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オトメクオリア  作者: invitro
第六章 燃える魔法
106/119

35 腐らなかったみかん

 幽村悟の人生は誤解で出来ていた。

 色素の薄い肌と紫色の唇は病的。内気で人の視線を避けるためにうつむき気味になった三白眼は、人を殺さんと睨んでいるよう。まるで薬物依存者だ。本当は優しく真面目な少年だったにもかかわらず、悪魔とあだ名で呼ばれた。友達はひとりもできずにいつも避けられていた。


 幽村の人生を最も変えた出来事は父親の死だろう。

 父親は勤勉で正義感の溢れる男だった。職業は消防士。口うるさく厳しい父親だったが、それが自慢でもあった。

 その父親が失踪した。火災で相棒の消防士を失った時、他の仲間や亡くなった消防士の家族が幽村の父親が見殺しにしたせいだと責めたからだ。父親は病み、酒の量が増えた。八つ当たりで幽村と母親に暴力を振るうようになり、最後は落ちぶれていく自分から逃げるように姿を消した。しばらくして酔っ払いとケンカをして死んだと警察から連絡があった。


 いなくなった父親の代わりに幽村を守ったものは父の遺したナイフだった。父親はアウトドアが趣味で幽村を色々な場所へ連れて行った。

 皮肉なのは、ナイフが戦うためのお守りではなく逃避の道具になったことだが。

 学校で幽村を蔑む言葉は日々増えて行った。人殺しの息子。本物の悪魔。謂れのない悪意に曝されて眠れなくなった。毎晩のように唾も胃液も出なくなるまで吐いた。全てを吐き切って日が上る時間になると、ようやく気絶するように少しだけ眠れる。


 そんな生活を変えたのが父のナイフだ。

 『これで首を刺せば死ねる。全て終わりにできる。クソみたいな人生からいつでも逃げることができる』そう考えると心が安らいだ。幽村は毎晩ナイフを握りしめて布団に入るようになり、肌身離さずナイフを持ち歩くようになった。


 中学へ進学すると周囲に反抗期の男子が増えた。目つきが悪く薬中のチンピラにしか見えない幽村に不良達が絡んでくる。

 最初はただ怯えていた。自分を守るためだった。闇雲に振り回したナイフが一人の不良の首を切り裂いた。相手は死ななかったし、集団リンチだと証言も得られた。幽村が父親の形見としてナイフを大事にしていたことが証明されたため、その件は正当防衛で処理された。

 しかし、人殺しの息子は人殺し。本気で人を殺せる男だと思われた幽村にケンカを売る不良もいなくなり、ますます孤独になっていった。身に覚えのない悪意に満ちた噂も増えた。独りでいると徐々に心も荒んでいった……。






「死ぬほど勉強したのに、どうしてオレは……」

「死ぬほど勉強したのに、どうして僕は……」


 上履きに各務蓮也と名前の書かれた生徒と溜め息が重なった。

 目が合う。しかし同類と慣れ合うわけにはいかない。

 高校で仕切り直す。そう決めたのだ。


 緋龍農業高等学校。

 アホと不良の更生施設と呼ばれる、寄付金さえ払えば誰でも入学できる高校にしか幽村は合格できなかった。

 入学式へ向かう途中、さっそく新入生が一人、三年の不良集団に連れて行かれた。太った気の弱そうな生徒だった。

 人気のないプールの裏までこっそり後を追い、ナイフを握りしめる。父の形見だけは実家に置いてある。いつの間にかナイフは幽村にとっての強さの象徴であり、コレクションの対象となっていた。


 勇敢で厳格だった頃の父親のようになる。正しいことをする。悪人だと言いがかりをつけられて、悪人に流れてしまうのは弱い人間だ。誰になんと言われようが、ここで弱虫な自分を変える。意を決してカツアゲをしている三年の前に飛び出した。


「毎年いるんだよなぁー、こういう勘違いクンが」


 三年の不良達は笑っていた。自慢のナイフを出しても。刃物にすら慣れているのか緋龍高校の生徒は地元の不良中学生とは格が違った。カツアゲされていた太った生徒と一緒にリンチされる。どれだけ謝っても暴力が止むことはなく、気を失うまでひたすら殴られた――




「二、三年が上納金集めてるって噂は本当だったみてーだな。うへへ、エベレストの山頂が見えてきたぜ」

「アニキだめだって、勝手にファイトマネー取るのは犯罪だよ」

「……チャル、図書館で20年くらい前の新聞読んでて知ったんだけどさ。昔、親父狩りってのが流行ったらしいんだ。仕事帰りのリーマンを襲う強盗のことな」

「なに急に、その話この状況と関係ある?」

「まあ聞けって。そんでその後、親父狩り狩りってのがまた流行ったらしいんだよ。要は強盗狩りだな。犯罪者から金を奪っても警察に言えないから事件にならない。犯罪者に人権とかいらねーし、良心も痛まないって寸法だ。頭良いよな」

「よくないよ!」

「今度一緒に闇バイト狩りでもするか」

「絶対しないからね!」


 意識が戻ると、美少女顔の背の低い少年と倫理観のぶっ飛んだ大男が口論していた。助けようとした太めの生徒は手当てされた後らしく、顔を押さえて壁に寄りかかっている。

 幽村は口から血を垂らし地面にキスをしたまま動けない。腫れ上がった瞼で薄目を開く。目の前には鼻血を垂らした三年生が倒れていた。ご丁寧に全員締め落とされている。地面には幽村の物も含めていくつかナイフや武器があった。幽村にとっての強さの象徴は無残にも折られていた。


「おう太っちょ、これお前の財布か?」

「は、はい、そうです」

「またイジメられたら俺を呼べ。一人に的を絞ってボコったのはいいかもしれないが、お前じゃこいつらが飽きるまで亀になってた方がマシだ。手持ちの半分で仕返しもしてやるから」


 七人もいた三年の不良を叩きのめした男だろう。日本人離れした浅黒い肌の大男は、倒れている幽村を足先で小突いた。財布から千円札を一枚抜き取り、太った生徒の腹の上に置く。

 立ち去る姿には足を引きずる様子もどこか痛がっている様子もない。武器を持った年上の不良をほとんど無傷で倒したのだ。その背中は、自分を守り続けてくれたナイフよりも、かつて憧れた父親よりも力強かった。



「お前……ええと」

「ぼく、油小路巧です。あの、なんか彼、勘違いしてたみたいだけど、ぼくはちゃんと覚えてるから……助けに来てくれてありがとう」


 顔面が腫れ上がり、凶悪な犯罪者顔が見えないことが幸いしたらしい。油小路は嬉しそうにお礼を伝えてきた。


「……野郎、名前言ってたか」

「ううん。でも同じ一年生みたい」

「マジかよ」


 信じられないと切れた唇の痛みも忘れて口を大きく開く。

 しかし、すぐにマヌケ面を引き締めた。

 瞳には新たな決意が宿っている。


「なぁ油小路……オレはアレより強くなるぜ」

「普通に無理だと思うよ」


 一瞬の躊躇いもなく否定されたが、幽村は楽しそうに笑っていた。






 多々良双一の強さは幽村に衝撃を与えた。双一は恐れない。ブレない。譲らない。そして、絶対に負けない。

 意志も肉体も強い男だ。だから幽村は入学式以降、その強さを探るために双一をつけ回していた。


「チッ、見張りまで置いてやがったか。小便くらいゆっくりさせろ!」

「いや、オレは助けようと――」

「いつも俺を睨んでんだろ! 気づいてんだよ、死ねストーカー野郎!」


 中から出てきた大男に殴り倒される。トイレには幽村と同じく、双一に殴られた二年の不良が転がっていた。鉄バットなんかも一緒に転がっている。用を足しているところを襲えば勝てると踏んだのだろう。流石にヤバいと感じた幽村も助太刀に入ろうとした。しかし、最強の男に助太刀など無用だった。



「オレぁ、弱ェーなー……」

「また勘違いされたの? 友達になりたいって普通に話しかければいいのに」

「別に友達になりたいわけじゃ……あっ、あの野郎、またオレのナイフパクって行きやがった」

「男ならステゴロで来いだってさ」

「そういう問題じゃねェよ、あれいくらすると思ってんだ」


 似たようなやり取りを繰り返している内に、幽村は上級生でも敵わない双一の命を狙うヒットマンとして見られるようになる。そして幽村自身、会話をするまでもなく殴りかかってくる双一にイラ立ちを覚えるようになっていった。毎回のように気絶した幽村からナイフを奪っていくのも許せない。



 気づけば、多々良双一は一年でありながら高校で最も恐れられる存在になっていた。悪魔、人殺しの息子と言われた幽村よりも恐れられている。

 しかし、双一を慕う者も多かった。不良の巣窟として悪名高い高校でも、全ての不良が暴力に生きているわけじゃない。大半は、ただ好きにしたいだけだったり、勉強についていけずやり場のない怒りを暴れることで発散しているガキだ。ケンカに向かない不良もいる。そうした生徒達は秘かに双一を応援していた。


 誰よりも乱暴で誰よりも恐れられる男。

 なのに、幽村と違って孤独にならない不思議な男。

 子供の頃から憧れてきた厳格な父とは違う。だがその姿こそが自分の目指すべき男の姿なのではないかと考えはじめる。そして幽村は今日も多々良双一の背中を睨みつける。




――――――――――




 異世界。

 それは不思議な場所だった。

 なぜなら、人々が幽村を迫害しなかったからだ。


 クラスメイトの下をはぐれ、魔の森を一人で脱出した幽村はミラルベル教という宗教に拾われた。日本では幽村の父親の噂話を知らなくても、みんな顔を見るだけで、第一印象だけで幽村を極悪人だと決めつけた。

 さすがに異世界人も幽村の顔を恐れないわけではなかったが、多くの人が言葉も通じない幽村を優しく保護してくれた。


 わけのわからないことだらけだ。何をしたらいいのか普通なら不安で仕方がないような状況なのに、ミラルベル教の中は居心地がよかった。

 誰もが優しく思い遣りであふれた場所なら、強さを求める理由なんてない。相手が自分を恐れないなら、過剰に警戒する必要も、裏切られることを怖がって人を拒絶する必要もない。


「サトルよ、君は何を為したい」

「まだわかりません。それでも、悪人に見えるこの顔に見合った人生を送れという人間には従えない。この世界で自分らしさを見つけたい」

「ならゆっくり悩むといい。私は君を信じる」


 女神の創ったやさしい世界。それは幽村にとっての理想郷だった。だから幽村は神器に興味がなかった。理想はここにあるのだから。

 ここで自分らしく生きたい。異世界に受け入れてもらいたい。悪人面でも優しい人間として認めてほしい。そうした願いの下で、幽村は自分を最初に救ってくれたバンデーンと共に異世界の人々を魔法で癒して回った。自分に優しくしてくれた人々へ貰った優しさを返すことを新たな目標として、ろくな思い出のない日本を忘れて第二の人生を歩み出した。



 しかし、しばらくして大陸各地に調査員を置くバンデーンの下へ他の転移者の情報が集まるようになった。

 最初はルパ帝国と魔の森との境界にある町でいざこざがあったと聞いた。その事件を皮切りにして、事件が多発するようになる。不思議な力で暴れ回る盗賊団。出所不明な商品を扱い市場を荒らす謎の商人。明らかに国が管理している量を超える金貨の出現。幽村の元クラスメイト達は、深く物事を考えず異世界の秩序を破壊していた。


 そして、幽村が動かざるを得ない事態が起こる。

 バンデーンの部下に転移者を見つけ出して行動を監視する者達がいる。そこから報告が上がった。流れの料理人をしていた転移者がルパ帝国という場所で行方不明になったのだ。幽村は監視員の報告にあった情報からその男が油小路だと。帝国の情勢から、バンデーン達は帝国棄民と呼ばれる集団が油小路を拉致したと推測した。

 他国へ介入するなら本国の許可と支援を受けねばならない。幽村はバンデーンと共に神聖ミラルベル教国の聖都ラポルタへ向かった。


 初めて足を踏み入れた聖都は、祭りの準備で浮かれていた。聖獣ヨンロンという不思議動物による祝福の儀を行う祭だ。幽村は初夏に年始を祝う祈年祭にも参加した経験がなかったため、行方不明になった友人は置いておいて少し気分が躍る。


 そこで信じられないモノを見つけた。

 ヨンロン祭を取り仕切るのは教会の花形。使徒座という内部組織で、全員が聖遺物を持ち巫女と称される見目麗しい乙女達だ。彼女達の中に、純白の法衣に浅黒い肌が映える尊大な少女がいた。

 外見はまったく違う。天使のように愛らしい容姿。だと言うのに、脳がよく知った大男と少女を重ねた。



 その違和感をバンデーンにも秘密にしたまま、幽村は聖女を観察するようになった。そして帝国へ向かう道中にまた新しい疑惑を発見してしまう。

 とある村で治癒呪文の使用許可を求めるためにラウラの部屋を訪ねると、聖女は金剛寺達とリンゴを食べていた。皿の上には皮剥きに使用したナイフが置かれている。それは異世界へ転移してきた日の朝、多々良双一が幽村から奪い取ったものだった。

 アメリカの軍隊も利用している一流メーカーが販売している折り畳み式ナイフ。奪った双一が持ち込んだのでなければ、異世界に存在するはずがないものだ。


 聖女ラウラは多々良双一の関係者である。むしろ外見から生まれる偏見を排除してみれば、ポーネットから聞き出した少女の行動や言動は、関係者というより多々良双一そのものだ。

 数いる転移者の中でも幽村は舎弟である小山内の次に双一に詳しい。ずっと付きまとっていた。何度もケンカをした。『多々良双一そのもの』そういう前提で観察しなおせば、聖女ラウラと多々良双一が同一人物だという確信へ至るまで時間はかからなかった。




――――――――――




 デモクリスが用意した転移者の監禁施設で、幽村は自問自答を繰り返す。

 ラウラのせいで思い出してしまった。絶対的な強さへの憧れ。自分が正しいと思える行為を貫くには強さが必要なのだということ。

 異世界で得た優しさという光で眼が眩んでいた。忘れていた熱がぶり返してしまった。優しい人間でありたいと願ってきたが、短気でナイフという暴力に頼ってきた行為もまた自分の本質なのか。


 薄暗い部屋の中では誰とも関わることがない。たまに対話を求めにくるデモクリスを除けば、食事や用を足す時に見張りの兵士と最低限の会話をするだけの生活。そんな毎日を一ヵ月以上も送れば多少は心の整理がつく。整頓魔法の影響を受けずに、自身の思考にのみ従って答えを出せた。



 そして、そろそろバンデーンの下へ帰ろうかという時になって――移送された新しい屋敷が襲撃を受けた。窓から黒煙の上る姿が見える。

 襲撃者に心当たりがあったのだろう。同じ建物に監禁されていると兵の噂になっていた他の転移者も内部で暴れはじめたようだ。幽村は部屋を脱出して、高見と戸波、メナスの三人組と遭遇した。


「幽村? 二年ぶりじゃん、生きてたのかよ~」

「お前も捕まってたのか。どうだ、一緒に来るか」


 三人の歩いてきた廊下には、デモクリスの兵が涎を垂らして倒れている。兵達の表情は尋常じゃない。多くは放心しているだけの様子だが、苦悶の表情を浮かべて生きているのか死んでいるのか判別できない者もいる。


「オレはこの世界に救われた。だからこの世界に借りを返す」


 整頓魔法で三人の動きを拘束する。

 幽村は新しく答えを出していた。

 全ての人間に優しくする必要はない。多々良双一がそう割り切っていた様に、暴力も善行に昇華できる。

 幽村を受け入れてくれたバンデーン、そして監禁生活の中で会いに来たデモクリスの両者が語っていた。この世界に住む者として、この世界に帰属意識を持たぬ者を受け入れることはできない。そうした者はいつか必ず災厄をばら撒く。転移者も魔法も、本当はこの世界に要らないものだ。


「もうナイフは必要ない。オレはオレの意志があれば戦える。だけど、お前らを排除するまで魔法は必要だ」

「何言ってっかわかんねーよ!」

「呪文を解けこの野郎! 宗教に洗脳されちまったのか!」


 倒れている兵から剣を奪い、三人を縛るためにカーテンを切り取る。窓の前に立つと屋敷の外で襲撃者が戦っていることに気づいた。争っているのはラウラとポーネットだ。状況はかなり切迫している。驚くべきことに、二人の方が追い詰められている様に見えた。


「このオレが多々良を助けるのか……。へへっ、いいなそれ」


 幽村は瞬時に高見と戸波の存在を忘れて窓を蹴破った――






 幽村悟は多くを語らない。

 口を噤んだまま、穢れのない純白の法衣に身を包む少女を眺める。

 いつか彼が、彼女が認めてくれたなら、きっと強くなった自分を認められる。

 今はそれで充分だ。


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