31 広がる温度差
今回ちょっと短めです。
齢十五を超えた息子達は女神の下へ旅立った。
此度の継承権争いにも、一時的な終息が見えていた。
自身の代よりも何倍も激しい継承権争いを生き抜いた皇子、デモクリスとエピクロス。自慢の息子である。どちらに国を継がせてもいいと考えていた。現在後宮には50人を超える幼い皇子と胎児がいる。どの道、両皇子の闘争に終わりはやってこないわけだが、どちらも応援してやりたい親の気持ちは本物だった。
特にデモクリスの判断に驚いた。能力面はともかくメナスの良い様に操られているエピクロスには、とうの昔に愛想を尽かしたと考えていた。継承権を放棄させぬように仕込んでいた見張りの眼を搔い潜って連絡を取り合っていたとは、ヌルンクスも不意を突かれたほどだ。
「フジヌマ、これを見てくれ。私はなんと果報者なのだ……」
「息子から殺す言われて喜ぶ気持ちはわかりたくねーな」
これまで宮殿の最奥に潜んでいた男。隣に控える黒目黒髪の転移者、藤沼泉太郎は渡された手紙に首をかしげる。手紙の内容は、皇帝に退位か死を迫るものだった。
しかし、藤沼の反応などどうでもいいばかりに、ヌルンクスは笑いと涙が止まらない。藤沼に手紙を見せた理由は、単純に出来た息子を自慢したかっただけだ。
息子を応援する気持ちに、他人事のような、客席から演劇を見ているような気分が含まれていたことは否めない。しかし、その自慢の息子達が、観客だった自分を舞台に引き上げてくれた。それが嬉しくてたまらなかった。
17年前、ヌルンクスは“とある理由”によって隣国ラバリエを滅ぼす父の背を見ていた。
圧倒的な武力。魅入られた。惚れざるを得なかった。継承権争いという闘争の中で磨かれた力だ。ルパ帝国の在り方は正しかった。闘争こそ進化を加速させる。帝国はこの世界のどの国よりも先を進んでいると確信できた。
此度反旗を翻したデモクリスも、その度合いに差こそあれ、武力の重要性においてはヌルンクスと共感を得ているようだった。
「なのに、どうしてだ父上。逝くには早すぎた……」
ヌルンクス八世の代では、先帝ヌルンクス七世が愛する者を失ったせいで精神を病み、あっさりと逝去してしまった。争い続けるはずだったのに、そこで戦いは終わってしまった。
ずっと物足りなさを感じていた。玉座はひたすらに退屈だった。小さくて貧弱な周辺国家の癇癪や帝国棄民の鎮圧など暇つぶしにもならない。
気づけばいつも、世界を荒らしたという魔人達の故郷に想いを馳せている。彼らの世界は血沸き肉躍る争いで溢れていたのだろうか。澄み渡る蒼天さえも血で赤く染めあげたとは本当だろうか。なんと羨ましい話か。
自分は勝者のはずなのに、抜け殻になった気分だった。だから息子達には、たくさんの遊び相手ととびきりの舞台を用意してやろうと考えた。
唯一の失敗は、一人目の息子モーリスが優秀すぎたことだ。
モーリスはヌルンクスの望む優れた皇子であったが、一人で突出した者は時に邪魔となる。ヌルンクスの信じる優生思想には、悪者と弱者と劣者の排除が必要不可欠だからだ。
モーリスは悪の芽を摘まなかった。モーリスがいるだけで、悪の種子は芽吹く前に枯れてしまった。目をつけていた悪魔のような貴族達が、争う前に牙の抜かれた負け犬に成り下がった。ヌルンクスの人生においてあれほど怒りを覚えた事はない。
帝国にとって大切な儀式とは、ぬるい共存共栄ではなく、厳しく悪辣な環境下での適者生存だ。悪しき者弱き者劣る者とは、優れた者の人生を無駄に費やさせる腫瘍である。取り除かなくてはならない。魔人の子孫である貴族を殺し、兄弟までを犠牲にして、次代の皇帝は穢れのない高みへと昇るのだ。
そしてそれは建国の母、先代聖女の望みでもあるはずだ。
なぜなら皇族とは、伝説の聖女の末裔なのだから。
帝位を継ぐ者だけに知らされる事実。
絶えたとされる聖女の血が自分の中で生き続けている。
亡くなる直前の先帝からこの話を聞いた時は年甲斐もなく心躍ったものだ。
しかし今回、今この手の中にある手紙で、息子達が教えてくれた。
確かにそうだ。息子達が正しい。
幼く未熟な兄弟で殺し合うなど考えが甘すぎた。ルパ帝国の皇帝とはのどかな牧草地を駆ける羊飼いではない。断じて違う。皇帝とは誰もが見上げる大空を舞う孤高の鷹。ルパ帝国の皇帝に相応しき者とは、兄弟を殺し尽くした者ではなく、親殺しを為した者であるべきだ。それでこそ唯一無二の存在と言える。
「アンタのくそったれな家族計画に協力してるオレが言うのもなんだけど、狂ってるよ。アンタよりやべーやつこの世にいないんじゃねえの」
「貴様も子が成長すればいずれ親の気持ちが分かる」
「ハハッ、バカ言え。ゼッテェわかんねーよ。てかなんで? 皇帝なんて女抱きたい放題だろ。それが男の幸せだろ。それでいいじゃん、楽しく快楽に溺れようぜ」
「肉欲など下衆な考えだ」
「そっちこそなんでわかんねェーかな。わざわざ強い血を作る必要なんてない。子供なんて避妊ミスったら勝手にできちまうんだ。生き物ってのはセックスのことだけ考えてりゃ、自然にどこまでも続いてくんだよ」
「優等種には他を導く責任があるのだ。一年共にいても貴様とは微塵も理解し合えんな……」
ヌルンクスは藤沼から視線を外した。玉座の下で控える者達。招集された師団長と警備を厚くする近衛兵を見て疑問が浮かぶ。
自分はここで息子達に討たれて終わりなのだろうか。
自分が負ける?
これだけの兵力を有しながら負けるだと?
まさか、自分こそが強者だ。
自分こそが継承権争いで生まれた最たる者なのだ。
自分の闘争はまだ終わらない。
息子達を殺し、自分はまた一歩先へと進む。
優れた者を殺すほど人は高みへと昇れる。
今より優れた存在へと昇り、今回よりも優れた息子を作る。
どうしたことだろう。
次はきっと今回よりもっと面白い遊び相手ができる。
「おおっ、なんということだ。私は命尽きるまで進化を続けられるのか。こんなことならモーリスとも直接剣を交えればよかった。あれほどの男を安易に毒殺してしまったとは勿体ないことをした」
「それって昔いたアンタの長男だよな。今のは流石にドン引きだわ」
「いや、モーリスこそ此度の継承権争いにおいて大いなる火種となってくれた。あやつも本望であっただろう」
「ドン引きどこじゃねぇわ。父親失格にも程がある」
また笑みが漏れる。牙を剥き出しにした狂人の笑みが。
藤沼がヌルンクスを見て、自分達よりも先に他の転移者が何か魔法を使ったのではないかと疑いたくなるほど異常な攻撃性だ。もっとも、藤沼は強者に寄生して甘い汁をすする生き方を己のスタンスとしている。言葉では否定しようと、藤沼には異常なヌルンクスも頼りがいのある男に映っている。
もし、ラウラがヌルンクス八世の心の声を聞けたなら、それは進化ではないと呆れるだろう。それに遺伝子学上、生まれた後で得た物、つまり獲得形質は遺伝しないのが当たり前だ。人が繋ぐべきものは知識と技能、経験であり優れた種ではない。自分の事しか見ない者は老いてさっさと死ぬべきだと。
しかし、仮にそんな知識を知っていたとしても、笑い飛ばして剣を握るのがヌルンクス八世という男だ。
「こうしてはおれん、準備を急がせろ!! 聖騎士団が戻ってくる前に戦をはじめるのだ! 帝都に在留している聖騎士連中も早急に捕らえろ! フジヌマも同行してアレを回収しておけ!」
「アレってどれだ。高見か戸波かメナスか、それともアンタの――」
「最初の……違うな、最後の者を優先しろ」
「待て待て、でぶちん使うならまず高見がいねーと」
「面倒だ、ならば全員連れてこい!」
「無茶言うぜ」
息子達が命を懸けてしてくれた最高の贈り物だ。
外野である教国の聖女に邪魔をさせるわけにはいかない。
当代聖女などルパ帝国とは血の繋がりもない。帝国の本当の歴史も、今を生きる皇族の気持ちも、何も知らない。理解しようとすらしていないだろう。そんな部外者に邪魔をさせてなるものか。
時間に迫られた皇帝の心はより強く燃え盛る。
「さあ息子達よ! 私と同じく真なる聖女の血を継ぐ者よ! 共に良き帝国の礎となろうぞ!」
かつて人々を救い導こうとした聖女の尊き血も、長い歴史の中で魔人の血と混ざり、穢れている。