神殿
フォルトゥナ森林とエルプッサ山脈の境目に現れた岩の扉は、扉というよりも門に近いほどの大きさだった。縁に刻まれたうっすらと黄金に輝く古代文字は、その場にいるどの魔導士にも読むことは出来なかった。王族とのつながりがあるアリアナでさえ匙を投げるほどだ。
ゆっくりと慎重に、取手もない扉を押し開ける。結界魔法が無効化されたとはいえ、扉にまだほかにも魔法がかけられている可能性があるため、それも無効化する意味合いでロックが名乗り出ていた。
扉を開いた先は、聖堂のようにかなり広い造りになっていた。ドリス式の柱が何本も均等に並び、左右に大きめの松明が設置され、光の入らない石造りの室内を、揺らめく赤い炎が薄暗く照らしていた。
石造りで出来た室内は、松明の頼りない明りで薄暗いものの、火の扱いも管理され、床や壁が清掃されている様子から、整備が行き届いていることがわかる。少なくとも、全く誰もいない形ではなさそうで、生活感とは違う、なんらかの手が加えられているような雰囲気を醸し出していた。
ロックに続いて講師の魔導士達が、パーティのメンバーを守るように間に挟んで後に続く。中の様子に愕然としながらも、注意深く周囲を見渡し、何か手掛かりはないかと目を凝らす。
手入れこそされているが、長い年月は確実に神殿に影響を与えている。所々に装飾のように見つかる古代文字は、ただでさえ誰も読めないのに、風化の影響か所々が崩れ、文字が掠れたり潰れたりして余計に読むことが困難になっている。あちこちに修繕不能なまで悪化したヒビも見つかり、なんとかギリギリ神殿が耐えている現状を拭えない。
先に進めそうな扉を、正面奥の方を探っていた講師が、扉に魔法がかけられている状態で発見した。ロックに声がかかり、ひとまずそこへ向かう。
精霊王が失踪した理由は長い歴史に埋もれ、分からないままだ。魔獣王が倒されて間もなく失踪したため、同じように実は知らぬ間に倒されてしまったのではというのが、歴史学者たちの一般的な見解であったため、このように神殿が残っているのは驚きだった。幾重にも魔法によって防御が施されていることから、魔獣王のように狙われていたことは確かかもしれない。講師達は神殿内をくまなく探索しながら、互いにそのようなことを話していた。
新しい扉は、入ってきた門のような扉とはまた違い、人がくぐるほどの大きさで、真鍮製のリング型の取手が付いている。読めないため意味は分からないが、門と同じような形の古代語が縁に施されていた。
慎重に扉を開ける。ロックが扉に触っているせいか、防御魔法が発動する気配はない。中を覗くと、先ほどの部屋の倍ほどの広さだった。アーチ壁が部屋の隅を囲み、正面中央には登り階段と、かつては黄金で飾られていたであろう、装飾が剥ぎ取られたような気配の残る両開きの扉があった。左右均一に設置されたアーチ壁の方を覗けば、入ってきたところより一回り小さな扉が視界に入った。
「えぇい、なぜ防御魔法が効かん! 侵入者を捕えろ!」
中に入るなり、左手の扉から大声とともに、黒いローブを顔まですっぽり覆い、腰に剣を武装した集団が現れる。数にして三十人は居そうだ。
講師達が守りの態勢に入るようにロック達の前に円形に陣取る。ロックもパーティの最後方にいたヨハンに目配せし、退路を確保できるように指示した。
「人間、しかも教会の者が、精霊王の神殿を発見していたなどという報告は聞いていないぞ」
「教会? 何のことだか……」
「見くびるな! 今武器を取り出した時に、ローブの下の神父服が見えたぞ! それにお前、学園に依頼を提出する工程で何度か会った覚えがある!」
一人の講師が、顔まで覆われたそのフードから、一瞬だけ覗かせた顔を判別していた。集団はザワリと動揺の色を見せるも、すぐに警戒態勢に戻る。
「魔導学園が……今更気づいても遅いわ!」
集団の司令官だろうか、一人の男の声が上がると同時に、三十人分の種類の違う魔法が一斉に放たれた。講師達は瞬時に防御魔法を展開するが、種類が多すぎて防ぎきれず、雨霰と浴びせられる様々な効果の乗せられたカラフルな魔弾に、一人、また一人と被弾して倒れる。
教会の人間が、戦闘魔法をこれほどまで実用できる範囲で習得している事実は、ロック達の常識の中にはない。取り出した武装も剣だったため、そのまま剣による戦闘が行われると踏んで、それが油断に繋がっていた。よくよく考えれば、魔法が使えなければ神殿の中には入れないし、そもそも発見できない。
数で劣っている上、相手も魔法が使えるとなるとこちらが現状不利だ。倒れた講師達を後ろの部屋に下がらせるように背後にいるジェイド達に指示を出す。倒れなかった講師達も同じ考えのようで、動きはかなり迅速だった。
ロックは防御魔法の前に躍り出て、剣を構えて強く念じる。吸収魔法が発動し、ロック目掛けて飛んでくるダメージを与えるはずの魔法は、次々と体内に吸収された。
「なんだこれは!? こいつか、防御魔法が効かなかったのは! 全員あいつを狙え!」
魔法が効かないのを目の前で見せたにも関わらず、相手方もかなり焦っているのか、ロック一人に目掛けて大量の魔法を浴びせるが、先ほどと同じように吸収されるだけでまるで効かなかった。訓練の方がよっぽどきついし痛かったなと、ロックはそんなことを考える余裕すらあった。
ロックが気を引いたおかげか、倒れた講師達は一通り背後の部屋まで後退出来たようで、少し離れた空間から、回復魔法を掛けようとする音が聞こえてくる。
だがそれはすぐに悲鳴に変わった。
ロックが声に気付いて振り向くと、隣の部屋の床に巨大な転移魔法陣が現れていた。この部屋にいたから隣の部屋の無意識の無効化魔法が切れたと、その時になってロックはハッとして固まる。
ロックが部屋に戻るよりも先に転移魔法陣は発動し、隣の部屋にいた全員が瞬時に姿を消した。魔法を無効化してしまうロックでは、追うことが出来ない。
「やっと効いた。注意そらしてくれてありがとうね」
呆然としながらも、ロックは警戒しながら集団に向き直る。短く切られた茶髪の、輝くような黄色い目をした少年が、神父の礼装を纏い、集団の中央に歩いてきていた。
「まさかグランクロイツ魔導学園の人間が入ってくるなんて、僕初めて見たから驚いちゃった。ま、魔導士なんてお高くとまってたけど、実際は大したことなかったみたいだね。僕たち教会の人間が魔法を使えるなんて微塵も思ってなかったみたい」
ロックよりも年齢が低いのか、声変わり前の少年の、少し高い声色が響く。少年の発言で、目の前の集団全てが教会の人間であることが把握できた。ロックの目の前で、彼らは少年に相槌を打ち、中には「ざまあみろ」と罵って悪態をつく者までいる。
なぜか知らないが、魔導学園の事を教会は恨んでいる。それもかなり。悪態がどんどん酷くなっていく様を目の当たりにして、ロックは狼狽えた。少年はそれを窘める事さえせず、逆に煽るように魔導学園の者たちを貶し続ける。
一通り鼓舞するように集団を激励した後、少年は、さてと、と呟きながら、ヒタリとロックの方を見据えた。
「君には魔法の類が効かないのかな? それはそれで厄介だけど、僕たちの言うこと聞いてくれないと、お友達や先生がどうなるか保障できないよ?」
どうするかいと、にっこりと笑いながら問いかけるような視線を向ける。悔しさを滲ませながら、ロックは握っていた剣を足元にゆっくりと投げて両手を上にあげた。