恩人
何とかロックとジェイドが新型の魔物半数を倒すことが出来たが、それだけの消耗が二人の体を蝕み始めていた。
滴る汗を拭うこともできず、空気を必死に吸い込んでも、荒く乱れた息を整えることが出来ない。
肩で呼吸するように上下させながら、ジリジリと距離を詰めてくる翼竜の鋭い牙を下から威嚇するように睨み付ける。
ロックは消耗した魔力に対してそれを支える体力が削られ始めている。
ジェイドは新しい武器での戦いで魔力配分が上手くできなかった。
額からし滴った汗が黒いタイルを濡らすのと同時に、目の前の一体が飛び上がって、嘴を大きく広げて丸のみにしようと襲い掛かってくる。
「こっちだ!」
ロックの肩に衝撃が走り、地面に横倒しになると同時に、ぼやけた影が目の前で消える。
「ジェイド!」
翼を広げて高く羽ばたいた骨の塊。
その口元を見ると左手に握った魔法中の刃を上顎に刺して、つっぱり棒のような状態で飲み込まれまいとしているジェイドの姿が見えた。
「はい、あーん」
ジェイドが右手の魔法銃を口腔に向けて放つ。
サラマンダーの火炎魔法が組み込まれた爆炎を飲み込む形で直撃し、ジェイドを銜えたまま魔物は黒い石の家に墜落した。
「くっそ!!」
ジェイドの安否を確かめようとロックはその場に向かおうとするが、複数の魔物が回り込んで行く手を阻む。
「退けってんだよ!!!」
ロックが剣に魔力を込めて刃を作り出し、目の前の一体を叩き切る。だがそこで視界がグニャリと歪み、剣を突き立てて片膝を付く。
心臓が恐ろしく早く胸板を打ち付け、ほとんど息が吸い込めない口から必死に酸素を取り込もうと喘鳴する。
(こんなことしてる場合じゃ……!)
ロックがいる位置からジェイドが落ちた建物はまだ少し距離がある。目の前には今にも襲い掛からんとする魔物が二体。
ぼやける視界の中、ナイフで刺されたような鋭い痛みを発している胸倉を震える左手で掴んで抑えようとするが、鈍い痛みが続くだけで引く気配はない。
「ったく、最近の学園は何教えてんだか」
強烈な打撃音と共に、目の前にいた翼竜が横に吹き飛ばされる。
ロックが睨み付けるくらい目を凝らして視点を合わせると、刃渡りが上半身と同じ大きさの巨大な双頭斧を掲げたタギャルが仁王立ちしていた。
相当な大きさの武器を軽々と片手で肩にもたれかからせるその様子から、かなりの猛者だという事が伺える。
「ふたんとも、魔法のセンスはまずまずやが、武器の扱いがまだまだ初心者域や。そんなんいくら強くても半人前止まりじゃ」
タギャルはそういうと、背後から襲い掛かってきた魔物の爪を、背後で武器を動かして防ぐ。
そして爪を振り払うように一回転すると同時に、爪ごと魔物を叩き砕いた。衝撃で地面が円状に抉れ、潰れた魔物がその場で砂になり崩れ去っていく。
「ふん、かてぇが倒せんもんじゃねぇ。アホみたいに魔力無駄に出したまま振り回すから体がついてこんのじゃ」
吐き捨てるようにそう言うと、タギャルは次だと言わんばかりに別の魔物に近づいていき、爪の攻撃に身を屈めてかわした後、下から斧を叩き上げる。
一瞬だけ、赤く光る線が縦に光った。魔物は自身が真二つに切られたことにも気付かず、そのまま上下にずれる様に倒れて砂になり果てる。
その光景に、ロックがかつて見た景色がフラッシュバックして蘇る。ポイズンワイバーンに囲まれて逃げ場を失ったあの時。
剣を抱えたまま震える事しかできなかった幼いロックが見た、光る線が走ったと思った瞬間、周りの魔物が切り倒されていた光景。
少しの間だが、じっとしていたためか、ロックの乱れていた呼吸が戻ってくる。
ふらつきながらもゆっくりと立ち上がり、剣を引き抜こうとした。だが。
「邪魔じゃい、寝とけ」
膝から下を刃のない柄の部分で薙ぎ払われて、ロックはその場で倒れ込んでまた動けなくなった。
武器の扱い。ロックは教会の出身で、剣を振り回すことしか知らない。
剣を持てるように普段からひたすらに鍛えて、体の一部分といっても過言ではないくらいに振り回して戦った。
だが、それはいつも全力で相手を叩き切っていただけに過ぎない。
身のこなし方や力の加減、それに伴う重心移動の仕方、武器を扱う基本中の基本であるそれを何一つ習得していなかった。
座り込んだままタギャルの戦闘を見ていたロックは、それを思い知ってしまい、自身の至らなさを痛感する。
武器に関してド素人だったロックから見ても、タギャルの動きは戦士として完成していた。
消耗のない最低限の動きのはずなのに、その双頭斧一振り一振りの一撃が恐ろしい威力を叩き出す。
なにより、彼は魔法を使って戦っているのに、それを察するのに何度も技を見なければ難しいほどに魔法の発動が一瞬だった。
獲物に武器の刃が当たる一瞬だけ、ロックと同じ魔法の刃が発動して、獲物から刃が離れると同時に魔法を解除する。
その僅かな魔法の残滓が光る線に見えるのだ。
さらにタギャルはその完成された動きで、一度に複数の魔物を倒していた。
武器が構えられたと認識した瞬間、もう既に攻撃が終わった後で、一直線に横切りにされた魔物は、何が起きたかもわからないまま砂の城となって崩れ消えていく。
ロックが立ち上がれるほどに体力が回復してきた頃には、残っていた十数体の新型魔物が全て屠られ殲滅されていた。
「ジェイド……」
覚束ない足取りで、ロックは黒石の箱だった建物の残骸に近寄る。同時に墜落した魔物はその衝撃で倒せたようで、その姿はなかった。
名を呼ぶほどの体力も残っていない。明かりの少ない薄暗い建物の中を必死で見渡すが、それらしい姿は見つからない。
「惜しい奴亡くしたんな」
「殺さないでくれますかね……」
ロックの背後に歩いてきたタギャルがわかっていたように口にすると、瓦礫の下の隙間から、聞きなれた飄々とした声が返ってくる。
慌てて近寄り両手をついてその隙間に目を凝らせば、弱々しくしながらも、へらへら笑うジェイドの姿が見えた。
「出れなくなってね。リーダー、いつもの馬鹿力で瓦礫どかしてくれない?」
「俺ももうそんな体力残ってねぇよ……」
「えぇ、じゃあ俺ここに缶詰めですかね」
瓦礫の横で腰を落としたロックの横から、唸るような溜息が聞こえ、タギャルがまるで雑草のようにジェイドの片腕を掴んで瓦礫の下から引き抜いた。
一応立たせようと引き上げはしたが、ロック同様に消耗していることを一目で見抜いたため、そのまま瓦礫に腰下ろさせるようにおろす。
「何この人強い怖い」
「おまんも初めて扱う武器ならきちんと慣らしとき」
割と本気で引き気味だったのを落ち着かせようとしたのか軽口を叩いたジェイドだが、図星を付かれて冷や汗を垂らしながら黙り込んだ。
「おまんその剣、あの時助けたロクソベルグのガキか」
「えっ」
なんの前触れもなく告げられたその言葉に、ロックは疲れが吹き飛ぶほど驚愕して目を見開く。
命の恩人という事は分かっていたが、相手がロックの事を覚えているかどうか確信が持てなかったし、緊急事態だったのもあって事が収まってから話そうかと考えていた。
タギャルがロックを覚えていたのはうれしかったが、同時に父の事も知っていたという事実にも困惑した。
ジェイドが横で知り合いなのかという怪訝な視線を送ってきたが、ロックはそれにも気付かない。
「おまんには、悪う事した。あそこに住むよう勧めたんはわしじゃ。今まで魔物も出たことなかったんに、胸騒ぎして久ぶりに様子見に行ってみりゃあの様じゃ」
タギャルはロックの横の瓦礫に腰を下ろして、ばつが悪そうに顔を歪める。
わけがわからないとこぼしたジェイドを他所に、ロックは少し間を置いた後、徐に両手を床に付いた。
「あの時は言えなかった。命を助けていただいて、ありがとうございました」
そう言って瞼を閉じ、床に付くほど頭を深く下げたロックに、同じような形で謝罪しようとしていたタギャルは、固まって動くことが出来なくなってしまった。