変化
「ウィラード」
『もう少し』
「ウィラード」
『あとちょっとだけ』
「ウィラード」
『これが終わったら』
「ウィラード」
『今いいところなんだ』
魔女と魔法使いが何度同じやり取りを繰り返しても、結果は変わらなかった。
魔法使いは一度たりとも魔女の呼びかけに応じることはなく、魔女の声に次第に諦めが見え始め、声をかける頻度が少しずつ、少なくなっていった。
人形の世界に入り浸り、楽しく遊び呆けていた魔法使いが、ほんの少しずつ現れ始めたその変化に気づくこともなく。
「嘘つき」
涙が滲んだ魔女の声に、魔法使いはとうとう気付かなかった。
そしてその一言を最後に、魔女は魔法使いを呼ぶことをやめた。
魔法使いと魔法の実験しかしていなかった魔女は、魔法使いがいなくなったためにやることがなくなった。
この空間には、小さな庭と、自分たちが暮らす家と、人形のいる青い球体しかない。
一人にされた幼い魔女には、逃げ込める場所も人もなかった。
苛つきを鎮めようとするかのように、また、少し手を加えて争いを誘発させる。
ほんの少し手を加えただけで、時には直接手を加えていないにも関わらず、簡単に争い始めてしまう、醜い人形。
いつの間にか、魔女の中での人形に対する評価が、どんどん下がっていき、それがまた、魔法使いと同じように魔女も青い球体の中に入るという選択肢を奪った。
「これのどこがいいの?」
自己利益だけに目がくらんだ人形たちが争い合う姿は、外から見るだけの魔女には醜くしか映らない。
「うーん、ここまで酷いなら、また壊してみるのも手かな」
この時点で統治の為に作った五大王の内、魔獣王は滅び、精霊王は逃げて引き籠っていた。
作成した時点で、争い合うであろう欠点に、魔女は気付いていたのだが、深く考えずに魔法使いに指摘せず放置した結果だった。
文字を書き間違えた紙をくしゃくしゃに丸めて、別の紙で新しく書き直す感覚。
最初に人形たちが滅んでしまったときのように、新しく作り直す以外に方法がないほどの惨状に陥らせてしまえば。
しかしここで魔女は、魔法使いが中に入り込んでいることを問題視した。
散々戻るように声をかけても、魔法使いは現地改良に夢中でその声に答えたことは一度もない。戻ってくる可能性は皆無だ。
「入り込んでいる状態で外から強引に破壊した場合、ウィラードはどうなるの?」
目の前にある青い球体をつぶすことなど、魔女にとっては容易い。一握りするだけでよかった。
しかしそれをした場合、体まで世界に合わせて小さく縮んでしまった魔法使いはどうなるのか。
脳裏に様々な不安がよぎり、実行に移せる勇気が魔女にはなかった。
「不確定要素多いしそっちはなしね。それなら」
何も難しい話ではない。最初の時と同じように、人形同士で再起不能なまでに争ってもらうだけでいい。
都合のいいことに、人形はどうやっても、ほっといても争い始めるので、魔女にとって実行しやすかった。
そうして魔女が八つ当たりとして行っていた争いの誘発は、魔法の実験と大差のない、悪意のない意図的なものへと切り替わった。
『またかマリアージュ、お前だろうこれをやったのは!!』
(人形に手を出した途端これだよ)
自分の呼びかけには、まともに話もしなくなっていた癖に。
実験するように魔女が意図的に争いを引き起こすようになった事に、魔法使いは気付いたようだ。
かつて八つ当たりしていた事を窘める時以上に、魔法使いは捲し立てて魔女の事を責めるようになった。
『マリアージュ!』
『これもお前なのか!?』
『何をしている!?』
『助長するのはやめろ!』
(一々うるさいな、口だけのくせに)
魔法使いはそれでも、魔女を止めるために戻ってきたりはしなかった。
口だけ達者なヘタレ野郎。なんとなく、魔法使いに対してそんな認識が魔女に生まれ始める。
それはそれとして、一々突っかかられるのも魔女にとっては面倒だったので、魔法使いになるべく自分がやったとバレないように、徐々に細工するようになっていった。
これはこれで面白いな、と。魔女は張り巡らせたパズルが綺麗に作動していくような感覚を楽しみ始める。
実際魔女がやったとはっきり言う事が出来ないようになって、魔法使いからのお小言はぐっと数を減らした。
「へぇ、なるほど」
細工をするようになって、魔女は人形たちの思考を読んだ方が争いを誘発しやすいことに気づく。
外側から、魔法使いに気付かれないよう妨害魔法を掛けながら、読心魔法で直接他人の考え方を盗み見るようになる。
「ほんとに、こんなもののどこがいいの?」
今にも争い始めようとしている人形たちの思考回路は、それこそ争っている現状を見るよりもずっと利己的で醜い。
実際にそれを眺め続けていた魔女は、それよりもひどい状態の心情を見て、ますます理解に苦しんだ。
「まぁいいや。とりあえず大体わかったから、でかいの一発、お願いしますか」
人間の心情は、思ったより利己的で操りやすい。
何度か実験を繰り返して人形を観察し、読心魔法でそう感じた魔女は、今までと趣向を変えて、手に取ることの出来る形のものを落とした。
それが《願い石》だ。
世界にそれを落とした途端、争いが発生した。
どんな願いも叶えてくれる石だ。利己的な人形が、それを求めて争わないはずがない。魔女は確信していた。
争いは争いを呼び、どんどんと戦火は広がっていき、ついには作り上げてから初めて大陸中が戦火に包まれた。
スカルドラゴンも初めて生み出されたその戦争は、大陸中を瞬く間に真黒に焼き尽くし始める。
「凄く燃えて真っ赤だわー、きれい。でも、足りない?」
最初に失敗したのとほぼ同じ道を辿り始めた所で、一歩手前でギリギリそうなっていないことに気付く。
何が足りないのだろうかとじっと眺めて様子を観察していたところ、魔法使いがそれを妨害して、何とか争いを鎮めようと駆け回っていた事が分かった。
「なんで?」
ここまで荒れ果ててしまったのだから、捨ててしまえばいいのに。
上手くいかなかった苛立ちと、人形ばかりが魔法使いに助けられていく嫉妬。
それ加えて初めて、魔女の心にもやもやとした気持ち悪い感覚が蠢く。
《願い石》を作って放り投げたことに、魔法使いは特に何も言ってこなかった。
ただ、戦火に泣き叫ぶ人形たちを必死に助け、争いを止めようと、魔女と一緒になって遊びに使っていた魔法を使う。
「なんで?」
魔女にはその光景が、滲んで見えた。
お前は彼ら人形たちよりも大事ではない。
そう、魔法使いに暗に言われた気がして。
「意味わかんない」
こんなに醜く争い続けて、止まらないのに。
それなのに、魔法使いは人形を、それはそれは大事に扱い、助け、諭し、導いている。
魔女には何一つ、そんなことはなかったのが、悔しくて、情けなくてたまらない。
「双子の私よりも、争ってばっかの醜い出来損ない人形の方がずっと価値があるってこと?」
冗談じゃない――。
実験のように争いを引き起こしていた行為に、魔女は悪意を持ち始めた。
より大きな争いを引き起こすのと同時に、より深い絶望に叩き込んでやる。
魔女は自然とそう考えるようになってしまっていた。
『いい加減にしろ、マリアージュ』
魔女の悪意が込められ始めたことに魔法使いは気付いて、今までにないほど凄んだ声をあげた。
それが火に油をくべるように、悪化させるだけであることに魔法使いが気付くこともなく。
「ふざけんな」
争い合うしか能のない、出来損ないの醜い人形のくせに。
それでも魔法使いは人形ばかりを相手にする。魔女など必要ない、そういわれているように。
もちろん魔法使いにはそのような意図もなければ考えすらもしていなかった。
魔法使いは自身が人形の世界に入り込んで、多くの人形と接するうちに、自然とその精神も成長していた。
そのせいで、魔女も自分と同じように精神的に成長しているものだと勝手に思い込んでいた。
魔法使いに放置され、誰とも接する機会のなかった魔女は、実際には精神は全く成長していない。
魔法使いはただ、いつも通りに考えが浅かった。
魔女の、魔法使いに自身が否定されていくような感情に、次第に呪いが生まれ始めた。