理由
捕えられたロックは、魔導学園を何らかの理由で憎んでいる、精霊王の神殿を乗っ取った教会の人間によって袋叩きにされた。しかし最近は魔物強度三百倍というありえない数字でマリーの訓練を受けていたため、鍛え方が違う。教会の人間がいくら殴っても蹴っても、ロックにはかすり傷一つ付けることが出来なかった。
どれだけ痛めつけてもケロリとしていたロックが気に食わないとばかりに唾を吐きかけて、ロックを捕えた場所の右側通路から続く地下牢へと幽閉される。転移魔法陣で飛ばされた他の学園の人間はそこにはいなかった。
手足を拘束され、石の地面に乱暴に転がされる。本来は地下牢としては利用していなかったのか、鉄格子は入ってきたときに見た風化した神殿とは違い、新しく増築したように真新しい物だった。ガチャリと重い鍵のかかる音が響き、人手が足りないのか、見張りを付けないまま教会の人間たちは牢を後にした。
今のロックにとって、手足を拘束しているさらし台のような木製の板や、逃走を阻むための鉄格子も、筋力でいくらでも壊すことは可能だ。しかしジェイド達パーティのメンバーや、学園の講師がどうなっているのか分からない現状、あと先考えずに一人だけ脱走するのは得策ではない。自分を捕えたあの茶髪の少年は、確かに身の保証が出来ないと宣言したのだから。
捕まる直前に、ロックはマリーの名前を気付かれないように小声で呼んだのだが、あの使い魔は現れなかった。この程度自分で何とかしろと言っているのか、それともあの魔女でさえすぐに動くことが出来ない可能性があるのか。後者は出来れば考えたくなかった。
建物の構造も、教会の人間がどれほどの人数でここにいるのか、そもそもなぜ教会の人間が魔法を使えたのか。分からないことの方が多く、すぐに動くべきではないのは分かっているが、自分が捕えられたからこそ良かったものの、向こうも同じようにロックを盾にされて暴行を受ける可能性も決して低くはない。
「大丈夫? 怪我……あれ、あんなに殴られたり蹴られたりしてたのに怪我してないの?」
不意に小さな子どもの声でひっそりと話しかけられた。ロックが顔を上げると、そこには修道院服を着た薄桃色の髪をした幼女が、そのクリクリとした赤い瞳に困惑の色を浮かべながらロックの方を見つめていた。
「あぁ、まぁ、鍛えてるから、痛めつけられるのには慣れてる」
「……慣れちゃダメだよ、そんなの」
幼女はロックが肩をすくめながらそう語ると、プクっと両頬を膨らませた。そして、教会の者達が出ていった扉のない入口の方を警戒するようにチラリと目を走らせた後、袖から鍵を一本取りだして、なるべく音をたてないようにそっと牢の鍵を外した。
「おい、俺捕まってんだぞ。修道院服ってことは教会の子どもだろ、お前。そんなことして大丈夫か」
「自分より私の心配するの? お兄ちゃん変な人……」
トコトコと小さな足で牢の中に入ってきた幼女は、そのままロックの後ろに回り込んで、同じように拘束具を外す。なるべく音をたてないようにロックがゆっくりと拘束具を床に置くと、幼女はチョイチョイと手招きして、入ってきた方とは逆側に回り込み何もないはずの壁を押す。ガコンと小さな音がして壁が回転した。隠し扉だ。
「定期的に見周りに来るから、早くついてきて、こっち」
幼女に促され、あとに従うように壁の中に入り込む。人一人がやっと通れそうなほどの狭さの通路は、幼女にとっては広々とした空間だが、ロックにとっては少し身動きしにくいほどだった。通路に灯りは灯っていないが、テパが通った時に持ってきたのか、火のついた松明が一本地面に転がり、薄暗い通路を淡く照らしていた。
「なんか知らんが、助けてくれるみたいだな。俺はロックベル、ロックでいい、お前名前は?」
「こんな時に名前きくの……テパ」
呆れたような表情をしながらも、幼女は自分の名前を口にする。テパはそのままグネグネと曲がりくねった細い通路を進む。壁沿いにまっすぐだった通路は、いつの間にかトンネルのような内装に変わり、ヘビが通った後のようにあちこちカーブしている。狭い通路は、ロックが身を屈めながら歩かないと通れないほどだった。
「教会の人間は、この通路知ってんのか?」
「知らない。テパが見つけた。お仕置きから逃げてて、転んだ時に入り込んだの。それから捕まったことない」
「お仕置きって、なんかしたのか?」
「間違ってるって言ったの。誰かに助けてって、言わないとだめだって。でも、みんな怒って、鞭で打たれるの」
たどたどしい言葉をしゃべるテパは、外見からしておおよそ十歳にも満たないほどだ。そんな子どもに鞭打つ教会の人間がいることに、ロックはギョッと目を見開く。先を進むテパの修道院服から覗く細い首筋には、確かに鞭打ちの後のような傷跡の一部が確認できた。
「おいおいおいお前みたいな小さいのが鞭打ちって、いや、それは後だな。助けてってどういうことだ?」
「この道、下にも繋がってるの。湖。でも、真黒のドロドロになっちゃってて、もう使えないの。それに、怖いお化けがいるの」
「お化け?」
「おっきい、骨なの。おうちくらいの大きさ。みんながそれをあそこに運んでくるの、倒せないから、閉じ込めてしまおうって」
骨、大きさ、倒せない。テパのその言葉に、ロックはある考えが浮かび、ゾクリと背筋に悪寒が走った。新型の魔物、コルドネアの王宮を襲った魔物と同じものが、この地下に押し込められている可能性。そしてそれがいる地下の、湖。
そもそも精霊王の神殿に、教会の人間がいること自体想定されていなかったのは、教会の人間が神殿を知っているのなら、病気を患った人間に癒しの水をとっくに使っていたはずだからだ。それをしなかったのは、すでに癒しの水が使えない代物になっているから。
「お化け、怖いの。誰もいないと人形みたいに静かなのに、近付いたら、暴れるの。みんな決まって教会に来るの。でも、倒せないから、そこに閉じ込めるの」
「教会に来る? その骨がか?」
「病気、治った人のところに来るの。お祈りしていた家族のみんな、食べられちゃったって……」
呼び止めるように足を止めたロックに、振り返るようにしてテパは答え、愕然とする。魔導士でさえ倒すことの難しい新型の魔物が、普通の魔物とさえ戦えない一般人を狙っていた。行方不明になっていた原因は、新型の魔物にことごとく喰らいつくされていたから。死体が残らなければ、永遠と行方不明として処理される。
病気から回復した例は、魔物が王宮を襲った時期よりもずっと前からで、行方不明者が出ているのも同時期だ。しかもテパの話からすると、複数いる。それだけの複数案件を教会のみで抱え込んでいたのかと、ロックの顔から色が抜け落ちていった。
「病気の件で国を信用してないからって、報告しないのはまだしも、魔物の一件なら、なんで学園に依頼出さなかったんだ」
「それは、みんなが魔導士を憎んでるからだよ」
ロックは動かない体で口から絞り出した疑問に、テパが応える。幼女とは思えない、複雑そうな表情をしながら、唇を噛み締めて両手をグッと握った。
「教会は見返りがないから、依頼を出しても受けてくれない。魔法を学びたくても、試験に合格しなくちゃ学園にも行けない。教会じゃ勉強なんてできないから、合格自体出来ない。だったらもう、自分たちでなんとかするしかない。みんなずっとそうやってきた。勉強はできないけど、魔法は使える人はいっぱいいたんだよ。でも、親のいない子が魔法を使えるなんて誰も信じないし、魔法の使い方だって、教わってないからみんな自分でやってる」
だからみんな、助けてくれない魔導士が憎いの。学園が憎いの。そう言ったテパに、ロックは何も言葉をかけることが出来ず、悔しさに歯を食いしばっていた。