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記憶


「……あぁ」


 呆然と放心している中、口から嗚咽のような音だけが吐き出された。

 空中に、魔女は一人漂っている。

 空は相変わらず黒い液体を降り注ぎ続け、魔物を絶えず生み出し続けている。

 先程の魔法の衝撃のせいか、まだ周囲は黒い煙に覆われて薄暗い。

 塔は跡形もなく消し飛んでいた。一つの国を丸ごと消し去るほどの魔力爆発を、溢れ出る感情によって制御できずにそのまま身を任せた。

 外側から追い込みをかけるように発生させていた、津波、竜巻、稲妻は、もう大陸の半分を飲み込み、徐々にその範囲を確実に狭めている。

 漂う空高くから周囲をぐるりと見渡せば、視認できる程度には近付いてきているのが、稲光や渦巻く灰色の影、大きく立ち昇る茶色い濁流が見えることでわかる。

 空中から見下ろす大陸には、先程の魔力爆発の威力をうかがわせるように、残った大陸をドーナツ状に見えるほど巨大に抉り取っていた。

 魔法使いが何とか防御魔法を張ったのだろう。地面にぽつぽつと、倒れた人影が、白飯に振りかけられた黒ゴマの様に転々と見える。

 なんとか死んだ人形はいないだろう、魔女から見たおおよそではあるが。


「四日目、終わったわよ……」


 分厚い雲に覆われた空を見上げながら、魔女は誰に言うでもなく呟く。

 疲労と、直接ではないにしろ、魔力爆発によるダメージを受けて、立ち上がる影はない。

 魔法使いでさえ、先程の防御魔法はかなり消耗してしまっただろう。おおよそ丸一日、回復に努めるため誰も起き上がっては来ない。

 しかし魔女にとって魔力爆発による消耗は、全魔力の数十分の一程度にしか過ぎなかった。


「今の、なに」


 魔女は、先程の感情の爆発が自覚できていない。胸の中に、わだかまるように永い間ずっと渦巻いていた何かが、急速に膨れ上がった感覚。

 ロックに召喚されるずっと前から、魔女は自分自身の感情がもう全くわからなくなっていた。

 痛覚は存在している。すり抜けた攻撃は、ロック達にとって効果が無いように見えていたが、ダメージがないわけではない。

 避けるのが億劫になったので、全部受けた後に回復魔法で治しているだけに過ぎない。

 身体を端から端まで色々な武器や魔法できれいに切り落とされたり貫かれたりした後、元に戻るまでの間、痛みはある。

 あるはずなのに、髪の毛一本も全く反応しないほど痛覚がもうわからなくなっている。


「人形の、くせに」


 のっぺらぼうのような無表情で、地面に倒れる小さな影を一つ一つ見下す。

 双子の兄であるウィラードでさえ、この何も伺うことができない完全な無表情が、魔女の素になってしまっていることを知らない。

 普段の快活で厄介な明るい面も、ロック達やウィラードが素であると思い込んでいた長い年月を生きた老婆のような口調も、魔女からすれば感情が分からなくなったせいでやっていた真似事の演技でしかない。

 痛みも感情も分からなくなるほどに狂い切ってしまっていることに、魔女本人を含んで誰一人気付けていなかった。





「お兄さん、この時間いつもここにいるよね」


 草木が生い茂る、春も中頃、この季節の夕陽は綺麗だ。

 それを眺めていたいという至極単純な理由で、今日もこの丘の上に腰を下ろして。

 ゆっくりと横に広がっていく、赤と黄が混じり合い陰っていく夜の青色と混ざり合っていくのを眺めるのが好きだった。

 海から吹き抜けてくる、少し湿り気のある春の風を肌で感じる。さわさわと耳に届く音、草木を揺らすそれがとても心地いい。

 この世界に降り立ってから、初めて見た夕陽を何度も目にしたくなり、ウィラードは最初にそれを目にしたこの場所に何度も足を運んでいた。


「いうほどいつも、というわけでもないが」


 この丘で人間に声をかけられたのは初めてだった。視線はじっと夕陽を眺めながら、後ろから草を踏みしめながら近づいてくる気配。

 ウィラードが振り返ることもせずにじっとしていると、その気配はそっと隣に腰を下ろした。


「そうかな、天気のいい日はいつもいる気がするけど」


 ウィラードは声の主の方にはじめて顔を向けた。まだあどけなさが残る、ふっくらとした色付きのいい白い肌。

 薄紫の髪が、藤の花が咲き誇るようにひらひらと風に揺らめいている。


「ここ、気に入ったの? 私の小さい頃からのお気に入りなんだけど」


「邪魔を、したか?」


「うーん、最初は私のお気に入りの場所なのにって思ってたけど、お兄さんの夕陽見る顔見てたら、まぁいっかっておもっちゃったから、いいよ」


 声は後ろから聞こえてきていたはず、顔を見る余地などあっただろうか。

 ウィラードがそう思ったことが顔に出たらしい。少女はくすくす笑いながら、少し申し訳なさそうに口を開く。


「や、何回かこっそり、お兄さんがここでじっと夕陽見てるのを、盗み見てたんだよね。凄く綺麗な顔して見てるなぁって」


 そういって眉を少し下げながら、頭をかく。別段責めるような内容にも思わなかったので、ウィラードは特に深く追求しなかった。

 ぽつりぽつりと、少女は話を逸らすようにとりとめもない日常の生活を、雑談の様に話しはじめ、それをきっかけに、時々会うようになった。

 天気のいい日の、夕陽を眺めることが出来るこの丘の上で。

 ウィラードにとってはなんでもない普通の事を語っても、少女はその髪と同じ紫の瞳を輝かせて、コロコロと表情を変える。

 そして次に、少女の話す小さな下町での何の変哲もない暮らしぶりを、夕陽を眺めながら耳にしていた。


 心地いい。


「お前、名前は何と言ったか」


 かなり唐突に、自分が相手の名前を知らないことを思い出したかのように口にして、少女はかなり面食らった表情をした。


「今!? 今なの!?」


「……すまん」


 少女にじとっとした視線を向けられて、ウィラードは申し訳なさから逃げるように視線を外す。

 肌を刺すような視線を感じ、冷や汗が額を伝う感触がしばらく続いたかと思うと、少女はコロコロと笑い始めた。


「冗談、冗談だって。名前きかないままなのかと思ったよ。私はシオン、貴方は?」


「……ウィラードだ」


「ふーん、変な名前」


 少女の、シオンの率直な感想に、ウィラードはぐさりと胸に大きく何かが刺さるのを感じた。


「冗談だってば。教えてくれるまで長かったんだもん、その仕返しだって。そんな傷付いた顔しないでよ」


「多いな、冗談」


 コロコロと、玉を転がすように笑うシオンの顔は、悪戯をするように少しニヤリと、それでいて穏やかに笑っている。

 シオンとの会話は、ウィラードの中で少しずつ、心地のいい貴重なものになっていく。それが恋心と呼ばれるものに変わるまで、時間はかからなかった。


 今思えば、その時のこの世界の情勢を考えれば、これほど迂闊な行動はなかった。

 当時の世界情勢は、今ほど魔法にも魔物に対して寛容ではなかったというのに。

 あちこちで紛争を解決しようと動いていた魔法使いは、逆を言えばそういった相手からは目の敵にされていた。

 主だっていたのは、それぞれが国の繁栄を考えるが故に、他国を貶めようと動いていた各国宰相。

 魔法使いを消すことは出来ないか、あわよくば自分たちの都合の良いように利用できないか。

 そう考えた者達が、ありとあらゆる手段を使って弱点を探っていたことを考えるべきであった。


 シオンと会うとき、もっと慎重に動くべきであった。彼女がいつもの丘にしばらく来ないようになった時に、少しでも疑いを持って行動するべきだった。

 自分みたいな変わり者の魔法使いの相手は飽きたのだろうと、そんな軽はずみな発想をするべきではなかったのだ。


「ごめんなさい……ごめんなさい……」


 シオンはウィラードと頻繁に会い、一年以上言葉を交わしていたことにより、その情報を掴んだどこかの国の貴族に連れ去られた。

 ウィラードにそれが分かったのは、シオンが連れ去られてから半年も経過した後だった。

 ウィラードに対してそれなりに好意を示していたシオンは、魔法使いの話した情報を欲した貴族に話すことを拒んだ。

 貴重な情報源として、死なないように慎重にされながらも、何とか情報を得たい貴族たちは、それこそ金に物を言わせてありとあらゆる手段を使った。

 それこそ、世に知れ渡れば家ごと没落するであろう、非人道的な方法までも。

 シオンと再会したときには、既に何もかも手遅れになった状態だった。

 それでもシオンは気付くのが遅れたウィラードを責めるでもなく、貴族の屋敷の地下深くにある、違法に作られた牢の中で身も心もボロボロの状態であったのに、その顔をさらにボロボロにして泣きながら謝罪し続けていた。

 何も言葉にすることが出来ず、ウィラードは心の中がぐちゃぐちゃに搔き乱されていった。

 そして、シオンの姿に激しく動揺していたせいで、それが貴族によって仕組まれた罠であることにさえ気付けなかった。


「かかったな、魔法使い!」


 なにをどうして魔力封印なんて魔法道具を作ろうという考えに至り、それを実行に移したのかはわからない。

 ただ、ウィラードは自分自身がこの時恐ろしく愚かであったことをようやく自覚できた。

 シオンの驚いた表情がその瞳に映り、自分が攻撃されていることも忘れて安堵した。

 裏切られてはいない。シオンの表情は、何も知らされていなかった顔だ。彼女はただ何も知らず、この貴族たちに利用されていただけに過ぎない。

 それが分かっただけでウィラードには十分だった。だから、彼らがそうしなければ不安ならば、この魔力封印も受け入れよう。この姿も受け入れていこう。

 魔法使いは、魔法道具による魔力封印の激しい痛みが与えられながら、歪に縮んでいく身体を感じてなお、そう考えることが出来たのに。


「これでやっと邪魔な魔法使いが封じられる……。もうお前はお払い箱だ」


 シオンに対する扱いが表沙汰になれば、貴族達は家ごと身が滅びる。

 魔法使いを封じることが出来た今、彼女を生かしておけば自分たちの弱点に繋がる。シオンを生かしておくメリットは何もなかった。

 その事に気付くべきだった。


 ボロボロの身体は、その心すら癒えることなく剣に切り裂かれて赤い血にまみれた。

 ばたりと糸の切れた人形のように、くしゃくしゃになった血まみれの身体。手荒い扱いをされて、ゴワゴワになった紫の髪。

 絶望に染まったままの同じ紫の瞳から、希望を望めないまま光が掻き消えていった。


 シオンが死んだ直後の事は、あまりよく覚えていない。

 ただ、魔力封印の魔法道具に、外からの攻撃魔法が加わったことだけ目撃できた。

 マリアージュがやったのだと、なんとなく理解する。同時に、このタイミングで攻撃してきたという事は、この一件に魔女は全く関与していないことも。

 おおよそ今起きたところだ。私が暴れていたから様子を見たら、魔力封印なんていう魔法道具があるから破壊したんだろう。


『考えが浅い』


 魔女の言葉は、シオンが死んだことを受け入れられた後のウィラードが身に染みるほど恐ろしく的確だったとわかった。

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