暗闇
戦闘が開始されてからどれくらい経っただろうか。少なくともかなりの時間が経過した事だけはわかる。
瓦礫を積み上げたパズルのような広間は、度重なる衝撃と攻撃魔法により、所々が崩れ、ただでさえ不安定な足場を削り、あちこちに穴をあけていた。
マリーはとうとう振り下ろされる武器を受け止めることすら億劫になったらしい。
次々と連携して振り下ろされる武器に、遠距離から放たれる攻撃も防御するための姿勢をとらなくなり、全てマリーの身体を透過するようにすり抜けてダメージがまるで与えられなくなっていた。
服を焼けこげさせるどころか埃を付ける事さえできず、蚊に刺される程のダメージさえも与えられない。
魔女は両腕を組んだまま動かず退屈そうに半目を開けて立ち尽くし、攻撃されても暴言を吐かれても何一つ反応がなかった。
主戦力であるはずのウィラードも、時折連携に合わせるように白い砲撃を放って攻撃を加えるが、その頻度がだんだんと少なくなってきた。
それにいち早く気付いたロックが傍に滑り寄って顔を覗き込むが、別段疲弊している様子は見られず、疲労による頻度の低下ではないことがすぐにわかった。
両膝をついて腰をその場に落としたまま、項垂れるように両肩を落とし、俯くように視線も下の方に向いている。
マリーを倒しても人形は争いをやめない。マリーが告げたその言葉はウィラードに相当効いたらしく、徐々に戦闘に対する意欲が失われつつある様子だった。
「ウィラード、頼むからしっかりしてくれよ!!」
ロックはウィラードの両肩を掴み、揺さぶるようにしながら懇願するが、どうにも心ここにあらずといった様子で、ロックの事もその瞳に映されてはいない。
「マリアージュを、倒して、次は……なにを……?」
ウィラードはロックの目の前でブツブツと呆けた様に呟き続けていた。心が折れかけている、ロックは瞬時に悟った。
どうすればいい、どう説得すれば主戦力であるウィラードの決意を揺るがないものにすることが出来る。
爆炎で照らされる周りを、ロックはぐるりと見渡した。
度重なる戦闘が長く続いていることで、少しずつではあるが、魔導士たちは徐々に疲弊の色を見せ始めていた。
まだ息が少しずつあがっていたり、肩で息をするように上下に動かしている程度ではあるが、このまま魔導士たちだけで戦い続ければ、間違いなく自滅の道を進む。
「なぁ、なんでわざわざこんな回りくどいことしてんだよお前」
結果、ロックがとった行動は時間稼ぎ。
幸いマリーは攻撃に転じる様子が全く無い。それを利用すれば、周りの人間もある程度体力の回復には回れる。
ウィラードを説得するための材料を探すためにも、今は情報を引き出したほうがいいと判断してマリーに声をかけた。
ウィラードの前を塞ぐように立ちはだかって、警戒するように両手で剣の柄を握り締めて切っ先を魔女に向けながら。
マリーはロックの思惑に乗ってくれるように、その問いに首を向けて訝しげに目を細めた。
「回りくどい?」
「お前やろうと思えば、自力でこの世界滅ぼせるだろこれ。なんでわざわざ引っ掻き回して戦争起こさせようと動いたりしたんだよ」
ロックの問いかけに、マリーは一瞬だけ目を見張るように大きくした後、かなり深いため息をゆっくりと吐いて頭を伏せて首を横に振る。
「なぁんで、私が世界滅ぼすために、わざわざ自分で動かないといけないわけ?」
「は?」
低い声で唸るように述べるマリーの言葉に、困惑の表情を浮かべて耳を疑う。ロックは魔女の放った言葉に理解が追いつかなかった。
肩で息をしていた周りの面々も、攻撃を続けながら上半身を下げてその言葉に食い入るように上目でじっとその姿を見つめる。
「だーかーらー、人形の世界を壊すだけなのに、なんでわざわざ私が手を下して滅ぼさないといけないわけ? ほっといても自滅するのが目に見えてるんだよ? だったら自滅が早まるように手を加えるだけしておいてほっとく方がずっと楽じゃない」
「……自滅が目に見えてんだったら、最初から手を出す必要性もないんじゃないのか。なんでわざわざ戦争助長すんだよ」
マリーは直接手を下して、自分の手を汚したくないのか。そのようにしかロックには捉えることが出来ない。
おおよそ周囲の人たちも同じだろう。魔女を取り囲むように一定の距離を開けながらも、ピリピリとした空気が漂っているのが肌で感じられた。
ウィラードもこの言葉には反応したようで、うつむいたままピクリと反応するようにロックの後ろで体が揺れる気配がした。
「人間同士が醜く争ってるのを見ると、気が休まるの」
ロック続けた問いかけに対して、マリーは向き直るように体をロックに向けた後、思い出し笑いをするように遠い目をしてクスッと笑った。
リラックスするように小さく長く息を吐きながら、両手を胸に当ててそう簡素に言い切ったマリーに、全員思考が追いつかず凍り付くように固まる。
「何を言ってるんだ?」
「外でやってた時も、使い魔としてこっちに呼ばれた時も。人同士が私利私欲にまみれて醜く争ってるの見てると、気分がいいの。戦争している時の様子を眺めるのが一番気分がいい」
マリーの表情は、本心からそれを言っていることが十分わかるほどに、まったりと安らいでいた。
狂気に狂った顔とはまた違う、癒しを求め、それがかなえられた時にする表情そのもの。
表情だけ見れば、それがどれだけ素晴らしい事なのか知らないことが疑わしく感じてしまうほどにゆったりとしている。
しかし語った内容が内容だけに、その感覚でいることが、普通の表情であることが恐ろしいほどにとち狂っていることをロック達は理解し戦慄した。
「いつからだ? マリアージュ、お前はいつからそこまで酷い状態になったんだ?」
ロックの後ろにうずくまっていたウィラードが、ようやく顔をあげて、悲痛そうな表情をする。
「お前は最初、私と同じでこの世界を作ることを楽しんでいただろう? 五大王達だって、創造するとき二人で意見を交わし合ったじゃないか。なにをどうしてそうなってしまったんだ?」
「私にそれを聞くの?」
安らいでいる表情から一変、またのっぺらぼうと同じような無表情の細い目でウィラードを見返す。
最初から、理由は全部わかるはずだとでも言うようなその魔女の反応に、ウィラードはあからさまに動揺していた。
「それでわざわざ、争っているさまが見たいがために、色々裏でやってたのか?」
「そうね。まぁ、今回は最初はまた別の目的でやってたんだけど」
魔女がこの世界の外から色々と手を加えて争いを引き起こしたことは多い。
今回というのはおおよそ、ロックが使い魔として召喚してからの事を指すだろう。
話を聞きながらそっと周りを目だけ動かして確認すれば、周囲の魔導士たちは時々攻撃を加えながらも少し休んだことによって多少なりとも体力が回復してきていることが分かる。
ロックは大きく深呼吸しながら、自身の身体も少しずつ回復してきているのを剣を握って確認しながら、話を続けるように促す。
「別の目的?」
「私は別にウィラードが寝てるのを起こすつもりはなかったのよ。召喚されたらなんか目の前の扉の奥で寝てるんだもの。でもその方が、この世界滅ぼすのには好都合じゃない? 私が直接魔力を使って滅ぼそうとしたら、ウィラードが強大な魔力に反応して起きてしまうし、そしたら絶対邪魔してくるもの。だから、起きない程度の小さい魔力で適当に引っ掻き回して、後は自滅していくのを待てばいいやって思ったのよ。その結果人形同士が争って自滅し世界が滅んだ後なら、文句言おうにも言えないでしょ?」
まぁ、途中で起きちゃったから意味なかったんだけど。と、そうマリーは締めくくった。
ロックはその話を聞いて愕然とした。使い魔として召喚したあの時から、マリーはこの世界を破壊することを考えていた事実。
この世界を破壊するその理由は確実にある様子だが、ここまできて一向に話そうとしない。
そしてマリーは、ロック達に対しても、作り上げた人形と同じで、人として扱う様子はまるでない。
魔女の悪意や嫌悪がひしひしとその身に伝わってくるのに、直接手を下してこない魔女にも、攻撃がまるで通じないロック自身にも腹が立った。
「お前、今までやってきたことで何人犠牲になったかわかってんのか」
「あのさぁ元ご主人、あんたはチェスの駒を取ったり取られたりしたとき、それを悲痛に感じて大泣きしたり、同情して心を痛めたりするわけ?」
いくらロックが質問を続けても、マリーからは頓珍漢な答えが返ってくる。
「お前にとっちゃ俺達も、チェスの駒と同じだって言いたいのか」
「そうね」
「同じじゃない! 同じじゃないんだマリアージュ!!」
動揺しながらも話を聞いていたウィラードが叫ぶように大声をあげた。
今にも泣き崩れそうな顔で、両肩を震わせるその姿からは、悲しみと同じだけの怒りも、すぐ傍にいたロックは感じ取ることが出来る。
「ここにいる人間は、唯一無二だ! チェスの駒の様に、取られて終わりじゃない! 彼らには心がある! 簡単に滅ぼしていい相手じゃないんだ!!」
「ほっといても勝手に争い続ける醜い出来損ない人形なのに、唯一無二の心があるから大切だっていうの?」
「当たり前だろう!!」
「マリー、確かに俺達はずっと私利私欲に走って争ってきたし、きっとこれからも争い続けるよ。でも、それでも助けなきゃならねぇんだよ!! それが俺の目指す魔導士なんだ!!!!」
怒りを吐き出すように、そして諭すように、ウィラードとロックは叫んだ。
マリーにその言葉が伝わるかどうか、今までの会話の噛み合わなさから考えても、ほぼないことは分かりきっていた。
ブツンと何かが切れるような音を、この場の全員が耳にした。
「人形が……人形が!!! 人形がああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!」
色々なものが混ざり合ったどす黒い何かが噴き出して、渦巻いていた。
ずっと淡々としていたマリーが、初めて大声をあげたことでその場にいた全員が驚愕した。
黒よりも黒く、闇よりも深い。
マリーの感情が抑えきれなくなったかのように、急速に魔力が膨張して、空中に漂う塔はその周囲一帯を巻き込んで大爆発を起こした。