外界
「……なんでここまでついて来るかなぁ」
小さな民家のような小屋の中。パッチワークキルトがふんだんにあしらわれた木製の簡素なベッドに腰掛けながら、マリーは肘をついて溜息を吐く。
木製で出来た壁に床に天井、家具の類は一切なく、古ぼけた分厚い本だけが山積みにされた、大きめの木製テーブルに、木製椅子が一式。
あちこちにパッチワークでできた絨毯や、テーブルクロス、壁掛けなどが掛かっている。
六等分に分けられた窓枠から、外の光を浴びるように置かれている植木鉢は、赤い花をつけているが、その重みに垂れさがっている。
窓から外を見渡せば、青々と茂った草原に、森のように鬱蒼と木漏れ日一つない樹木が立ち並ぶ。
家の周りを避けるように一定間隔に開いた樹木の切れ間から、雲一つない青空が広がっていた。
ひらひらと白い蝶が舞うのどかな空間、一見すると森の奥深くの隠された小屋のように見えるこの場所。
――しかし、ここにはこの小屋と周囲の草原と樹木しかない。
「ちょっと、汚さないでよね」
腹を抱えて悶え苦しみ、口から血を吐いたマイルズに、マリーは容赦なく目を細めて告げる。
その横には、そこまで苦しんでいないながらも、片膝を付いて喘鳴しているテンパル。
そして、絶叫して白目を剥き、激痛に暴れまわっているサーカムがいた。
「なん、だよ、ここの、魔力源素の、濃度は……」
「あぁ、過ぎれば毒ってやつか。ずっとこっちにいたから気付かなかったわ」
途切れ途切れに言葉を発したテンパルに、マリーは納得したような顔をした。
この場にいるだけでも、濃度の濃すぎる魔力が体を蝕み、暴れまわる。
上位魔物であるテンパルでも苦しさで指一本動かせなくなるほどの濃度は、人間にとっては致死量以上の劇薬そのもの。
しかしマリーにはその影響は見られず、寛いだ様子で首を鳴らして背筋を伸ばす様に両手を上にあげた。
そのままベッドに横たわると、マリーは久しぶりの感覚を味わうかのように、両手両足を広げてゆっくりと深呼吸する。
「確かにそうなるわな、そうなって当然だわ。まぁ、勝手についてきたのはそっちなんだから私は何もしないわよ」
目を瞑ったまま溜息を吐いて、マリーは三人に顔も向けずに話す。
「たす、け、……僕、は、どうなっても……」
「何度も言うな、お前の婚約者を生き返らせるつもりは微塵もないわ」
口の端に付いた血を拭いながら、マイルズは睨み付けるように苦しみ悶えて訴え、マリーは恐ろしく冷たい声で返した。
「婚約者が死んだショックで発動した時間操作魔法。それで婚約者を助けようと動いた君は健気すぎて薄笑いが止まらんわ」
マイルズは教会に入る前、とある貴族の令嬢と婚約していた。最初は政略だったが、次第に惹かれ合い恋愛となった。
そんな彼女が、毒を盛られて死んだ。
絶望に打ちひしがれて、自らも死を図ったマイルズだが、生存本能のせいか、生まれ持った時間操作魔法が働いて死ぬことが出来なかった。
最初は歓喜した。これで彼女を助けることが出来ると。
だがそうはいかなかった。
毒殺を阻止することは出来ても、今度は馬車による事故で。
それを防いでも、次は恨みを持った人物に刺されて、その次はごろつきに襲われて。
何度時間を戻して彼女を救っても、別の死因が彼女を襲った。
諦めきれなかったマイルズは、彼女を救う方法を必死に探し走り回った。
だが、寿命による臨終という最後の死因に、その心が折れてしまった。
婚約はなくなり、他の令嬢との婚約を断り続けた家の次男である彼は、無能のレッテルを張られて教会送りにされた。
絶望に打ちひしがれていた彼が見つけたのは、神殿の濁りきった癒しの水。
それからはずっと、神殿内で彼女を救うために活動を続けていた。
そんな彼に、マリーは精霊王の一件後、どうあがいても死んでしまった彼女を救うことは出来ないと残酷に告げたのだった。
睨み付けてくるマイルズの視線をマリーは感じた。
彼は自身の経緯を話してからずっとマリーの周りをうろついていた。
マイルズがここまでついて来たのは、婚約者を救う手段が魔女にあるのではと考えたためだ。
自分の知らない魔法を隠しているに違いない、彼はそう信じて疑わない。
死人を生き返らせること。そんなことは最初から不可能なのだと、マリーはずっと公言して告げているにも関わらず。
「無理、だこれ、で、も、どう、やって戻るん、っだ」
テンパルが胸を強く抑えながら、使える息を吐きだそうとしながら声を出す。
彼がついて来たのは元から、自分と似た匂いの、より絶対的な強者であるとマリーを認めたからだ。
行く先々で争いを引き起こすマリーについて行けば、思う存分殺戮を行うことが出来る。
ロック達の誰も気付いていなかったマリーの行いを本能的に察知した彼は、ただそれだけの為について来た。
「うわっ」
「あー、これはダメね。送り返したほうがいいか」
ギチギチと不穏な音がした方向にテンパルが視線を向けて声を上げ、反応したマリーが上半身を起こしてその様子に眉をしかめる。
サーカムの体が、ミチミチと音を立てながら、まるでいびつな風船のように、血管のような管を額に浮かせながら膨らみ始めた。
劇薬よりも濃い濃度の魔力源素をその空間にいることで取り込んでしまったがために、サーカムの体は魔力に飲み込まれた。
肌色はヘビのようにうっすらと緑がかった白色に変わっていき、頭からは髪が抜けて、歯はサメのようにとがり始める。
上半身が肥大化していき、膨張で服が破れるが、なおも巨大化は止まらない。
掌だけが体の上半身と同じくらい異様に大きく膨らみ、爆発しそうな魔力を発散させるためか、小屋の壁や机を叩き壊そうと暴れるが、全て防御魔法に阻まれてしまう。
トロールと同じほどの大きさに変わり果て、涎を垂らした白目の怪物は、もはや人間としての意識も失ってしまったようだった。
ロックを唆して追い出そうと動いた一件以来、彼は自分の経歴に傷がつくと考え魔導学園を辞めた。
学園の魔導士としてひそかに各国の悪質な貴族とのコネを作っていたサーカム。
彼はその伝手を使って、自身の利益の為だけに魔法を使い続けた。
それこそかなりあくどい犯罪まがいな方法まで使って。
しかし最近の騒動が災いしてか、その伝手の貴族達が軒並み捕まり始めた。
行く当てを失いつつあった彼が、ナハム公国でたまたまうろついていたロックの使い魔に遭遇して、憂さ晴らししようと考えたのが彼にとっては最後になる。
マリーが呆れた顔で指を向けると、サーカムの姿が瞬時に消えた。
ここにこの三人を連れてきたのはマリーにとっても不本意だった。
サーカムはマリーが一人たまたま歩いていたところを、マイルズはずっとつけて来ていたのをまかずに放置していたところを、テンパルはマリーの元に下るために転移してきたところを。
それぞれが現れて声をかけてきたタイミングと、マリーの転移魔法のタイミングが被ってしまったのだ。
その場に置き去りにしてマリーは転移しようとしたのだが、三人ともそれを察してマリーに掴みかかり、結果ここまで連れ込んでしまった。
「ご主人が呼び戻すまで不貞寝でもしようと思ったのに……。眠れもしないじゃないか。あぁもうあっち戻るわ」
マリーは不機嫌そうにそういうと、徐に起き上がって、苦しんでいる二人の後ろ首を掴んで引き摺る。
そうやって辿り着いた薄暗い部屋の隅には、小さな小屋に似つかわしくない不思議なものが浮かんでいた。
それを目にした瞬間、マイルズもテンパルも目を見開いて息を飲んだ。
占いに使うような水晶玉より一回り大きいほどの、ほとんどが青い球体。地球儀が浮かんでいる。
白い雲が靄のようにあちこちにかかり、ゆっくりと一定の感覚で、目線より少し下くらいの位置に浮遊したまま回転している。
ほとんど青一色の球体に一部分だけある陸地は、まさに二人が生きてきた世界の大陸そのもの。
ちょうどナハム公国あたりで戦争の為か、よく目を凝らさなければ分からない針で突いたような小さな点が光り、魔王国の灰色の雲の下で、小さな黒い点がひしめき合っている。
――ロック達が生まれた広く自由な魔法の世界は、マリーにとって両手で包むには少し大きいくらいの球体でしかなかった。
「あー、あっちに行くのってどうすんだっけ。投げるか」
《願い石》によって強制的に召喚されたマリーは、彼女の言う『あっち』への移動手段を知らない。
ウィラードが入り込んだのは、彼女が寝ていた時だ。見ているはずもなかった。
マイルズとテンパルは襟首辺りを掴まれて球体に向かって放り投げられる。
ぶつかると二人が咄嗟に目をつぶったが、いつまでたっても衝撃は感じられなかった。
恐る恐る二人が目を開くと、世界に合わせた大きさに体が縮んだあと、上空から放り投げられて落下している所だった。
テンパルは即座に飛行魔法で事なきを得るが、マイルズはそこまで頭が回らなかった。
地面にぶつかるすれすれで、背中を強く引っ張られる。大きく見開いた瞳は目の前の地面を凝視しており、鼻が軽く地面をこすった。
ナハム公国、サシャント港の見える丘に降り立ったマリーは、右手に掴んだマイルズの服を放す。
地面に潰れた様にマイルズが倒れ、自身のすぐ後ろにテンパルが降り立ったのにもマリーは目もくれず、遠くを見つめるように目を細め、そよ風の吹いている丘の草原にしゃがみこんだ。
「……流石にそろそろ潮時、か」
サシャント港から少し離れた水面から発せられる、魔法道具が修復された淡い光を眺め、魔女は大きくため息をついた。