妖姫
私は神に選ばれた。神に選ばれた聖女だったはずだ。
令嬢は目の前で起こったことが受け入れられず、思いを馳せる。
最初に神に選ばれたあの日。
両親が馬車の事故に巻き込まれて死んで、親戚もいなかったがゆえに孤児となり、教会に引き取られたあの日。
すべてに絶望し、何もかもが嫌になって、気付けば誰もいない聖堂で、ひっそりと両親を思い泣いていたあの日。
頭の中に、神の声が響いた。
(救いが欲しいのなら、これに祈りなさい。あなたが清く正しい聖女であるならば)
気が付けば、手の中に金色の水晶が握られていた。そして祈ったのだ「こんなものは間違っている。誰か私をここから救い出し幸せにしてくれ」と。
するとどういうことだろうか、翌日私は子どもに恵まれなかった男爵家の目に留まり、あっという間に養女となり、貴族の仲間入りを果たした。
彼女はその時理解した。自分が聖女であるから、幸せになれると。私は幸せになるべき存在であると。
人より秀でた何かを持っているわけではなかった。容姿も平均、能力も通常。しかし一度自分が特別であると認識すると、聡い者でない限り、人は貪欲に動く。
彼女の考える幸せの基準は、どんどん高く図太くなっていった。最初は貴族の家での贅沢三昧に、夜会に出席するようになってからは、それこそこれでもかというくらいに着飾り、身分のほども弁えず、自身が勝者であることを信じて疑わない。
恐ろしいことに、祈った影響はそんな彼女の周りにも及んだ。彼女の行いが正しいことであると、周りはうつろな目をして肯定し続け、歯止めが効かなくなっていた。
ここまで来ると、彼女の幸せの頂点は、平民女性なら誰もが夢見る、王子様との結婚へとシフトする。
だから彼女は、初対面であるにもかかわらず、第二王子ヘキルカイドの婚約も兼ねた夜会に招待もされていないのに飛び込んで、祈りの力で王子の心をもぎ取った。
幸せは頂点に達した。彼女がそう思った瞬間、事態は大きく動いた。婚約相手の令嬢に、祈りの力が通じなかった。
正論で諭され、反論できずに怒りを向けるが、周りの空気が変わらない。いつもなら、周りの人間すべてが彼女に味方していたはずなのに。
ヘキルカイドに会場の外に連れ出され、そのまま馬車に乗って王宮まで共にする。その日はそのまま王宮に宿泊し、気分はもはや王妃であった。
翌日、これで晴れて王子様と結婚できると浮かれていた令嬢の目の前で彼の様子は明らかにおかしくなった。
「私を誑かしたのか! この魅了魔法を使う悪魔め! アリアナとの婚姻を、よもやこれほど侮辱してくれたな!」
たおやかで優しげな整った顔は、鬼の形相に変貌し、使用人のいない部屋の中で、令嬢の首につかみかかった。
そんな馬鹿な、なぜこんなことに。私は聖女になったはず。絶対に幸せになるべきはずなのに。
心の底で、何かが砕ける音がして、令嬢の意識は掻き消え、永遠に失われた。
「アリアナ! よかった、早めに戻ってきたな」
ロックとアリアナが正門を通ってシュバイツに相談しようと寮まで戻ると、慌てた様子のシュバイツが、寮の入口で足踏みをしていた。
「なにかあったのですか?」
「ロックベルも、よかった。一度話をした後、ちょっと魔王とも連絡を取りたいと思っていたんだ」
「魔物関係か? でもなんでアリアナの心配もしてるんだ」
尋常ではないシュバイツの反応に、ロックもアリアナも身体に緊張が走る。嫌な汗をかきながら、とりあえず場所を移すというシュバイツに従い、通されたのは学園入口から入ってすぐにある、貴族用の連絡応接室。
学園側から魔王に連絡を入れるとなると、魔物関係の事が大半だ。実際学園にオブティアスがいる間、魔物関係の対策相談をかなりされていることを、オブティアスがきいてもいないロックに多大にぶちまけている。
応接室は貴族用に少し豪華で、高級そうな絨毯が程よく手入れされ、革張りの横長のソファに、高級そうなアンティーク調の机が置かれてある。二人に座るように促した後、落ち着いて聞くように念を押して、シュバイツは話し始めた。
「第二王子のヘキルカイドが、魔物に襲われて意識不明の重体だ。しかも、襲われたのはコルドネア王国の王宮内での事だそうだ」
あまりのことに、開いた口が塞がらない。しかしロックよりもアリアナの方がショックを受けていたらしい。ガタンと倒れる音に振り向けば、真っ青になったアリアナが、腰を抜かして椅子に倒れ掛かっている。座っているのが幸いで、特に怪我をした様子はなかった。
「アリアナ、第二王子の変貌ぶりは君が戻る関係で学園にも報告があった。件の男爵令嬢なんだがな、その……」
「どうなさい、ましたの」
「ヘキルカイド殿が意識を失う前に口にしたそうだが、喰われた、らしい」
アリアナは今度こそ意識を失って倒れた。ロックとシュバイツの二人で介抱し、横長の椅子に寝かせて、シュバイツがハンカチを取り出して魔法で冷やし、目元に置いた。
「それ、王宮、どうなったんすか」
「ヘキルカイド殿もあと一歩で喰われそうだったところ、間一髪でアルフレッドが間に合ったそうだ。先日の件で王宮に説明を求めて訪ねていたのが功を奏した。何とか倒せたんだが、どうにも、魔物の種類が前例がなくて、新種の魔物ではないかという話が入ってきてる」
「新種の魔物? そんなものが、よりにもよって一番厳重だろう、王宮の王子の部屋に突然現れたってことっすか?」
「分からんことが多い。だから魔王とも連絡を取りたいと思っていたところだ。だがその前に、アリアナは昼過ぎごろ、どうしていたかわかるか?」
「昼過ぎ? 十一時頃からずっと俺と一緒に外出してましたけど」
「証明できるものは他にはいるか?」
「えっと、町の人たちにめっちゃじろじろ見られてたし、教会に行ってからは神父様たちとも一緒に話してたから……さっきから、なんなんすか?」
シュバイツの質問はまるで尋問されているようで、ロックは怪訝な表情で見返す。しかしシュバイツはロックの言葉に安堵したようにフーッと息を漏らした。
「状況からな、魔物を招き入れたのではないかという憶測が出ているとアルフレッドから連絡があって、アリアナの安否を確認したかったんだ」
「もしかして、王宮側から、アリアナがやったんじゃないかって、疑いが掛かってたのか……?」
ヘキルカイドに婚約破棄されたばかりで、しかもアリアナ自身には全く非がない。恨まれてもおかしくない現状で、そのヘキルカイドが魔物に襲われたうえ、手引きした人間がいるかもしれないという話になれば、当然最近起こった出来事が推察される。
「スカーレット家は、有名であり有力であるから、恨まれることも多いらしい。そういった派閥からの進言があったらしいんだ。もっとも昨日の対応から、王族もまともな貴族もそう考えている所は皆無に近いが、攻撃される隙を与えられかねないから、しっかり裏付けをとってほしいとアルフレッドから頼まれたからね」
動機もあり、疑いの目も向いているが、普段の行いが功を奏し、アリバイも成立すれば完璧に疑いは晴れるとのことで、そのためシュバイツはヘキルカイドが襲われた時間帯の彼女の行動を把握したかったのだ。町に向かった際、かなり目立っていたため目撃者も多いだろう。彼女のアリバイは完璧に成立するので、シュバイツは一安心したのだ。
「じゃあ、魔物に関して魔王に話を聞こうか。ロック、通信頼めるか?」
「俺一人じゃまだ吸収魔法を発動しても、切り替えは出来なくって。ちょっと待ってくれ、マリー! 出てこい!」
ロックの言葉に、使い魔の魔女がふわりと傍らに現れた。夏季休暇に入ってからは、スカーレット家のスイーツを堪能できないせいか、不貞腐れて訓練以外の時間は姿を消したままだった。少し機嫌が悪そうにしながらも、用は何だとロックを睨みつけている。
「ちょっとオブティアスに通信魔法を使いたいから、介助頼めるか?」
「あー」
はいともいいえとも取れない使い魔のやる気のない返事を、ロックはイエスと受け取った。そのまま空間に向かって、オブティアスの名を呼ぶが、反応がない。不思議に思ってもう一度呼ぶが、変化は見られなかった。
まさか介助してないのかとマリーの方を向いたが、彼女はやる気のない顔ではあるものの、ロックの疑問に答える。
「気付いてる。反応はある。けど、なにかソワソワしてすぐに出ようとしてない」
話しながら、マリーは先程までのやる気のなさとは打って変わって、何かに気づいたようにニヤニヤしている。きっとロックにとっては良いことではない。
神妙な顔をしたシュバイツが傍らからロック達の様子を眺めており、あまり時間を置くわけにもいかないと考えを巡らせたロックは、突如一つ嫌な予感がした。
ロックはマリーとシュバイツの顔を交互に眺める。しばらく葛藤した後、緊急事態であることから、羞恥心をかなぐり捨てて叫んだ。
「ブティ兄ちゃん!」
「はぁい!」
策略勝ちしたオブティアスの、見たことがないほどの輝かんばかりの嬉しそうな顔の映像が、目の前に現れた。