竜族
どうしてこんなことになってしまったのか。
使い古された古いベッド、新品ではないものの、なるべく丁寧に手入れをしている清潔なシーツに布団。
そして、寝床が足りないからとその小さい体を大きなベッドに複数詰め込まれて丸まっている孤児たち。
彼らは今、病に侵され苦しんでいる。孤児を養うだけで精一杯の教会は、町医者を呼ぶのが精々で、町医者も、見たことも聞いた事もない全く初めての症状を出している子どもたちを前に、何もできることがなかった。
体には緑色の斑点が浮かび上がり、高熱を出し、苦しんでいる。意識が朦朧としているせいで食事どころか水分補給もままならず、日に日に弱っていく一方だった。
最近下町で流行りだしたという新しい病。感染の原因は不明、何が効くかもわからない。
最初に感染したのはここからずっと遠い場所だったはずなのに、どうしてここでも流行り始めているのだろうか。
病に苦しんでいるのは、大抵子どもやお年寄り、それも決まって庶民生まれだ。
貴族は病気が流行っていると知るや否や、移されまいと下町に寄り付かなくなり、何より彼らはより高度な技術を持つ専属の医者がついているし、高額な薬を手に入れるだけの富がある。
「どうして、なんで、こんなことに……」
(助けてほしいか?)
「!? だれ……?」
なけなしのお金で買った薬も効かず、危険を冒してまで摘み取ってきた薬草もまるで効かなかった。
大事な愛娘がそんな新しい病に伏してしまい、日に日にやつれていくのに何もできず、途方に暮れた女は、もはや神に祈るしかなかった。
孤児たちの看病に手一杯の為誰もいない教会の聖堂内で、藁にもすがる思いで泣きながら祈っていた女は、突然頭に響いてきた声に驚き、立ち上がって周りを見渡す。
人影はなかった。聖堂にいるのは女だけ。しかし頭に響いたその声は、頭の中で鳴り続けている。
(あなたが清く正しい聖女であるならば、これに祈りなさい)
頭の中でまた声が響いた。突如、まるで彼女の助けに応えるように、上空が金色に光り輝き、小さな明るい金色の水晶が差し出される。
「祈る……これに? これは一体、あなたは?」
訳も分からず、手の中に納まった水晶をじっと眺めながら空中を見渡すが、声はもう響かず、何の反応もなかった。
なにもわからない、しかしそれは病気についても同じことだ。女にはもう他に頼るものがなかった。
そして彼女は水晶に祈る。どうか我が身に変えてでも、あの娘をお助けください、と。必死に祈った。
彼女の手の中で、水晶は光り輝きながら消えていった。白昼夢でも見ていたかのように呆然としながら、女は娘のいる家に戻る。
すると、驚いたことに病気から快復した娘が、元気な様子で女の胸へと飛び込んできたのだった。女は心の底から感謝して娘を抱きしめ、泣き崩れた。
数日後、女も娘も姿を消した。
「困ったことになったのぅ、あの魔王と決闘することになるとは」
ハンニバルが応接室で溜め息をついた。世界最強の魔導士が弱音を吐くのは一体いつぶりだろうか。ロックはそんなことを考えながら、現状を再確認する。
通信魔法が切れてから、通信対象であるロック達のパーティメンバーと、アルフレッドとゼギルデイドはそのままハンニバルのいる応接室に連行され、食堂で起こった通信魔法の経緯を語った。
アルフレッドが魔王オブティアスの決闘を受けてしまったことはもはや覆しようがない。であればその決闘をどうするかが今後の課題となる。
「にしても何考えてそんな大それた決闘受けたんだか」
「こちらのルールに譲歩しようという提案だったので、無下にすればそれこそ、じゃあもう戦争しかないと言われかねないと思いまして」
確かにあの剣幕で断ると「じゃあこっちもしたくないがもう戦争するしかねぇな!」とあの魔王なら言いかねないと、その場の全員が納得してしまい、一斉に溜息を吐いた。
ちなみにロックは剣について譲渡する意思があることを既にこの場の全員に伝え、渡しただけでは満足しないかもしれないというロックの推察を話している。
最初こそ驚かれたものの、剣が盗まれた経緯を知りたいのではという推測は、ハンニバルを十分に納得させ、更にロックを引き渡したところでそれが分からなければ解決しない可能性も危惧された。
逆にアルフレッドが提案した学生として転入するという方針は、解決するための事情を魔王本人から聞き出すことの出来る格好の建前になりうるため、倒すことが出来れば関係の改善に繋がる可能性があり、出来れば決闘に勝利したいというのが学園側の見解だった。
「魔王オブティアスは森向こうの国に引きこもっているため、我々にも情報は少ない。専門家の意見を聞きたいのだが」
ハンニバルはそう言って、ロックの横でクッキーをむさぼっているマリーに意見を求めた。
マリーだけ周りの空気を完全に無視してゆったりくつろぎ、紅茶をたしなみつつクッキーを口に運んでいる。
ごくりと喉を鳴らして、完全にこちらを無視しきっている彼女に、話せと言わんばかりにロックが舌打ちすると、肩眉をあげたあと、呆れたように目を反対に回してため息をついた。
「五分五分」
「えっ、勝算あるのか?」
「青二才だし」
魔王に関する評価はあくまでマリー基準である。ロックはあまり信頼できないその言い分に眉間にしわを寄せるも、ハンニバルは興味深そうにマリーに向き直った。
「オブティアスは先代を討ち取って当代魔王として君臨しておる。それだけの実力があるということだが、五分五分になるだけのものがあると?」
「どうやって討ち取ったかについての詳細は知ってるわけ?」
ハンニバルの問いに、マリーは質問で返した。余裕の表情で両手を組んでせせら笑っている彼女に、ハンニバルは思考するように考え込む。
「ふむ、確かにそのあたりは詳しくは伝わっておらんな。先代は戦争を仕掛けるだけあって、かなりの武闘派であったと伝承があるが、当時を知る人間がおらぬ以上、真実はわからぬ」
「まぁ、竜族相手に誠心誠意込めて全力で迎え撃てば、悪いようには転ばないと思うわ」
全然決闘に対する助言ではなかった。ロックはそう感じたが、ハンニバルは意図的に込められたマリーの一言を聞き逃さなかった。
「竜族じゃと? 聖竜王の血が入っているとされる古代から伝わる一族じゃな?」
「少なくともあの青二才は竜族ね。でもあの様子じゃせっかちそうだから、返事は早めにしたほうがいいんじゃない。一ヶ月以上先延ばしにすると直接乗り込んでくるわよ」
直接の面識はなくとも、マリーはその性格をよく把握できるようだった。全員がその可能性を認識し、全力で対応するほかないと悟ると決闘日時についての相談を始めた。
結局決闘は伸ばしに伸ばして一ヶ月先に決定し、学園の総力を挙げてアルフレッドに戦闘訓練を叩きこんだ。
マリーが竜族の事を軽く口走ってくれたため、竜族に関する事も徹底的に調べ上げられ、各国への協力要請により、竜族に関する資料もかき集められる。
竜族とは、古代から伝わる五大王の一つ、聖竜王の末裔とされている。
五大王とは、魔法使いが様々な生き物を生み出した際、彼らを導く統治者として作り出されたとされている。
そんな王の末裔とされている竜族は、魔物の中でも圧倒的な魔力と強靭な肉体を誇り、戦闘では魔物の頂点に君臨していると言える。まさに魔王にふさわしい一族だった。
一方で、理知的に物事を判断する頭脳も持ち合わせているため、魔物の中でも人間に対して理解を示す一族でもあった。
「本当にお兄様は大丈夫なのでしょうね?」
決闘の日時が日に日に近づいていく中、アリアナは毎日マリーに詰め寄っていた。アルフレッドの事がよほど心配なのだろうか、決闘の日時が決まってから毎日の恒例行事のように会うたびに口にしていた。
「五分五分って言ってんじゃん。出たとこ次第だよ、しつこいなぁ」
「だって相手はあの魔王なのですよ! 先代魔王を倒し、圧倒的な魔力を誇り、更に竜族であることが分かったとなると……」
「あんたの兄貴も実力隠してないで全力出せば十分五分五分だっての」
マリーのこの発言に、アリアナは目をぱちくりと瞬いて驚きの声を上げた。
「お兄様が、実力を隠していると?」
「隠したくて隠してるんじゃないだろうけどね。全力を出せる環境と相手がいなかっただけで」
「環境と相手?」
アリアナの怪訝な表情に、マリーが答えることはなかった。