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オトメクオリア  作者: invitro
第六章 燃える魔法
101/119

30 権力者って野蛮だよね

 憤怒の形相を浮かべた金剛力士が聖女を見下ろしていた。


「言い訳を聞こう」


 エピクロスが戦線離脱してから三日目、金剛寺は事故処理の途中でひと休憩していたラウラをようやく捕まえられた。


「だからね、反転魔法はひっくり返す魔法であるからして、心の壊れた人には上手く使えないですよ。ヤク中でラリってる人とかパニクってる人とかね」

「それだけか、他に拙僧を置き去りにした理由はないのか! その後、助けに戻らなかった理由はなんだ!」


 詰問の理由は、最後に投入された部隊に応戦する際、捨て駒にされたせいだ。ぴくぴくと波打つ怒張させたミミズ腫れのような血管が怒りのほどを表している。


「あとあれ、なんか顔見たら咄嗟に閃いたというかほら、金剛寺ってあの妖怪に顔似てるじゃないですか。に~く~か~べ~、なんつって」


 ラウラはほっぺを引っ張って眠たそうなタレ目を作る。


「待った! ……ラウラ様、今のぬりかべめっちゃかわいい、もっかいやって」

「にぃ~くぅ~かぁ~べぇ~」

「オイふざけるなっ! ゲンゲンも、親友が死にかけたのだぞ!」

「この声やばい中毒性あるわ」

「かぁ~べぇ~」

「だから遊ぶなッ! 謝れッ、そして傷ついた拙僧を労われ!」

「カンちゃんいつも死なないじゃん。死ぬ死ぬ詐欺じゃん」



 聖女が現れた後、戦場は割れた。

 言葉の通り、誰もが聖女に道を譲った。

 奇跡への畏怖か死を恐怖した結果か。いずれにせよエピクロスのいる薬物研究所までの道は開かれた――のだが、そこで待ち受けていたのは、洗脳に失敗した小鬼部隊。一片の隙もないほどに心の壊れたゴブリン達だった。


 ラウラの反転魔法にはいくつか弱点がある。

 相手の心を利用するため受け身になること。

 正面からの争いでは後手に回る。

 そしてもうひとつ、対象には明白な方向性が必要となる。

 反転魔法は純粋で強い意思ほど操りやすい。


「完全に悪役の能力だよね」

「もとはわたしの願いじゃないぞ」


 薬物によって錯乱したゴブリン達は破壊を撒き散らした。意味を持たない支離滅裂な雄叫びを上げながら、周囲のモノを手当たり次第に破壊しはじめた。

 牧場の宿舎やエピクロスの研究所。残された帝国兵。同じ小鬼族。既に息絶えている死体。自分自身の身体。果ては指揮官として残っていたエルリン侯爵まで。殺意や戦意ではなく、子供の癇癪のように制御できない破壊衝動に従って暴れるだけだった。


 魔法も神の威光も効かず全力で暴れ回る狂人集団だ。ラウラもたまらず後退する。

 その時、ラウラの生み出した懺悔の道を見て放心していた金剛寺だけはそこに置き去りにされた。放置しても死なない時間稼ぎの道具として。



「金剛寺も、普段から逃げることばっかり考えてるから、非常時に現実を受け入れられなくなるんですよ。マジ宝の持ち腐れ」

「逃げられる時は逃げるのが平和主義である。史実、お釈迦様も度の過ぎた苦行なんてアホくさいと言って放棄している。極楽浄土は逃避の先にあるという教えだ」

「一度地獄でブッダに殴られてこい」


 ラウラからすれば、狂ったゴブリンに囲まれてリンチされるまで放心している方がおかしい。金剛寺は筋肉魔法による防御と治癒能力が便利すぎて、危機感が欠如しているのだと主張する。


「だいたいあんな残虐風景見せられたら誰でもフリーズするわ」

「何をえらそうに、自分の想定の甘さが原因で死にかけただけじゃないですか。本気で神器手に入れて日本に帰るつもりあるんですか」

「え、拙僧が責められるの? 悪いの拙僧?」

「大丈夫だよカンちゃん。神器手に入れるのにここまで覚悟ガン決まりしてるのなんてこの人だけだよ」


 啞然とする金剛寺を置いて、ラウラは聖騎士団の指示へ戻る。

 一部のゴブリンは聖騎士団と敵対するのではなく、牧場を逃げ出して周辺の町や村落を襲っていた。無辜の民が虐殺されていると報告を受けてしまえば、無視してエピクロスを追いかける訳にもいかない。


 反転魔法で“気分反転”の呪文を使えば、その場しのぎに破壊衝動を抑えられるゴブリンもいるだろう。しかし、気分とは一時的なものであり、他の呪文と比べて効果時間が極端に短い。

 数十といる心神喪失状態のゴブリン全員に何度も呪文をかけ直すわけにもいかなければ、薬物の根本治療もできない。ラウラは牧場から逃げたした全ゴブリンの討伐を選択した。




 エルリン侯爵とゴブリンの死体、薬物研究施設に残された物は証拠として回収した。聖騎士達の治療を行い、ゆっくりとした歩みで帰還する。エピクロスの罪状に対する審議断罪は教国も交え時間をかけて行えばいいのだ。ラウラ率いる聖騎士団が再び帝都へ足を返すまでに、エピクロスの離脱から十日も遅れていた。


 そして帰還する途中、丘の上から見えた遠くの景色――帝都手前の平原では、思いがけない光景が繰り広げられていた。


「なんだろ、軍事訓練とかじゃないよな。カンちゃん見える?」

「継承権争いそっちのけでクーデターが始まっていた件」

「マジか。戦ってるのは第二皇子と皇帝?」


 ラウラとエピクロスの衝突とは比較にならない規模の戦闘が行われている。片側には巨人のサイクロプスがいるため、誰の軍隊が攻めているかは一目瞭然である。帝都に常駐している帝国の第一・第二師団が防衛にあたっている。


「兄弟の次は親子で殺し合いですか、権力者ってほんと野蛮ですよね。あーやだやだ。ついでにエピクロスはオイディプスに改名しろ」

「オイディプス? ポテトチップスの仲間か?」

「ギリシャ神話を代表するマザコンの王です。世界史の一般教養ですよ」

「聞いたことねーけど」

「メナス様は実母でも皇帝の愛人でもないと聞くし、オイディプス王をマザコンと呼んでいいのか疑問であるがその前に……ラウラ様あそこ、第一皇子と第二皇子の紋章が並んでいるのは気にしなくていいのか」

「は、うそっ!? どういう状況!?」


 慌てて双眼鏡を取った。両軍の掲げている軍旗を改めて確認する。

 南側、帝都を守護しているのは皇帝の軍だが、北側に展開しているのは第一皇子デモクリスと第二皇子エピクロスの連合軍だ。二種類の紋章が並んでいる。


「あの兄弟、いつから企んでたんだ……?」

「皇族が継承権争いをしていようと国民はあまり内情を知らんだろう。だが簒奪者となれば隠しきれんはず。皇帝殺しは国民から許されるのか」

「ん~、先帝ヌルンクス七世は隣国から幼妻を娶るために戦争まで起こした真性のロリコンでした。しかもその新しい王妃は行方不明のまま。どうせ息子の八世も国民からヘイト溜めてるだろうからイケると思ったんじゃないですかね」

「皇帝への偏見がひどいな」


 ポーネットの調査では、過去に一度は決まった皇太子も暗殺された疑いがあると言っていた。帝位が空かないかぎり骨肉の争いに終わりはないとも考えられるが、第一皇子と第二皇子は一時停戦してでも、先に皇帝を排除する方針に変えたのだろうか。


「ポーさん無事かなぁ」

「監禁されてる幽村クンの心配もしてあげて」

「そうですね、じゃあ今回はちょいと幽村の力を貸してもらいましょーか」

「いやそうじゃくて心配……」

「心配いりません。一見、幽村はゾンビ映画だとプロローグでイキって死ぬチンピラに見えますけど、実は何があってもしぶとく生き残るタイプですから」

「なんだそのたとえ」

「今最大の問題は油小路がどこにいるかです、そっちを気にしましょう」

「うげぇ、そうだった……」


 油小路の名前を出されると玄間と金剛寺の顔色が悪くなった。

 最後に会ったのは異世界に転移してきた直後。油小路の火炎魔法は、見える範囲だけとはいえ一瞬で森を火の海へと変えた。戦場では絶対に会いたくない魔法だ。


「あの~……自分ら、ちょっと戦線離脱してもいい?」

「いいですよ」

「いいの!? 逃げていいの!?」

「ついに暴君にも慈悲の心が芽生えたか。仏の教えを説き続けた甲斐があった」

「ていうか皇帝軍と油小路が一緒にいたら全力で逃げろ」


 ふざけて泣きマネをする金剛寺だが、ラウラは真剣だ。


「なんでよ」

「皇族が魔人と呼ばれた転移者の子孫なら、精神へ干渉する技術も代々の皇帝に伝わっていた可能性がある。エピクロスも研究前からその断片を持っていたと考える方が自然でしょう。14の小僧にいきなりできることじゃない」

「…………つまり?」

「油小路が洗脳されて敵になった上で魔法を使えるなら、マジでやばい」


 油小路は2-Aの生徒には珍しく本物の善人である。であれば、ラウラが信条に外れた状況では魔法を使えないように、容易く人を殺してしまう火炎魔法を戦場で使うような事態には成り得ない。それに油小路は金剛寺に輪をかけた小心者でもある。であれば、魔法を使うことによるリスクを恐れて魔法を使えなくなるはずだ。

 しかし、洗脳はこういった心理的障壁を取り除いてしまえる。思考の狭窄、妄信さえも魔法にとっては大きな力となるのだ。


「それとも消し炭覚悟で壁役やってくれます? 自主参加は歓迎しますよ」

「いや、今回は心置きなく逃げさせてもらおう」

「にぃ~くぅ~かぁ~べぇ~」

「絶対やらんからな!」




――――――――――




 巨人や小鬼で構成された異質な部隊が、魔導具で装備を固めた先鋭部隊の間を通る。教国の人道に基づく強制調査という名の奇襲から逃げ延びたエピクロスは、帝都へ向かう途中でデモクリスの軍に迎えられていた。

 しかし、失態を隠せないエピクロスの苦しそうな顔は兵達に見られている。いつデモクリスの兵に後ろから刺されるか、エピクロスの兵達に戦々恐々とした空気が広まっていく。どちらの軍も末端までは皇子達の計画が伝わっていないのだ。


「兄上! どうして兄上の部隊がすでに展開されているのですか!」

「聖騎士団が北へ向かったと情報が入ったからに決まっているではないか。悪いがお前の部下にも召集をかけさせてもらったぞ」

「くっ……」


 デモクリスが迎え入れたエピクロスの戦力を自軍に加えた新しい図面を引く。

 皇子達にとって、父である皇帝ヌルンクスの退位は決まっていたことだ。その手段には親の死といえど厭わない。

 だが、その計画を実行するにはもっと力をつけてからの予定だった。エピクロスはヒトキメラの増員とより強固な洗脳技術の開発。デモクリスは魔導具の強化と量産化を目標にしていた。


「転移者の存在を確認できた時から、計画は流動的に変えていくと伝えていただろう」

「ですが早すぎますッ。私の部隊はまだ――」

「この一年半で父上のスパイは十分に排除できたと考えられる。もう演技の必要はない。問題は教国だ。教国は此度の転移者を魔人と認定している。いつも以上に強権を振るうぞ。事実、お前も北端戦力の半数を失ったようではないか。それに父上も転移者を複数確保している。動くなら今だ」


 指摘を受けたエピクロスは爪を噛みながらも、計画を前倒しにするメリットとリスクを計算する。


 皇帝ヌルンクスは自分の子供達に闘争を求めている。目的は未だ不明だが、その点に間違いはない。故に、継承権争いから下りようとした皇子達も不審な死を遂げている。だからデモクリスとエピクロスは争っている演技をしながら、皇帝派と裏切り者の貴族を互いに間引いてきた。この目的は十分に達していると言える。


 戦力の確保ではまだ皇帝に敵わないだろう。

 皇帝の軍は精強であり、皇帝に従う貴族も多い。

 暗殺も難しい。特に今は宮殿に転移者を囲っていると聞く。どんな罠が待っているか予測がつかない。

 また、帝都内で内戦を起こすわけにもいかず、皇帝を帝都の外に誘い出して討たなくてはならない。好戦的な皇帝は必ず誘いに乗ってくるはずだが、国民に被害を出したくない皇子達の希望を読み、時間をかけて完璧に軍を整えてから戦うはずだ。


 魔導具開発に転移者は関わっていないため、教国に介入される心配はない。しかし、ヒトキメラを魔獣の一種だと考える帝国と違い、教国は人間だと認めている様子だった。エピクロスの研究は妨害されることが目に見えている。今後戦力の増加は見込めない。


「鍵は聖女……。そうです兄上、聖女は五百年前の再来だと考えられます」

「新しい情報ではあの聖女は未来から来た転移者の子孫という話だが」

「未来人? それは荒唐無稽に過ぎるというもの」

「確かに捕らえている転移者はいかにも頭が悪そうで信用できない。実父と思わしき男が魔の森周辺で確認されているとバンデーン司教も言っていたしな」

「まあその話は一度置いて、……彼女を利用しましょう」

「教国に皇帝を糾弾させる気か」

「できれば共倒れになるところまで仕向けたいですね」


 騙されたのか本当に転移者達の頭が悪いのかはさておき、デモクリスは自分の持っていた情報を忘れてエピクロスの話に耳を傾ける。


 北の戦場で見せたという聖女の力。

 他の聖遺物適合者、そして今回の転移者の力を凌駕している。エピクロスが恐怖のあまり誇張しているのでないとすれば、それこそ荒唐無稽というものだ。

 しかし、聖女の特性が報告通りの“浄化”であるとしたら、戦わずして気狂いの皇帝を排除できるかもしれない。


 気がかりは、教国に派遣している聖職者達からもたらされた情報。聖女は教国や使徒座という組織に帰属意識を持っていない。その行動は、精霊や教皇ですら制御できていないという。


「だが教会には関わるなと何度も言っているだろう。奴等の力を借りれば、後の統治にも響く」

「しかし、必要な情報を漏洩させれば、あの女は必ず動きます」

「お前が他人の正義を信用するのか」

「あの女の正義は我々の物とは違いますけどね。ただ、それ程の人物であるのは確信していますよ」


 デモクリスは雪とも雨ともとれない暗い雲を見上げ、いつかの誓いを思い出していた。


「女神よ。貴女はこの世界を見捨てたのではなかったのか……」








「モーリス兄上が死んだだと!?」


 八年前。皇帝の第一子、皇太子モーリスの訃報が駆け巡った。

 デモクリスはまだ六歳で、この頃はまだ多くの兄姉がいた。

 兄弟の中でも第一皇子モーリスは特別な存在だった。文武両道を地で行く鬼才。才能に胡坐をかくこともなく自己研鑽も怠らない。他者を見下さず長所を引き出してくれる。そんな完璧な兄だった。デモクリスとは年もかなり離れており、成人する前から皇帝の公務を支えていた。

 幼いデモクリスも、この兄には生涯敵わない。この兄を支えることが自分の人生の意義なのだと感じていた。


 その兄が死んだ。公表された死因は病死だったが、宮殿内は暗殺されたという噂で持ち切りだった。犯人は第二皇子フィニクスだという。

 しかし、デモクリスはそんな噂など信じなかった。一番年の近い兄弟として最もモーリスを近くで見続けたフィニクスこそが皇太子の信奉者だったからだ。


「デモあにうえ、モーリスあにうえは死んじゃったの? ほんとに?」

「私もまだ信じられん」

「だよね、モーリスあにうえはいなくなったりしないよね?」


 自分の少し後に生まれた弟のエピクロスは生後間もなく母親を亡くしている。メナス=メレスという若く美しい女が乳母についたが、この女がどうにも上手く子育てができない。噂では実子は既に亡くしているようだ。そしてこの女がいるせいか、エピクロスの母の家はエピクロスと距離を取っていた。


 エピクロスはメナスの気を引きたくて仕方がないようだったが、いつも空回っていた。その健気な姿に同情したデモクリスとモーリスだけがエピクロスの味方だった。年齢を考えれば、本当の意味で頼れる兄はモーリスだけだっただろう。


「メナス。きさまは母親がわりだろう。どうしてめんどうをみない」

「ごめんなさい。私、子供の愛し方がわからないの」

「赤子のころから乳を与えておいて、愛情を持たないのか」

「あなたのメイドはあなたを愛しているの?」

「……なら乳母などやめてしまえ。きさまはよくない」

「残念だけど文句は陛下に言ってちょうだい。……でも、互いに慰めになるだろうなんて、あの人も私と同類なのよね」


 デモクリスは何度かメナスを咎めるようなやり取りをした。しかし、メナスの態度が変わることはなかった。



 ある日、ミラルベル教の宣教師を名乗るリットンという老人が訪ねてきた。普段は遠い南の国にある田舎で暮らしているらしいが、たまに大陸を巡っては大悪党を捕まえたり、孤児を拾って育てたりしている有名な人物だ。

 リットンの冒険譚を聞きたいという思いと、メナスが宮殿に身を寄せてから初めての客ということで興味を持ったデモクリスはリットンの客室を訪ねた。


「――――また見捨て――。一体何人――――それでも――――」

「私はただ――――だけ。それに支援は――――――」

「金を置いていけば――――――。一度会いに――――」

「――――」


 中からは怒鳴り合いが聞こえていた。すぐに部屋を出てきたリットンは鬼のような形相をしており、デモクリスはすれ違っても声をかけられなかった。

 この時、頬を赤く腫らしたメナスを見て激怒した皇帝はリットンを国外追放したため、以来デモクリスはリットンと会っていない。


 そしてしばらくして、メナスが宮殿から姿を消した。

 元々、乳母という立場をほっぽり出していたりいなかったりする女だったが、この時は長かった。一年以上姿を見なかった。


 乳母を失いエピクロスはさらに不安定になる。モーリスの死を信じられず、宮殿の中でもういない兄の影を探して彷徨うようになった。

 優れた兄の死を信じられないという点では同じだったデモクリスも、エピクロスの奇行を止めることはできなかった。

 しかし、このままではよくない。幼いデモクリスはエピクロスを連れて兄の死の真相を探りはじめる。聞こえてくる話は、帝国の未来への不安とフィニクスを疑う声ばかりで調査は一向に進まなかったが。




「それで、お前も私を疑うのか」

「うたがっていたら直接聞きにきたりしない。兄上に病気の兆候はなかった。皇太子を暗殺してだれも処罰されぬほど、ルパ帝国の近衛は無能ではありません。裏でよくないことが起こっている。フィニクス兄上なら何か知っているはずです」

「デモクリス……今いくつだ」

「先日、七歳になりました」

「なるほど、賢いな。兄上が側近に育てたいと言っていた意味がわかったよ」


 デモクリスは疑惑の人であるフィニクスへ直接疑問をぶつけた。

 久しぶりに会った兄の笑顔はひどくやつれていた。敬愛する兄の喪失、しかもその暗殺容疑をかけられているのだ。食事も喉を通らないほどの衰弱ぶりに驚きを隠せない。


「デモクリス、エピクロス、よく聞け……私は数日中に死ぬ」

「あにうえ、なら寝てないと」

「そうではない。殺されるのだ。だから、お前達がもう少し成長した時のために、これを託す」


 二人はフィニクスから何かの鍵を渡される。


「私を疑わなかったのはお前達だけだ。あとは任せる」

「どういう意味ですか」

「何か気にかかっているなら相談してくれと何度も言ったのだがな……父を信じるな。始祖に感謝をするな。兄上が亡くなる前に言ったのはそれだけだった……」

「だから意味が」

「あまり長く会っていると疑われる。そろそろ行け」


 フィニクスを二人の頭を優しく一撫でしてから怒鳴りつける。喧嘩別れするように部屋から追い出した。

 受け取った鍵は何の鍵だったのか。確かめる機会もないまま、フィニクスとは永遠の別れとなった。


 フィニクスの死を皮切りにして宮殿内は一気に疑心暗鬼へと陥った。ここから継承権争いが熾烈で卑劣なものへと変わっていったのだ。モーリスの下で仲良く修練に励んでいた兄弟はもういない。メナスが姿を消したことで接触を求めてきたゴラウス公爵によって、エピクロスとも会えなくなった。



 エピクロスと再会したのは、それから三年後。モーリスの母である第一王妃の葬儀の時だ。

 エピクロスはデモクリスとの再会を大いに喜んでくれた。ただ、いつの間にかメナスが宮殿に戻っていたらしい。エピクロスはまたも彼女の気を引くことに躍起になっていた。言葉にできない何か不穏な気配を感じた。


 久しぶりに話をしていると第一王妃の娘、モーリスの妹に呼び出された。第一王妃の遺品の中に見慣れぬ宝石箱があるが、処分していいのか困っているという。デモクリスは素知らぬフリをして、ネックレスにして肌身離さず持っていたフィニクスの鍵でこっそり宝石箱を開けた。


 取り出されたのは、死期を予感したモーリスからフィニクスへ宛てた手紙。その手紙で幼い兄弟は父の悪意を知った。

 ルパ帝国の皇族と貴族に流れる血の穢れ。それによる継承権争いの悪化。その最たる者が父であるヌルンクス八世だと知ったのだ。

 殺し合いを始めてしまっている兄姉の誤解と疑心はもはや払拭できない。ならせめて、狂った兄達と元凶である父を討ち、幼い弟妹だけでも守ろう。生き残ったどちらかが新しい帝国を築いていくのだと、デモクリスとエピクロスは帝国の未来を懸けて契約を交わした。







「……しかし、教会は駄目だ。帝国の問題は帝国の皇子である我々が第一に立ち上がらなくては」


 聖女を利用するという案に、デモクリスは首を振って否定する。

 今口にした言葉も本心ではあるが、エピクロスの態度に不信を覚えたからだ。不信の正体は分かっている。聖女への強い敵意。以前のエピクロスにはなかった感情だ。

 研究所を守ろうとしたわけでも、エルリン侯爵を失ったことが原因でもないだろう。あらかじめ敵意を持っていたからこそエピクロスは聖女と戦ったはずだ。


「また何か吹き込まれたな。あの女は何を語った」

「…………兄上。我々が考えていたよりも帝国の闇は深かった」

「何を言って――」

「フィニクス兄上から伝えられたモーリス兄上の言葉を覚えていますか」

「父を信じるな。始祖に感謝をするな。だろう」

「帝国の始祖とは初代皇帝ではありません、先代聖女のことです。義母上は建国時に隠された歴史の真実を語ってくださいました。敵は父上だけじゃない。聖女の一族も我々の敵なのです」


 初めてデモクリスが大きく顔をしかめる。

 何故メナス如きがルパ帝国建国時の裏事情など知っているのか。デモクリスも知らない話となれば、禁書庫に隠してある重要機密だろう。だが機密には機密にする理由がある。いくら皇帝と親しくとも、たかが友人であるメナスに伝えるとは考えられない。

 しかし、メナスは“神眼”などという教会が存在を秘匿していた聖遺物を持つ女だ。デモクリスはとりあえず話を聞いて判断することにした。




 帝国の貴族とは、五百年前の転移者が多く作った子供を集め、その中でも高い能力と悪の資質を持った者を選別した者達である。

 何故悪意を秘めた者が貴族に選ばれたか。それは悪の素質を持った者を野に放たないため。一箇所に集めて管理するためだ。継承権争いをカモフラージュとし、悪意を開花させた者を皇族の継承権争いの下で見極める。敢えて目立つように台頭させてから力をつける前に殺すのだ。


 悪を以って悪を制す――それがルパ帝国の始まりであり、ルパ帝国の存在意義である。

 また、能力だけは高い魔人の子孫を家畜同然に堕とし飼い慣らす。その役目を担った者が皇族であった。



「……五百年前から今の事態を予想していただと?」

「そうです。そしてその仕組みを考えた、我々皇族に血のさだめを与え、この歪んだ国を造った張本人こそ聖女の一族なのです」

「俄かに信じがたい。話の出所はどこだ。あの女はどうやって知った」

「さあ?」

「お前はいい加減、あの女を疑うことを覚えろ!」


 事実であれば禁書庫どころではない。恐らく歴代の皇帝が代々口伝でのみ言い伝えてきたルパ帝国の秘義だ。


「想像以上に危険な女だったか……本当に何者なのだ……」

「義母上に手を出すのであれば、私は即座に敵になりますよ」

「お前は……まあいい、分かっている。それも契約だ。その決着は父上を玉座から退かせた後でつけよう」


 長い年月をかけた話術による洗脳。エピクロスの研究している薬物よりも厄介だ。どうして弟がこうなる前に救えなかったのか。デモクリスの深い嘆息もエピクロスの耳には届かない。


「では兄上、参りましょうか」

「ああ、我らがこの呪われた帝国で最後の悪しき風習となろう」

「ええ、私が皇帝となってこの国を導いてみせます」

「莫迦か、皇帝になるのは私だ」

「譲れませんね。私は義母上を妻に迎え、愛という幸福の教えを後世に遺すのです」

「……絶対に負けられん」


 翌日、皇帝ヌルンクスの下に、皇子の連名でその首か帝位を差し出すように求める書状が届けられた。


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