勇者、敗北!
勇者たる俺は、星空みたいなスパンコールを散りばめたマントと、あえてヴィンテージ風に仕上げたオシャレ鎧と、ワインレッドのかっこいいカラコンを装備して、魔王と対峙していた。
廃墟同然のビル群に囲まれた、およそ五メートル四方の広場には、何百人もの民衆が詰めかけている。
彼らはサビついた鉄柵からこれでもかと身を乗り出して、声の限りに叫んでいた。
「我らが勇者よ! 魔王を打倒し、我らが生まれ育ちし天楼をこの手に取り戻せ!」
女子たちの黄色い声援も混じりに混じってる。いいじゃんいいじゃん、めっちゃいい感じ! 超々々々々テンションあがる!
そう、俺は天楼を魔王から解放するために選ばれし勇者なのだ。
伝説的預言者リャンリャンによって語られた神の言葉によれば──勇者が光臨し、その愛なる御業によりて、天楼を救済す。
そして今日はいよいよ、魔王との決戦の日。
俺の前に立ちはだかるは魔王。忌むべき悪の化身。魔王のくせに、天楼における正装にあたる中華風スーツに身を包み、やつは静かに抱拳礼をする。俺も同じく礼をして──さあ、戦いが始まる!
下々の者よ、しかと目に焼きつけておくがいい、眩いばかりの俺の勇姿を!
俺は得意の高速拳をブチかますべく魔王に突進する。強烈な右突き! 避けられる。続けざまに左打ち! 避けられる。左右突き打ち蹴り! ことごとく避けられる。
あれ? あれれ? 俺の攻撃、魔王にぜんぶ読まれてる? と、首を捻る間もなく、魔王が俺の懐に飛び込んできた!
俺は間一髪ギリギリで身を引いて攻撃をかわすと、なんとか魔王から距離を取った。
え? え? え? なにこれ、なにが起こってんの? 手のうちぜんぶ見透かされてる超恐怖。
こんな感覚いままで味わったことない。まじで?
俺の強みは、目にも留まらぬ高速拳を繰り出せる点にある。
だが魔王は俺のスピードをものともしていない。
民衆たちの目には、いきなり俺が後方に瞬間移動したかのように見えたはずだ。
つまり民衆たちには何が起こっているか理解できないし、俺の動きも見えていない。
それならば──俺はごくりと唾を飲んで、決意を固めた。
あの技を繰り出すしかない。俺の高速拳を最大限に活かした幻の武術。決して誰の目にも映してはならない、門外不出の絶技。
俺は両の掌で空中をねっとりと撫で、十本の指をわしゃわしゃと動かす。
十分に練功してから、魔王を真っ直ぐに見据えた。
準備は整った。刹那のうちに技を行使し、必ず魔王を打ち倒す。
俺は魔王めがけて疾風のごとく駆け出して、胸中で雄叫びを上げた。
──痴漢拳奥義・尻撫手!(ちかんけんおうぎ・しりなでしゅ)
ひとたび瞬く間ほどの刹那に、俺は渾身の一撃を繰り出して──だが、魔王にガードされた。
俺は、魔王の尻を撫で上げる寸前の、現行犯体勢のまま、完全に硬直していた。
魔王が口を開く。
「まさか、幻の武術・痴漢拳の使い手とあいまみえることになろうとは。出し抜けに痴漢行為を仕掛けることで、敵を動揺させ、不安と恐怖のどん底に陥れる──作為的に隙を生じさせることこそが、その真髄」
続けざまに、魔王の部下らしき男の、興奮した声が耳に届いた。
「さすがは魔王様! 数多の拳術に通じ、それゆえ数多の拳術を破る技をも心得ている、究極の拳術クラッシャー!」
チーン。臨終。
俺は自らの敗北を悟った。
「勇者よ、お前の技は見切った! 秘技・痴漢撲滅運動──」
魔王は俺の手をすかさず掴んで捻り上げると、ふるえるほどのイケボで言い放った。
「このひと、痴漢です!」
同時に、魔王の手から放出された怒涛の気が、渦となって俺を捕らえる。
俺の身体は紙切れのように宙を舞い、バシ~ンとばかりに地面に叩きつけられた。
一発KO。起き上がれない。もう無理。完全に心が折れていた。
なぜなら、公衆の面前で痴漢拳を暴かれた俺は、もはや社会的抹殺を受けたも同然だから。
潰れたハエのような体勢のまま、視線だけを周囲に這わせると、民衆たちが失笑しているのが見えた。
勇ましく魔王に戦いを挑んだかと思えば、謎のお尻お触り拳をかまして返り討ちにあった変態野郎=俺に、民衆たちは落胆し呆れ果てていた。
魔王は俺に言葉さえかけずに、広場から去って行く。
いっそのこと「勇者敗れたり」とか言ってそれらしく高笑いしてくれた方がマシだった。
だが現実には完全無視。存在を全否定された気分。
間近で決戦を見ていたガテン系の男が「このド変態痴漢野郎」と俺の顔面に唾を吐き捨て、処女っぽい美少女が「……気持ち悪い」と呟いて、汚物でもみるような眼差しを向けてきた。
間もなく民衆たちが押し寄せ、俺は寄ってたかって足蹴にされた。
マントのスパンコールが土煙にくすんでいく。
鎧はボロボロのベコベコで、ヴィンテージどころかもはや廃材の域。ワインレッドのカラコンも白目のところまでずれ込んで、視界が血色に染まって見えた。
超みじめ。
べつに痴漢がしたかったわけじゃない。
男の尻だって触りたくて触ったんじゃない。
俺はただ、魔王を倒したかっただけ。それだけなのに。
人間サンドバックと化しているうちに、意識が朦朧としてきた。
もはや痛みさえ感じない。このまま消えてしまいたい。
暴行に飽いた民衆たちが俺の周囲から去っていき、やがてふと頬に感じたのは──柔らかな布の感触。
誰かがハンカチで唾や汚れを拭ってくれた?
いやいや、んなわけねえだろ、こんな変態野郎のために誰がそんなことするっつうんだよ。
夢に決まってる。慰められたいという俺の願望が生んだ都合の良い夢。
俺は自らを言い聞かせようとするものの、それでもやっぱりワラにも縋りたい一心で、まぶたを薄く開いて──はっと息を呑んだ。
おたふくの、めでたくもふざけた顔面が、目の前にあった。
??
……なんかへんな夢だな、忘れよう。
こうして俺は、日陰者として生きていくことになる。
ただでさえ光の届かないこの街で、自分の殻に閉じこもって。
俺自身も、魔王も民衆も預言者も、この天楼という場所そのものも、みんなみんなクソ食らえなんだよ。