不死
ロックベルは魔法こそ使えないものの、筋力だけで言えば入学時から指折りと言われるほどの実力を身に着けていた。もしこの世界に魔法が存在しなかったとしたら、彼は若くして優秀な騎士にでもなれただろうとも思えるくらいには実力がある。
そんな自分に、さらに強くなる特訓をするというマリー。魔法の特訓をしてくれるのかと顔を輝かせて尋ねると、彼女は否定した。曰く、ロックはもっと筋力を上げる必要性があるとのこと。その言葉にロックは混乱した。
ただでさえ魔法が使えず出遅れているというのに、魔法の特訓をせずに今以上に筋力を上げるというのはどういうことなのだろうか。魔法がまともに使えない魔導士なんて、失笑されるのがいいところだ。しかしマリーは気にも留めていなかった。
先ほどの会話で実力を認めたばかりなのに、この変人の魔女に対してはどう接していいか、ロックは思考を放棄した。
「ロックベルの修行ですか? 私も参加したいのですが、よろしいでしょうかマリーさん」
予想外の横槍が飛んできて、ロックは椅子から転げ落ちた。名乗りを上げたアリアナは、真剣な面持ちでマリーを見つめている。その様子にはどこか不安そうな様子も垣間見えた。
アリアナが希望することはマリーにとっても想定外だったようで、怪訝な顔で反応する。
「えぇ……? ご主人用に作ったから、アリアナには向かないというか、危ないっていうか、精神持たないかもよ?」
「おいまて」
不吉なワードがつらつらと並んでいったことに待ったをかけた。アリアナに対しては心配そうな表情で悩んでいるのに、なんで主人に対しては無関心でさも当然というように危険に突っ込もうとする。
しかしマリーは一向にロックに反応を示さず、しばらくアリアナを見つめるが、拒否するつもりがないとわかると「わかった」と大きくため息をついて首を回した。
「ご主人用に作ったって言ってたけど、何を作ったんだい?」
「訓練場」
「どこに?」
「ご主人の部屋に」
「は!?」
使い魔に完全無視されている主人の反応が面白いのか、ニタニタ笑っているジェイドが素朴な疑問を投げかけると、マリーはまた想定外の事を言い放った。
(訓練場を作った? 俺の部屋に、勝手に? ていうか訓練場なんて作る余裕なんかないはずだぞ!?)
頭を抱えて唸っているロックだったが、襟首をつかまれてそのままずるずると引きずられて行き、握りつぶされたカエルの鳴き声のような音が漏れる。
襟首をつかんだのはもちろんマリーだ。そのか細い腕のどこにそんな力があるのかと疑うような腕力で、ロックが抵抗しているにもかかわらず涼しい顔で引きずっていく。
自分で歩けるからやめろと、咳込みながらそう言って襟首を開放しようと暴れるロックには完全にお構いなしだ。
「ご主人は辞めさせる気は微塵もないけど、アリアナは自主希望だからね。辞めたくなったらいつでも辞めていいよ」
「ありがとうございますわ。しかし一度やると決めたんです。きちんと最後までやらせていただきますわ!」
「ふーん」
「いいから、放せええええええええええええ!」
心配そうにロックを眺めながらも訓練への意気込みを話すアリアナと、訓練する気はないが面白そうだととりあえずついてくるジェイドに、ロックを助けようとする様子はない。ただマリーの後ろに付いてくるだけである。
薄情者の集まりかとロックはひたすら睨みつけるが、結局部屋にたどり着くまで解放されることはなかった。
部屋にたどり着くなりロックは無造作に放り投げられる。教室から寮まで首を締めあげられ続けたため、もはや抵抗する余地もなくベッドに倒れこんだ。人形のような顔をしてベッドに仰向けになったその口からは魂が這い出ているような錯覚を見てしまい、流石にアリアナとジェイドも罪悪感を覚える。
しかし二人が声をかけるよりも先にマリーが「ほれ起きろ」と肩を掴み、勢い良く立ち上がらせたかと思うと背中に蹴りを入れた。ここまで来るともう恨みしかないのではないか、強制召喚されたことを相当恨んでいるのだろうか。朦朧とした意識を衝撃の痛みで起こされながらそんなことを思う。
流石にこれ以上被害を出すまいと判断したアリアナは、早急に訓練に取り掛かろうとマリーに訓練場について問いかける。というのも、学園内の寮は最低限の生活ができるスペースしか確保されていないため、ベッドと机があるのだけの狭い一部屋だったからだ。
そんな所に訓練場を作ったとは言ったが、訓練するだけのスペースがあるはずがない。実際ロックも鍛えるための訓練は広い裏庭で行っていたのだから。
「と、ところで先ほど伺った訓練場というのはどちらに?」
「あれ」
そう言って指さされた場所に視線を向けると、昨日までなかったはずの場所に新しく木製のドアが付いている。今朝支度をしたときにはなかったはずだから間違いない。
しかもそのドアが付いている側の壁は外側。つまりはドアを開けたら外に出るだけの代物でしかないはずだ。
ご丁寧にもドアには木製のプレートで可愛らしく「くんれんじょう」と書かれて装飾されている。しかも裏返せば「しようちゅう」になっている。無駄に細かい。
「あの、これだと寮の外に直接行ったほうがいいのでは?」
「はいはい入る入る」
「投げんな!」
アリアナが話している途中だというのに、マリーはガチャリとドアを開けるとロックの腰を掴んで中に放り込んだ。数回弾むように地面に叩きつけられ、痛みに体を抑えながら立ち上がると、目の前の光景に呆然と目を見開いた。
そこにあったのは寮の外ではなく、真っ白な空間だった。学園の敷地半分はありそうなほど広く、天井は広大で見上げているだけで首が痛くなりそうだった。
そんなはずはない、ドアがあったのは外に接する壁だ。いったい今自分はどこにいるのか。
「空間創造魔法……!? そんな、使える者がこの世にいるなんて!」
「わぁおひっろ。こりゃまた、眩しいくらい真っ白な空間だねぇ」
後ろからついてきたアリアナは驚愕の声を上げ、ジェイドは遠くまで見渡そうと額に手を掲げて眺める。
空間創造魔法、音だけでなんとなく内容は想像できるがそんな魔法があるのだろうか、少なくともロックはきいたことがなかった。
「んでもって、ここに訓練目的で入った人には不死の魔法が付与されまーす」
「は?」
マリーから信じられない言葉を告げられて、全員が彼女に釘付けになったまま完全に固まった。そんな様子にも気にも留めず、指を立てて説明口調でぺらぺらと先を続ける。
「不死の魔法って、そんな便利なものじゃないからね。死ねないだけだもん、普通に痛いよ。あ、外に出たら普通に死ぬからね。同じ感覚にはなりすぎないよう注意しといて」
「おいおいおいおい待て待て待て待て! 不死ってなんだよ不死って!」
「はい」
話についていけずにロックが抗議した。マリーがロックに指を向けた瞬間、体の半分が弾け飛んだ。アリアナが悲鳴を上げて、ジェイドが名を呼ぶのが遠くに聞こえる。
しかし激痛に見舞われたロックはそれどころではなかった。
目で見て理解できるのは、自身の左半身が吹き飛んでいること。声帯がやられたのか、口からは呼吸音が荒く聞こえるものの悲鳴を上げることはできない。というよりもショック状態に陥って悲鳴を上げるどころではない、息を荒げて過呼吸気味になるが、うまく空気が吸えない。
痛みが強すぎて指一本も動かすことができない。しかし、見るからに致命傷であるにもかかわらず、自身の意識がなくなるような事態も起きない。
大量の血が噴き出して白い床を汚していくのに、自身はそれを認識できている。痛みとありえない現状に頭がおかしくなりそうだった。
「ふぅん、流石に一撃じゃ発狂しないか。やるじゃん」
マリーがロックに投げる視線は、見下げる様な蔑まれたものだった。
考え事をするように顎に手を当てながら、反対の手でロックを再度指さす。気が付くと、ロックの体は元通りの健康状態、五体満足に戻っていた。
しかし先ほどまでの状態は覚えている。決して幻覚などではなかった。冷や汗がどっと噴き出し、腰が抜けてその場で膝をついて座り込んだ。
「んでもって、相手するのはこれ」
畳み掛けるようにマリーはパチンと指を鳴らすと空間から魔物が大量に溢れてきた。震える体を抑えるように両腕を抱えていたロックは呆然とその様子を眺める。ざっと見ただけでも三十体近くいる。
しかしどうやら本物ではなく、あくまでマリーが複製したもののようだ。種族が違うのに、全て光るような水色に統一されている。
「とりあえず弱そうなの厳選して、能力を二、三倍強くしといたから。悲鳴聞こえなくなったら体再生しに行くからねー」
ひらひらと手を振るマリーを尻目に、アリアナとロックは死に物狂いで囲まれる前にその場を走り逃げた。