見学
北の森付近の草原には、それぞれの班で自由に移動することになっていた。ロックたちの班はどう移動するかで揉めに揉めている。原因はノーマンだ。
彼は馬車以外でこの距離を移動したことがなかった。決して歩けないという距離ではないものの、一時間半ほどかかることは事実。そんなに歩いていられるかと抗議したのである。
では魔法で空でも飛んでいくかとシュバイツに提案されるも、そんな野蛮な方法だれがするかと語気を荒げる。
ノーマンの出身、学園南側のドミニカ王国は、魔物の住む森から一番離れた場所に位置しており、魔物や魔法に対する偏見が根強く残っていた。
魔法とは忌むべきものであり、魔法から生まれた魔物こそ、人間が滅ぼすべき粛清の対象であるという。伝説における魔法使いを魔力封印したのも、この国の技術であると言い伝えられていた。
そんな彼らの国の人間も魔法が使える者は生まれるし、その数は決して少なくはない。
選民思想があるドミニカでは、貴族こそ選ばれた者として魔法が使えることが当然であると考える一方で、平民が魔法を扱うことに関しては、魔物と同等とみなして断罪しているため、平民でも魔法を扱えることを隠している人間が多い。
矛盾した思想が常識とされるドミニカからグランクロイツに学びに来る学生は、自分こそは選ばれた勇者であると言わんばかりの傲慢な性格の者が多く、同級生であるにも関わらず、庶民生まれに対しては徹底的に卑下しており、ノーマンはその典型例であるといえる。
だからこそノーマンは自分やドミニカ国出身以外が魔法を使うことを極端に嫌っていた。そのためシュバイツによる飛行魔法を拒否したのである。
では馬車を使えばということになるが、そう都合よく馬車を用意できるわけでもない。グランクロイツ内ではどの国の貴族であろうとあくまで学生であり、特別扱いは許されないからだ。
もちろんそのことにもノーマンは不満を抱いている。
「うざい」
他の班が次々と現地へと向かい、最後の班として取り残されるものの話は平行線のままで堂々巡りを迎えようとしていた時、マリーがパチンと指を鳴らし、次の瞬間全員が草原のど真ん中にポツンと佇んでいた。
「やるならやるって言えよ!」
平然とした様子ですたすたと先を歩くマリーにロックが噛み付いた。
「庶民も庶民なら、その使い魔も使い魔だな! ろくに躾ける事もできないのか、悪魔風情が勝手をするな!」
どうやらマリーへの侮辱は地雷だったらしい。ロックがそう感じたのは、ノーマンがものすごい勢いで上空に飛ばされたところを目撃したからだ。
悲鳴を上げながら虚しく両手足をばたつかせて抵抗の意思を見せるが、その間にもノーマンは恐ろしい勢いで上昇していく。
ノーマンの影が豆粒よりも小さくなりかけたところで、落下し始めたのか、今度は逆の勢いでその姿が大きくなっていき、悲鳴がどんどん近付いてきた。
「マリー! やめろ!」
ロックは叫んだ。今までいろいろ勝手な事をしてきたが、人を殺すようなことはしないと、どこかで勝手に思い込んでいた。
ノーマンは地面にぶつかる直前で止まった。がちがちと歯を鳴らしながら、涙と鼻水と涎でその整った顔はぐちゃぐちゃになっている。
マリーはロックが叫ばなければ動こうとしなかった。その使い魔の様子にその場の全員がぞっとする。
「回復魔法使ってやるから、一度痛い目みせてやってもいいでしょ?」
「やめろ、命令だ。人を傷つけんな」
ロックの静止命令に、マリーは苛立っていた。舌打ちの音が聞こえて、ノーマンが地面にベシャリと潰れる。
腰が抜けて放心しており、震える体では自力で立つことは不可能だったようで、アリアナとジェイドに介助されながら近場の岩に移動させて座らせる。
その間もマリーは腕組みをしたままそっぽを向いて手伝おうとは決してしなかった。
シュバイツはノーマンに精神面の強化魔法をかけて落ち着かせた。どうやら外傷自体はない様子で、まだしゃくりあげてはいるものの、自力で立ち上がり歩けるまでには回復した。
「こ、この……」
ノーマンは文句を付けようとマリーを睨んでいたが、さすがに懲りたのか、その冷たい目を向けられた瞬間にヒッと小さな声を上げて飛び上がり、小さくなるように立ったまま震える。
アクシデントがあったため、到着から少しだけ休憩をはさみ出発する。
森に近いため民家などもなく、しばらくはのどかな風景が続いたが、二十分ほど歩いたところで魔物と遭遇した。
最弱のスライムが二十体ほどではあったが、一度に遭遇するには数が多い。
今回はあくまで見学であるため、生徒は自身に危険が及ばないよう距離を取ってシュバイツを見守る。
そこは流石の現役魔導士、火炎系魔法を得意とするシュバイツは、苦も無くスライムを次々と屠っていった。
「多いな」
それは三回目の魔物との遭遇時だった。遭遇する度に数が増えており、遭遇するまでの間隔も心なしか短くなっていた。
最弱のスライムばかりではあるが、これだけ数が多いと、一般人であれば死傷者が出ることは免れない。
現時点でそういった報告は聞いていないが、森に向かってでなくとも何らかの偶然により一般人がこのあたりを通ることは少ないが全くないわけではない。
一般人は万一魔物が出てきたとき対処できないので、多くの場合護衛や傭兵を雇ってはいるが、この遭遇数は彼らの処理範囲を超えている。
「おやおや、教師ともあろうものが弱音なんか吐いていいのですか?」
調子を取り戻したのか、ノーマンは下端を従えて嘲笑う。
シュバイツが庶民出身の魔導士であることを知っている彼はシュバイツに対してもあまりいい印象を抱いていない。
「こんな時に暢気ですね。異常事態になっている事実がわかりませんの?」
「異常事態? 数は多いが所詮スライムだろう! こんなものこうしてやる、出てこいハイツ!」
ノーマンが手を振りかざすと、彼の使い魔である前方からシルバーフェンリルのハイツが現れる。
ノーマンはそのままスライムの大群の方へと進み、全て叩きのめせと命令する。しかしハイツは命令を無視した。くあとその口を開いて欠伸をした後、丸くなってその場でいびきをかき始めた。
前に話に聞いた実力の伴わない使い魔の状態だった。
「ノーマン、勝手に前に出るな! 戻れ!」
シュバイツが危険を察知して怒鳴るが既に遅かった。スライムは自分たちを焼き殺そうとしない新たな捕食対象に一斉に群がり始める。
二十体程のスライムが一斉に自分に向かってきたことに、ノーマンはパニックに陥った。
「うわあああああ! 来るな、来るな! この!」
ノーマンは魔法を使ったのか、スライムの近くの土が拳大ほどボコリと盛り上がったが、それ以上は動かない。土魔法が使えるものの、実用出来るレベルにはたどり着いていないようだった。
シュバイツの火炎攻撃は遠距離投擲できるが、この距離だと誤ってノーマンや背後にいるロック達に当たりかねない。
「ちっ」
ノーマンがしりもちをつき、下端はノーマンを置いてロック達より後ろに逃げていくのを、ロックはノーマンに走り寄りながら確認した。
腰から剣を抜いて、ノーマンの頭上の空間へ、毎日の訓練の調子でなるべく多いスライムに向かって横に剣を振った。
風を切る音、瞬時にスライムが五体真二つになった。
「これは援護したほうがいいかな?」
「あぁもう見学だけということでしたのに! 規約違反ですわ!」
ジェイドは袖から使い魔のサラマンダーを呼び出して、サラマンダーの火炎魔法を空気魔法の風で拡散してスライムを燃やす。
アリアナはいつもの氷の柱でスライムを数体まとめて氷漬けにしていく。
「ノーマン、君はあとで罰則。他の三人も報告するからね」
シュバイツが追いついてきて残りのスライムを一気に燃やしながら告げる。
ノーマンは苦々しい顔をしたが、ロック達三人は仕方ないというように満足げな表情だった。
「しかしロックベル、強くなったな。前は腕力だけでもスライム一体ずつ倒してただろうに」
「いや、使い魔にちょっとしごかれてるんで」
「スライムごときにいい気になるな、減点」
しごかれている内容を知らないシュバイツは一瞬怪訝な表情を浮かべるが、感心したように頭に手を置いてきたので、褒められてないロックはくすぐったいようないい気分になった。
しかしマリーが顔も合わせず背を向けたまま吐き出すように告げた言葉で一気に気分が沈んだ。
「それでもスライム五体切りは見事なものだ。魔法もろくに使えないままなのに、中々できることじゃないぞ」
またもや腰が抜けたノーマンに手を貸して立たせながらシュバイツは語る。
アリアナが下端に安全であることを伝えると、だいぶ遠くまで走っていた彼も戻ってきた。
「今日はここまでにするか。想定以上に魔物が多いから報告しないといけない案件だし、実力を見極めずに突撃する馬鹿を抱えたまま進むのは危険だ」
シュバイツの下した決定に反対しようとノーマンが口を開いた瞬間、マリーの転移魔法で全員学園の門まで転移させられていた。