半睡
遥か上空から降りてきた魔法使いウィラードは、その伝説と呼ばれるがため誰もが想像していたヒーロー像の姿とは違い、なんともちんちくりんな姿をしていた。
身長の低いロックでも、隣に並べば腰より上ぐらいにようやく頭が来るようなかなり短い等身。布をかぶせて縛ったような靴と、継ぎ接ぎだらけの手袋に覆われた手足は、身体に対して異様なほど大きい。
着古した地味な色合いの服は裾がボロボロ。その身長と同じほどの紫のローブは、立てた襟が顔の下半分を覆い隠し、更にその顔の鼻から下は薄汚い灰色の布で覆われて伺い知ることが出来ない。
色抜けしたような薄い茶色の痛んだ伸び放題の髪を後ろで乱雑に縛り上げ、被ったとんがり帽子の鍔はかなり広く、ボサボサ頭のほとんどを覆いつくして鋭く光る瞳以外にその表情を見ることは出来なかった。
ただ、その身に纏う魔力は尋常ではない。赤黒い分厚い雲が魔力に渦巻かれるようにグルグルと上空で動き、球体に包まれるように黒い障壁がウィラードを覆い、両手を振り回して叫びながらとんでもない規模の砲撃魔法を放ち、ひたすらに建物を破壊していた。
魔導学園の校舎は、もうほとんど破壊されて跡形もない。瓦礫が暴風によって散らばり、あちこちを飛んだり跳ねたりしながら大きい瓦礫を破壊してさらに粉々に砕いている。
ただ一人、その魔法使いに対抗するように、仁王立ちで両手を広げている魔導士、学園長のハンニバルは、攻撃魔法を防ぐことすらできないものの、人的被害が起きないように、倒れた生徒たちを必死に守り、シュバイツを含む講師の魔導士たちが暴風に吹き荒らされながらも少しでも安全な場所に誘導しようと叫びながら指示を出していた。
ロック達はそんな激動の中、校舎の瓦礫の影にひっそりと、拘束した教会の人間もまとめて転移してその様子に唖然としていた。
生徒の数が少なくなっていたのは不幸中の幸いといえるのか、コルドネアとドミニカ双方の生徒がほぼ帰国していたため、普段の半数以下の生徒しかいなかったため、ハンニバルの負担はその分軽くなっているが、それでもこのまま魔法使いが暴れ続ければ、学園どころかこの近郊、果てには大陸ごと周辺国がどうなるかわかったものではなかった。
「やっぱりか、ウィラード! なんでこんなことを! お前はこんなことするようなやつじゃないだろ!!」
暴れる魔法使いよりも上から叫ぶような声が聞こえてロック達が顔を向ければ、上空にオブティアスとアルフレッドが、暴風に負けないように飛行魔法で対抗していた。
だがその言葉に魔法使いは答えもせず、代わりに右手を二人に向けた。
「お兄様ああああああああああああああああああああああ!!!」
魔法使いの右手から放たれた砲撃魔法に二人が飲み込まれ、背後でアリアナが恐怖に駆られた悲鳴をあげ、卒倒しそうになったのをジェイドとヨハンが慌てて支えた。
オブティアスですら避け切れないほどの、それどころか明らかに耐えきれないほどの魔法攻撃が放たれたのを目にしたロックは、体からストンと何かが落ちていくのを感じながら呆然とそれを眺めていた。
そのため放心していたロックは、背後から二人分のドサリと地面に落ちる音と、痛みによる呻き声に反応するのが遅れた。
「邪魔」
マリーが両手を、肩から後ろに上げた状態で苛つきながら呟く。
そこには先ほどの砲撃魔法に飲まれたかに見えたオブティアスとアルフレッドが転がっていた。
ジェイドとヨハンを振り切ったアリアナが大泣きしながら、身を起こしたアルフレッドに抱き着いてわんわん全力で泣き始めるのを、アルフレッドは困惑しながらも優しくその頭を撫でて慰める。
ロックもオブティアスと目が合い、苦笑するように力なく笑った顔を見て、心底安心するように大きく息を吐いた。
「寝ぼけてる奴にまともな説得なんか通じるわけないだろうが、間抜けが」
「ねぼっ、ね、寝ぼけてるってぇ!!? あれがぁ!?」
溢す様に隣で呟かれたマリーの発言に、口をあんぐり開けてブルブルと上空の暴れ続ける魔法使いを指で指し示しながらロックは使い魔に聞き返した。
「そうだよもう。普段全く寝ない寝慣れてない奴が急に千年も寝るからだよ。よっぽど起こされたくない幸せな夢見てたんだろうよ、現実逃避のヘタレ野郎が」
「つ、つまり、寝ぼけてっから夢との区別がつかなくって、暴れまくってるってわけか?」
オブティアスも立ち上がって、近付きながら困惑して訊ねる。マリーは同じ返答をするのが嫌だとでもいうように唸りながら肯定した。
背後でラパス達が、マリーがまとめて連れてきた教会の人間たちを、シュバイツと合流して安全圏に誘導し始める。ハンニバルが片膝を付きながらも防御魔法を続けているが、もう何時まで持つかわからない。
こんな規格外に対して対抗策など考えられるはずもない。戦うにしても、新型の魔物の対処で疲労しきっていたロック達にはもう戦闘するほどの力も残っていない。
そんな彼らをあざ笑うかのように、暴れる魔法使いが所構わず放っていた砲撃魔法がロック達の方向に撃たれた。
「あぁーもう、うっとおしいっ」
砲撃魔法は誰にも直撃しなかった。ロックの目の前に立ったマリーが右手を上げて、強力な障壁魔法で全員守り切っていた。
「寝ぼけてるとはいえ、いや寝ぼけているからこそウィラード相手じゃ……こっちも本気でやらねばやられるか」
ロックの隣で、マリーは心底嫌そうに大きな溜息を吐いて両手をクロスさせるように動かすと、逃げ遅れた学園の生徒達や講師達が、瓦礫の下から引き摺り出され、誘導している安全圏の方に魔法で放り投げられ、シュバイツ質の驚く声が聞こえる。片膝を付いていたハンニバルも、同じ場所にいろと言わんばかりに校庭の中央から安全圏まで吹っ飛ばされた。
「待ってくれ、ウィラードのやつ今はあんな風に暴れてるけど、本当は心底優しい奴なんだ! 殺さないでくれ!」
「うっさいなぁ、あいつがお人好しの大馬鹿野郎だってのはよく知ってるし、叩き起こすだけだっての」
オブティアスがその様子を見て、マリーに向かって懇願するように訴える。マリーは全員が見渡せるように振り返りながら、面倒くさそうに白い目で応えた。
ピッと人差し指を振り下ろす動作をすれば、ロック達のパーティとアルフレッドとオブティアスを包み込むように、その場にドーム状の、ロックの無意識の無効化魔法も全く効く様子がない強力な防壁魔法が展開され、別の場所からも驚く声が聞こえたことから、人がいる場所全てに同じようにマリーが防壁魔法を掛けたことが理解できた。
「お前、まさか、魔法使いと戦う気か……?」
「ご主人、ここから出たら命の保証しないから。出ないでね」
絞り出すようなロックの問いかけに応えず、地面をちょんちょんと指さしたマリーは、口調はいつもの仮面を被ったままなのに、その顔は表情が全く読み取れないほど真顔だった。
ロック達が止める間もなくその防壁魔法から苦も無く外に出たマリーは、空中で帽子の鍔を掴むような動きをした瞬間、魔法使いと同じような帽子が頭に被った状態で出現した。
普段の庶民のような服装は、呆然と立ち尽くしていたロック達の目の前で、見る見るうちに伸びたり何もない空中から新たにあらわれたりして、どんどん姿が変わっていく。
真黒なゴシックドレスのような上半身に、真黒な袖のないローブを纏う。動きやすい太ももの中心までの白いカボチャパンツスタイル、黒いタイツと黒い太ヒールの短いブーツ。
最後に空中に現れた、等身よりも長く先がグニャリと曲がった木の杖を左手で掴んだ瞬間、腰までだった黒髪が身長と同じ長さまで伸びる。
「まぁついでに私怨もはらすけどね」
ロックだけにしか聞こえないほどの小さな声でそう呟いた魔女は、上空の魔法使い目掛けて恐ろしい速さで飛び上がっていった。