共鳴
魔力の吸収と放出によって身体が限界に達したロックは、右手にしっかりと剣を握ったまま、白い煙をあげながら、大の字になって地面に倒れていた。
魔女の十億年分の記憶が一気に流れ込んできたせいで、まだ頭の思考回路が定まっていない。
一人称視点でずっと魔女の記憶を覗き続け、自分の記憶と混濁して、記憶と感情がごちゃまぜになって、自我が崩壊しかけていた。
醜い部分だけ見続けてきた魔女が、人形に対して価値を見出せないのは当然。
自己否定し続けた魔女であれば、初対面から相手に対する評価の基準が最初からマイナスになっていてもおかしくない。
自己評価がまともに出来ない者が、他人に対する正しい評価認識ができるはずがないのだ。
魔法使いは、確かに人形に対して優しく、争いを止めようと紛争する姿は確かに伝説とされる程英雄視されるものだ。
しかし双子の妹の魔女から見れば、遊びに夢中で妹を全く顧みない姿しか映っていなかった。
魔法使いに贔屓され続けていた人形のロック達や他の魔導士たちの説得がまともに通じるわけがない。
自分より下に見なければ正気を保てない魔女からすれば、人形からの説得自体が魔女を傷付けるものになっているなど当の人形たちに想像できようか。
むしろあれだけ精神が崩壊した状態で、人形の前で仮面を演じ続け、魔法使いのように暴れなかった魔女の自制心の強さに驚くべきだった。
逃げる場所も人もなかった幼い小さな少女。その精神は成長せず、十億の長い年月を経て摩耗していっただけ。
一番に頼れるはずだった、真先に助けを求めた相手に無関心に見放され、一人放置され続け、ただただ追い詰められていっただけの魔女。
仮面を装わなければ感情も表情も作れないほど、魔女の精神はいつ臨界点を超えて爆発してもおかしくない状態だった。
今そうなっていないのは、単に魔女の自己否定が強いが故に、そんな価値もないのだと、抑えきることが出来ているだけで。
魔法使いが眠っている間に魔女が召喚され、それを拒まなかったのは、魔女が話した通り、彼女にとっていいチャンスだと思ったから。
散々妨害してきた魔法使いがいない今、自身の正気を保つために、この青い球体を破壊できる絶好の機会だと魔女は思った。
しかし魔女本人の思惑通りにいかず、途中で魔法使いが目覚めてしまった。
その時点ですでに数多くの争いを誘発させていた魔女は、魔法使いがとうとう本気で自分と対峙することになることを予想した。
しかし、魔法使いは前回の再会時に行ったことを、なんでもない様に装って、言葉をかわそうとその姿を伺ってばかり。
その姿に魔女は、人形に対しては完璧に繕っていた仮面と違い、精神的に不安定になっていたのだ。
このままでは、魔法使いはいつもと同じ。魔女に対して真摯に向き合わない。
魔法使いが告げた謝罪の言葉も、事態を解決するための手段でしかなく、魔女に対してのものではなかった。
自分が作った人形の世界でまで存在を否定されかねない。
魔女は限界だったのだ。だから、期限を付けて人形を試している。
人形の世界が滅び、同類の魔法使いと決裂することで、魔女自身の精神意識が完全に消滅しても、構わないと。
肝心の魔法使いは、見届けることを諦めて逃げてしまったが。
「いつだって、醜く争ってんのは俺達人形自身で」
ロックは次第に意識を取り戻した。天井を見上げるように、仰向けになったまま見上げていた空は、灰色のまま。
ぼやけていた視界は、ゆっくりと、霧が晴れていくようにしっかりしたものになっていく。
「争いから逃げる道をずっと残してたのも、お前がそうあってほしいと本当は思ってたからで」
手に握ったままの剣の柄を、腕に力を込めて、右手で強く握りしめる。
「だから一週間、決闘という体で俺達にチャンスを与えたわけで」
上半身を、腹筋だけでゆっくりと引き起こす。
その右手には、剣をしっかりと持ったままで。
「長い間ずっと、お前はそれを願い続けていたわけだ」
ロックはじっと魔女の方を正面から見つめながら、再び地面に足をついて立ち上がった。
幼いが故に、魔女はその感情を理解できなかった。
自己否定し続けた魔女が、人形に手を加える時、絶対にそれを回避する方法を残し続けていた理由。
「俺達は醜くないって、証明してほしかったんだな」
そうすれば、必然的に魔女も醜くなくなるから。
人形自身が、魔法使いが掛かりきりになるにふさわしいくらい価値があると証明できれば。
そうなって当然であると人形自身が己でそれを示すことが出来れば。
魔女の価値は、少なくともそれ以上否定されはしない。
無意識に行い続けていた、魔女の、人形に対する助けを求める行動だった。
黒い流動性の魔力の塊は、相変わらずその場から離れない。
ただ、もうそれに魔女としての意識があるかどうか、何も話さずに大きな泡を吐きながら漂っているのを、ロックはじっと見つめていた。
本来は、双子の兄と同じ、目が眩むほどの真白な魔力の塊だったはずの、純粋な小さな少女を労わる様に。
「倒すんじゃない。助けるからな」
『最初から思ってたけど、やっぱりお前、いけ好かない』
魔力の塊から、音だけが響いた。どろどろとした感情に飲まれそうになっているのに、氷のように冷たく。
けれど、それでいて、ロックは悪い気はしなかった。
そして、本来ならば出会った最初にするべきことを、ずっとしていなかったことにたった今気が付いた。
「自己紹介、まだしてなかったな。俺はロックベル・プライム。魔導士目指してる」
『そう。私はマリアージュ。魔女よ』
ロックとマリアージュは、お互いに召喚し、されてから今までで初めて、きちんとした挨拶を交わした。
助けると、そう声をかけたロックは、剣を大きく振り返り、魔力の刃を作ろうとする。
「っ」
声にならない悲鳴が喉の奥からあがる。ロックは元々負荷に耐え切れずに倒れてしまった身だ。
ロックの身体は回復されていない。倒れて意識を失っていたのを、取り戻しただけなのだ。
それでも何とか刃を作り出そうともがくが、さびた剣が現れるように、その刃はボロボロに欠けて崩れていく。
ロックはそれでも、剣を強く握って魔力を込めようと必死に足掻いた。
これ以上、魔女を失望させるな――。
大きく剣を振りかぶったまま、ロックの視界が突然真白に染まった。しかし今回は、先程倒れた時とは様子が違う事にロックは即座に気付く。
轟音と共に、白い巨大な砲撃魔法が辺り一帯を包んでいる。
地面を大きく抉り取り、巨大な亀裂を作り上げ、大陸の中心が見る見るうちに崩れていくほどの威力を持つこれは――。
『ムラバ。壊して、なかったの』
砲撃魔法を真正面から受け続けるように、黒い魔力の塊が揺らめきながら、嗚咽するように音を吐き出す。
この規模の砲撃魔法は、魔法使いが行うものと同じであるほどのこれは、流石に魔女に通用するらしい。
それと同時に、削りきられていたロックの体力も、その魔力を吸収することで、体の傷と共に回復していった。
剣の柄を強く握りなおし、大きく振りかぶって、魔力の刃を作り出す。
放ち続けられているムラバの砲撃から得られた、白い砲撃魔法をそのまま使った、真白な大きな魔力の刃。
少し燻り始めた黒い魔力の塊の、中心に向かって、切っ先を大きく振り下ろした。
刃での攻撃に加えて、同時にその膨大な魔力の吸収も再開させる。
『今度こそ本当に死ぬわよ?』
魔力の塊から、小さな声が漏れる。
片眉が吊り上がり、怪訝そうな表情をしている魔女の顔が、その黒い魔力の塊に浮かび上がるようで、ロックはつい苦笑してしまった。
『笑い事じゃないわよ?』
「死なねーよ」
先の魔力吸収と放出で限界に達したとき、ロックはその時死んでもおかしくなかった。
だが、ロックが一瞬だけ感じた弾かれたような感覚。魔女から、鞭のような、魔力の弦で弾かれていたのがロックの視界の隅に映っていた。
魔女は、完全に無意識に行ってしまったため、その事に気付いていない。
「俺は、お前のお気に入りの駒、なんだろ?」
ロックは、魔女の魔力の中心に剣を突き刺し続けながら、安心させるように、ニヤリと不敵に微笑んで。
チェスの駒を取ったり取られたりしたとき、それを悲痛に感じて大泣きしたり、同情して心を痛めたりはしない。
だが、漠然的に。ナイトだったり、ルークだったり、はたまたクイーンだったり。
実際のボード上のゲームには影響しないし、取られても残念だが、仕方ないと心情処理できるような。
個人的にはこれが好きだと言えるような、そんなお気に入りの駒。
記憶を覗いたことでようやくロックに理解できた。
魔女は嫌い続けていたが、同時に、そのくらいの好感度を、ロックに対して評価していたことを。