観取
「今の、見えた光景は……」
恐ろしいほどに美しい夕陽の光景が、ロックの頭に焼き付いていた。
大きな金槌で連続打撃を受けるように頭が酷く鳴り響いて重い。身体はダメージのせいで固く思うように動かない。
魔力爆発の後、どれくらいの間気絶していたのだろうか、空は相変わらず魔物を生み出す雲に覆われているせいで時間の経過など分からなかった。
ただ、長い夢を見ていた気がする。
ウィラードが魔力爆発を防ぐために防御魔法を張ったとき、ロックの魔力吸収によって、魔力と一緒に体内に記憶が流れ込んできたらしい。
ロックは少女の悲惨な姿を思い出して、しばらく食べてないせいでほとんどない胃の内容物から、液体だけが口から洩れだした。
ロックは口元を何とか拭いながら、マリーの言葉を再度思い出す。
マリーを倒しても、人形は争いを辞めない。
魔法使いの過去の光景を目で見ただけのロックでも、今はその言葉の重さがどれほどなのかやっと理解する。
実際に体験した魔法使いにとって、それがどれほど悲痛であることか、絶望に陥ってしまうことであるかがロックにもようやくわかった。
(それでも……)
針が大量に詰められた袋に押し込められているような感覚の身体を何とか呻きながら引き起こす。
ぼやけた視界を取り戻そうと、数回瞬きしながら周囲を見渡すと、薄暗い荒廃した世界が目に入ってきた。
抉れた地面は、その端から端まで確認するのに目を凝らさなければならないほど広く、各国の中心に位置していた学園から見て、それぞれの国の三分の一ほどを削り取っていた。
おおよそ爆発が起こった直後はあちこち煙をあげていたのだろう、今は煙もなく燻っていたところに黒い焦げ跡を残す程度だ。
周囲に人影のようなものは、目に入る範囲には見当たらなかった。
あちこちが擦り切れて痛まない所がないほどになった身体を片手で押さえながら少し歩くと、落下時に手から離れた剣が地面に突き刺さっているのを見つけた。
左手で軋む身体を押さえながら、右手で柄を握り、力を振り絞って引き抜く。
剣を杖の様に地面に突き刺しながら、ロックは周囲を見渡して歩き始めた。
(俺が落ちたのは、結構端の方か)
地面というよりは、壁といったほうが近い形状。クレーターの端のほぼ直角に近い傾斜の坂のあたりに埋め込まれるように倒れていた。
吸収魔法が阻害して防壁魔法に影響したのだろう、人よりダメージは負っているようだが、竜族の血が半分入った頑丈な身体のおかげで多少は緩和されているようだった。
鉛よりも重く感じる足を無理矢理動かし、時に耐え切れず倒れ、それでも悲鳴を上げ続ける身体を無理矢理引き起こして、鞭打つように剣で支えながら足を進める。
円の中心から感じる、かなり強力な魔力は、一歩も動く様子がなかった。
身体を必死に鍛え続け、死の淵に立ってようやく、ロックにも魔力の動きや流れがようやくわかるようになってきた。
吸収魔法のおかげか、それは並の魔導士よりもよりくっきりと、目の前を流れていく川の様に辿ることが出来る。
見ているだけで視界を覆いたくなるような、爆発するときにあふれ出した、闇よりも深い色をした魔力。
「マリー、お前……」
ずっとこんな膨大なものを、召喚するよりも前から抱え込み続けていたのか。
使い魔としてロック達に色々と、訓練や助言をしたり、はたまた嫌がらせの数々を行っていた時も、何一つ悟らせないまま、ずっと。
「情けねぇなぁ……」
首を垂らして、大きく溜息をつくように息を吐き出しながら、少し休憩するように足を止め、一呼吸おいてロックは呟く。
マリーは嘘をつかない。でも本当のことも自分からは言わない。それはつまり、本心の何一つも聞かれなければ答えないという事。
人形同士が争っているのを見て心が休まると言っていたのは、おおよそ本心からだろう。
あの時ロックは初めて魔女のうっとりとした安堵の表情を見たのだから。
「ウィラードの、説得。だな」
ロックは今自身に出来る事を即座に導き出した。
魔法使いの記憶を覗いてしまった今、かなり気は引けるし、説得が難しくできるかどうかわからないことはロックもよくわかっている。
それでも、やめるわけにはいかない。
残された時間は少ない。放っておけば世界が滅びてしまう。守るべき沢山の大事な人たちが死んでしまう。
逃げることなど出来はしない。
「もう、俺にも、双子の兄貴のウィラードにさえも、本心を話すつもりはないってことだろ、マリー」
声など聞こえるはずもないが、はるか遠くにいるかつての使い魔に向かって、ロックは呟く。
もっと早くそうしていれば、この事態は防ぐことが出来たのだろうか。
たった一度だってよかった。あの魔女と、真正面から真摯に向き合って話し合うことさえ出来れば、結果は変わっていただろうか。
その圧倒的過ぎる実力を信頼していたからこそ、なにがあっても大丈夫だと思い込んでしまっていた。
本人がそう思っていたかどうかなど、微塵も考え至りもしないで。
「人形、ねぇ……」
再び重い足を前に進めながら、考えをまとめるように呟き続ける。ジャリジャリと乾いた硬い砂が、引き摺る靴の下で鳴り続けた。
争いを起こす人形たちを唆していた。犠牲も多く出してしまったそれは確かに、決して許されることではない。
しかし魔女が話した通り、人形たちには、いくらでも引き返して争いをやめるだけのチャンスも与えられていた。
ほんの少しだけ自分に疑問を持って、考える時間があれば、誰だって争う結末を避けられたはずだった。
たとえそうならないだろうと確信をもって魔女が動いていたとしても、その可能性があったことは変わりはしない。
魔女なりに、ずっと人形たちを試し続けていたのだ。
だからこそ、魔女にここまで嫌われてしまったのだろう。
魔女が人を唆した数は計り知れない。
そしてその中の一度たりとも、人形たちは自らの意思で争いから留まることが出来なかったのだから。
「醜く争いあってる、違いねぇな」
やり方は気に入らない。でも、魔女はそれこそ自分たちを作った超越した存在だ。
その事を視野に入れて考えれば、なにも間違っていない。
自分たちが争っている光景は、魔女から見ればさぞ酷く醜く見えたのだろう。
「わかんねぇのは、それを見て心が癒されるってことだな」
そこだけがどうしても繋がらない。ウィラードの話を聞く限り、魔女も最初はここまで酷い状態ではなかったらしい。
魔女の話しぶりから察するに、原因は双子の兄であるウィラードが関連している。
そこさえわかれば、魔女に対して攻撃する隙が生まれるようになるだろうか。
そもそも避ける様子が無いから隙だらけではあるのだが。
「……あ」
ロックはここで、ある一つの考えに辿り着いた。
精霊王が言っていた、ロックの使い魔に落ち着いていた理由。
そもそもやろうと思えば、魔女は外から魔法使いが目覚めないうちに世界を破壊できたのではないだろうか。
「まさか」
ウィラードの命令だけは、魔女はずっと聞き入れ続けていた。
だから、魔法使いが入り込んでいたせいで、外からこの世界を破壊することが出来なかったのではないだろうか。
ウィラードと違って、醜く争い合っている人形たちに対して嫌悪感を抱いていた魔女は、この世界の中に入り込むこと事態を拒むはず。
自力でこの世界に来ることを拒んだ、魔女にとっての想定外が、《願い石》による召喚だとしたら。
魔女が《願い石》を拒否できるといっても、おおよそはじめからではないだろう。
拒否するか否かの判断をする為にも、多少なりとも強制力は働いていたはず。
魔女は最悪の事態を想定してから考えを組み立てる。
不意にこの世界に召喚されてしまった際、魔女が考える一番最悪な事態とは、なんだろうか。
「召喚されたあの時から、最初から、倒されることを理解して望んでたってことか……?」
ただの一度も反撃する様子を見せず、魔導士たちに攻撃されるがままだった魔女の行動。
魔女がロックを鍛え続けていた本当の理由が、ようやくわかったような気がした。