39 なかまはずれ
気味の悪い風だった。
帝国に来て数ヵ月、一度も感じたことのない生温く肌に纏わりつく風。
北の大地では、聖杖の力で守られているポーネットでさえも痛いほどの寒さを覚える。誰もが暖かい春の風を待ちわびているはずだった。しかし、その風は違った。
「あれが……魔人の力……」
「ポーネット様、足を止めてはなりません! 早くっ、もっと遠くへ!」
ぬるい風が露出した顔を撫でる度に鳥肌が立つ。風に乗って炎に照らされた赤い空から光が降る。しかし、その光は人の命を燃やして出来た灰だ。神聖さと狂気の両方を孕んだ不気味な風に吹かれていると、それだけで信仰が揺らいでしまいそうになる。
心を奪う幻想の世界から逃げるように鞭を打つ。ポーネットには逃げることしかできなかった。光の雨が届かない丘まで下がり、同じく戦場から離れていたデモクリスとエピクロスの陣を見つけ合流する。
「ポーネット殿、無事で何よりだ」
「ええ、ご心配をおかけしました」
二人の皇子は、ミラルベル教との関係を考えてポーネットを気遣う言葉をかけてくるが、自身が二人の叔母であり皇位継承権を持っていると知ったらどう動くか。緊張を隠しながら、これまで通り赤の他人として対応を取る。
「それで、聖女殿は」
「カスムラ様と合流して、既に戦火の中心に向かいました」
「まさか……どうにかするとは言っていたが本当に行ったのか……」
「そなたはアレを抑えられると思うか」
「当然ですわ。彼女はミラルベル教の誇る聖女ですのよ」
戦場では、炎の竜巻が上がらなくなっていた。炎を操る魔人とラウラが接触した証拠だ。デモクリスとエピクロスは聖女の参戦を確認してから、部下達に撤退しつつ皇帝軍を近づけさせない様に指示を変えた。
人の為せる業とは思えない黒焦げになった大地。戦場の中心では、竜巻が上がる代わりに爆発が轟いている。ポーネットでは戦力にもならない強大な敵。それでもポーネットには断言できた。ラウラならばやってくれると。
しかし、時間の経過とともに状況は悪くなるばかりだった。突如、戦場の空へ現れたのは火竜。既に人外の戦いとなっている死の大地に、今度は竜が炎の雨を降らせるつもりなのか、不安は大きくなる。
火竜の周囲に巨大な雪だるまが生まれ、空を覆い尽くす。
ポーネットだけでなく皇子達も言葉を失った。
火竜とは雪を吐く生き物だっただろうか。
しかもどうして完成した雪だるまなのか。
雪だるまの軍団が地表を襲う。逃げる隙間もない大質量の投下――それは明らかな攻撃だった。魔導具でも聖遺物でも再現不可能な大規模攻撃。火竜の背には間違いなくポーネットの知らない転移者が乗っている。
「あれも父上が用意した転移者なのか……?」
「しかし、炎の魔人を攻撃しているように見えますが」
「…………あの火竜はラウラさんが呼んだのだと思います」
「どういうことだ。聖女殿は竜を使役するのか」
デモクリスは懐疑的な視線を向ける。聖女が魔獣を従えているという情報はない。更に、雪だるまはどう見ても地上にいる者全てを押し潰さんとしている。聖女の味方というより両陣営に敵対する第三者が参戦してきたと見る方が自然だった。
ポーネットには、その火竜に覚えがあった。自由都市同盟シルブロンドでの騒動後、転移者・安が創造した金貨を盗んで行方不明となっていたタタラソウイチだ。彼の転移者は他者に変身する魔法で火竜に変化したことがあった。
戒座の調査では、ラウラにタタラソウイチを見逃した容疑がかけられていた。ポーネットも二人が何らかの密約を交わしていることを知っていた。だから戒座の報告通り、そこには何か狙いがあると疑っていたが――
「全て、この日のためでしたのね……貴女はどこまで先を見据えて……」
他の転移者を探して教会に味方する者を増やす。それがラウラの狙いだったのだろう。
聖女とはいえ独断で行うには許されない越権行為。だが、こんな地獄のような戦が起こるなど誰に予想できようか。平和な暮らししか知らない教国の協議会に許可を求めたところで、冷たくあしらわれて終わりだったはずだ。
氷の魔人と炎の魔人が衝突する。
火竜が再び空へ上がり、戦場で白煙の大爆発が起こる。
熱い。煙の正体は粉塵ではない。蒸気だ。数キロ離れているポーネットのいる陣地まで火傷してしまいそうな熱を帯びた強風が届いた。
地上にいる者は一人残らず息絶えるであろう地獄の風。皇帝の持つ特級聖遺物にすら抗ってみせたデモクリスも、呼吸を忘れてしまったのか顔が青い。
しかし、聖遺物で強化されたポーネットの瞳は火竜の背にしがみつくラウラを捉えていた。
爆発で炎の魔人が死んだのならラウラの勝利だ。固く握りしめていた祈りの手をほどく――だが、安堵できた時間は一分にも満たなかった。戦いは終わっていない。白い蒸気の渦から巨人が姿を現す。
炎の体を持つ巨人。一体どれほどの熱量を持っているのか。あまりにも眩しく、それはもはや炎の巨人ではなく光の巨人だった。
「こ、こんな、ものが……これはもう、神の力だ……」
「偽典が……正しかったというのか」
「終わりだ、陛下は女神の怒りを買った、道を間違えたのだ……」
陣地では、エピクロスが不安そうな顔でデモクリスの手を握っていた。周囲には跪いて祈りを捧げる者、赦しを乞う者、家族の名を呼びながら泣き叫ぶ者……様々いたが、皆一様に世界の終焉を確信している。
ミラルベル教にも著者不明、出自不明の聖典――偽典という物が存在する。その多くは、女神ミラルベルが神託を下ろさなくなってから生まれた終末論を含む物であり、光の巨人はまさしくそうした偽典に出てくる世界の終わりを告げる者。神に見捨てられた世界を一掃する神罰の執行者であった。
「皆、あの様な紛い物に跪いてはなりません。まだあの方が戦っておられるのですから」
地団太を踏むだけで大地を焼き払う光の巨人を前にしても、ポーネットはうつむくなと叱咤を飛ばす。示された指の先には、天を駆け上る一匹の火竜がいる。灰混じりの黒雲をも吹き飛ばした炎風により蒼天となった空。太陽を背負うように竜が舞っている。
火竜の背から小さな影が飛び降りた。この世界で唯一、純白と黄金を許された聖女の法衣が空で煌めいている。
小さな影と光の巨人が衝突する。ラウラの力の象徴である黒き光が空を包む。これまで見せたことのない大きく暗い光だ。巨人は黒き光の粒子となって散り、青空を夜に染める。今度こそ戦いの終わりだった。
「さぁ、みなさん。呆けてないでラウラさんを迎えに行きますわよ」
皇子達ですら人に見せてはいない間の抜けた表情を浮かべる中、ポーネットの口から自然に出た言葉はそれだった。
ラウラならばあんな怪物でも退治してしまうのだろうと、いつからそれほど信じるようになっていたのか。馬に鞭を入れながら、ポーネットは自分でも気づかぬ内に微かな笑みを浮かべていた。
――――――――――
「だからさぁ、なんでおまえはわたしを治療する時だけ笑ってんですか。ドSですか。そんなにわたしが苦戦するのがうれしいんですかー」
「え、オレ笑ってたか」
「いつになく憎たらしい顔してますよ、このやろう」
油小路を背に乗せた鮫島を見送った後、ラウラ達は少し場所を移動し、焼け残った帝国軍の天幕で治療を行っていた。
一時撤退した帝国軍の隙を突き、このままラウラ達だけで宮殿へ侵入し皇帝と藤沼達の身柄を抑えてしまおうとも考えたが、今の帝都周辺は自由に動ける状態ではなかった。油小路が消えてしばらくすると、我に返った帝国民は我先にと帝都からの脱出をはじめたのだ。
帝都総人口は十万を超える。聖都ラポルタには及ばないが、この世界では有数の大都市である。皇帝軍や皇子連合軍からの離脱者も入り乱れて、帝都への道は外へ向かう人の流れで埋め尽くされている。
「だけど幽村達のおかげで計画の第二段階に神器が要らない可能性が高まりました」
「あ? オレなんかしたか」
「そう言えば、提橋が聖女様はグレートテロリストを目指してるとか言ってたね」
「お前……この世界で何しようとしてんだ」
「テロじゃなくてリセット、グレートリセットですよ。人々を平等にして、持たざる者にも希望を与えよう、誰もが努力で正当な未来を得られるようにしよう、という世界平和を目指す計画の第一段階です」
「それが聖女なんてやってる本当に理由か……ハッ、やる事がデケェな」
「なんか幽村さん、異世界来て丸くなってません?」
魔法による火傷の治療を一段落させたラウラが立ち上がると、これまでロクな説明を受けていない青木も話を聞こうと寄ってきた。
「幽村、話を聞けばわたしに協力するか、青木の魔法で氷漬けか、二択を選ぶことになりますが……聞きたいですか。青木は強制参加です」
「聞かせてもらうぜ」
「え、オレだけ拒否権なし?」
「さっきもらった手紙によると青木の力はこの後で必要になるみたいなので」
「あー、浦部の予言か。無視すると痛い目みんだよなぁ……」
幽村は躊躇いもなく即答し、青木はまだ少し逃げ腰だった。しかし、ラウラがポケットから封筒を出すと諦めたように頷いた。
封筒は、青木が浦部から預かっていた多々良双一宛の手紙だ。そこには浦部が夢幻魔法の予知夢によって垣間見た未来が書かれている。
「この予言の手紙にも関わることなので、そろそろ第二段階についても話しておきましょうか。いい加減、輪島もじれているようですから」
「ええ、宇宙の真理へ至る方法、ぜひとも聞かせてもらいたいですな」
「第二段階は富と権力の分配の続く、知識の開示。そのためにする事をわたし達のいた世界の言葉にするなら……アカシックレコード、エデンの園に生るという知恵の実、神の記したエメラルドタブレット、そんな感じで呼ばれる物の奪取です」
「ええ……」
どや顔で二本指を立てるラウラに対し、輪島は失望を浮かべた。
アカシックレコード、知恵の実、エメラルドタブレット、どれも神話などで伝えられる物。万物を語る知識の源泉とでもいうべきものだ。つまり、オカルトや宗教に起源を持つ現実には存在しない物である。
「初めは神器で創造する方法を考えていたんですけどね、実はこの世界には最初からそうしたモノが存在してるっぽいんで、そいつを奪うことにしました」
「存在するのですか。一体どこでそんな情報を」
「ふふふ、では説明しましょう。まず…………幽村、おまえはバカだ」
突然、ラウラは幽村を名指しで批判しだした。
「そのケンカ買うぜオラァ!!」
「重要なことです。さて、おバカの幽村くん、おまえはさっき魔法でわたしの火傷を治療しましたが、どうやったか説明できますか」
「せつめ…………ンなもんオレの知ったことかよ」
「ですよね。はい、ここ重要」
魔法による治療といっても現象は様々な形がある。
魔法は物質を創造できる。仮に、治癒魔法というものが存在していれば、それは遺伝子や細胞、脳が記憶しているベストな状態を読み取り、肉体を再構成して終わりなのだろう。
しかし、整頓魔法で物質の創造はできない。整頓魔法による重度の火傷治療を説明しようとすれば、そのプロセスはもっと複雑な物となる。
まずは再生不能である炭化した皮膚細胞の除去。その後、火傷部分以外の代謝を遅らせ、皮膚組織へ分化する前駆細胞を全身から患部へと移動させる。細胞分化や分裂に必要な栄養素の移動、過程で出た不要なタンパク質、アミノ酸、尿素などの除去による代謝の強制的な加速、といった多くの現象を起こしているはずだ。
もちろん、勉強を不得手とする幽村にそんな詳細を想像しながら魔法を使うなんてマネはできない。幽村の成績は生物の科目でも高校最底辺である。
「幽村じゃなくてもそんなの理解してるヤツいなくね? 番長とか博士みたいな勉強好きの変人だけじゃね?」
「人生で医学よりコスパいい知識なんてないんだから青木も勉強しろよ。で、これから言える結論として……わたし達が平然と使っているこの魔法ですが、何者かに補助されているようです」
魔法は、思考やイメージという入力から現実への干渉・現実の上書きという出力で捉えているが、入力の部分があいまいすぎるのだ。どう考えても入力と出力が繋がっていない。これは、魔法の行使から事象の発現までの間に、ラウラ達も認知していない部分が存在している事を示している。
「何者か……私はこの世界に神の御業を補佐する機構が組み込まれていると考えていましたが、何者かの意思による行為なのですか」
「一応そう考えたのにも理由があるんですよ」
ラウラも最初にこの違和感を覚えた時、輪島と同様に“そういう世界”なのだと納得しようとした。しかし、心のどこかでそれは間違っていると疑いを拭えなかった。
幽村の整頓魔法、青木の冷却魔法のように、分かりやすく物質へ作用する魔法では、結果が安定している。十中八九、術者の望んだ結果が働く。対して、ラウラの反転魔法、輪島の幸運魔法では、望んだ結果からズレることが多い。
人の深層意識が関わる魔法ほど入力と出力が乖離する可能性が上がる。このことから、ラウラは魔法を補助する存在に、知識の片寄りと生きた意思を感じていた。
「まだ勘違いの可能性もありますけど、この仮説を後押しする存在がいるのです」
「……アザナエルですか」
「惜しい、あのくされ天使の役割はまた別でしょう。ミラルベル教の聖典の中に、女神ミラルベルを支える第一の天使、叡智を司るアークイラとかいうやつが出てくるんですけど、そいつが怪しいと考えています」
叡智のアークイラ。
女神ミラルベルが最初に創造した天使。最も女神の神格に近い存在である。ミラルベル教内では人気が乏しく、あまり名を語られない天使ではあるが。
なぜなら、アークイラは女神ミラルベルが姿を消すよりも前にいなくなったからだ。女神ミラルベルが最後の神託を残したのは、人類に神器を下賜した後であるが、アークイラはそれよりも先に人類の前から去ったとされている。
「おそらく、アークイラは女神からこの世界へ招かれた異世界人を支える命を帯びて姿を消した。しかし、まだこの世界のどこかに隠れている……はず!」
「……それ勘ですよね。しかも、どうやって天使を捕まえるのですか。というかどこにいるか聖典とやらにヒントでも書いてあるのですか」
「いいえ。でも浦部の予言によると、わたしは近々天界へ行くようなので」
ちょっと天界で探してくる、と近所へ散歩にでも行くような気軽さで答える。
「天界ってあの変な空間か。どうやって行くんだ、その手紙見せてみろよ」
「幽村はだめです。博士と青木は必要だから読んどいて」
「なんでだよ、オレにも見せろって」
「だめだっつってんだろ。おい触んな、セクハラで鞭打ちの刑にするぞ」
「職場乱交だ!」
「職権乱用だボケ! 下っ端のヒラ聖職者が口答えするんじゃねぇ!」
「やだこの職場、ひどいパワハラ」
「まあまあ、みなさん。外もうるさくなって来ましたし、内緒話はこの辺で」
ラウラは予言の手紙をスカートに突っ込み外へ出た。
天幕の位置から見える街道は未だ人で埋まっている。温厚な人の多いこの世界では珍しく、前を急かすような罵倒が聞こえる。中は火事場泥棒まで出てきたのか、荷物を持って逃げる男を追いかける者までいた。
「油小路君が暴れた場所以外はまだ雪が残っている。街道を外れるとどこも雪と泥だらけ。人口と速度を計算して……街道が空くのを待つなら、あと一週間はこのまま動けなそうですな」
「長い!」
「私に言われましても……む、あれは……」
「ラウラさーん!」
街道の端を強引に逆走してくる集団がいた。
逆走集団の先頭から金髪の美女がラウラの名前を呼ぶ。
「ねぇねぇ、あの美人さん誰? 知り合い?」
「なんであっちが聖女じゃないんだ? 使徒座って外見も選定基準なんだろ?」
「うっせ、わたしの女子力はまだ成長期なんですよ」
「意味がわからねェ」
「ねぇねぇ、だから誰なのぉ」
馬上から手を振るポーネットの姿を見て、帝都から脱出しようと焦っていた群れの足が止まっていた。
「おおっ、巫女様だ」
「使徒座の巫女様がいるぞ」
「あの御方が我らを助けてくれたのか」
使徒座の巫女のみが着る紅白の法衣はルパ帝国でも有名だ。更には、太陽の光を浴びて黄金に輝く髪も、ルージュを引いた切れ長の瞳も、人目を奪って放さない。周囲の人間が少しずつ聖女の存在に気づくも、その興味は依然としてポーネットの方に向いていた。
ポーネットは馬から降りるとむくれた顔のラウラを抱きしめる。
「なんだか手柄を奪われた気分……」
「なにをおっしゃってるんですの? そんなことより……ああ、こんな傷だらけになって……あんなに長かった髪まで燃やされて……でも、でもでもっ、ラウラさんなら絶対やってくれると思ってましたわ!」
ポーネットはラウラの全身をぺたぺたと触って無事を確かめる。
聖遺物を使って編まれた特別頑丈な法衣でさえ、所々焼け焦げて穴が開いている。その穴からは、まだ上皮が再生しきっていないピンク色の痛々しい火傷の痕が覗く。帽子の下から背中まで伸びていた長いツインテールの片方は、火がついたところから切り落としたせいで半分近く短くなっていた。
熾烈な争いだったのは間違いない。それでも、命に係わるような外傷はひとつもないことを確認すると、再度ラウラを力いっぱい胸に抱きしめた。
「だから幽村さんよぉ、あの金髪巨乳な超絶美女はどこのどなたなんですか!」
「しつけーな、聖女のお世話係でポーネット様だよ。ちなみに年下な」
「へぇー、年下のお世話係……ふーん、そうなんだー……今ちょっとガチめに番長殺したい気分なんだけど手ぇ貸してくんない?」
「アレ羨ましいか? 今度は高い高いされてるし、完全に見世物だろ」
「それでも羨ましいの!」
下ろされたラウラがポーネットを連れてくる。
青木と輪島はポーネットと初対面になるため、互いに自己紹介をした。青木は嫉妬のあまりラウラを睨みつけていたせいで、ポーネットから不審な目で見られていることに気づかなかった。
ポーネットはデモクリス達がラウラを呼んでいると言って、後方で足止めをくらっている皇子連合軍の場所まで案内する。
道中、火竜に変身できる転移者・タタラソウイチの姿が見えないと気にしていたが、鮫島は油小路を連れて帝国を離れている。ラウラは金剛寺と玄間を探しに行ったと嘘をついて誤魔化した。
デモクリスの天幕では、将校達が慌ただしく走り回っていた。脱走した兵の確認と皇帝軍の動きを調べる部隊の情報を地図に記していく。総大将であるデモクリスも同様に多忙を極めていた。炎の魔人ならぬ光の巨人の出現は正しくルパ帝国の危機であり、それを救ったラウラ達は救国の徒であるものの、その活躍を讃えている暇はない。簡易な礼だけで済まして天幕を出た。
「ちっ、爵位ぐらいここでくれてもいいのに」
「舌打ちやめろって、皇子に聞こえるだろ。不敬罪に問われたらどうすんだよ」
「だって爵位があれば、聖女様にもタメ口利けるようになるだろ」
「なるの?」
「なりませんね。幽村はもっと立場に気を遣った方がいいです」
「ラウラさん、それは貴女もですわよ」
「……幽村のせいでわたしが怒られたじゃないですか!」
「今のは自分のせいだろ」
若干一名、皇族との挨拶に顔を青くしている者がいたが、幽村と輪島は皇族に払う敬意など持ち合わせていない。外に出た瞬間から騒ぎはじめたため、デモクリスの兵達から不機嫌さが伝わってくる。五人は逃げるようにしてエピクロスの天幕へ移動した。
こちらの天幕はどういうわけか物静かだ。人の出入りはなく、入り口のカーテンを挟んで護衛が四人いるだけだった。エピクロスの使者に案内されるがまま、ポーネットがカーテンをくぐると突然、強引に中へ引きこまれる。
「ポーさんっ」
「来てはいけませんわ!」
ポーネットを追って中へ踏み込む。しかし、一歩足を入れた瞬間、その小さな体は宙を舞っていた。10m近く吹き飛ばされたラウラに幽村達が急いで駆け寄る。
「あんの、くそアマぁ……こんな怪力だなんて聞いな……げふっ」
「吐血してるのにしゃべらないでくださいよ。幽村君、はやく治療を」
「お、おう」
ラウラは中に潜んでいた者から殴られる直前に自ら後ろへ跳んでいた――にも関わらず、衝撃をまったく殺せていなかった。吐いた血の量からして、内臓か食道に裂傷ができている。幽村の治療を受けながらも、ラウラは天幕の入り口から鋭い視線を外さない。
「苦しめぬ様に一撃で仕留めるつもりで殴ったのですが……聖遺物の力なしでも戦えるという話は本当のようですね、聖女ラウラ」
姿を現したのは、ポーネットによく似た顔の美女メナスだった。聖遺物の力によって人間では決して敵わない腕力を誇るポーネットを片手で抑えている。そして、その背後からエピクロス、戸波が続いて出てきた。
気まずそうな顔で無言を貫くエピクロスの代わりに、戸波が前に来て元クラスメイトの顔を順に確認していく。
「おーおーおー、金剛寺と玄間がいなくなったと思ったら、幽村に続いて今度は青木と輪島もいんのかよ。同窓会やんならオレも呼べよな」