

「絶対の服従。何があってもわたしを疑わず、何を犠牲にしてもわたしを守れ」

「……教国の後ろ盾があるのにか? 転移者の仲間も多いと聞いているが」

「ミラルベル教だけじゃダメなんだよ。目的に気づかれたら敵になるからな。転移者の仲間も大半はわたしの願い……というより、願いを叶えた後に何が起こるかを理解すれば敵になるはずだ。……ついでに、このまま進めば致命的なミスになると予言をもらったんでな。新しい拠り所を得るには良い機会だった」


 これまでも、ラウラは輪島や鮫島達に対して嘘はついていない。だから協力することができた。

 しかし、ラウラの求める世界平和がどういうものか。その平和はいつまで続くものなのか。ラウラの語る平等という言葉が“何に”、“どこまで”適応されるのか、まだ誰も正しく想像できていないのだ。


 それと、もう一つの不安要素。

 転移者が集まりはじめた今、いづれ全ての魔法名が明らかになる日も来るだろう。

 魔法は願いから生まれている。ならば、ラウラの願いを基にした魔法を割り出し、そこから隠された最終目標を推測する者が現れるかもしれなかった。

 信用できない仲間はリスクでもある。今より信用できる仲間が見つかれば、そちらと入れ替えた方が、後々の都合がいい。




「ヌルンクス……なぜこんなところで死にかけている。藤沼に聖遺物を奪われたのか。ならなぜ取り戻そうとしない。なぜ裏切った藤沼を殺そうとしない。おまえは息子から狂っていると言われるほど、戦いこそが人類を先の世に導くのだと信じてきたんだろ」

「……………………」


 今度はラウラから責めるように質問を返した。

 ヌルンクスは聖遺物から与えられる痛みにただ耐えるのみ。玉座から指先ひとつ動かせないでいた。かつての信念を失い、心が弱っている証拠だ。


「沈黙か……まぁ答えなくてもわかる。おまえはわたしと同類だ。今は先代聖女の思惑も、歴代皇族が果たしてきた使命もどうでもいいと思っている。過去の遺産を未来へ繋いだところで何の意味もないんだから」

「違うッ。私はこの国の皇帝として、国家の父として…………クッ」

「……ほら、反論できないだろう。理解しているからだ。自分は理想に届かない。誰も導けない。自分の人生に意味も価値も見い出せない。そんな自分よりも更に劣る人間達に一体何を期待すればいいのか…………ずっと絶望から目を背けて、狂人を気取りながら、心の底では楽になる口実を探していたはずだ」

「…………やめろ」


 心を読まれているかの如く、次々と内に抱えていた絶望を言い当てられ、聖遺物が与えてくる痛みに負けそうになる。皇帝としての矜持を捨て、玉座から下りて地面でのたうち回りたくなる。


「炎の巨人が現れた時、女神からの啓示だと思ったか? 女神の使いに道を指し示してもらえると期待したか? 奇跡が消失したことで、もう諦めてもいいと、これで言い訳が立つと、自分を納得させたか?」

「…………やめろ……やめろっ! それ以上私の心を読むなッ!」

「おまえこそ目を逸らすな」


 顔を下げたヌルンクスの髪を掴んで玉座に押しつける。


「言っただろ、おまえとわたしは同類。わたしがおまえを理解できる様に、おまえもわたしを理解できるはずだ。ただ、わたしはここより進んだ文明の中で育った異世界の人間……わたしとおまえの違いは、高度な科学知識と魔法という超常の選択肢を持っているかどうかだけだ」


 力づくで目線を上げさせられ、その眼に少女の顔が映る。


「今の姿を見て確信した。おまえは自分勝手なだけの狂人じゃない。闘争の果てに求めている何かがある。そしてそれはわたしと同じもの……人の身では決して届かないものを求めているから苦しんでいるんだ」

「…………貴様は、平和で争いのない世界で暮らしてきたのだろう。……私は五百年前、この世界が魔人に蹂躙された時のように、我が民に無念と後悔を抱かせないために人類の進歩を望んでいる。そのために、自らの血族すら犠牲にしてきた。我らの血から“究極の指導者”が生まれると信じてな。その五百年の歴史を背負う私と貴様が、同じものを見ているだと! ふざけるなッッッ」


 侮辱と受け取ったヌルンクスは力を振り絞って怒鳴り散らす。


「むしろ、わたしの望みはおまえが進む道の先を行っている」

「貴様、まだ言うか! いいだろう、そこまで言うのなら貴様が何を求めているのか聞かせてみろ。納得のいかない答えであれば、この場で首を刎ねてやるぞ!」

「ああ、先ずはわたしが見ている世界から話そうか――――」








 聖女ラウラと皇帝ヌルンクス八世。

 二人はよく似ていた。

 飽くなき闘争心、際限なく沸き上がる自己実現欲求に従って行動する。自分は誰よりも高みを目指せる才能を持って生まれてきたという自負を持ち、世界に蔓延る間違いを正す機会を与えられた人間として、己に責務を課している。

 目的のためなら多大な犠牲も許容する彼らの選択は、時に非情に、あるいは傲慢な悪意に映るかもしれない。しかし、全ては叶えたい願いに必要だと迫られた故の結果だ。犠牲が事実の微々たる一面だとは思っていない。彼らの行動は、最後は救済という言葉に繋がっているのだから。









 数時間にも及ぶ問答を交わし終えた時、その手は震えていた。


「……正気か。そんな事をすれば、全国家を敵に回す。いや……それどころか、女神の怒りに触れるぞ」

「何の問題がある。世界全ての人間に否定されようと、神からおまえは生まれてきたことが間違いだったと言われようと、正しいのはわたしだ。わたしが正しい」


 身体を震わすその感情は、歓喜だ。

 これほど迷いのない人間が存在するなんて思いもしなかった。

 神よりも自分が正しいと言える人間を見たことがなかった。

 自分よりも先を歩く者がいるなど考えたこともなかった。

 だから――ヌルンクスは玉座から立ち上がり、盛大に声を上げて笑った。


「何かおかしなところでもあったか」

「くくっ、いやなに、私を狂っていると言う者も多くいるが、彼奴らが間違っていたと知れて嬉しいのよ……私もまた凡庸だった。この世で狂人と呼ばれるべきは其方だけだ。がぁーはっはっは!!」

「笑いすぎだろオッサン」


 自分よりも丸々頭ふたつ分背の低い少女から睨みつけられる。

 しかし、人を試すような無礼極まりない視線も、少し舌足らずで糞生意気な言葉しか吐かない口も、真意を知ればその全てが小気味良いと感じていた。


「で、どうする。わたしの手を取るか」

「…………ラウラ殿、どうか私を真なる闘争へお導きください」


 ラウラは握手のつもりで手を差し出したが、ヌルンクスは跪いてその手を取った。主君に忠誠を誓う騎士のように、自らの額に軽く押しあてる。


 『この世で狂人と呼ばれるべきは其方だけだ』――本人が認めるように、ヌルンクスは同じ知識、同じ経験を得たとしても、同じ答えを出せるとは考えられなかった。ラウラが胸に秘めていた願いは、それだけ常軌を逸していた。

 人の欲深さを知らず誰もが分かり合えると信じる浅はかな博愛主義とも、正義感に酔った子供じみた救世主願望とも違う。過去に存在したあらゆる偉人、あらゆる聖人、あらゆる王が理想として掲げることすらできなかった世界を求めていた。

 話を聞いただけで、ヌルンクスが生涯を懸けて築いてきた価値観を一新させてしまうほどに、その理想は狂気に満ちていた。



「ラウラ殿は……実はそちらの世界の神が遣わせた天使なのではないか」

「あんなものと一緒にするな。それに、わたしの世界に神はいない」


 男に握られて気分が悪くなったかアザナエルを思い出してか、ラウラはヌルンクスの手を雑に振り払う。もっとも、その表情には僅かながら達成感が見える。ひとつめの目標であるヌルンクス八世の篭絡を完遂できたからだろう。






「あーん? なんか女が増えてるなぁ……ふひっ」


 ラウラが一人で宮殿に来たもうひとつの理由は、自らの足で歩いてきた。

 色欲の結界を造り、大勢を殺した張本人。転移者の仲間を集めて世界のどこかで暗躍している御影彰の部下――藤沼泉太郎。

 フラフラとした足取りで謁見の間へ入ってきたその手には、ヌルンクスから奪った聖遺物“ディシプリンの栄光”があった。藤沼が起動させた直後と違い、今は血のように鮮烈な赤みを帯びた金色の光を発している。


「ふ、ふひひひ……最後の女が死んだと思ったら、また女の気配がするし、なんか死ぬほど頭いてーし……来てみたら、オレの指切り落としたクソ聖女がいやがるし……ふひ、どうなってんだこりゃあ……ひひひ……」

「我が聖遺物の光を浴びて意識を保てるとは……思ったよりも骨のある男だったようだな」


 不気味な笑みを浮かべる藤沼に対し、ヌルンクスは迷わず腰の剣を抜いた。つい数時間前まで死人同然の顔をしていた人間とは思えぬ早さで裏切り者へ斬りかかる。

 藤沼は、袈裟懸けに振り下ろされた刃を無抵抗に受けた。剣は不思議な力で受け止められ、肩で弾かれる。握力が万全に戻っていないヌルンクスの手から剣が抜け落ちる。


「チィ! 貴様の力は色欲を操るものではなかったのか!」

「うるせぇな……まずはこの痛みを止めてくれや、どういうわけかこの頭痛だけは防げねぇんだ」


 握っていた帝冠――ディシプリンの栄光が投げつけられた。聖遺物の適合者を殺したところで、帝冠から溢れる光が止まるのかどうか判断がつかなかったのだろう。

 ヌルンクスはラウラを一瞥して頷いたことを確認してから聖遺物の力を止めた。


「っツゥ~……なんで頭痛がおさまらねーんだ。本当に止めたのかよ」

「相変わらず他人に媚びるしか能がねぇのな、藤沼」

「あ?」


 頭を抱えたまま藤沼の意識がラウラへ向く。


「高レベルの呪文を平然と止めた……つまり、魔法の影響は受けているが完全には呑まれていない。で、今は不変魔法に切り替えている。他人の魔法を借りられても、同時に発動できるのは一種類の魔法だけ……情報漏らしすぎだろ。あと不変魔法は治す魔法じゃねえ、頭痛が出てから呪文唱えて回復するわけないだろマヌケ」


 いつの間にか淫靡なオーロラが消えていた。窓から差し込む桃色の光がなくなり、薄暗くなった謁見の間を魔導具の明かりが照らしている。色欲の呪文が解除された証拠だ。

 目的が時間稼ぎならば、結界を解除する理由はない。藤沼は複数の魔法を使えるが、同時に違う魔法は使えないと言っているようなものだった。


 藤沼がラウラに言われて不変魔法を解く。

 不変魔法は現状を維持する魔法。ラウラの言う様に、頭痛が出てから呪文を唱えれば、むしろ逆効果。いつまでも痛みは続くことになる。

 思考を蝕んでいた頭痛が消える。それと同時に浮かべていた不気味な笑みも消えた。藤沼の精神状態を固定していた効果も解けたのだ。


「クソチビが……つか、どうやってここまできた。オレの魔法はレベル10になったんだ。聖遺物ごときじゃ防げないはずだ」

「自分で答え言ってんぞソレ」

「なんだと………………チッ、そうか、魔法かよ。見た目を変える魔法があるなら、女でも誰かが化けて……あ? その、目つき……そんな、おい、まさか……テメー、多々良なのか?」


 色欲の悦楽から怒りへ、怒りから驚きへ、驚きからもっとも出会いたくなかった相手への嫌悪へ、藤沼の表情が目まぐるしく変わっていく。

 そして最後に表れた感情は――ラウラへの強い敵意だった。


 自分を敵視している相手はよくわかる。ラウラが日本にいた頃、不良や大人達から幾度となく向けられた視線だ。しかし、正体を言い当てながら、藤沼が敵意を衰えさせないとは意外だった。

 藤沼は強い者に逆らわない。強い者に媚びへつらい、その威光を笠に着て、自分よりも弱い立場の者を嬲り、貶し、威張り散らすことを至上の楽しみとする。そういうゲスな男なのだ。


 藤沼がどういう人物か思い出して、ラウラは首を捻った。


「そういやおまえ、高校ん時もわたしには媚びなかったな、なんでだ。一番強いのはわたしだろう」

「………………気に食わねぇからだ」

「は?」

「そうやってッ! テメェはいつもオレを見下してたからだ! 誰だっておだててやれば少しはオレを認めてくれる。だけどテメェだけは違った! 多々良だけはオレを何の価値もない虫けらみたいに見てた! ムカつくッ、マジでムカつくぜ多々良! お前だけはあの頃から本気で殺してやりたかった!」

「あっはっはっはっ、なるほどね」

「何笑ってんだコラ!」


 藤沼が鼻を膨らませて言い返す。


「その傲慢なツラが気に食わねぇっつってんだよ!!」

「ハハハハッ、はぁー……くだらね。おまえの劣等感は正しくて間違っている」


 ラウラは哄笑してみせるも、目は少しも笑っていなかった。


「わたしはよく人をバカにしてるとか見下してるとか言われるけど、厳密には少し違う。わたしは自分が本気で優れていると思っていない。何もかもが足りない。何ひとつ理想に届いていない。……何を言いたいかわかるか」

「だからそうやってワケわかんねーこと言ってバカにしてんだろ!」

「そうだ、バカにはしている。だけどそれはわたしも同じだ。バカすぎて、弱すぎて、おまえも、わたしも、等しく無能なんだよ」


 それは番長・多々良双一の口から出るはずのない、自分を卑下する言葉だった。

 何を言われたのか理解できず藤沼の脳が思考を止めた。


「わからないなら気にするな。つーか、おまえ……見下すとか以前に、わたし以外からも死ぬほど嫌われてたじゃん。おまえの人生に少しでも価値があると思ってるやつ多分ひとりもいないと思うけど?」

「テメェマジゼッテェコロスッ!!!」


 呪文を唱えて藤沼が殴りかかる。

 藤沼には色欲魔法以外にも、物理干渉も精神干渉も防げる無敵の力――不変魔法という加護がある。

 聖女を守ろうとするヌルンクスの剣を防ぎ殴り倒す。倒されたヌルンクスは、“ディシプリンの栄光”を起動するが、既に藤沼には効かなくなっている。


「学習しねぇな」


 全力のこぶしを紙一重で避けて藤沼の靴を踏んづける。

 藤沼は不格好な姿勢で転ぶも、当然の様に無傷だ。だがその顔には、怒りに燃える様がありありと浮かんでいた。極度に激昂した状態で不変魔法を使ってしまった藤沼は、何度転ばされようとラウラに殴りかかることをやめられない。


 ラウラにとって頭に血が上った藤沼から逃げ続ける事は簡単だ。ただし今は、他に気にかかっている事がある。色欲の結界が消えたせいで、短気な仲間が宮殿に入ろうとしていないかどうかだ。

 持久戦を望まないラウラは、隙を見て藤沼に話しかける。




「“共有魔法”ってのは神気も他人から借りられるのか?」


 立ち上がろうとしていた藤沼の動きが途中で止まる。

 共有魔法――それは、油小路が帝国から逃げる前にラウラへ告げた、御影彰の持つ魔法の名前である。


「マジギレしてる最中に止まれるのか。……もしかして意識なんかも共有できてる? というより、共有魔法の所持者の方が主導権を握ってたりすんのかな? おい、聞いてんのか


 ラウラが腰を曲げて片膝立ちをしていた藤沼の顔を覗くと、怒りに燃えていた顔が、不敵なにやけ面に変わっていた。


「本当に厄介な野郎だな、多々良。……あの時、輪島の隠れ家にいた二人が両方偽物で、ちっこい女の子の方が本物だったとかマジ騙されたぜ」

「年寄りは想像力が足りない」

「ははは、あ~うぜっ。ちっと年少入ってただけでオッサン扱いすんじゃねぇよ。……ちなみに藤沼の体は乗っ取ったわけじゃない。あくまで話し合って借りたんだ。人聞きの悪いこと言うな」


 御影が藤沼から意識の主導権を奪ったのだろう、という質問は当たっていた。

 藤沼の話し方が変わる。軽くて掴みどころのない、それでいて力強さと自信が溢れている。ラウラとはまた違うタイプのカリスマ性を感じさせる話し方だった。そしてそれは、記憶にある御影彰とまったく同じ印象を抱かせる。


「多々良……高見と油小路を殺したな?」

「やったのはわたしの仲間だ」

「はいはい、そういうのいいから。2-Aにお前が生きてたのを知って警戒しないヤツいないからな」

「こっちからも聞かせろ。お前は魔法を集めて何をするつもりだ」

「それはこっちも聞きたいねぇ。多々良の目的を話したら教えてやるよ」

「敵に話すつもりはない」

「敵か……残念だが交渉決裂だな……お前も仲間に欲しかったけど、藤沼が殺したがってるから体を返すぜ」


 藤沼の様子が変わった。

 再び強い敵意が瞳に宿る。


「お前の物は俺の物 俺の物はお前の物」


 色欲魔法とは違う白い光が藤沼の手から発せられる。

 光は形を変え、何も持っていなかった藤沼の手に剣が現れた。


「……へぇ、財産の共有とかそういう呪文もあるか」

「なっ!? 一回見ただけでなんでわかんだよ……。確か前回も色欲の呪文を見破って……そうか、わかったぞ。さては変身させてるのは別のヤツの魔法で、テメェは心を読む魔法だな!?」

「ぶははは、なに言ってんだ。今の詠唱聞いて予想できねぇバカいねーよ」

「うるせぇ死ね殺す!!!」

「ラウラ殿ッ!?」


 ヌルンクスが投げ寄越した剣で、藤沼の斬撃を受け流す。


 不変魔法は疲労とは無縁だが、筋力を上げられるわけではない。しかしその事実とは別に、外からの物理干渉を無効化できる――反作用による影響を無視できるという性質があった。

 つまり、殴る斬るなどの行為で、藤沼は物質からの反発を受けつけない。連続で力を込め続けられるという意味で、藤沼の攻撃は疑似的な怪力となるのだ。

 だから不変魔法の攻撃は受け止められない。ラウラは、避けるか正面以外の角度から力を加え、相手の力を利用して戦う。


「オラオラどうした! この前とは違ぇぞ、もう不変魔法が途切れることはねぇ!」


 御影が更に力を与えたのか、藤沼の精神は前回よりも安定している。不変魔法の効果が途切れることはなさそうだ。勝利を確信して調子づいている藤沼の言うように、戦況は圧倒的に不利だった。

 しかしそれでも、ラウラは笑った。




 ラウラの脳内では、既に藤沼の裏にいる御影彰の分析がはじまっていた。


 先ず、最も警戒していた攻撃は、油小路の火炎魔法だ。しかし、藤沼は炎ではなく武器を選んだ。御影がラウラに『高見と油小路を殺したな?』と聞いてきたことからも、油小路は共有魔法の影響下から抜けたと考えられる。

 更に、まだ存在を知らない強力な攻撃ができる魔法の所持者も、御影の仲間にいない確率が上がった。

 また、警戒するほど知恵の回る人間も御影の傍にいない。もしも味方が不変魔法を使うのなら、ラウラや輪島の場合、自爆特攻前提で殺傷力の高い爆発物や広範囲に飛散する毒物を用意している。


 高見に対して共有魔法を使っていなかった点もいい意味で判断材料になった。

 相手を選別する――その思想は“共有”と相反するものである。

 不変魔法を使えるという事は、鉄哲也も共有魔法の対象になっているはずなのに、藤沼が鉄の持つ空手の才能や技術を持っていないことも気になっていた。


 仲間を増やすほど強くなり続けるであろう共有魔法は、明確な未来の脅威である。

 しかし、御影の魔法レベルはまだそれほど高くないと予想できた。




「さすがに疲れてきたかァ! 動きが遅くなってきたぜ!」


 ラウラの手や腕に薄っすらと捌き切れなかった斬撃の痕が増えてきた。さらに数合刃を合わせると、藤沼の剣がラウラの腹部を突いた。


「おっとごめんなぁ、女の子の大事なお腹に傷つけちゃったぁ~ってか、ぎゃはははは」

「勝ち誇るのは勝手だけど、この法衣は聖遺物で作った糸から織られた特別製でな。傷はついてねぇよマヌケ」


 確かに表面は切られてはいないものの、激痛が内臓に甚大な損傷を伝えてくる。


「まあでも……そうだな、わたしをここまで追い詰めた事は誇っていい」

「ヨユーこいてんじゃねえよ、ゲームのラスボスかテメェは」

「おまえの人生にとってはラスボスなんじゃないか。負けイベントだが」


 ラウラは預かっていた剣を持ち主に投げ返す。


「仕上げと行こう……。ヌルンクス、その剣で胸を突いて死ね」

「わかった」

「……は?」


 ヌルンクスは右手で刃を、左で剣の鍔を握った。

 剣先を左胸の肋骨の隙間に合わせる。

 そして、心臓のある中心へ向けて躊躇いなく突いた。

 口から大量の血が溢れ出し、仰向けに倒れる。


「え、は……? ハ? ハァアアア?? なんで? お前、そいつを助けに来たんじゃ……それより、今のは……八幡の持ってた王様魔法? ……でもアイツは、貴志に殺されたはずで……死人の魔法は御影さんの共有魔法だって……」


 藤沼はパニックに陥る。

 目の前で唐突に起きた自殺を受け入れられなかったからだ。

 ヌルンクスはなぜ死んだ。

 どうして『死ね』なんていう不可解で理不尽な命令に従う。

 理解できる点が一つもなかった。


「不変のはずの精神が乱れたな。何人いるか知らんが……意識を共有して今の光景を見ていた全員が動揺した影響じゃないか、と予想するがどうだ、あってるか?」


 ラウラは胸に刺さった剣を抜く。ヌルンクスの首に指をあて、脈がないことを確認してから、冷静に藤沼と対峙し直した。


「共有魔法……魔法による侵食も共有することで分散できるから、藤沼はあれだけの呪文を行使した後も普通にしていられる。しかし、共有とは力が増える概念じゃない。誰かに差し出した分、自分の力が削られる。全員が全員の能力を使える代わりに、個の能力の弱体化は避けられない。他にも弱点がありそうだな」

「……まさか、それを確認するためだけに皇帝を殺したのか」

「わたしはそこまで短気じゃない」


 ラウラは自分が置かれている状況をひとつひとつ整理していく。



 他の仲間は貴族街の外にいる。自分が窮地にいるなど知りもしない。助けは期待できない。

 ヌルンクスの死を見て藤沼の精神は揺らいだが、また呪文を唱え直せば、状況は元通りラウラの不利へ戻る。

 借り物とはいえ、低位の呪文では不変魔法で防がれてしまうだろう。

 不変魔法の前では、ラウラの得意な暴力も役には立たない。時間稼ぎはできてもダメージを与えられない。疲れない男からは走って逃げることもできない。

 唯一の味方は死んで、自身も満身創痍だ。


「手は尽くした……しかし、このままだとわたしの方が殺されてしまう」


 ラウラは手で両目を覆い、天井を仰ぐ。


「……なんだ急に……自分で皇帝を殺したくせに、気でも触れたのか? ……あ、ああ、そうか。テメェ、負けたことなさそうだもんなぁ! オレみたいな雑魚に殺されるのがわかって、おかしくなっちまったのか! ハハハハハハ!!!」


 藤沼が剣を握り直して言う。


「でもダメだぜ、逃がさねぇ! テメェは……そうだな、理由は知らねーけどせっかく女になってることだし、痛めつけて、色欲で洗脳してレイプしながら殺してやるよ。もっと犯してくださいってよがりながら死んでいけや!」


 剣を捨てて立ち尽くすラウラの姿は、完全な無防備だった。

 しかしどういうわけか、藤沼はラウラに近づけない。

 意に反して体が前に進んでくれない。

 無防備だが不吉を予感させる、ラウラの全身から漏れ出る黒い光が気になった。

 藤沼もこれまで多くの魔法を見てきている。

 そのどれと比較しても、こんな不気味で嫌な印象を与える魔法の光はなかった。

 口からは威勢のいい言葉が延々と出てくるのに、気づけば足が逃げたがっている。


「……これでやっと、最後の呪文を使う条件が揃った」

「状況わかってんのか。ムダな抵抗すんじゃねぇよ」

「藤沼、おまえが死ぬ事は決まっている。どの予言でも必ずそうなっている」

「アア? 予言だと? ナニ言ってるかわからねぇけどな、不変魔法がある限り、多々良がどんなに強くても、どんな魔法を持ってても、意味なんてねぇんだよばぁあああか」

「おまえの低レベルな不変魔法では、今から使う呪文は防げない」

「ふざけんじゃねぇ、そんなことあってたまるか!」


 藤沼は歯を食いしばる。

 目の前には殺してやりたいほど憎んでいた相手がいる。

 自分をナメた。バカにした。コケにした。

 誰かの影に隠れなければ何もできない自分をみじめにさせた。

 自分にはそれしかできないのに、その生き方を否定された。

 逃げる訳にはいかない――と思っていたはずだったのに、


「……………………あれ?」


 気づけば無意識にラウラへ背を向けていた。

 疲れ知らずの肉体で、呼吸も忘れ全力で宮殿の廊下を駆ける。

 頭に響く仲間達の声が、戻って多々良双一を殺せと叫ぶ。しかし、そんな意見は聞けない。自分の命よりも優先するプライドなどない。自分を尊重してくれない仲間の意見もどうでもいい。自己保身が第一。それが藤沼という男だ。



「ちくしょう! ちくしょうちくしょうちくしょう!! やっぱこえぇよアイツ! なんなんだよあの光! なんでオレがあんなバケモンと戦わなきゃいけねぇ!? オレはなんてかわいそうな人間なんだクソォ!!」

「わたしは魔法を無駄撃ちしない。逃げても無駄だ」


 足音はどんどん小さくなっていく。

 既に謁見の間を脱出した藤沼に、その警告は聞こえていない。


「最後にこんな呪文を覚えるなんて……貴志の退屈しのぎから生まれたと思ってたのに、予想とは全然違う願いから生まれた魔法だったんだな……」


 藤沼の行動は正しかった。

 ただ遅かった。

 相手の正体を知った時点で、死に物狂いで逃げるべきだった。

 二度と会わないようにどこへなりと姿をくらますべきだったのだ。

 ラウラは目を閉じ、静かに呪文を唱えた。



「生死反転」





















――――――――――




「どけよ輪島! 藤沼の魔法が消えて30分経った! もう突入していいだろ!」

「合図があるまで認められません。みなさんの軽挙妄動を押さえるのが私の役目ですので」

「ですがっ、その合図がないということが、ラウラさんが敵に追い詰められている証拠なのではありませんか!?」

「だとしても、あなた方では足手まといになる可能性の方が高い。魔法には相性というものがあります。活躍するには適した戦場というものがあるのですよ」

「ンなもんやってみなくちゃわからねェだろうが」

「わからないのは君がバカだから、あ、ちょっと待――」

「お、おいみんな、アレ、アレ見ろッ!!」


 聖女が一人で宮殿へ向かってから四時間が経過した頃に、それは起きた。

 幽村とポーネットを筆頭にした聖女救援部隊が、貴族街へと突入を決行しようと輪島の抑止を振り切った直後だった。


「あれは……ラウラさんの…………いえ、違う、あの光は、うっ……おえっ……」


 ポーネットが手で口を覆う。

 これから向かおうとしていた建物の屋根が、内側から溢れ出た黒い光に飲み込まれようとしていた。

 黒い光は宮殿の中心部をすっぽりと包んでしまってからも広がり続ける。やがて宮殿の門を越えて貴族街まで手を伸ばしていく。


 どこまで拡大するかわからない黒い光。

 その光を見ていた誰もが、アレに触れられてはならないと直感した。

 過去に見せた反転魔法の光とは伝えてくるものが違う。

 アレは純粋な悪意から生まれた力の発露だ。

 生物の本能が逃げろと訴えてくる。

 しかも拡大速度が色欲魔法の比ではなかった。

 それなのに、足が動かない。

 吐き気が込み上げて息もできない。

 恐怖が体を支配していた。

 まばたきすら許されず、大気を侵食していく黒い光を眺める事しかできない。

 このままではあの光に捕まる――



 しかし、黒い光が届くことはなかった。

 色欲のオーロラが照らしていた範囲までを飲み込むと、大気に溶けるようにして黒い光は消えてしまった。



「……カンちゃんどうした。もしかして漏らしたか」

「ああ、少しな……じゃなくて、なにかあの辺り、いま動かんかったか」

「死体しか転がってないだろ」

「あの、わたくしも……その死体が動いたような……」


 ラウラが何をやったのか把握できず皆が呆然とする中、金剛寺とポーネットが肩を震わせた。

 全員でその死体を見ていると――確かに動いた。倒れてから一日以上、微動だにしなかった男が上半身を起こしたのだ。

 男はまだ夢見心地から意識がはっきりとしないようで、ぼんやりとした顔で空を見上げている。その男に続くようにして、倒れていた人達も次々と目を覚ましていく。


「え、全員……死んでた……よね?」

「ゾンビだっ、全員噛まれないように注意しろ! ウイルスに感染するぞ!」

「ちがいますわ! みんな生きていたのです! 帝国兵と聖騎士団は、急いで救助にあたってください!」


 ポーネットが指示を飛ばす。ミラルベル教の聖騎士とデモクリスから預かっていた帝国兵が一斉に駆けだした。倒れていた人々を担ぎあげて、外へ運び出していく。



「………………………………まずい」


 最初に、輪島が気づいた。


「金剛寺君!! 金剛寺君どこですか!!!?」


 救助活動の波で見失った金剛寺の名前を呼ぶ。


「どうした、オタクの敵」

「ふざけてる場合じゃないですって! ひっくり返ったんですよ! あの人達は確実に死んでました! それがひっくり返ったんです!」

「だからそれがどうしたと」

「死んだ人を蘇らせた! 生と死を反転させたんです!」

「……ラウラ様は聖女からネクロマンサーに転職したのか?」

「違うだろ、このハゲ!」


 鮫島や幽村は「さっすが~」、「やっぱ敵わねェな」などと感心して頷いている。輪島の叫び声を聞いた聖職者には、聖女が奇跡を起こしたと感激し、涙を流す者もいた。

 しかし、輪島は青ざめた顔で取り乱したままだ。思わず言葉遣いを忘れるほどに。


「なんでわからないんですか!? 死んだ人が生き返ったということはっ、あの黒い光の中で生きていた人は逆にッ――」


 そこまで聞いて、ようやく転移者達の意識が輪島の懸念に追いついた。


「そんな、まさか……何を言ったか分かっているのか。ラウラ様だぞ。あの、ラウラ様が――」

「だから早くっ、私と青木君を担いで宮殿に」

「ラウラさんっ!」


 最後まで言い終わる前にポーネットが宮殿へ走り出した。

 切迫した事態に気づいた金剛寺も、輪島達をまとめて担ぎ上げた。石畳が粉々に砕けるほどの力で蹴られた加速で、輪島達の意識が飛びそうになる。


 宮殿に入ると、謁見の間へ続く中央階段で倒れている男がいた。

 ここまですれ違った人間は生き返った直後のようで、まだ全員ぼうっと宙を眺めているような状態だった。しかしその男、藤沼泉太郎だけは、うつ伏せに倒れたまま息をしていなかった。


 藤沼が逃げていたのなら、その背中の示す方向に黒い光を放った者がいるに違いない。

 ポーネットは開かれたままの扉をくぐり、ソレを見つける。



「そんな……いやよ……うそ、どうして……」


 ソレは、穏やかに寝ているようだった。

 しかし、ポーネットが頬に手を当てると、その顔からは熱が抜けはじめていた。細い指先に、生きた人間にはない確かな冷たさが伝わってくる。


「……そうです、こういう時は、人工呼吸と心臓マッサージだって、ラウラさんが……」

「金剛寺君、提橋君、至急彼女を止めてください」

「え、でも……」

「今やるべきは遺体の損壊を避けることです。それから青木君はすぐにコールドスリープの呪文をかけてください」


 ラウラから習った心肺蘇生法を行おうとするポーネットを金剛寺と提橋が強引に引き離す。

 青木は、自分もラウラの脈がないことを確認してから速やかに呪文を唱えた。細胞を痛めないように、一瞬で身体の深部までも凍らせる。硬く凍った皮膚が冷たい霜に包まれる。


「なんで邪魔をするのですかっ! ラウラさんはまだッ」


 泣き叫びながら暴れるポーネットに、押さえていた二人が殴り飛ばされた。

 凍った状態でポーネットの心臓マッサージなど受けたら遺体がバラバラに砕けてしまう。焦った輪島はラウラに覆いかぶさりポーネットを止める。


「いえ、死んでいます。そして、魔法で死んだのなら蘇生法は意味を成さないでしょう」

「そんなもの、やってみないとわかりません!」

「わかるんですよ。むしろ貴方は邪魔です。ラウラ様を復活させる時、遺体が損傷していたら修復の必要が出てきますから」

「だからわたくしが…………今なんて……?」


 ポーネットと一緒に、幽村や青木達も首を傾げていた。


「復活です。魔法という力を得た今、我々なら死者の蘇生も可能なはず」

「……神器を使うってことか」

「いえ、それよりも人を蘇らせる魔法を探した方がいいでしょう」

「でもさ、ラウラ様は蘇生魔法は存在しないって言ってなかった?」

「それは……」


 今度は鮫島の指摘で輪島が言葉を失う番だった。

 しかし、ラウラの言う事が必ず正しいわけではない。

 混乱、そして違和感が言葉の邪魔をしていた。



「……なんだ………………………………私は何か見落としている」


 輪島は頭に残った違和感を一つずつ整理していく。


 ラウラはなぜ蘇生魔法が存在しないと予想していたのか?

 それは恐らく自分が持っていたからだ。

 即死と蘇生を表裏一体とした呪文を。

 既に人を生き返らせる呪文を知っていたから無いと予想したのだ。


 つまり、ラウラは自分が死ぬと予想していたのか?

 それはそうだろう。

 ラウラの魔法レベルは極めて高い。

 そしてこれまでの使用例を知る限り、覚えた呪文を効果的に使っている。

 ラウラは反転魔法の根源とかなり深い部分まで同調できている。

 初めて使う呪文でも、使えばどうなるか感じ取れていたと考えるべきだろう。


 ならば本当に遺体の保全は必要なのか?

 最も気になる点は、死を予感しながら輪島達に一切相談していなかった事だ。

 生き返る可能性があるのなら、遺体は輪島が指示したように青木に保存させるべきだ。

 すぐにその事を思いついたのも、浦部の予言に『青木がまた番長を助ける』と書かれていたからだ。そのヒントがあったから迷わず行動できた。

 しかし、ラウラから自分が死んだらどう行動するか指示を受けていない。



「まだだ、まだ核心に至っていない……」



 直近で今の状況に繋がる様な発言を何か口にしていなかったか。輪島はラウラの言葉を思い出す。


『でも浦部の予言によると、わたしは近々天界へ行くようなので』


 魔法を補佐しているかもしれない存在、叡智の天使アークイラ……その話をした時、ラウラは天界へ行くと言っていた。

 天界とは物質である肉体を伴っては行けない場所なのではないのか。

 ラウラは以前から、鮫島の変身魔法を見て、精神の在り処がどこにあるか不思議がっていた。それが関係しているのではないか。


「魂は実在する? ……ラウラ様は、魂という形態でまだ生きている……? 死ぬことで天界へ行けるのか……」


 思考が進むごとに、新たな謎が噴き出る。

 謁見の間に来る途中で蘇った人間は、生命活動に支障がない程度に肉体が回復した状態だった。生死を反転させる呪文に付随した効果なのだろう。


「ラウラ様は、自力で復活するつもり……だとすると、冷凍する必要は本当にあったのか……だが何故すぐに復活しない。遺体を放置する危険性を見逃すとも考えにくい」

「おい、マジでどうしたんだよ」

「博士がそこまで真剣に考えてるとなんか怖いんですけど」

「理由、理由…………思考を誘導されるな、しかし何のために……もしや、蘇生魔法は存在しないと思わせたい? 蘇って欲しくない誰かがいるのか、それとも……ハッ!?」




 輪島が答えに辿り着いたところで、わかりやすく足音を立てて謁見の間へ入ってくる者がいた。


「思ったより人がたくさんいるけど、これもアニキの人徳かな?」


 まだ声変わりしていない少年の声が響く。


「……小山内君……女装はやめたのですか」

「あっ、輪島君ひさしぶり。あれねぇ、ほらあの時、アニキに不評だったからさ」


 侵入者は、シルブロンドで一度姿を見せたきりの小山内茶琉おさないさりゅだった。


「お、小山内きゅん?」

「小山内きゅんが美少女からイケメンショタになってる!?」

「いや、小山内は元から男だったろ」

「幽村の眼は節穴かよ。小山内きゅんは男装女子だぞ」

「男であってるよ」

「ちょ!? バカのみなさん、勝手に前へ出ないように!」


 輪島と鮫島以外の元2-A組の面々にとっては、二年ぶりの再会となる。フランス人である母親ゆずりの金髪と整った少女のような容姿が、見知らぬ異世界人だと一瞬錯覚させた。驚きながらも駆け寄ろうとする仲間の前で輪島が両腕を広げる。

 小山内は過去に輪島を襲った時、御影彰と行動を共にしている。御影とは別々に逃げたようだが、その後の足取りは掴めていなかった。


「……一体、何をしに来たのですか」

「もちろんアニキの力になりに来たんだよ。決まってるじゃん」

「このタイミングで? これまでどこにいたのですか」


 小山内の笑顔に邪気は感じられない。

 彼の言葉を信じるなら、小山内はラウラの味方であり、御影とは手を切ったということになるが――確証が得られない。

 この場に現れたということは、小山内はずっと帝都に潜んでラウラの行動を監視していたはずだ。なぜこれまで姿を見せなかったのか、その意図が不明なままなのだ。


「もっと具体的に教えて答えてほしいのですが」

「ん~とねぇ、話す前に…………とりあえず全員捕まってくれるかな」


 幽村とポーネットが臨戦態勢へ移ろうとする。しかし、輪島は瞬時に撤退を判断した。青木に氷の壁を作らせ、奥にある別の出口から逃げるように指示を出す。


「とにかく逃げることを優先してくださいっ」

「ラウラさんを置いて行けませんわ!」

「こっち何人いると思ってんだ、小山内一人にビビってられるか!」

「駄目なんですよ! 彼の魔法がラウラ様の予想していたものなら、我々では勝てません!」


 ラウラの遺体を回収しようとする二人と輪島で意見が割れる。

 幽村の言葉より輪島への信頼が勝った。

 鮫島達は奥の扉へ走る。

 しかし、こちらの扉からも想定しなかった人物が入ってきた。


「血のついた服で客人をもてなすのも礼に欠くかと着替えてきたのだが……予定より一人多いな。ラウラ殿からは聞いていないが、何者だ貴様?」


 姿を現したのは、ルパ帝国皇帝ヌルンクス八世だった。

 ヌルンクスは面識のない小山内へ殺気を飛ばす。


「おじさんと同じでアニキの“セカンドプラン”を手伝う舎弟だよ」

「その計画はまだ誰にも伝えていないと聞いているが……無関係ではなさそうだ。後で話を聞かせてもらうぞ」

「まだ参加者が三人だからね。おじさんとは仲良くしたいと思ってるよ」

「まあどうあれ、この場に居合わせた以上、手加減はできんぞ?」

「あはは、お手柔らかに」


 小山内からラウラに少し似た狂気を感じ取ったヌルンクスは、一先ず輪島達の捕縛を優先した。

 幽村達が呪文の詠唱を終えるより先に、特級聖遺物“ディシプリンの栄光”が赤金色に発光する。光を浴びた者は、頭蓋を砕き脳をミキサーでかき回すような激痛に襲われる。頭を抱えて床でうずくまることしかできない。


「がああああああああぁあぁぁ」

「やめろ! 抵抗しないからもうやめてくれえええぇ」

「ふむ、ラウラ殿は耐えてみせたが……やはりアレが特別なのだな」


 輪島達は交戦すらできず、帝国に投降した。


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