吸収
「なんやねん、なんやねん! なんかいっぱい落ちてきてねんで!」
海底国カペーチュミストロにある、一番広い海の底の空間。
女王が暮らす黒い石の城が悠然と佇む、円状に石畳が敷かれた城前の大きな広場に、傷付いて意識を失った魔導士たちが、空中から転移してバタバタと放り投げられる。
「えっ、あっ、オトン!? あーもう、なにがどうなっちゅーねん!」
避難してきた大陸の人間を、空いている空間に分散して誘導してからもうすぐで一週間が経ちそうな頃。
大陸の方で、魔女が大暴れしているという大雑把な情報しか持ち合わせていない海底国の住民は、突如として空中から現れた魔導士たちに驚いて慌てふためいた。
その中に、意識が全く戻る様子がない、人間離れした恐ろしく頑丈な身体を持つ父の姿を発見したヤコが走り寄った。
「おきんし。え、死んだん? 嘘やろ? オトン? オトーン?」
「死んでおらんわい、意識がないだけであろう」
べしべしと、その顔を必要以上に強くたたいて確認するヤコの後ろから、女王が現れてその顔を覗き込んだ。
「魔力はまだ生きておる」
「あー、よかったぁ」
「ヤコ、国の姫がその恰好でその口調、直せと何度言えば」
「うっさいわい、こっちのが好きやし。ウチには姫とか堅苦しーの合わんのや。女王」
衛生兵を呼び、負傷し気絶したままの魔導士たちを運び寝かせながら、ヤトルッドがヤコに優しく声をかける。
しかしヤコはそれに応えつつも、べっと舌を出して拒否した。
「コルドネア王国のゼギルデイドだ。報告を受けたが、これはひどいな……」
「致命傷はないようですね。消耗が激しいですが、気絶している原因は、脳震盪や、軽い窒息程度です。数日休めば、意識は戻るかと」
ゼギルデイドとルシフォード、そしてその後ろからヘキルカイドが慌てた様子で到着し、ルシフォードが負傷者たちを軽く見て告げた言葉に、その場の者達が安堵した。
「魔女が宣言した期間までもう時間がないぞ」
「あー、でも、あの爆発頭と、魔法使いのおっちゃんがおらんで。まだ戦っとんのとちゃう?」
意識を切り替えて、ゼギルデイドがルシフォードに相談するように声をかけ、聞いていたヤコが周りを確認するように首をぐるぐる回しながら続ける。
ヤトルッドは魔導士たちの方を首をゆっくりと回して眺め、最後にタギャルに視線を止めた後、ふむ、と顎に手を当てる。
「使ったほうが、良さそうじゃの。軍曹」
「はっ。先の時、使用しなかったので、いつでも」
「では、準備が整い次第、放ちなさい」
機能停止しただけで、溜めた魔力は生きたままの、魔法道具が動き出した。
「散々残ってたくせに、最後には逃げるの。こなくそヘタレ魔法使いが」
転移したウィラードを一瞥したような気配。罵倒する音に、なぜだかロックは懐かしさを感じた。
ロックが吸収魔法を行っている間も、魔女は逃げることも抵抗することもなく魔力を吸われ続けている。
ロックの身体は既に限界許容量を超え、悲鳴を上げるように軋み始めていた。
黒い瘴気の渦に飲み込まれるようになりながら、激しい衝撃にあおられ、耳元を轟音にさらしながら、それでも吸収を止めることはない。
痛みに耐えようと歯を食いしばり、剣を握る腕に力を込め続ける。
「無理矢理に吸収してるせいで耐え切れなくて破裂しそうね」
「おめえどんだけ魔力溜め込んでんだよ」
「十億年過ぎたあたりで数えるのやめたわ」
ロックが吸収し続けている真黒の魔力は、かなりの濃度が凝縮されている。
ほんの少し吸収しただけで、確かに世界を簡単にどうこう出来そうなほどであることが手に取るようにわかる。
十億年以上を生き続けた魔女の魔力を、たかが十数年生きただけのロックに吸収することが出来るのだろうか。
出来なくてもやるしかないのだが。
ロックは突き刺していた剣を一旦、黒い流動体からズルリと引き抜くと、勢いをつけてもう一度振りかぶり、大きく叩き付けた。
それと同時に、自身の身体に溜め込んだ、大量の魔力を斬撃魔法に変換し、吸収しながら放出した。
白い閃光のような光が剣の刃から光り輝き、激しい衝撃と轟音を立て、小さな魔力が余波のように稲妻を放ちながら、魔女の液状の身体を引き裂くように切り裂きはじめた。
光に照らされ、空間が衝撃に白が溢れるように輝き、収束するように渦巻く。
踏ん張っているロックの両足が、どんどんと硬い地面を抉って埋もれていった。
散々行っていた戦闘で、魔女は最終的に至近距離の近接攻撃は防いでいなかった。
一見して効いていなかったように見えていたそれは、特に問題ない程度の速度で回復魔法を即座にかけていただけ。
つまり、ダメージが通らなかったわけではない。
遠距離からの砲撃魔法は吸収されるが、近距離からの攻撃魔法は通じる。
ロックはその事を先の戦闘で感じ、剣を振り下ろした瞬間それは確信に変わった。
膨大な魔力を吸収しながら、その魔力を攻撃に変換して放出する。
今のロックはさながら無限攻撃魔法道具に近い。
「いくら竜族の頑丈な身体を持っても、そんな無茶して、いつまで身体が持つかしらね」
大量のエネルギーをその身に通して、そのまま放出する。
並の魔力であれば問題ないが、今吸収しているのは、魔女のおぞましいどす黒い、尚且つ高濃度の凝縮された魔力。
それだけの高エネルギーである魔力を体に通して、負荷が掛からないわけがない。
ミシミシと、骨が不吉な音を立てる。筋肉の筋が、今にも引き千切れてバラバラになりそうだ。
魔力の膨張で身体の皮がパンパンに膨れ上がっていく。脳が頭蓋骨を突き破って頭が破裂しそうな感覚だった。
「ぜってぇやめねぇ」
自分に言い聞かせ、奮い立たせるように、ロックは無我夢中で呟く。
体に大量に入り込んでくるどす黒い感情に、頭がやられて気が狂いそうだった。
決意が固まっているからこそ、ロックはまだ正気を保っていられた。
様々な感情が混ざり合って真黒になっているそれは、身体を通すことで少しずつ、ロックにも感じ取れるようになっている。
ぐちゃぐちゃになって、なにもかも分からなくなっているが、強い感情は確かにいくつか大きく分かれている。
嫌悪、憎悪、嫉妬、殺意、軽蔑、嘲笑、悲哀、後悔、焦躁、優越、哀愁、憤怒、、、
混ざり合った感情が、抑えきることさえ難しく、今にさえ癇癪を起してもおかしくないほど溢れているのに、強い何かがそれを一歩手前で遮っている。
一番強い感情、自殺を望むほどのこれは――
――自己否定だ。
「――――」
唐突にそれを理解して、ロックは目を見開いて、音のない声が漏れるように口を開けた。
ロックは身体の痛みが、まるで流れる水が抜け落ちていくようにスッと引いていく感覚に襲われる。
魔力の吸収と、剣の攻撃を続けながらも、次第に耳から音が距離を置いて遠く聞こえなくなっていくような。
衝撃を伝って激しく震える腕から、柄を必死に握り締めている拳の感覚が、麻痺して何もかもなくなっていくような。
目の前の目まぐるしい衝撃の衝突が、視界が、白み始める。
何もかも見えなくなっていく。
真白な感覚。
『ウィラード』
何も見えない、聞こえない、感じない――。
何もない、真白な空間に浮かんで、上も下も分からず、出口もないままただ漂っている。
漂ってはいるが、自分の身体がそもそもあるのか。
そんな感覚に襲われたロックの耳に、小さな声が響いてきた。
演技ではない。
感情がなくなる前の、魔女の、誰にも届かなかった声。
『私は、こんなに醜く争い続ける人形たちより――価値がないの?』
幼く小さな、少女の声だった。