暗躍
グランクロイツ魔導学園、魔導士育成として名高いこの学園の敷地は広大だ。正門から続く大きな校舎は何階建てなのか分からないほど高く大きく、遠くからでもその姿がよく見える。建物が複数に分かれて、左右対称になるように整然と、丸く広がる砂敷きの広い校庭を取り囲むように円形に建てられている。
校庭に続く道や窓の外側には腰ほどまでの生垣が丁寧に手入れされて青々と茂り、秋に差し掛かった涼しい風が、少しずつ紅葉してきた庭木をやさしくなでゆらす。
戦争によって呼び戻されている生徒が多い今、人の少ない校内ではいつもほどの喧騒は聞こえず、しかしひっそりとするほどでもない、耳に心地いいほどの若い生徒たちの話し声が響く。
ロック達が湖に辿り着いたとほぼ同時期、魔導学園は平和そのものだった。
「魔導学園めが、忌々しい」
ボロのような古めかしい濃い灰色のローブを身に纏った、血の気の少ない黄土色の肌をした皺くちゃの老婆が三人、その様子を恨めし気に眺めている。
魔導士を目指すといっても、魔法が使える者全てに手を差し出しているとはとても言えない。魔法が使え、尚且つ最低限の知識を必要とする学園の入学試験は、必然的に貧民層の入学を拒否していた。
毎日を生きるだけで必死の貧民層では、勉強などまるで手が回らない。魔導士を目指すものに平等に教育をと歌っておきながら、その実学園に足を踏み入れるのは、庶民でもある程度恵まれた環境の人間が多く、故に貴族の人間がほとんどを占めた。
そんな環境で育てられた魔導士など、神にすがることしかできない貧しい教会の人間を助けるどころか、目を向ける事さえない。
「われらにはこれがあるのだ」
そういって、老婆の一人が懐から取り出したのは、ビー玉ほどの、黄金に光り輝く石。
老婆達がその存在を知ったのは偶然だった。教会に所属し、魔法が使える者を見つけ隔離するのが仕事である彼女らは、見周りの際に聖堂内で呆然とそれを見つめていた女性を見つけた。曰く、聖堂内で一人祈っていると「神様が、助けが欲しいなら祈れ」とお声が掛かり、その手に持たせたのだと。
魔法使い様が我らに救いをもたらすために動き始めたと考えた老婆達は、同じように祈り、それを手にすることが出来た。
手にのせたまま握りしめ、両手を胸の前に組み、祈る。
「われらに魔法使い様の御身まで辿り着くためのご加護を……」
手に石を握り締めた老婆がそう唱えれば、掌から黄金の光が淡くきらめき、三人を守るように包み込んだ。
老眼によって見難くなった瞳を見開いて、その光を確認するように輝く体をゆっくりと見回して、皺くちゃな顔にさらに皺を刻んで笑う。
「やはりこれがわれらの手に渡ったのも必然! 魔法使い様が我らに救いの手を差し伸べているのだ! さぁ早くあの忌まわしき場所から解放して差しあげなければ!」
そのまま老婆たちは真正面の正門からその中に侵入した。黄金の光によって加護を得られた老婆たちは、魔導士の誰にも気付かれることなく、侵入者を捕まえるために設置された魔法の数々にも反応されず、正門から一番離れた敷地の奥、隠されるようにされた建物の地下最奥にまで簡単に辿り着いてしまう。
さらに石は最初に持っていた一つだけではなかった。先とは違う老婆が、また懐から黄金の石を取り出し、祈る。
「おぉ、お労しい。どうか、かの封印を解き放て……!」
黄金の光が輝き、頑丈に封鎖された幾重もの鎖が、一瞬にして砕け散った。でかでかと描かれた魔法陣はガラスが砕けるように弾け飛び、分厚い鉄の扉は砂の城のように崩れ落ち、その先の、奥の暗闇が姿を現した。
瞬時、その異常事態を学園中に知らせるための警報音が鳴り響き、空間が赤く点滅し始めた。だがここまで辿り着いてしまった老婆達はもう気にしない。
病気によって回復魔法を扱う魔導士が人手不足により、警備の魔導士も引き出されたその数も減っている。
だからこそ老婆たちはこのタイミングを狙ったのだ。その石の存在がなくとも、学園に魔法使いがいることを知った彼女らはずっとその機会を伺い続けていたのだから。
最後の一人が懐から黄金の石を取り出して、この場に警備の魔導士が現れるよりも先に祈る。
「その目を覚まされよ、我らが神、救世主、創造の魔法使い様ーー!!!」
期待に目を輝かせた三人の老婆は、魔法使いが眠りを望んでいることなど露ほども考えず、現れたその姿に救いを求めるように手を伸ばしたまま空間ごと消し飛んだ。
「なんっだ、今の衝撃。どっからだ?」
コルドネアとドミニカの戦争は、魔王国の同盟協力によりコルドネアの圧勝となった。
ただでさえ士気の低かったドミニカの軍は、自軍と同じ十万のコルドネア軍を目にした瞬間心が折れ、更に魔物が軍隊として同列に並んでいたことを目にして統率を失った。
軍を指揮する貴族達でさえ、王命だからこそ従ったものの、コルドネアとの戦争によって勝利がもたらされると考えていた者は、余程の馬鹿だけであるため少数でしかなかった。
故に士気の高いコルドネアのほぼ同数の軍を目にした瞬間、勝算など最初からなかったことを悟って、被害を出さないうちにさっさと引き返そうとしたのだが、軍の統率が乱れて収拾がつかなくなってしまったために、足の速い魔王軍の騎馬隊に回り込まれ、軍の後方にいたはずの指揮官の貴族達はあっけなく捕虜としてほとんど拘束されてしまったのだった。
被害ゼロの状態、魔物の軍も不完全燃焼で呆れるほどあっけなく終わった戦争だったが、捕虜として捉えたドミニカの貴族を搬送しようとゼギルデイド達が馬から降りて指示を出していた時、騎士たちが宙に浮き上がるほどの激しい地響きが起こった。
「っ、伏せろおおおおおおおおお!!!」
誰かが叫んだと同時に、大陸が巨大な白い光によって二分され、ちょうどその場所にいたドミニカの軍が光に飲み込まれた。
オブティアスとアルフレッドが即座に反応して防御魔法で壁を作るが、爆風まで防ぎきれずに多くの歩兵や騎兵が空高く吹き飛ばされ悲鳴や嘶きがあがる。
「な……!?」
二人に庇われたゼギルデイドとルシフォードは光が収まりその光景に気が付いて目を見張る。平地だった大陸の地形が渓谷のように深く抉れ、丘の周辺は崖のように大きく地形が変わっていた。
遥か上空まで投げ飛ばされた兵士や馬を、風に吹き飛ばされるも体勢を立て直した飛行型の魔物が何とか回収して事なきを得る。
しかし捕虜として近くにいた貴族を除いて、ドミニカの軍は跡形もなく消し飛び全滅していた。
「どういうことだ!? いったい何が……」
「さっきの方角からしてグランクロイツ魔導学園の方からか?」
「今の攻撃魔法、まさか……」
全員が驚愕した表情で魔導学園の方角を見据える。学園の姿もまるで見えない遥か遠くの位置であるにも関わらず、どこから撃たれたのかも分からないほどの遠距離をまっすぐ伸びるように地面が半円状に削られ、土煙が方々からあがっている。
遥か彼方、学園がある場所なのだろうか、晴天だったにも関わらず、その場所だけが分厚い赤黒い雲が自然ではない動きで渦巻き、稲妻が走っているのが遠くからでも確認できた。
ゼギルデイドとアルフレッドは完全に困惑した表情だったが、オブティアスとルシフォードは戦闘で高揚していた顔をサッと白を変えた。
「ブティ、もう戦争の危険性は皆無だ! こちらはいい、アルフレッドを連れて確認しに行ってくれ!」
「殿下! しかし殿下には警護の者が必要です!」
ゼギルデイドがオブティアスに向かって叫ぶが、先ほどの攻撃がまた撃たれる可能性を警戒したアルフレッドが反論する。
「魔王の名において、それはルシフォードに命じよう。ルシフォード、頼めるか?」
「御意に。くれぐれもその身に危険のなきようお願いします」
オブティアスの命令に、ルシフォードは丁寧な礼でこたえるが、それでもよく見ればその肩は恐怖に怯えるように震えていることが分かる。オブティアスもルシフォードも、ここまでの規模の砲撃魔法を行う者に一人だけ心当たりがあるのだ。
「転移魔法で行くぞ、捕まれアル!」
アルフレッドは差し出されたその手に一瞬躊躇するものの、ゼギルデイドの目を見て頷いた後、オブティアスの手を握る。オブティアスがそれを確認すると、反対の腕でアルフレッドの肩を掴み、そのまま空中高くまで上昇して転移魔法を展開した。
アルフレッドも、オブティアスも、学園にいるはずの身内の安全を心の底から祈りながら、その場所への転移を急いだ。