カリスマ魔王
「ちかんけーん」
その時、反乱分子を片付け終えたパトロール隊その1(チャラい長髪男)が、調子外れな声を上げた。
……またこれだ。
チャラい長髪男は、地に伏して動かない女チンピラの尻を触るジェスチャーをして、たいそう楽しげに浮かれポンチだった。それを見たパトロール隊その2(角刈り筋肉質)は大爆笑。
「もし一年前の決戦で変態勇者が勝ってたら、痴漢法が布かれて痴漢やり放題だったんじゃね、ガハハハハ」
つうか俺、ポシリーとして女にだって手加減はしないものの、尻撫手などの奥義は仕掛けたことないし……って、そんなこと今ここで言えるわけもないけど。
心底うんざりだった。
魔王軍において元勇者は散々バカにされ、とんだ笑い者として底辺の扱いを受けているのだ。
それも、小学生にとってのうんこネタにも等しい鉄板ギャグとして高頻度で繰り出され、ことごとくスマッシュヒットを飛ばしていた。
いやまあ一般人の俺に対する仕打ちだって似たようなものだろうが、俺はこれまで引きこもるという手段によって現実から目を逸らすことができた。でも今はそれができない。
もし仮に俺がいたいけな処女だとしたら、無理やりに無修正AVを見せられるようなものなのだ。それってひどくないですか。
これが、魔王軍は地獄だと思わずにはいられない最たる理由なのだった。
「元勇者ってまじ変態すぎ。超ウケたよなあ」
俺は確かにアホでクソでクズのしょうもない野郎だけど、でも変態じゃないんだってば……痴漢趣味だってぜんぜんないんだって……。
「男のケツ触りたくて拳術やってんだろ」
いやだからそれ逆でさあ、別に触りたくて触ってるんじゃなくて、痴漢拳がそういう技ってだけで……。
「勇者って肩書きに目がくらんで言い寄ってった女たちも、なんだかんだで手出しされなかったらしいぜ」
いや、あの、それは……なんつうか……勇者のくせに童貞と思われたくなくて腰が引けちゃったっていう、そういう理由だったりして……。
「あのコスプレ衣装はママの手作りらしい」
いやいやいやあれは俺が夜なべして拵えた力作なんだって!
物申したいことだらけだったが、まさか自ら正体を明かすわけにもいかないので泣き寝入りするしかなかった。
この一年間、日陰者としてひっそりと暮らしてきた俺にとって、魔王軍での日々は古傷を抉られる出来事の連続だった。
なんで俺、魔王軍にいるんだろう。こんなに侮辱され、身バレのリスクまで冒して、俺はなんでここにいる?
別に、パトロール隊として民衆たちを助けたいとかいう殊勝な理由があるわけじゃない。
俺はただ、「そんなあなただから、力になって欲しい」というコムの言葉にやられただけなのだ。
我ながら情けないにもほどがある。
弱いところを不意に突かれて、諸手を挙げて降伏してしまった。
だがあの日以降、そのコムとも顔を合わせていない。
別部隊に配属されたのだ。
コムは三部隊あるうちの第一部隊の隊長なのだが、俺が所属することになったのは人員不足だった第三部隊だった。
魔王軍に引き込んだらあとは放置かあ。
釣った魚には餌をやらないっつーか……まあそんなことを考える俺も女々しいけど。
俺が悶々としている間も、チャラい長髪男&角刈り筋肉質による元勇者ディスりは止まなかった。
「そういや昨日、愛住路のあたりで露出狂が出たんだってよ。それも元勇者じゃね?」
「いやそれだけはないって!」
俺はたまらず言い放った。
断じて露出だけはしていない。それだけはしていない。俺は自らの無罪を主張せざるを得なかった。
というのも、その点に関してだけは過剰に反応せざるを得ない事情が俺にはあって──。
「おい、お前ら、ふざけてる場合じゃない。さっさと次の現場に向かえ。ソウエは俺について来い」
と、そこで第三部隊の隊長であるカイが、チャラい長髪男&角刈り筋肉質の悪ふざけを制した。
俺は思わずほっと吐息する。
この隊長は、見たところまあ悪いやつではなさそうな印象だった。
他のパトロール隊員は仕方なしに仕事をしている感が満載だったが、カイ隊長は正義感を持って当たっているのが見て取れた。
チンピラどもの鉄拳に傷ついた一般民がいればちゃんと手当てをするし、民衆に対する気遣いが感じられた。
聞いたところによれば、カイ隊長はもともと魔王軍の中でも使えない人間だとバカにされていたようなのだが(噂によれば、非情に徹し切れずに民衆から金を搾り取れなかったのだとかなんとか)、魔王に目をかけられ、パトロール隊の立ち上げに尽力したらしい。
年齢はおそらく二十代半ばだろう。
多少くたびれてはいるが清潔感のあるシャツやズボンといい、飾り気のない短髪といい、いかにも優等生な雰囲気があった。
学生時代は生徒会長やってました、みたいな。
俺はカイ隊長に言われるがまま、そのあとに続いた。細い路地を何度も曲がる。
普段、必要最低限の伝達事項しか口にしないカイ隊長が、珍しく問いかけてきた。
「ソウエ、前から疑問だったんだが、お前はどうしてわざわざサングラスなんかしてるんだ? こんな暗い街じゃ視界が悪いだろう」
「え、あ、ええと、その……俺、瞳孔が開きがちなんで、ま、眩しくて」
咄嗟のこととはいえ、我ながら危なすぎる言い訳だった。
引かれるのではと危惧したが、カイ隊長は何やら俺をしげしげと眺めて、ふうむ、と唸るだけだった。
オイオイオイ何なんだよ?
もしかして俺、すでに元勇者だって疑われてたりして……。
気が気じゃなかった。
だって実際問題、いつ身バレしたって全くおかしくない。
サングラスで変装したところで、店の常連だとかご近所さんだとか、俺が元勇者だと知っている人間は少なからず存在している。
所詮、天楼なんて小さな島なのだ。
……ああやっぱり俺、魔王軍を辞めた方がいい。
コムがの言葉につられて、ふらふらしてる場合じゃない。
これまで通り日陰者としてひっそり生きていくのが俺にはお似合いなんだから。
俺はどんよりと沈む気持ちをなんとか押し隠して、カイ隊長に尋ねた。
「あのー……これから向かう場所は?」
「明日の任務について魔王との打ち合わせがある。魔王から、お前も連れてくるように言われている」
ぎくり。と、思わず身が強張った。
俺まだ構成員にもなっていない見習いなんですけど。
「え、俺も……?」
「他の隊員には以前に魔王が直々に話をしているが、お前はまだそのとき魔王軍にいなかったからな」
「へええ……わざわざ魔王が直々っすか……」
「魔王は出来る限り自ら現場に出向こうとしている。構成員たちとの関係性を深める意味合いもあるだろうし、信頼を置いて任せられる部下がほとんどいないこともあるだろう。いくら前魔王の実子とはいえ、一年前まで魔王軍どころか天楼の人間でさえなかったんだからな」
確かに……。
そもそも、ハクロは魔王という立場にありながら、魔王軍の実権を掌握しているわけではない。
たとえば魔王が取っている改革方針は、民衆から吸い上げている金を、上下水道や電気にガス、医療、教育制度といった生活インフラの整備や、貧困層の支援といった社会福祉に充てるというものだが(つまりは税金として運用するというわけだ)、自らの利益が損なわれるのを忌避する幹部たちに阻まれて、ほとんど成果を上げられていないのが実情のようだ。
だがそれでも──カイ隊長にしろコムにしろ、魔王を支持する者は確実に存在しているのだ。
彼らは魔王という人間に惚れ込んだのだろう。
聞くところによれば、魔王は日々の仕事の合間を縫っては、土木作業や配線工事の現場にまで自ら出向いてサポートし、また、深刻なゴミ問題を解決するべく地道な清掃活動をも日課としているらしい。
数日前の深夜に、実は俺も一度だけ、遠目に魔王を見かけたことがあった。
自転車に大きなゴミ袋を五つだか六つだかくくりつけて、足場の悪い路地をのろのろと走っていた。
どう見てもダサいはずのその後姿にさえカリスマ性を感じたことに、俺は衝撃を受けた。
今はまだ、魔王の地道な働きが民衆の間に浸透しているわけではない。
だがそれもきっと時間の問題だろう。
少なくない人々が、魔王ハクロという新たな指導者に希望を見出すに違いない。
皆、この出口のない監獄島で苦しんでいて、救世主を求めている。
しかも、それは民衆に限ったことではなかった。
魔王軍に所属した今だからこそ知り得たことだが、構成員は構成員で、ままならない生活を送っているようだった。
例えば貧困に耐えかねて構成員になったものの、上納金による締め付けが厳しく、一般民以下の生活を強いられている下っ端は決して珍しくない。
魔王は、そんな構成員を自らの部下に組み込んで面倒を見るなど、配慮しているようではある。
──あの決戦で、むしろ俺は敗北して良かったのかもしれない。
そんな気持ちを抱くこと自体が、自らの覚悟と責任感の欠如の表れだとは自覚している。
それでもなお、そう思わずにはいられなかった。
もし俺が勝利していたとしても、俺に魔王のような真似ができるわけじゃない。
所詮、喧嘩が人より強いだけのクソ野郎に過ぎない俺は、お飾りの権力者として、天楼の頂点に踏ん反り返るだけだっただろう。
まるで器が違うのだ。比べるのもおこがましいほどに。
天楼をより良い街にするため日々奔走する魔王VS勇者としてチヤホヤされていい気になっていただけの俺。
……ああ、もう目も当てられない。
雪だるま式に重くなっていく気持ちを引きずって、間もなく辿り着いたのは、よりによって二度と見たくない場所だった。
カイ隊長が足を止めて、言った。
「魔王とはここで落ち合うことになっている」
なんで今、ここなんだよ……。
そこは、一年前、魔王と戦ったあの場所なのだった。
魔王との決戦以降、ロープが張られ、立ち入り禁止区域に指定されていた。
天楼のビル群は基本的に老朽化が進んでいるのだが、中でもこの一角は最も古い建築物が立ち並ぶ地区にあたる。
水漏れや漏電がひどく、外壁が剥がれて落下するなどの人身事故も相次いでいたため、近年ではほとんど人は住んでいなかった。
ならばこの地区からビルの建替や修繕を行おうと魔王が提案し、現在は工事中なのだった。
とはいえ、天楼のビル群は複雑に絡み合っているため、一気に取り壊すと他のビルまで芋づる式に倒壊する危険性を孕んでいる。
そんなトンデモ事態により、工事は遅々として進んでいないようだった。
俺と魔王が戦った広場には、解体のための工具がいくつも置かれていた。
ちなみに、ビルとビルの間に張り巡らされたダストシュートはかろうじて撤去されているので、もし今が日中だったなら太陽が拝めただろう。
天楼において日の光が射し込む場所というのは貴重だが、立ち入り禁止区域である以上、関係者以外には縁のない話ではあった。
「お待たせしました」
やがて魔王がやってきた。