32 ラスボスは既に死んでいる
広大な平原の向こう側に、帝都から出てきた帝国軍が並ぶ。
狙い通りだった。皇帝は逃げも隠れもしない。いずれ世界を先導するルパ帝国の皇帝という自負。内に秘めた異常なまでの攻撃性。それらが臆すことを許さない。
赤毛の馬に跨った皇帝が戦場へ姿を現す。尊いとされる白馬ではなく赤毛を選ぶあたりが如何にもヌルンクスらしい選択だ。双眼鏡でわずかに人と分かる距離だが、頭上には茨を模した黄金の冠、ルパ帝国の皇帝が継承するとされる聖遺物が輝いている。
ヌルンクスが戦場で愛用する鷹のドクロを趣向した兜ではないことにデモクリスとエピクロスは警戒を露わにした。皇帝の聖遺物が戦で使われた記録はない。どういう力を持つかも帝位を継いだ者にしか知らされない物だった。
しかし、ヌルンクスにその聖遺物を使う様子ない。ヌルンクスは遠く離れた場所から双眼鏡も使わずデモクリスとエピクロスのいる陣地を確認して、部隊の後方へと下がっていった。姿を見せにきただけだったようだ。何かを伝えたかったのかもしれないが、それは二人の知るところではなかった。
手紙により宣戦布告は為されている。
軍隊を並べてきた以上、皇帝も了承している。
デモクリスはエピクロスと視線を交わした。
進軍を告げる銅鑼が鳴り響く。
ここに、皇帝ヌルンクスの退位を求める政変が始まった。
まずは重装歩兵がじわりじわりとにじり寄る様に歩を進める。深い雪が日々の生活を妨げる北の大地に鍛えらえた男達だ。ゆっくりとした動きでも互いに心胆を寒からしめる圧力がある。
しかし、金属の塊をぶつけ合い血肉を散らす戦場の出番はまだ早い。重装歩兵に紛れていた測量部隊が合図を送ると、後方の火矢筒から改良された棒火矢が飛んだ。敵軍と接触するよりも2キロメートル近く手前、かなりの距離を置いて重装歩兵達が下がっていく。
従来の棒火矢、矢というより大砲と表現すべきだろうか。火薬により筒から大型の矢を飛ばす兵器だ。矢の腹には火薬を取りつける。
飛距離はあるが狙いの定まらない間の抜けた飛び方、着弾しても爆発も着火もしない不発弾の多さ、火薬を増量した場合の管理の難しさから、研究当初は使えないとされていた。だが、デモクリスの棒火矢は火薬の代わりとなる魔鉱石の研究により魔導具として安定性を獲得していた。
棒火矢の先端が地面に接触するたびに爆音が鳴り響く。隊列よりも前に出すぎていた歩兵部隊を吹き飛ばす。
黒色火薬を超えた熱を司る魔鉱石の兵器化。実際に実践投入されるのはこれが歴史上初めての戦だ。
「エピクロス、戦場で呆けるな」
デモクリスがどういった兵器を開発しているかは聞いていたが、初めて目の当たりにするその威力にエピクロスは開いた口が塞がらなかった。
「あまりに圧倒的ではありませんか。このまま一気に」
「よく見ろ、敵軍は功に逸った莫迦が引っかかったにすぎない。これは元々ミューリス姉上の研究を奪ったものだ。父上にも当時の情報は流れている。こんな戦いは開戦を報せるために大声で名乗りを上げるのと変わらん」
その発言を証明するように、今度は皇帝軍から似た兵器が飛んできた。十分に距離を取っていた歩兵部隊は大盾を構えて様子を見る。幸いなことに棒火矢の威力と飛距離を伸ばす研究に差はないようだ。まだどちらにも大きな損害はない。
そして機能の進歩に差がないということは、量産化も目途が立っていない状況は同じかデモクリス側が少し劣っているくらいだろう。すぐに弾は尽きる。兵の近距離戦闘が始まってしまえば、どちらも魔導具は使用できなくなる。
「だが恐らく物量で負ける以上、こちらが先に進まざるを得ない」
「この兵器がある内は互いに進めませんよ?」
「そこでお前の鬼人と罪人部隊が役に立つ」
「……誘い出せと」
「もともと捨て駒だろう。連中を使って無駄撃ちさせろ」
鉄炮や大砲といった兵器が歴史に登場した時、その猛威を振るったのは威力や飛距離だけではなかった。
音だ。未知の兵器が撒き散らす鼓膜が破けるほどの爆音。これが恐怖を生みだした。その場で怖気づき動けくなる者。状況が理解できすに呆然と立ち尽くす者。逃げ出す者。役に立たなくなる兵士を続出させた。
しかし、エピクロスの薬物による洗脳技術は恐怖心を克服した死兵を作る。
人間ではない小鬼。さらに、過去に二人の皇子を裏切り処分されるはずだった罪人で構成される部隊だ。前線で使い捨てるには持ってこいの戦力だった。
砲弾のある戦場で無謀な集団突撃をかけるわけにはいかないというヌルンクスの心理を逆手に取り、デモクリスは小鬼部隊を仕掛ける。
小鬼を見つけた皇帝軍は自棄になった決死隊かと喜び、必要以上の棒火矢を浴びせた。最初からクーデターの後まで生かしておくつもりのない捨て駒部隊だとは知らずに。そして、敵兵の死を恐れぬ突撃に感化された皇帝軍にも突撃をしかける者が出はじめる。
部分的に見れば双方勇猛果敢な戦いと言える。それでも、飛び出してきた敵兵を見つけては、たまに爆音を轟かせるだけの戦闘だ。弾数も多くない。初めての戦闘用魔導具を導入された戦は非常にゆっくりとした展開となった。
戦闘が始まってから三日目、デモクリスの棒火矢が先に尽きた。消耗速度は皇帝軍の方が上だったはずだが、帝国を守護する正規軍の底力はデモクリスの想定以上だった。
これからは敵側だけが強力な魔導具で攻めてくる。皇子連合軍の兵は防御陣形で備えつつ、厳しい戦いになると固唾を呑んだ。
皇帝の重装歩兵が進軍してくる。前方に棒火矢の雨を降らせながら。
敵からすれば、遠距離兵器が無くなった、あとは蹂躙するだけで終わるのだ。早急に戦局を決めようと逸るだろう。
しかし、想定以上に地力の差があろうと、戦場で起きうる事態はデモクリスが予想している。皇帝軍の棒火矢が空に上がると同時に、デモクリスの精鋭部隊が矢を放つ。
それは以前、幽村に披露した風を纏う魔導具だ。矢をより強くより真っすぐに飛ばす弓。だがその使い方は遠距離射撃だけが目的ではない。むしろ遠距離まで精密射撃を可能にするには、マナの消費が膨大でそれ程の腕を持つ射手はまだ育っていない。
狙いも定かではない矢が一定間隔で乱雑に舞う。そして矢は纏っていた風を空で解放した。風のない上空に小さな嵐を生み、嵐に巻き込まれた棒火矢が敵重装歩兵の前方に落ちる。
味方の砲撃が自分を殺そうとする――敵兵の恐怖を察知したデモクリスは、一気に反転攻勢へ出る。しかもここで出すのは同じ重装歩兵ではない。エピクロスが薬物によって支配する鬼人部隊だ。
小さな体躯で狂ったように暴れる小鬼と、数は少なくとも一撃で三人を吹き飛ばす怪力を持った大鬼。異形の怪物の登場に皇帝軍は震えあがった。
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数の不利をものともせずに皇帝軍を蹴散らす我が子を見て、ヌルンクスは声を上げて笑った。自分が鍛え上げた兵達が見たこともないバケモノに殺されていく。切られ、突かれ、潰される。軍そのものが圧殺されていく。
愉快だった。
ヒトキメラの存在は皇帝に伝わる歴史書で詳細を知っていた。しかし、それは聖女が後世に託した命。皇族の始祖である聖女は彼らの安寧を願って山奥へ隠した。つまり、ヒトキメラは本来皇族が保護すべき“動物”であり、触れてはならぬ聖域である。
「あれはエピクロスだな。闘争のためには聖域すら犯すか。それも一興……いや、それこそが時代の流れか。哀れな魔人の被害者すらも対等に扱っている証拠。いま聖女の願いを最も体現しているのは奴かもしれぬ」
ヌルンクスは喜びと同時に嫉妬を覚える。
この狂人の思想を止められる者は誰もいない。彼は、何を経験し何かを学び得て狂ったのではない。血が狂っているのだ。
しかし、ヌルンクスの意思を現実に反映するための道具、皇帝軍の兵はその狂気に応えられなかった。怪物に恐怖し、剣が鈍っている。
「はぁ……」
落胆し溜め息が漏れる。
闘争と進化。聖女の遺志は、兵である一般国民にまで届いていない。しかしそれは、皇族の中ですら理解しない者が大半なのだから当然の話でもある。
ならば、ここで落胆し苛立つのは皇帝として間違っている。ここは死地を楽しむ場所だ。それを兵に教えてやる事が皇帝の使命であろう。
ヌルンクスは深紅の鎧につけたマントを直す。ルパ帝国の頂点に立つ者としての威厳を見せねばならない。黄金の茨の冠を輝かせ、皇帝は戦場の中心へと降り立った。
――――――――――
「何が起きているッ!? 報告しろ!」
叫んだのはエピクロスだった。
最も激しく打ち合っていたはずの戦の先端で、血を沸騰させたような赤い光がきらめいたと思った瞬間、時間が止まっていた。
また新たな火炎系魔導具が投入されたかと警戒したが違う。大規模な兵器が使われた様子はない。爆発も炎上もないのに、全ての兵が頭を押さえてその場に膝をついている。味方だけでなく敵兵も、エピクロスの鬼人部隊も全てがだ。
戦場からは剣戟の音も軍靴の音も消えた。
痛みや恐怖を訴える悲痛な叫びだけが響き渡る。
異様な光景だった。
それまで冷静に策を巡らせていたデモクリスでさえ言葉を失っている。ここでエピクロスだけが即座に反応できたのは、似た光景を別の戦場で見たからだろう。
「まさか、聖女ラウラが追いついたのか」
「どういうことだ、アレが聖女の力なのか。聖女が皇帝に加勢したのか!」
「似ています……でもあの時とは少し違う、わからない……」
前回の戦場からまだ兵の傷も癒えていない、あれからまだ二十日も経っていないのだ。あの時生まれた“懺悔の道”を忘れるはずがない。
しかし部下の報告では、聖女はその手に黒き光を纏っていたとあった。今回見えた光は、黄金を血で染めたような眩しさだった。
それに、聖女の通った後には死体しかなかった。今戦場の先端で地に伏している兵達は嗚咽し叫び声を上げている。前回と同じく懺悔をしている様にも見えるが、同じ力が使われたのかは断言できなかった。
「聖女ラウラであれば、敵兵だけが自らの罪を裁くように命を絶つでしょう」
「聖女はアレよりも危険な力を持つというのか」
「……兄上、聖女は自らの手で慈悲を与えるように触れていました。今回の物は恐らく先程見えた光の影響でしょう。影響を及ぼす範囲を考えれば、今我々の前にいる脅威は聖女の比ではありません」
「そうか。……であれば、一人しかいないな」
「ええ」
再び、戦場で赤と黄金の混じった光がきらめいた。
光が発せられる度に戦場で蹲る兵が増える。その光の回数が十回を超えた辺りで、デモクリスとエピクロスの周囲で控えていた将校たちも倒れはじめた。二人の皇子も耐え難い頭痛に膝をつく。
そして気づけば、赤毛の馬に跨った深紅の鎧を来た男が肉眼で顔を視認できるほど近くにまで来ていた。
「我が子デモクリス、エピクロス。よくぞここまで闘争を練り上げた。誉めて遣わす」
拡声の魔導具を鎧に括りつけてあるのだろう。勇ましくも一騎駆けで敵陣の真ん中までやってきた男は、ごく自然に親子の団欒として語りかけてきた。
エピクロスが痛みに負けて動けないことを確認し、デモクリスが一人で拡声の魔導具を取る。
「父上、いや狂帝ヌルンクスよ。なんのつもりだ、貴様は何を求めている」
「勘違いしているぞ。私は教えにきただけだ。皇帝の条件をな」
デモクリスはまだ数百メートルは離れた場所にいる父親を睨みつける。
「本来、これが帝位を継ぐ際に課される最後の試練。この聖遺物“ディシプリンの栄光”を被ることをできた者が、ルパ帝国の皇帝となれるのだ」
ヌルンクスは自分の頭上で輝く茨の帝冠を指で叩いた。そして、皇帝に受け継がれる聖遺物について語りだした。
“ディシプリンの栄光”、それは先導者の放つ懲罰の光。
茨の帝冠から発せられる光は、人々に己の罪の意識を呼び起こす。
この世に生まれ落ちた瞬間から生きてきた現在までの全て。自分が無意識に理解している、これからの人生で重ねるであろう未来の罪科の全てを。光を浴びた相手に想起させる。そしての罪の意識に応じた痛みを与える。
この力は、この聖遺物を扱う者に最も強く働きかける。正しく、強く、己を信じる者だけに許された諸刃の剣だ。
「もし私が戦場で死に、お前達が生き残ったとしても、この帝冠の試練を乗り越えられねば皇帝を名乗る資格はない。覚えておけ。では互いに良き戦を楽しもうぞ」
父親として、皇帝としてすべき話は済んだ。ヌルンクスは伝えたい用件だけを済ませると本気で自陣へ帰ろうとした。それをデモクリスが呼び止める。
「そんな、ことを……そんなことを聞きたいのではない! どうして兄上達を殺した!? どうして皇帝は我が子に殺し合いをさせる! なぜだっ、貴様は狂っている!」
「……ふむ、よかろう」
ヌルンクスは良き父として考える。
デモクリスは継承権争いの目的を求めているようだ。それが避けられない闘争であることは知っているようだが、敢えて聞いてくる。それは父の意思を言葉でしっかりと心に刻み込みたいからだ。父に甘えたい息子を抱いてやったことはなかった。最後に一度くらいそれもいいだろう。
それに、デモクリスは継承権争いを皇帝が望んでいることを言ってしまった。皇帝というのが自分だけでなく、歴代の皇帝を指すことに気づく者もいるだろう。自分という至上の皇帝が誕生したこの時代だからこそ、全てを暴露する時が、ルパ帝国の全国民が正しき歴史を知る時が来たのかもしれない。
ヌルンクスは深く考えるように頷いた。
「かつて魔人にこの地が荒らされた時、救世の聖女が現れた。しかし聖女も寿命を持つ一人の人間。未練が多くあった。その一つが人の弱さだ。人々に強さを与えるには、まず先を行く者がいなければならんだろう、その役目を負ったのが我らだ」
「争いがなければ人は退化する。それはわかる。だがいつまで続ける。我々はいつになったら争いをやめる方法を探しはじめるのだ! それにどう考えても、どう言い訳をしても、貴様はやりすぎた!」
「違うぞデモクリス。まだだ。まだまだ全然足りぬ、尊き聖女の血脈である我ら皇族の役目はまだ終わっていない!」
皇族の祖は魔人ではなく聖女である。
未だ調査が届いていなかった皇族の歴史を知り、デモクリスの思考が止まる。
継承権争いは魔人から引き継いだ暴力性という性質を利用したものではなかったのか。聖女の望みと計画を、デモクリスはまだ理解できていないと悟った。
「いつまで闘争を続けるか。それは聖女が必要だと望んだ強さを手にした時、自然と判るだろう」
ヌルンクスの目的は一貫している。
自分自身もそれが判る所へは到達していない。だから判るまで戦う。戦い、高みへと手を伸ばすことが聖女の子孫であり、皇族の証明だ。
皇帝が戦場を去った後、進軍をはじめた皇帝軍が戦闘を再開させた。最前線では殺し合いが行われている。
しかし皇子連合軍の指令部では、エピクロスとその側近を中心としてある疑惑と混乱が生じていた。
エピクロスの頭には、皇帝ヌルンクスの言うまだ帝国が“必要な強さ”に届いていないという部分が引っかかっていた。
「父上の言っていることは正しいのかもしれない……」
「ならお前はどこが求めるべき強さの終着点だというのだ」
「確実に……殺せるまでです」
「殺す? 誰を」
「………………魔王を」
「魔王? 何の話だそれは」
エピクロスにはデモクリスに話していないことがあった。二人は皇帝を倒すまでの協定を組んだが、全てをさらけ出してはいない。帝位を譲るつもりはないだから渡す情報は常に限定的であるべきだ。
エピクロスの秘密は、魔王がカーディン山脈の奥地に封印され生きていること。魔王に魔鉱石を捧げると嘘の交渉をしてヒトキメラの情報を引き出した。デモクリスには兄皇子の研究を見つけて引き継いだとしか説明していない。
「だが陛下はなぜそのことを言わなかった」
「何人が陛下の言葉を聞いていたと思っている! 魔王が人間の体を捨て、不老不死になって生きているなんて言えるわけないだろう!」
エピクロスの側近達が騒ぎ立てる。
魔王の情報はデモクリスも掴んでいなかった。継承権争いの目的は、悪意の芽を摘むだけに収まらない。魔王が生きているのなら、それを殺すための強さを先代聖女が求めたと言われても否定できない。
「今はどうなのだ。殺せないのか」
「人間をやめた鋼の化け物ですよ、不可能です。動くようなら生き埋めにしてやるつもりでしたが」
先代聖女が殺しきれなかった魔王。エピクロスの見立てでは現代兵器の火力でも足りないという。蘇った時は、昔よりも更に凶悪な脅威となっているだろうか。その復活の時とはいつなのだろうか。帝国は魔王を確実に殺せる力を手に入れるまで、戦い続けなくてはならないのだろうか。
「それでも、父上に正当性などありはしな――」
「あー、まだそこんとこ情報が行ってなかったんですか」
苦悶の表情を浮かべるデモクリスを、かわいらしいのんきな声が遮った。
気配もなく侵入してきた者達へ一斉に目が向けられる。
「魔王なら死にましたよ、わたしが軽く処分しときました」
「殺されかけといてよく言う」
「てか空気読んで空気」
味方兵士に変装した二人の男と小さな少女。
厳重な警備を掻い潜って司令部まで潜入できる者など、皇帝に並ぶ異質な力を持った者しかいない。まだ顔を知らなかった者も、それが何者か一目で理解できた。
「……聖女ラウラ殿か」
「第一皇子デモクリスですね、はじめまして。それでは時間がなさそうなので、さっそく交渉に入りましょうか」